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13 グレイズ・アンティーク・マーケットとシルバー・ヴォルツ

 銀製品を扱う専門の地下アーケードがあるという。


 そんな話を聞くと、行きたくなるではないか。重要なのはその『地下』の部分だ。どういう意味合いの地下なのか。つまり、純粋に位置としての地下か、アンダーグラウンドな意味の地下なのか。後者であれば、行くべきではない。が、そんな意味のアーケードが、私の耳に入ってくるわけはないのだ。

 つまり、地下にあるアーケードである。


 『シルバー・ヴォルツ』。それがこのアーケードの名前だ。チューブのセントラル・ラインでチャンセリー・レーンまで。そこから歩いてすぐの場所にある。

 白い石の上に茶色の煉瓦が乗るこの建物の地下に、そのアーケードがあるという。入口から様子を見ると、カウンターがあり、警備員らしき人がたくさんいるではないか。


「こ、ここは本当に私が入って良いところなの?」


 思わず独りごちる。だが、見ているだけではわからない。入ってみて駄目なら駄目で、わっはっはーと笑って帰れば良い。そんな風に考え、思い切って中に入ることにした。


「ハロー」

「ハロー。初めて?」

「はい。初めてです。中に入れますか?」

「もちろん。ビジネス?」

「観光です」

「オーケー。これに記入して」


 そう言われて出されたのは、名前と住所を記入する紙だった。他の人の住所も丸見えで、個人情報保護法~、となったが、ここは日本ではない。

 名前と住所、目的を記載しカバンの中を見せる。セキュリティすごい。


「写真は駄目だよ」

「オーケー」

「じゃあこの階段をツーフロア降りていって。降りたら左に曲がると店がある」


 写真撮影できないのかあ、と少々残念に思いながらも、それこそが地下アーケードらしさを醸し出しているのかも。

 このシルバー・ヴォルツは、元々は貸金庫として1876年にオープンした。個人の重要書類やジュエリーなどの保管場所として使用されていたそうだが、1953年に建て直され、再度貸金庫として開業。そこに、アンティーク・ディーラーが顧客を連れて金庫の中の商品を見せつつ商売をしたことから、徐々にシルバー・ディーラーが倉庫兼ショップとして使うようになったという。


「うわ、すっご」


 地下に降りると、先ず広がるのはロビー。そこを折れると重厚な扉が開かれていた。そこから通路が始まるのだが、ここがまた迷路のよう。地下だし人もあまりいないので、ちょっと怖い。一店舗一店舗が分厚い扉や壁に覆われていてる。この一つ一つが貸金庫だったのだろう。想像していたよりも、ずっと大がかりな金庫だ。店によって広さが異なり、これは一部屋を使っているのか、二部屋をくりぬいて使っているのかの違いなのかもしれないな、と思う。


「かわいい……」


 多くの店舗がカトラリーを扱う中、アクセサリーの店を発見。その中でも、オパールのついたかわいらしいピアスが、ガラスのショウウィンドウに飾られていた。


「これ、見たいなぁ。でもちょっと……ハードル高くないか?」


 どうにもこの地下の店は、敷居が高いように感じてしまう。

 そのピアス自体の価格は見えないが、同じショウウィンドウに飾られている、他のネックレスなどは値札が見え、そのどれも手が届かない高い物ばかりだ。


「とりあえず全部見て回ってから、考えようかな」


 開いていない店舗もありつつ、営業している店舗はどの店も扉は開いている。そう。おそらく来る物は拒まないのだとは思う。が、それでもやはり、身の程というものはある。高価な品を見ても、冷やかしだけに終ってしまうのは、こういう場所では失礼だ。ある程度きちんと欲しいものを絞り、それで見て最終的に買うのをやめるのと、最初から買えないのに見るだけなのでは、話が違うというわけ。


 一周してみたが、やはりカトラリーにはそこまで惹かれない。他にもアクセサリーの店はあったが、どちらかというと高級な、ジュエリーというべきポジションの店だった。そうなると、おそらく私には手が出せまい。すでに630ポンドの買い物をしているのだから。


 となると、買えるかはわからなくても、気になっている最初に見つけたピアスを見せて貰うべきだ。

 そう思って店先に戻ると、店の入口左側にもかわいいピアスがあった。こちらは見えている値札で、手が出せる金額だと判断できる。じっくりと見ていると、店のスタッフが近付いてきてくれた。


「着けてみる?」

「そうね、是非お願い。これと、これを見たい」


 そう言って、最初に見たのと同じオパールのピアスを二つお願いした。こちらのショウウィンドウは比較的値段が安い。

 店の中の椅子を勧められ、そこに座って鏡をのぞき込む。


「うわ、かわいい!」

「ええそうね。とっても似合っているわ」

「……ねぇ。もう一つ着けてみたいのがあるんだけど」


 スタッフと一緒に表のショウウィンドウへ出向く。そこで、最初に見たピアスをお願いした。やっぱり後悔はしたくない。高かったとしても、耳に当てるのはタダだ。それともう一つ。その下の段にあるものも。

