12 ピアポイント・アーケードとアルフィーズ・アンティーク・マーケット
さて、水曜日がやってきた。朝少しゆっくりとしつつ、今日こそカムデン・パッセージのピアポイント・アーケードを見て回りたい。土曜日に行ったときは、割と朝の早めの時間だったので、今日はお昼前くらいを目安に向かうつもりだ。
エンジェル駅の前のバス停で降り、カムデン・パッセージへ。ピアポイント・アーケード・マーケットをちらりと回るが、先週の土曜日とたいした変化はなかった。ピアポイント・アーケード・マーケットを出ると、この間は閉っていたピアポイント・ロウの店が開いている! 先にアーケードの方を見てから、じっくりとその店を覗こうではないか。
さてさて、この店が開いていると言うことは……? と期待を胸に、ピアポイント・ロウの突き当たりに向かう。そのすぐ右側。先日は鉄の扉が閉っていたが、今日は開いている!
中に入ってすぐの最初の店が、もうかわいい。黄色と緑の店構えに、店内には所狭しと置かれたティーカップたち。こんなに積み上げられていて、欲しいものがどこにあるか見つけられるのだろうかと思うソーサー類。
「でもまぁ、神保町の古本屋も似たようなものか」
いや、あれは背表紙があるからそれでも横から探せるが、ソーサーなんて重ねてしまったらその柄はなにもわからないではないか。他にも陶器でできた人形やティーポット、大きなお皿などが置かれている。入りきらないのか、店先にも溢れていて、それがまたアンティーク・マーケットっぽくて良い。気取ってなくて最高だ。
今回の旅では、すでにティーカップはトリオを手に入れているので、とりあえずここは楽しむだけにして先に進もう。
赤い柱の店では、店先に洋服がつる下げられている。店頭にはジャンクなアクセサリーが並んでいるが、どれもおそらく1970年代以降のものだろう。私が子どものときに見ていたようなアクセサリーが、たくさん並んでいた。ちょっとしたノスタルジー。でも、だからこそ逆に食指は動かない。もう少しクラシカルなものが欲しいのだ。
「ん? あれは……北欧?」
イギリスのアンティーク・マーケットの中で、燦然と輝く北欧デザインの店。フィンランドも好きなので、ついふらふらと呼び寄せられてしまった。店内は北欧だけではなく、イギリスのものもあり、聞いてみると1950年から1970年代までの、いわゆるミッドセンチュリーと呼ばれる時代のものを集めているのだそう。なるほど。少しレトロな絵柄が入った、ぽってりとしたフォルムのガラスの瓶であったり、色合いもその頃を彷彿とさせる色調だ。
「このバッグにセットされているカトラリーは?」
「それはピクニック・セットだよ」
「ピクニック!」
「1920年くらいから、車でのキャンプや旅行が盛んになって、こういうセットが流行ったんだ」
「そんな昔から、皆アウトドアしてたのか……」
人は何故、車で移動してまでキャンプをしたがるのか。インドア人間には理解ができない。でも、このピクニック・セットはめちゃくちゃかわいい。これを持ってお花見にでも行ったら、とってもファンシーだ。たぶん、その一回しか使わないだろうけれど。
四角いトランクケースに、お皿にカップ、カトラリーがキレイに詰め込まれている。ちょっと欲しいかも、なんて思うも
「いや、私キャンプから一番遠いところにいるタイプの人間じゃん?」
そう気付いた。危ない。勢いで使わないものを買ってしまうところだった。花見はキャンプに入りますか? 入りません!
他に開いている店は、シルバーの店や古着屋さんだったので、先ほどのピアポイント・ロウの入り口にある店に戻ることにする。
店の前には食器が置かれていた。チラリと見るが、そこに興味を惹かれるものはない。そしていざ店に入ると、なんとも所狭しと置かれたブローチに圧倒されてしまった。イギリスの淑女はブローチをよく付けるので、こうしてブローチが多く出回っているのかもしれない。考えてみたら昔はブローチにはそんなに、というよりも全く興味がなかったのだけれど、年と共に好きになってきた。不思議なものだ。ブローチはおばあちゃまが着けているイメージだったが、もしや自分がおばちゃまになったから、興味を持ち始め……? いや、若くても好きな人はいる!
