死亡
その日、俺は殺された。
その日は、珍しく残業だった。いや、まぁ、最近有給とってイギリスに行ってたから仕事が溜まってたのが悪いのだが…。
夜11時を回っただろうか。ふらっと立ち寄った居酒屋から出てきて、暗い夜道を歩いていた。
このご時世、夜遅くまでやってる飲食店って珍しかったんだ。しかたないだろう?
酔っていた。確かに酔っていた。疲れを誤魔化すために腹の中に入れた酒精が体を回り、目の前からくる黒づくめの男を怪しいと思わないくらいには。
俺は大学院を卒業し、企業で研究職をしていた。子供の時は貧乏だったが、給料は良かったし、ホワイトだったので苦労はしなかった。
絵に描いたように順風満帆の人生。そう、その筈だった。
いや、今思うと順風満帆かどうかは疑問が残るが…。いろいろと面倒な奴にも出会ってきたし。
肩がぶつかる。謝ろうとする。腹に冷たい感覚。それと同時に熱が襲ってくる。
熱い、痛いというよりも熱い。嗚呼、畜生、刺されたッ!
その熱い熱がどんどんと腹から、臓腑からこぼれ出ていくのがわかる。こんな熱さは中東の紛争地帯で銃弾を受けた以来だ。血をすすられた時のような、すっとした意識の覚醒はなく、熱さとめまいが襲ってくる。
酔いは一気に冷めたというのに、だんだん意識が薄れてくる。
黒づくめの男は不気味に笑っている。殺したという感覚を、噛みしめるように。
ご丁寧にスマホまで壊してくれて。救急も警察も呼べない。
素数を数えても、円周率を数えても、どんどん意識は消えていく。神父のようにはいかないか。
あぁ、アイツ、怒るだろうな。こんなに血がこぼれて、もったいない。
心残りといえば、未だ彼女との約束も果たせていないというのに…。
悔しいなぁ、死にたくないなぁ。なぁ、助けてよ。助けてくれよ。指切りしただろ。助けてくれるって。
「まぁ、アレだ」最期に一つ毒くらいは吐いておこう。「日本の警察を…、舐めるなよ…」
あぁ、死にたくなかったなぁ。
誤字脱字等ありましたら、教えていただけると幸いです。