降臨
浮遊感。
再び目を開けると、鏡は自分が液体の中に浮かんでいるのを感じた。
鏡の目に映ったのは、暗闇の中で点滅する画面の光だった。視界の左下には、淡い青色の文字が並んでいた。
<システムログ>
接続。
アバターシステムオンライン。
神経接触異常なし。
メインシステム、準備完了。
接続室接続開始。
回路閉鎖。
回路閉鎖完了。
単方向チャネル開放試行、試行一…二…
チャネル開放…成功。
投影カプセル「神の繭」を投入。
投影開始。
浸透中…
浸透終了。
着陸成功。
全物質移転成功。
メインシステム再起動。
メインシステムオンライン。
システムチェック…良好。
搭乗者チェック…良好。
アバターシステム稼働状況…良好。
支援衛星「黒山羊」と連結開始。
連結成功。
黒山羊システムオンライン、可用エネルギー率 75%。
ようこそ。ミドガルドへ。
目の前の暗闇が光の隙間に裂けた。鏡は疑問に思いながら隙間に手を伸ばすと、自分を包んでいた暗闇が引き戸のように両側に開いた。自分を包んでいた液体が流れ出し、浮遊感が徐々に消えていった。
「うっ。」
眩しい光に鏡は目を細めた。体を動かし、慎重に一歩踏み出した。
鏡が踏みしめたのは、緑色の大地だった。
青空、白雲。足元の柔らかい草が風に揺れて自分の膝をくすぐった。遠くには森があった。何とも言えない、羊に似た生き物が遠方でゆっくりと歩いていた。鏡は呆然と目の前のものを見つめていた。
「サ…ササ。聞こえますか?田村さん?」
「え?あ、はい。聞こえます。」
鏡は耳元に直接聞こえる声に驚いた。
「良かったです。着陸は成功したようですね。おめでとうございます。ミドガルドに無事到着しました。」
「ここがミドガルド…どうしてこんなにあっさりと送り込んだんですか?私の会社や家で飼ってる魚はどうなるんですか?」
「ご心配なく。この部分は私たちが専門の人間に任せています。それに、地球とミドガルドの時間の流れは一致していません。地球の一分はミドガルドの一時間に相当します。だから現実世界の問題に過度に心配する必要はありません。」
「は、はあ。」
「分かってくれて嬉しいです。さて、時間が限られていますので、早速本題に入りましょう。まず、背後を見てください。あなたの後ろにあるのが『神の繭』です。中には基本的な生存セットが入っています。取り出してください。」
「了解。」
「神の繭」に付着している弁膜に手を差し込み、鏡は赤紫色の緩衝粘液に浸された金属箱を引き出した。泡を含んだ液体が安全ロックを外す動作に従って流れ落ちた。
「よし。これで補給品を手に入れました。あなたの今の身体は原則として食事を必要としませんが、もしも怪我をして修復が必要な場合は、生存セット内の補充液が身体修復の資源を提供します。俗に言うと回復薬ですね。」
「待っ、待って?今の身体?じゃあ私の本来の身体はどうなったんですか?」
「すみません、説明が不十分でしたね。田村さんの本体は今も接続室にあります。今投下されたのは私たちがアバターと呼ぶ装置です。つまり、今田村さんはこの身体と連線している状態なんです。だからこの世界で死んでも、本体に影響はありません。」
「ああ。そういうことか。」
「次に黒山羊の部分について説明します。」
「黒山羊?ああ、さっきシステムメッセージで見たやつだ。衛星みたいなものだったよね?」
「そうです。黒山羊は最新のジェネレーティブAIを搭載した自己拡張型衛星工場です。基本的には、地球で現存する理論上可能なものであれば、材料さえあれば作ることができます。作った物品は転送装置でミッドガルドに送ることができます。」
「おお。すごいな。」
「でも覚えておいてくださいね、どんな操作も黒山羊のエネルギーを消費します。エネルギーが尽きれば、黒山羊の太陽電池が再充電するまで待つしかありません。資源の配分に注意してください。では今から試しに生存用のナイフを手に投影してみてください。黒山羊と意志で連結して、ナイフを作るように命令してみてください。大体想像すればいいですよ、ジェネレーティブAIが足りない部分を自動的に補完しますから。」
「そう言われても……あ、できそうだ。」