「これ、かわいいじゃん」
ガラス張りの棚に入っているブローチが気になる。しかも値札が10ポンド。これは安い。ガラスの中に入っているからてっきり、お高いんでしょう? お高いのよぉ、なんてものかと思っていたので、驚きだ。
「この中のもの、手に取ってみて良い?」
レジでの接客が終った店主に声をかける。
「もちろんだよ」
彼はご機嫌な声で返事をして、鍵を開けてくれた。まって! 鍵まで付いているの? ちょっと高級品感あるじゃない。
手に取ったのは、三日月の形をして、キラキラと光るガラスがついたブローチ。これもセーフティチェーンが付いている。それからパールが先端に蕾のようについている、一輪の花を模したブローチ。最後に、なんとドラゴンのブローチだ。ウェールズの紋章がドラゴンなので、もしかしたらそれに関係するのかもしれない。なかなか中二心を擽ってくれたので、これも買うことにした。
「25ポンドだよ」
「えっ」
「三つ買ってくれたからね、サービス」
にこっと笑う店主──恰幅の良いおじさんだ──に、そんなにサービスしてくれるだなんて、もう好き好き! また来ちゃう! となってしまう。どのブローチも、小さなジップ袋に一つずつ入れられて手渡された。手にしたブローチをカバンにいれる。宝物が一気に増えたので、ご機嫌だ。店を出て隣のショーウィンドウを見ると、素敵なネックレスもあったが、生憎店は開いていなかった。
「いや、開いてなくて良かったよね」
だんだんと積み重なる出費を思い、思わず笑ってしまった。
ピアポイント・ロウから出ると、絵画ショップが目の前にある。中は浮世絵など、どうも日本のアイテムを売っているようだったが、外に置かれたポストカードが版画調でとてもかわいい。カエルがコスプレをしているポストカードが目に入ったので、手に取ってみる。
「そういえばあの子、カエル大好きだったな」
日本にいる友達の顔が浮かぶ。このカエルのポストカードを彼女へのお土産にしよう。一枚手に取って、店内に入っていった。
のんびりホテルを出てきたので、もうお昼だ。お腹が空いた。近くにスーパーマーケットがあるので、そこでチーズを買うことにする。
「ウェイト・ローズとセインズ・ベリーか……」
片方は高級スーパー、もう片方は庶民派だ。
「チーズ一個くらいなら、ウェイト・ローズのが良いかなぁ」
そんなことを言いながら、結局庶民派のセインズ・ベリーに入っていく。散財中だ。節約せねばなるまい。
一人のランチで気楽にお腹を満たしつつ、日本ではできないことをするのであれば、私のイチオシは、スーパーマーケットでモッツァレラチーズを購入し丸かじりする、である。
直径六、七センチはあるモッツァレラチーズが、一つ丸ごと袋に入り、一ポンドしないものから三ポンドくらいまでの間で売っている。値段の差はたぶん美味しさの違いだろう。いつも安めのを買っても満足できているので、わからないが。ちなみに、バッファローのモッツァレラチーズは少々高いが、一番美味しい。
それを買って中の水分を、水を捨てられそうな場所で捨てて丸かじりする。実に旨い。しかもチーズなので、満腹になるのだ。塩味が欲しい時のために、小さな袋に塩も持ち歩いている。公園のベンチで座って食べれば、なかなか贅沢なランチになる。たった数ポンドなのに、だ。
そうして満足するランチを過ごしたら、次なる目的地に向かうことにしよう。
アルフィーズ・アンティーク・マーケット。今度は室内マーケットだ。それも、名前から分かるとおりアンティークのマーケットである。
「エッジウェア・ロードかぁ。チューブだと行きにくいな」
今いるエンジェル駅は、ノーザンラインという路線だ。一方エッジウェア・ロードは、ハマースミス&シティラインかサークルライン。ついでにディストリクト・ラインだ。ついでに、と言ったのはエッジウェア・ロードが始発で、今とは逆側に向かって走っているから。
「あ、バス来たじゃん! どこまで? わからない! でもまぁ乗ってみるか」
──博打である。
でも、バスであれば外の景色を見ながら、思っても見ない方向に曲がったらすぐに降りれば良い。車内の電光掲示板に書かれたバスストップの名前を睨みながら、周りを見回した。