 こうして合計四つのピアスを耳に着けて(といっても、透明のピアスホルダーに着けて、耳に当てる形だが)鏡でチェックをした。

 やっぱり、一番心がときめくのは最初に見つけたものだった。値段をそっと見てみると、100ポンド。思ったよりも安い。


「どれにする?」

「こっちとこっちで悩んでるんだけど……」


 そう言って指をさしたのは、もちろん最初に見たピアス。それと、一周回ってからみつけたピアスだ。何度も何度も耳に当てる。後者の方は45ポンド。一万円しないくらい。でも、やっぱり最初に見た方が気になる。


 100ポンドということは、だいたい二万円くらいか。二万……。なんだか段々許容範囲な気がしてきた。耳に触れる部分は真ん中に小さな丸いオパール。その周りをシードパールという、ベビーパールよりも小さなパールが囲む。シードパールとは、アンティークの場合は直径一ミリ以下の真珠のこと、現代の日本では二ミリ以下の小粒の無核真珠のことを指す。ベビーパールよりもさらに小さく、その華奢な雰囲気から、中世から近代まで非常に人気があり、中世ではダイヤモンドよりも貴重な物とされていた。この場合の貴重な物だったのは、一ミリ以下の方だ。


 そこから下にぶら下がる形で、二枚の葉が左右に連なり、その間に雫形のオパールがミル打ちされた枠に収まっている。二枚の葉も中央に小さなマーカサイトが埋め込まれ、その周りをミル打ちしてあった。

 細工も丁寧だしこれで二万だとすれば安い。よし。

 心は決まった。


「このピアスにします」


 いざ購入するとなると、何故か住所まで記載をする必要があった。顧客リストなのかもしれないが、こうした場所で書くのはなんだか物々しい。日本の住所を記入し、今度は商品と領収書を受け取る。丁寧に手渡され(もちろん袋はジップの袋だ。もう慣れた)また来てねと言われた。うん、また来よう!


 地下二階からようよう地上に戻る。入るときは厳重だったチェックも、出るときはノールック。あっさりしたものだ。サンキューと一言添えて建物を出た。


 実はここの建物のすぐ近くに、ロンドンの御徒町とも言うべきジュエリー問屋街がある。『ハットン・ガーデン』と呼ばれるそのエリアは、ディスプレイも結構下品……いや、ストレートだ。看板に”CASH FOR GOLD”と書かれていたり、ヤギの角と鼻が金色に塗られ、さらに目には金色でダイヤモンドのシルエットが描かれたショウウィンドウだったりする。すごいな、ロンドン。アンティーク・ジュエリーの店も幾つかあるが、どこも高そうで入ることができなかった。


 ここから、今度は『グレイズ・アンティーク・マーケット』に向かう。

 グレイズ・アンティーク・マーケットはアルフィーズ・アンティーク・マーケットと同様、建物になっているマーケットだ。場所はなんと、ボンド・ストリート駅の近くという超高級エリア。ボンド・ストリートと言えば、セルフ・リッジズという高級デパートがあったり、クラリッジズという高級ホテルがあったり、各国の大使館があるような、とにかく高級なエリアだ。そんなボンド・ストリート駅を降りてすぐの場所に、このグレイズ・アンティーク・マーケットはある。


 このエリア、昔はテムズの支流タイバーン川が流れていた。川は、今は暗渠となっている。この『タイバーン』の名前を聞いたことがある人もいるだろう。十八世紀まではこのタイバーンには、絞首刑を執行する死刑場があった。小川の名前にちなんだ村だったが、それがすっかり絞首刑の代名詞となってしまった。ニューゲイトに1902年まで存在していたニューゲイト監獄から、セント・ジャイルズ・イン・ザ・フィールズ教会とオックスフォード・ストリートを通りタイバーンへと向かうようになっていた。最初に処刑が執行されたのは一一九六年。重税に対する暴動を指揮したというウィリアム・フィッツ・オズバーンが、裸にされ馬に引きずられた状態でタイバーンへ連れられ、絞首刑となった。おおこわ……。


 1571年に現在のマーブル・アーチ付近に設置されたタイバーン・ツリーという絞首台が有名で、三角柱の形に木が組まれていた。当時は処刑は娯楽の一つだったため、多くの重犯罪者が絞首刑となるのを、民衆ははやし立てて見ていたそうだ。何度か名前がでてきているオリバー・クロムウェルも、王政復古の後、墓を暴かれてこのタイバーン・ツリーで改めて絞首刑となった(しかもその後、斬首されその首を四半世紀もの間ウエストミンスター・ホールの屋根に突き刺されていたらしい。市民にとっては迷惑この上ない見せしめだ)。