自分の意志と遠くの何かが連結したことを感じた鏡は、心の中でナイフの形を想像しながら相手に物品を作るように命令した。しばらくすると、手のひらに青白い光が差した。光が消えると、無骨な黒い生存用のナイフが鏡の手に現れた。
「すごい。」
今日何回目かのため息をついた鏡の視界には、小さなエネルギーバーが表示された。上には 70 % と書かれていた。
「え?ナイフを作るだけで 5% もエネルギーを消費したの?」
「当然ですよ。これは今最先進の転送と生成技術ですからね。しかも軌道上から位置を特定して送り込むんですから。まあ、消費するエネルギーは生成する物体の複雑さや質量によって変わりますけどね。田村さんの手にあるナイフなら、おそらく 2% くらいのエネルギーを消費するでしょう。」
「引き算してみると3%もの転送費用が高すぎる!」
「確かに高い感じはしますね。でも、田村さんが地面上の素材を黒山羊に送り返すと、黒山羊は設計図に従って自己拡張します。その時に太陽電池が増えれば、エネルギーの消費比も下がりますよ。」
「おお。これが計画の四つの主題の一つに繋がるんだね。」
「そうです。サンプル採取、文化侵略、新エネルギーの獲得、そして現地環境改造です。鉱物や生物のサンプルを採取すれば、黒山羊は学習データや実際の素材を得られますし、最終的にはミドガルドに適応した前線基地に拡張されます。」
「なるほどね。なかなか長期的な計画だね。これを達成するにはどれくらい時間がかかるんだろう?」
「地球にとっては意外と早いですよ。時間の流れが違うせいで、60年期間の発展は地球では一年で済みますからね。時間コストとしては地球にとって相対的に割安な投資ですよ。」
「そうなんだ。だからこそ自己発展型の機械を使うんだね。」
「そうです。田村さんも実際のニーズに応じて、黒山羊の成長方向を命令できますよ。デフォルトで建設可能な施設はヘッドアップディスプレイのインターフェースで調べられますからね。」
「わかった。つまり残りは試行錯誤しながらやっていくしかないってことだね。」
「はい。あ、最後に一つ。自分のアバターの外見を調整してください。」
「外見?」
神繭の鏡面で自分を見ようとして、鏡はすぐに理由がわかった。
「ああ…なるほど。外見ね。」
鏡面に映ったのは、金属色の、滑らかな、卵のように楕円で顔がない顔だった。四肢も同様に簡素だった。簡単に言えば、円形で構成された試着人形のようだった。
「キャラクター作成とかいうものは普通ログインする前にやっておくものじゃない?どうして送り込んだ後もこんな姿なんですか?」
「この点については田村さんに謝ります。これは時間の問題ですね。地球にとっては、接続チャネルの開放時間は非常に限られています。時間を節約するために、とりあえず田村さんを送り込むしかありませんでした。」
「そうか。わかったよ。じゃあ、どうすればいいんだ?」
「このアバターは、様々な状況に対応するために、外見を変える機能を持っています。でも最初は田村さんにデフォルトの姿を決めてもらいます。固定のイメージがあれば、現地人にとっても識別しやすいでしょう。」
「じゃあどんな姿にすればいいんだろう?」
「お好きなようにどうぞ、田村さんの趣味に合わせてください。」
「趣味?本当にいいの?」
「はい。どうせ私たちは現地人の価値観が分かりませんからね。無理に推測するよりは、田村さんに自由に発揮してもらった方がいいでしょう。」
「そうか。じゃあ、全力で作ってみるよ。」
「そうしてください。私からの通信はここまでです。」
「え?もう切るんですか?ずっとこんな感じでアドバイスしてくれると思ってました。」
「申し訳ありません、地球側からミッドガルドに接続するにはまだいろいろ制限があります。でもご安心ください。何をすればいいかわからない場合や分からないことがある場合は、こちらで初歩的な知識をまとめてあります。必要があればいつでも参照してください。」
「あ、はい。わかりました。」
「では、成功を期待しています。通信終了。」
投影で顔のない自分を見つめた鏡は、気合を入れた。
「よし。やってみるか。」