3.変わらない気持ち
「ねぇ、あなたはヘレン様なの?」
私は、直感的に思ったことをそのまま問いかけた。とはいえ、よく考えれば、彼女とヘレン様は髪の色も目つきも、雰囲気も性格も体型も全然違う。共通点と言えば、ルビーのように透き通った、美しい真紅の瞳ぐらいのものだろう。それに、たまたま彼女が元からそこにいて、ヘレン様は窓から外に出たという線もなくはない。
ただ、彼女の瞳を見つめると、どうもさっき見つめたヘレン様のそれと違うとはどうしても思えなかった。根拠なんてないが、どこか安心する、胸が満たされるような感覚を、さっきも今も感じている。
「……」
彼女はなにも答えなかったが、悲しみに満ちた瞳で私を見つめる。
そんな彼女を見て、私の胸がグサッと、ナイフに刺されたかのように痛む。やめてよ、そんな顔……。
しばらく無言で見つめあっていると、彼女は観念したのか、静かに目を閉じ、その手を天に掲げる。すると、さっきと同じ光がピカッと巻き起こった。今回はさすがに察知して、光る直前に目を閉じたから、割とすぐに視界を取り戻せた。
そこには、黒髪のあの子の姿はなく、金髪紅目の美少女が一人。いつもの風格はどこへやら、なんだか怯えた様子で視線を落とすヘレン様の姿があるだけだった。
「何で……? これは一体、どういうこと?」
私はヘレン様に問いかける。別に怒っているわけでも責めるつもりもない。もしヘレン様が本当にあの子だったとしても、むしろ辛かった時期に私の話を聞いてくれて、たくさん励ましてくれたことへの感謝の気持ちの方が圧倒的に大きい。
ただ、私が純粋に気になって投げかけた質問を、ヘレン様は私をだまし続けてきたことへの怒りによるものだと解釈したらしい。うつむき、涙ぐみながら、力なく「ご……ごめんなさい……」と頭を下げてきた。
公爵令嬢が平民に頭を下げて謝罪するなど前代未聞の事態だが、そんなことよりも、悲しそうに涙を流し、震えるヘレン様を見て、居てもたってもいられなくなった。
ガバッ!
私は、思わず泣きじゃくるヘレン様に飛びつき、ぎゅ~っとその体を強く抱きしめた。
ヘレン様は、最初ピクッと体を小さく震わせたが、少しすると私の背中に腕を回してぎゅっと抱き返してくれた。
ああ、ヘレン様あったかい、幸せ……。
黒髪のあの子に初めて抱きしめられた時にも感じた温もりを、今また味わっている。あの時とは違い、ヘレン様の豊かな体と密着しているため、少し気恥ずかしくもなってしまったが。
でもそうか、あの子の控えめなボディはフェイクだったのね……。割と仲間意識を持ってたんだけどなぁ、と少し切なくなったのはないしょ。
ともあれ、そんな幸せな時間がしばらく続いて、やっと落ち着いたのだろうか。恥ずかしそうに顔を真っ赤にしたヘレン様が、抱いていた手を放した。ああ、もう終わっちゃうのかぁ。でも、その恥ずかしい気持ちはわかるよ。私もまったく同じ立場を経験したことあるしね!
「どうして、まだわたくしに優しくしてくださるのですか……? わたくしはあなたをだまし続けてきたのに……」
「どうしてって、そんなの、私はヘレン様が大好きだからってだけだよ」
「!!」
なんか勢いのままにとんでもないことを言っちゃった気がするんだけど。まぁ、いいでしょ! 事実なんだし。
実際に、私がヘレン様、即ちあの子に感じていた思いが単なる友情ではなく恋であることは、一緒に過ごすようになって少しもすれば気付いていた。でなければ、会えない休日にあんなに気が重くなって、1日中彼女のことばかり考えているはずもないし、2人でいるときにあんなに温かさと幸せを感じるわけがない。私はこの気持ちが何なのか理解できないほど鈍感ではない。
「ヘレン様と、あなたと一緒に過ごすあの時間が一番幸せだったの。それは今でも変わらない。あなたが誰かなんて関係ない。私が好きなのは、あなたが私にくれるその笑顔なんだから!」
「ハ、ハンナちゃん……」
「はい、ハンカチ。これで涙拭いて。また私に笑顔を見せてよ!」
「ぐすん……ええ」
さっきたくさん泣いたのに、また涙ぐみ始めたヘレン様。私はポケットから、まだ使ってないきれいなハンカチを取り出して手渡す。さっき拾ったのは一度落ちたやつだし、何より私のものを使ってほしかったのだ。代わりにさっきのハンカチをこっそりもらっておこうなんて考えてないんだからね!
