第3章 護るべきもの
俺は昨日、少女に会った。
だが、何を言えば良いのかは分からなく、少女を家まで帰し、俺はすぐに彼女のもとを去った。
「すまないね。どうやら俺は、臆病者だったんだ」
真夜中の森の中、俺は真夏の氷のように儚く、そして静かに消える。
これでいい。俺と絡めば、きっと彼女はろくな人生を送れないのだろう。
これでいい。
これで……いい。
そう自分に言い聞かせ、俺は先の見えない未来をただまっすぐに進む。
暗闇で足元が見えない。そんなのはいつしか慣れていた。というのに、なぜかな?進むのが怖くなっている。また彼女に会いたいと思ってしまっている。
「駄目だ」
俺にはそんな価値はない。
俺は逃げているだけの、ただの臆病者であるのだから。
いつだって俺は逃げてきた。だからこれでいい。
明くる日明くる日、とうとう俺は力尽きた。
何かをする気力などでるはずもなく、ただただ意味もなくそこに生きていた。
そんな頭の重いある日、その日、俺はまたあの裏路地を歩いていた。それは耐えきれることのない誘惑で、足を止めようにも止めることのできない深い誘惑。その誘惑に鼻をすすられ、俺はバーテンダーのような服装をした男がいる場所へと向かった。
案の定、そこにはあの男がいた。そしてその男が持っていたのはyはり余ったのだろう、賄いであった。
「いいや。これは賄いではない。ただお前を連れてくるためだけに作った料理だ」
「連れてくるためだけに!?」
「ああ。お前が知らなくてはいけない情報があってな」
男は俺を扉の中へと招き入れ、そして居間に案内してテレビをつけた。そこに映されていたのは、縄で縛られている少女の姿であった。しかもその少女は、ずっと「おじさん」「おじさん」と連呼し続けている。
「場所はどこだ?」
「それはまだ判っていない。唯一判っていることは、ここに来れるのは一人の男だけ。そう顔を覆面で隠した男が言っていた」
俺だけが来れる場所。そして、彼女がいる場所。
そんな場所、俺は一つしか知らない。
「場所、分かるのか?」
「ああ。だがここからじゃ一時間以上もかかってしまう。そんなに待たせたくない」
「なら良い方法があるが、乗るかい?」
「ん?」
ーーその頃、少女は縄で縛られ、じゅうたんのひかれた床に転がっていた。誰も助けに来ない。寂しいそんな一室で、彼女は悲壮感に浸っていた。
(ああ。私はここで殺されるのだろうか?どうして……どうして……)
切なさと代償に、彼女は絶望を味わう。
ーーどうせ誰も助けに来ない。だから死ぬしかないのだと。
そこへ、覆面をつけた一人の男が入ってくる。
「お嬢ちゃん。お前の親御さんは二階の隅で寝かしているよ。まあ、助けが来るかは分からないがな」
「…………」
「どうした?お前のヒーローは助けに来るんだろ。だったら笑顔で待っていないといけないだろ」
覆面をつけた男は少女の頭を踏みつけた。
まるで人を人とは思っていないように、彼は憤怒に染まっていた。すると彼の毛はそそりたつ。
「危ない危ない。俺は父や母のようにはならない。俺は人間だ」
男は必死に心を抑え込み、足を退かして少女の顔を見る。すると少女の爪が獣のように鋭く伸びていた。
「お前もか。まあ親を見た瞬間に察しはついたがな。それにしても遅いな。もうそろそろ、このカメラも充電が切れそうだし……」
男はカメラへ向かって目を向けた。
「皆さん。これからこの少女の指を一本ずつ切り落としていこうと思います。するとどうなるでしょうか?目を凝らしてよく見ておいてくださ……」
「見つけたぞ。覆面男」
その部屋へ、バイクの騒音とともに窓が割れ、一人の男がそこへ現れた。
「助けに来たぞ」
男は驚かず、ただ覆面越しでも分かるような笑みを浮かべた。
「やっと来たか。獣が」
「うぉぉぉおおおお」
俺は男の顔面を殴り、吹き飛ばした。