ヒアリングできなくても、英語であれば綴りはまだ頭に入ってきやすいのが救いだ。ドイツ語圏やフランス語圏に行くと、そもそも綴り自体がよくわからないくらいなので、その度に英語圏はありがてぇ……と思ってしまう。例えば、英語圏なら出口は”exit”でわかる。これがフランス語になると”sortie”となるのだ。美術館で必死に出口を探してしまうアルアルの理由が、この単語分からない問題にある。
それはさておき。
幾つか先のバス停の名前まで確認すると、しばらくは安心して乗っていられそうだ。そこで、スマホに入れてあるシティ・マッパーというアプリを開き、バスのルートを確認してみる。このアプリは非常に優秀で、ロンドンのややこしいバスのルートを調べることができる。チューブや他の電車も調べられるので、イギリスに行くならインストールしておくと良い。
「お、エッジウェア・ロードまで行くじゃん」
私が乗ったのは、ボウ・チャーチ駅というロンドンの東側エリアの駅から、パディントン駅の少し先の地区を通るものだった。番号でいうと205番。
バスに揺られながら、窓の外を見る。大通り沿いのクラシカルな古い建物や教会を見ながら移動するのは、なかなか楽しい。エリアが変わると少し建物の雰囲気も変わる。それがまた、ロンドンという街の空気を表しているようで、ワクワクするのだ。
エッジウェア・ロードで降り、チャーチ・ストリートを入っていく。ロンドンでよく見かける、道路での(旅行者にとっては)思いがけない食材マーケットがそこに広がっていた。名前はわからないが、きっとチャーチ・ストリート・マーケットあたりだろう。安易なのだ。いや違う。わかりやすいのだ。
目当てのアルフィーズ・アンティーク・マーケットは、大通りから結構歩く。途中不安になりそうになるが、この食材のマーケットを見ていれば、多少気は紛れる。ただ、ここで欲しいと思う食材があり、さらにはキッチンのあるフラット(アパートメント)を借りていたとしても、今はまだ野菜は買わない方が良い。だって、アルフィーズ・アンティーク・マーケットに向かっているんだから、邪魔になる。野菜を抱えながら、アンティークのジュエリーを見るのは、絵面的にちょっとシュールだ。
ようやく到着したアルフィーズ・アンティーク・マーケットは、入口がいくつかある。この建物は中が複雑で、迷路のようになっているので、自分がどこを通っているか、意識的にチェックしないと見落としてしまう店がでてくるのだ。外観は、ロンドンの労働者階級住宅でよく見られる古いレンガのビルディング。最上階の位置に、大きくアルフィーズ・アンティーク・マーケットと英語で書かれている。ちょっとダサい。
建物の中を、絨毯がみっちりと敷かれた階段を上がったり降りたりしながらチェックしていく。家具が売っていたり、ライトが売っていたり、はたまたカップ&ソーサーがあったり、シルバー、洋服……なんでもある。
「ん? ここさっき通ったな?」
そんな風に迷いながら、お宝探しをするのはなかなか楽しい。四階と一階にアンティークジュエリーのお店が多く集まっている。ホールマークと呼ばれる刻印がしっかりと入っているものが多いこともあり、値段はそれなりに高い。けれど、ホールマーク(どこ場所で何を保証したかを明確にするためのスタンプで、時代によって使い分けられている)があるので、その商品の時代もそれなりにわかる。どれもガラスケースに入っているので、うっかり壊してしまう心配もなく、安心して見ていられるのも良い。
「ハロー。何を探してる?」
店頭をのぞき込むと、そんな風に店主が軽く声をかけてくる。これは「探してるものがないならお断りだよ」という意味ではないので、安心して欲しい。
「気に入るのがあるか、いろいろ見てる」
そんなことを言えば、それぞれの店主は「オーケー」と言ってある程度は放置してくれる。見ていて気になったものがあれば「これ見せて」とお願いしてみると、すぐに出してくれるので、手に取ることも可能だ。
いくつかの店をチェックしたけれど、そこまで心惹かれるものはない。うーん、今回ここでは特に買い物はなしかなぁ。
