発狂詩人
嗚呼、空は何故青いのだろう。それは私を発狂させる為だ。そう私の中で私が叫んだ。
何故に犬は犬なのか。それは私に向かった時だけ神妙な顔に成ることを誰彼と無く産まれた時から教えられているからだ。まるでこの人間は他とは違う、一寸やばい奴かも知れないと察知した、あの時々の表情のようにだ。その後で犬たちは何も無かったかのような振る舞いを見せて私の前からいなくなっていく。次の電柱へ。叢へ。何を考えながら歩いているのか決して知ることの出来ない通行人とそのまた別の通行人へ。
そうすると何れ私は街へ出る。そうしたならば私は路上の四隅に転がるようにうずくまる灰色の人々を見るだろう。彼らが何故に灰色の人間なのかと問う勿れ。彼らは元々は多彩な色を持ってこの世に生を受けた人たちだ。だが偶々この今という漠然とした時代と国家によって生きていくことを強要された者たちの中でも、特にこの時代と国に合わなかった人々であるのだ。そして彼らは徐々に、或いは唐突に彼らが住まう道路や河原の橋脚と同じ色に変化していったのだ。それは他のあらゆる人間についても言える現象なのだ。発狂しながら私は悟った。そうなのだ。人は皆カメレオンなのだ。偶々その時々の境遇や、その時々の身の上に依り色が変わる。金や愛に囲まれた生活をしていればゴールドや虹色にでも成ろう。常に誰かを恨みながら生きていれば、その者の面影は暗黒のように闇色だ。俗世間に於いて、心に何も持たない者は空気のように存在が危ぶまれ、心の美しい者は透き通る川の様に透明だ。人々は、自分たちの周りにある事物によって色が変わり、または変わらずにいる者もいる。しかし彼らは何時までも同じ色のままでいることは、稀なことでもあるのを私は発狂しながら身を以って知っていた。
私はある時また発狂した。その時私はピアノの伴奏に耳を傾けていた。その時一緒に歌われていた歌は決して悲しいものなどではなかった。それでも私はそのピアノの伴奏に心を強く動かされたのだ。何故に、私の心は無防備だったのだろうか。軽快な歌声と害の無い筈の歌詞は、私の中では憂いを誤魔化す形骸化された言葉、それは人の心からすぐに消えてゆく定めの中にありながら、ピアノの伴奏だけを残してゆく同時進行の前座だ。何か悲しい事でもあったのだろうか。私はピアノ奏者が立ち上がり、我々に挨拶し、舞台の袖に消えていくのを、ただ黙って見ているしかなかった。私は発狂している。これもパフォーマンスとでもいうものなのか。或いはただ、私だけが感じる個人的な感性、又は偏執狂的恣意に依るただの傲慢とでもいうのか。
私たちは同じ世界に生きているようで、実は幾つもの世界の中を生きている。別の世界に行きたければ、その人にとって思い切った事をしなければそこへは行けない。私の世界線のすぐ横を奔るその別の世界線とは全く異質なものだ。平行し隣接する2つの世界線は、其々全く別の世界を抱えている。私はある時私の行くべき世界がそこにあるような気がしてくる。しかもそれは私のすぐ隣を奔っているのだ。私はどうにかしてそちら側の世界に行ってみようと試みる。だがどうしても道を阻まれる。もっと別のことをしなければいけないのか。私は限界を感じながらもそちら側の世界に入ろうとする。しかし発狂するのを止めることは到底不可能だ。それが良いのか悪いのかという問題ではなく、私は常に発狂していかなければ生きていけないからだ。ある時私はビルの上から発狂しながら飛び降りようと考える。だが考えるだけだ。代わりに私は人のいないあるビルの屋上から、黄昏時の街の上空に向かって発狂した。
ある時駅前が騒々しい事に出くわす。消防パトカーが慌ただしい。私を拘束しに来たのか。だが彼らは私の前を走り去る。私が透明人間にでも成ったみたいに。
私はその夜部屋の中で偶々知った。インターネットで知った。昼間の駅の出来事を知った。16歳の女生徒が鉄道自殺を遂げたのだ。あの騒ぎはその所為だった。記事には詳細は書かれていない。だがそれが明らかに自殺という歴然たる事実であるという以外に、何故に16歳の女生徒が鉄道自殺したのか知る由も無かった。私はどうしたのだろうか。何だか無性に込み上げて来るものが胸に迫ったかと思う間に、私は座布団に顔を埋めて馬鹿みたいに泣いていたのだ。多分悔しかったのだろう。まだ16歳の若者が、何故に通過して行こうとしている電車に向かって身を投げ出さなければならないのか。そんな世界が存在して良い筈が無い。彼女はもっと幸福に生き続けられた。世界線は無数に存在するのだし、彼女はまだ16という若さだ。これから色んなことがある筈だった。色んな出逢いや楽しいことも嫌なこともあるだろう。死は放っておいてもやがては誰の身の上にも訪れるものなのだし、生は放って置いたままでは生きていくのが不可能なくらい生それ自体には常に困難が付き物だ。余程死にたかったから死んだ。私は彼女が輪廻転生した先で、少しでも満たされた世界線の中で生きていることを願った。もう自殺などしなくても良い世界で生きるようにと。私は痛かったであろう彼女の死の瞬間を思い、堪らなくなり発狂した。
偶に晴れた日に海に行って波の音を聞く。波は確実に私に何かを語り掛けて来ている。だが発狂することしか出来ない凡庸な私には波が何を語り掛けているのかを理解することは出来ない。私は私の出来ることをした。私は海に向かって発狂した。海は私の叫びを押し寄せては引いていく波の音に掻き消した後、海闊天空の裾野は何事も無かったかのように揺蕩っていた。
私はこれからも海や空、太陽や月、人間や世界の存在に耐え切れずに叫び続けることだろう。発狂した後に、それらに捧げる筈だった私の詩は、容を得ずに私の世界線の中で泡のように生まれては消失していくのだ。