「人を傷つける悪党は、今ここで成敗してくれる」
「なかなかやるな。だが」
目で見ることもできず、拳が俺の腹へと直撃した。その攻撃に俺は吹き飛び、体は背後の壁へと衝突した。煙が立ち込める中、目を凝らしてよく見ると、そこには"獣"がいた。
「俺と同じ……」
「いや。正確には俺はお前とは違う。お前は純血の獣であるが、俺は親が獣であった。だからこそ、自分の意思で獣になることができる」
「ならこの少女と同じ……」
「正解。ところでお前、フードで顔隠していないと、獣ってバレるぞ」
俺はすかさずフードで顔を隠した。
「なあ。俺は獣が大嫌いでな、今まで多くの獣を殺してきた。だって、俺みたいなもんが生まれるのはもう嫌だろ。だから獣を一匹残らず殺し、そしてこれから生まれる獣も殺す。そしたらさ、きっとこの世から獣は消えるんだよ」
「お前……本気で言っているのか?」
「当然だ。でなきゃ、今ここにいないだろ」
明らか殺気を放ち、男は俺を殺す気で睨み付けてきた。
「お前を殺した後、俺はカメラに向かって宣言するよ。この世から獣を全て消すとな」
「ふざけるな」
「ふざけるな?俺は正義を行っているだけだ。いつだって異形の存在は悪とされる。そしてこの世界では悪を殺せば正義になる。だから俺は正義となるのさ」
「馬鹿馬鹿しい」
「そして俺は、世界を破壊するのさ」
俺は一方的に殴られ、血反吐を吐いて倒れる。
フードを取れば、俺はこいつと対等に戦える。だが、顔を晒すなど……俺にはできない。
「どうしてお前が勝てないか解るか?それはーー」
「臆病だから、だろ」
俺は男の言葉へ割り込み、そう言った。
俺は臆病で、何も救えないただの弱者である。
俺は、変わらないといけない。臆病から脱却しなければいけない。
「俺は、臆病を卒業する」
「臆病でいい」
そんな時、少女は俺に言った。
「私はそんなおじさんだからこそ、大好きになった。そんなおじさんだからこそ、私はそばにいたいと、そばにいてほしいと思った」
ーーそれでも、何も救えない臆病者には、なりたくないんだ。
「すまないな。俺は、戦う」
俺はコートを脱ぎ捨てた。
もう身を隠す必要も、自分をさらけ出すのを拒む必要もない。
だって俺には、護るべきものがある。
「俺はお前を倒し、少女を救う」
既にカメラのことなど気にしていなかった。そんなものを気にする暇があるのなら、俺は戦うなどはしていなかっただろう。
一撃一撃に怒りを込め、俺は目の前の敵へと拳を振るう。だがそれは相手も同じだ。相手も怒りを背負っている。だからこそ、俺には奴は倒せない。それでも……
ーー戦う
長い拳のぶつかり合いに、とうとう終止符が撃たれた。
俺は腕が上がらず、ただ突っ立っていた。そして男はというと、上を見上げて足を前へと進める。そして、ばたっと倒れた。
「勝った……」
倒れた男は意識を失い、人間の姿に戻っていく。よく見ると、その顔は路地で少女を襲っていた三人組のリーダーの顔であった。
「なるほど。何かと縁があるな」
俺も力尽き、しりもちをついた。そこへ、少女が駆け寄った。
既にカメラのことは忘れていた。だが、カメラは既に電池切れで、機能などしていなかった。
「おじさん……。どうして、助けてくれたの?」
「当たり前だろ。俺が……お前を護りたいと思ったからだ」
「ねえ。名前、教えて」
「名前か……。残念ながら、俺には名前がないんだ」
「そっか…………」
少女はあからさまに落ち込んだ。
「なあ。俺に名前をつけてくれないか?唯一無二の名前を、俺に」
「いいよ。あなたの名前はユウシャ。カタカタでユウシャね」
「良い名前だな」
「でしょ」
「なあ。君の名前は、何て言うんだ?」
「私はアズ。よろしくね。ユウシャ」
「ああ」
最初から解っていたんだ。
一目見た時から俺は、お前のことをーー