今度は割とすぐに涙が引いたようで、泣き止むととびきりの笑顔を見せてくれた。はぅ、私の好きな人、可愛すぎるよ!
「で、結局どうやってあの子に化けてたの? なんか、いろいろと違うように見えるんだけど……」
ひとしきり落ち着いたところで、私は最初に聞こうとした質問をぶつけてみることにした。あ、公爵令嬢様相手に思いっきりタメ口になってるけど、まぁいいよね!そういえば黒髪だった時もタメ口だったし。
「答えは単純ですわ。変身魔法を使ってましたのよ」
ああ、魔法か! 普段魔法なんて見かけないし、私も使ったことなかったから、すっかり忘れてた。
言われてみれば、ヘレン様は公爵令嬢だし、使えて当然か。
「だから、今までお話ししてくれなかったり、毎回30分ぴったりで帰っちゃったりしてたのね」
「そうですわね……」
ヘレン様の変身魔法には、どうやら時間制限と言葉が出せないという制約があるようだ。ヘレン様もその点は残念だったようだ。やっぱりヘレン様も、もっと私とお話ししたかっ
たってことね。そう思うと、にわかに嬉しくなってきた。これは両思いの可能性が!?
「コホン。それで、どうして変身してまで私を助けてくれたの?嫌がらせを止めたり、第1王子が寄り付かないようにしてくれたの、ヘレン様なんだよね?」
ヘレン様はそれを聞いてすごく驚いたようで、ビクッとして「な、なぜそれを!?」と口走った。
言ってから私の発言を暗に肯定してしまったことに気づいたようで、がっくり肩を落としていた。
意外とうっかり屋さんなところも可愛い。
「あの子が現れてから、途端にひどい嫌がらせがなくなったからね。それに、いじめっ子の令嬢たちや第1王子を止められるのは、公爵令嬢のヘレン様くらいでしょう?」
「……ばれてましたのね」
まぁ、あの子がヘレン様なんだって分かったさっきになって、やっと全てに合点がいった、というのが本当のところなんだけど。
「……最初は、レイモンド様と最近親しいと噂のあなたがどんなものなのか、偵察のつもりでしたの。レイモンド様にはさほど愛着はありませんが、一応私は婚約者ですし、それに王族と平民が過度に親しくしているのは、他の貴族や王族のことを考えると、見過ごせないことですからね」
ヘレン様が静かに語り始める。
……うん、言ってることは至極真っ当だ。第1王子に大した思い入れがないってところは意外だったけど。第1王子を横取りした私への嫉妬で嫌がらせを主導した、って噂は一体何だったんだろうか。
「そうしたら、中庭のベンチに座って泣いているあなたを見つけましたの。お話を聞いてあげないと、と思ったのですが、私が直接話しかけては、第三者に見られた時に余計な誤解を生むかもしれないでしょう? そういうわけで、ちょっと不便ではありますが、変身魔法で姿を変えて、あなたに近づいた、というわけですわ」
……やっぱり、ヘレン様って貴族とは思えないほど純粋っていうか、優しいよね。
普通の貴族だったら、平民が泣いてようが「平民らしく無様ですこと」とか嘲笑っておしまいだろう。しかも、その子は自分の婚約者が入れ込んでいる相手なのに。
そこで純粋に話を聞いてあげたい、ってなるのは、ヘレン様の心が澄み切っている以外の何物でもない。やっぱり、ヘレン様ってどの姿でも容姿も性格も天使なんだなぁ。
「それで、最初は興味本位で近づいたのですが、あなたは得体の知れないわたくしに怯えることもなく、いつも自然体で楽しそうに話してくれましたわね。何の打算もなく接してくれたのは、あなたが初めてで……そんなあなたと過ごすうちに、段々と、す、す……」
「?」
段々声が小さくなってきて、途中からよく聞こえなくなってしまった。私が「え、何? よく聞こえなかったんだけど?」と聞き返すと、ヘレン様は「な…なんでもありませんわ!」となぜか怒り出してしまった。えぇ、なんで?