そんなことを思っていた矢先。
「……うわ」
見つけた。
見つけてしまった。
とても美しく、そしてかわいい、商品を。
私の胸よりも少し高い位置にあるガラスのショーケース。その中に、美しく金色に光るブレスレットは、幅広の金属に、サファイアと二つのサイズのパールが埋め込まれ、周囲を彫金で装飾してあった。
じっとそれを見つめていると、店主のおばあちゃまが笑う。
「これ、見せて欲しい」
きっと、今回の旅で初めてと言って良いほどの真剣な目だっただろう。おばあちゃまは笑顔で取り出し、腕に付けてくれた。鏡を出してくれたので、腕につけたそれを見てみる。
私は背が低いので、その分手首が少し細めだ。なので、今付けているようなチェーンではないタイプのものだと、チェーンのような細かい長さの調節ができず、大きすぎて落ちてしまうことがよくある。けれど、これは少し小さめ。まるで私のためにあつらえたかのようなサイズだ。
「ヴィクトーリアン」
彼女はそう言った。そして続けて数字を口にする。
「780」
780ポンド。高い。渋っていると、どんどん数字が下がっていく。
「770、750」
あれよという間に
「630」
630ポンド。そこでストップした。おそらくは、ここが落とし所の金額で、高めスタートだったのだろう。だが、どちらにしても高い。日本円にすると、だいたい倍と考えて12万6千円。うん、高い!
「ちょっと考える」
そう言ってそこを辞して、アルフィーズ・アンティーク・マーケットの建物内をもう一周。そして一度扉を出て、冷静になろうと考える。でも、やっぱりブレスレットが気になってしまう。
ブレスレットの側面にも、彫金で柄が掘られていた。
繊細な細工でとても美しいブレスレットは、私の腕にあつらえたかのようにぴったりとしたサイズだった。あんなにも私にぴったりのものに、今後出会えるか? 多分出会える。でも、アンティークのあのブレスレットには、もう出会えないだろう。
そう思ったら、踵を返していた。
店はシャッターを下ろすところ(どうやら休憩の予定だったらしい)だったが、おばあちゃまが私に気付き、すぐにシャッターを上げてくれた。
「お帰りなさい。これでしょう?」
「やっぱり忘れられなくて」
「似合ってたもの」
そう言ってもう一度出してくれた。
「つける?」
「良いの?」
「もちろんよ」
そういって、私の腕に付けてくれたブレスレットは、もう私のもののような気がしてしまう。
「買う! 買います!」
「ありがとう。これはね、1890年のものなの」
「ワン、セブンナインゼロ?」
聞こえてきた数字を、手元のノートに書いていく。
「ノー。エイト」
彼女はそう言って、私のメモを修正してくれた。金額も改めて数字を書いてくれる。ノートは便利だ。アラビア数字は、共通言語なのだから。
1890年の商品。彼女は刻印も見せてくれた。購入時は2023年だから、133年もの時が経っている。とてもそんなに古い品だと思えないほど、キラキラと輝いていて、以前の持ち主がいかに大切に扱ってきたかがよくわかった。
ドキドキしながらクレジットカードを出して、ついに購入する。これで名実ともに、私のものになるのだ。
ブレスレットはジップ袋に入れられて、私の手元にきた。これだけ高い商品を購入しても、袋は透明のジップ袋だ。しかも厚み的に、日本であれば百均で買えそうなもの。そのアンバランスさに、思わず笑みがこぼれる。
私の笑みはもちろんそれだけではなく、一目惚れした商品が自分の手に落ちてきたことに対する喜びが多分にあり、店主のおばあちゃまはそれに呼応したかのように手を差し出してくれた。
「私はニーナよ。あなたは?」
「私はソラ。日本から来たの」
「日本、行ったことがないわ」
「いつか来てね」
「行けたら良いわ」
「だったら、私がまた来るから」
「嬉しいわね。私はいつも、ここにいるからまた来てね」
カタコトの言葉の交換ではあったけれど、店主──ニーナとはそう言って別れた。来年イギリスに来たときにも、きっとまた彼女に会いに来るだろう。
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