 そんなタイバーンの川は、このグレイズ・アンティーク・マーケットの地下にも流れている。このエリアは、オークションで有名なサザビーズのオフィスやファイン・アート・ソシャエティなどがあるので、古美術商などが昔は多く存在していた。そうしたこともあってだろうか。グレイズ・アンティーク・マーケットには、多くの上質なディーラーが揃っているそうだ。

 テラコッタの美しい建物は、三角州の形に添って立っている。その尖った先っぽから中に入っていく。実はこのグレイズ・アンティーク・マーケットには、初めて訪れる。ずっと来てみたいと思っていた場所だ。


 思ったよりも人はいない。館内マップもあるが、見ても良くわからないので、とりあえず回っていくことにした。どの店も、商品はきれいにガラスケースに並んでいる。気軽に手に取って見ることはできないが、見やすいといえば見やすい。アンティークの王道、シルバーからガラス製品、同じシルバーと言ってもカトラリーではなくナイフやタガーなんかも売っている。素敵なステーッキ! おっと失礼。英国紳士のたしなみ、ステッキも売っていた。実はステッキってちょっと憧れがある。そのうち杖が必要になったら、イギリスのステッキを持ってみたい。


 ガラスのウィンドウの中にマーマイト(イギリスの有名なジャム)やハインツのトマトケチャップの瓶、それにチップツリーのジャムなんかが置かれてあった。何かがおかしい。いや、もちろんこんなところでいきなりスーパーマーケットの商品があるから、おかしいといえばそれが一番おかしいのだが、そうではない。


「……蓋?」


 そう。それぞれの商品の蓋がシルバーになっているのだ。調味料の蓋なんてものまで、販売しているのか。いや、それもアンティークということは、昔の人が……? 妙におかしな気持ちになる。古いコインや……デスマスクも売っていた。いや、欲しいか? 見ず知らずの人のデスマスク。古本屋とかも入っていて、古い物は全てここに集まっているのかも、なんて思ってしまう。


「すご……」


 ジュエリーの店で立ち止まる。とても華奢で美しいネックレスに、目を奪われたのだ。私に気付いた店主の女性が、声をかけてくる。

 私の呟いた日本語に気が付いたのだろう。


「日本の方ですか?」


 なんと、日本語だ。


「はい! あの、日本の……?」

「そうなんです。この建物には、他にも何店舗か、日本人がいますよ」


 ああ、買い物をするときに日本語が通じることの、なんと心強いことか。ここへきて、私は実感してしまった。


「あの、このネックレスが見たいのですが」

「どうぞ! こういうのがお好きなら、こっちもどうかしら」


 私がお願いしたネックレスと、あわせて似た感じの他のネックレスも出してくれる。


「見たいと仰った方がジョージアン。こっちはエドワーディアンですね」


 そう言って、丁寧に一つずつ説明をしてくれた。今までの店でも、丁寧に説明をしてくれていたが、正直英語なので良くわかっていない部分もあったけれど、さすがに日本語での説明は全てがわかる。いや、当たり前なんだけどさ。

 やっぱり欲しいものは先に見たジョージアンの方。


「これ、良いなぁ……。あの、おいくらですか」

「こちらは値下げしたばかりで、1000ポンドきっかりです」

「1000ポンドかぁ」


 わかる。わかるよ。たぶん、アンティークとしては安いんだよ。安い。うん、たぶん。私もね、ブレスレットよりも先にこっちを見つけていたら、すぐに買っていたかもしれない。(そしてその後ブレスレットを見つけて、同じ葛藤をするのだろう)


 約20万円。


 予算としては、ちょっと厳しい。

 私が業者なら買ったかもしれないけれど、一般人だ。自分が身につけるジュエリーに、すでに今回約13万の買い物をしている。冷静に考えて、どちらか片方でしょう。帰国してからの生活もあるんだぞ、私。


 しかし見ていると欲しくなる。欲しい。欲しい。いつ買うの? 今でしょ! と心の中の先生が声を上げている。危険だ。


「ちょっと考えてみます」

「はい。お待ちしていますね」


 店先を離れ、もう一度館内を回る。でも、さっきの商品が気になって、気もそぞろ。


「これはダメだ。この場を離れなきゃ」


 そうでもしないと、買ってしまいそうになる。人には思い切りも必要だが、分相応を知ることも大切だ。

 次は、一番最初にこのグレイズ・アンティーク・マーケットを尋ねることにしよう。

 そう心に誓い、建物を後にした。

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