まぁ、よくわからないけど、ヘレン様が私にとっての恩人であることは変わらない。
「とにかく、話を聞いた後も私のためにいろいろしてくれて、一緒にいてくれて、本当に嬉しかったよ。ヘレン様は優しいね。いつもありがとう!」
変身すると様々な制約がかかってて、最初の頃はコミュニケーションがうまく取れなかったこともあった。それでも、私から離れずに今日までいてくれた。言葉じゃ言い表せないほどに、私はヘレン様に感謝しているし、その思いは愛してるとさえいえるほど大きい。
ヘレン様はそれを聞いて、今日何度目かの赤面でうつむき、小声で「べ、別にあなたのためというわけではなく、自分がそうしたかっただけというか……ハンナちゃんと一緒にいたかっただけというか……、ハンナちゃんを独り占めしたかっただけというか……」とかつぶやいていた。よくわからないけど、目をそらしながら髪をいじいじするヘレン様マジ天使。
「ところで……」
私は改まってそう切り出す。なかなか改まっては言いにくいが、それでも譲りたくないところだ。スゥと息を整えて、ヘレン様の真紅の瞳をしっかり見る。
ヘレン様もただ事ではないと思ったのか、姿勢を整えて傾聴の姿勢になる。
「明日からも、会ってくれる…? できれば、今のままの姿で」
明日からも会ってくれるのか。今の私が一番気になるのは、その一点だ。
欲を言えば、ヘレン様と言葉を交わしてお話しがしたいから、変身はしないでほしいところ。
ヘレン様は、え、そんなことですの? となんだか拍子抜けした様子だったが、すぐに元の凛々しい雰囲気を取り戻しこう言った。
「いいですわ。ただ、私とあなたは高位貴族と平民。他人に見られると何かと厄介ですから、見られないように細心の注意を払いましょう。ここに集合にして、後、時間はこれまで通りにしていただけると助かりますわ」
少し制約はあるものの、これで今後もヘレン様と一緒にいられることになった。私は思わず「やったー!」と叫んでしまい、はっと気づいた時にはヘレン様に苦笑いされてしまった。うう、恥ずかしい……。
そんなこんなで、改めて私とヘレン様の新たな日々が始まったのだった。
素のヘレン様とお話するようになって分かったのは、もしかしたら普段の無表情で、冷たささえ感じさせる姿よりも、黒髪のあの子だった時の方が、本当の彼女に近いんじゃないかということだ。
学院で遠目から見るときは、凛としていながらも、どこか退屈そうに見えた。でも、今こうやって話しているときのヘレン様は、あの姿の時ほどではないにせよ、結構表情豊かだ。
それに、会うたびに「今日は大丈夫でしたか……? 嫌がらせとかされてませんの?」と、私を心配してくれる。大丈夫って毎日言ってるんだけどなぁ。意外と心配性なのかも。
そんな彼女の魅力的なところをこんなに知っているのは、きっと学院で私だけだろう。それに、彼女と手を重ねたりじっと見つめたりすれば、私以外の人には絶対見せないであろう、その瞳と同じくらい真っ赤な顔を見せてくれる。私は、そんな彼女の照れ顔を見るたびに、きっとヘレン様も、私ほどではないかもしれないけど、私のことを大事に思ってくれてるんだろうなぁと感じることができた。
これってもう両思いだよね!
それを確かめるのはまだ躊躇われたけれど、私の胸はそんな予感でいっぱいだった。