第1章 出会い
まだ13歳だったあの日、俺は獣になった。人間がはびこるこの世界で………
俺の名前は………もう忘れたな。獣になって5年、多くの事を忘れてしまった。年も、故郷も、友達も、家族も……。子供だった俺には辛すぎる事だった。
獣になったあの日から、俺は家族から捨てられ、歩道を歩けば化け物だと罵られ、良いことなんか1つもない。
だから死ぬつもりだった……。
俺はある日の雨の中、フードを被り顔を隠して電柱越しに座り込んでいた。そんな雨の中「ねえ、寂しくないの?」と小さな女の子に話し掛けられた。
最初は驚いた。でも子供は皆純粋だから、目の前に有るものは全て普通に存在しても可笑しくないものなんだと思っている。だから適当に驚かせてその場から離れようと思った。でも……
「傘、貸そうか」
「えっ!」
その女の子は優しかった。天使のように麗らかで、眩しくて、俺には太陽に見えた。獣になってから太陽をまともに拝んだ事が無かった俺には、少し眩しすぎた。
「なあ、お前。俺の事、怖くないのか」
「怖くないよ。それよりも寂しくしてたから家まで送ったあげる」
俺が獣になった13歳。あの頃の俺と同じ大きさの女の子。俺だったら見捨てていたはずのこの俺を目の前の女の子は救ってくれた。
「寒いから速く帰りな。お母さんが心配するだろ」
「じゃあね、獣のおじさん。また明日会いに来てあげる」
どこまでも優しい女の子。でもこれ以上迷惑はかけられない。だから「明日も来なくていいよ」と俺は断る。
「おじさん寂しそうだから話し相手になってあげたいの。だめ?」
なんでこんなにも俺の事を救ってくれるのだろう。こんな怖い見た目をしていたら、13歳の頃の俺は目も合わせたりしないだろう。たとえ寂しそうでも……。
「分かったからとっとと帰れ」
「やったー。また明日ここに来るから。じゃあね、獣のおじさん」
やっと行ったか。あの糞ガキは。
俺は颯爽に立ち上がり新しい根倉を探す。俺に会った人間はみんな不幸になる。13歳の頃に思い知った社会の現実。あの頃の僕を懐かしく思えるのも今だけだ。
俺はただただ遠くに歩いた。あの子に会わない場所に。これ以上迷惑を掛ける訳には行かないから。優しい女の子を俺と同じ目に遭わせたくないから……。
車の音がやけにうるさい。
「ねえ、これから旅行行こうよ」
「来週って言ってるだろ」
若いカップルだ。こんな裏路地を歩いてただで済むと思っているのか。ここの裏路地には怖い化け物がいるというのに。
「なあ、ねえちゃん達。今すぐここから去らねーと、殺しちゃうよ」
俺はフードを外し若いカップルを驚かせる。
「キャー、化け物」
若いカップルは足早に逃げて行く。そりゃ裏路地で獣に会ったら殺される前に逃げるのがお約束だ。こんな化け物を見て驚かないのは化け物だけだ。
「はっはっは、ははははっはは」
夜の獣は悲しく笑う。
いつからだろう。独りで居ることに慣れたのは。いつからだろう。独りの方が幸せだと感じるようになったのは。いつからだろう。またあの優しさに包まれたいと思ったのは。
「くそっ、くそっ。俺が何したっていうんだ。俺は何もしていないじゃないか。何でいつも俺なんだ。何でいつも俺ばっかり苦しませる。いつも、いつも、いつも。ヴォオオオオ」
近くに地下水路が見える。俺は人目を気にせず柵を飛び越え地下水路を歩き続ける。
臭い。普通の人間だったらこんな事はしないだろう。当たり前だ。こんな臭いとこ、ホームレスでも願い下げだろうな。
汚い水が体に触れる度に思い出す。昔の楽しかった日々を。もし過去に戻れるのなら。
歩いてから10時間は建っただろうか。
「疲れた」
歩いている内に外に出た。眩しい光。いつの間にか朝になっていたみたいだ。というかここはどこだ?
下を向くと遠くに地面が見える。
「死のうかな」
そんな時あの子の顔を思い出した。優しいあの子を。
死を躊躇ってしまう。あの子に会いたい。そんな感情が頭を支配していた。
辛い。いや、辛かった。
俺は何故か引き返していた。自分でも分からない。でもきっと会いたいんだろう。優しい…あの子に。
俺は走る。地下水路を全力で。汚い水を飛び散らせながら。臭いと思われるだろうか。汚いと思うだろうか。でも会いたい。優しいあの子に。
俺が地下水路を出たのは辺りが夕焼けに染まった頃。俺は期待しながらあの電柱に向かう。でもあの子は居なかった。遅かったのかな。まだ来てないのかな。分からない。でもこれで良かった。
俺はどこか遠い場所に歩きだそうとする。でも不思議と足が進まない。なんで進まないのだろう。
期待してる。俺は、期待してる。
「仕方ない。待ってやるか。名前ぐらいは聞いとかないとなって思っただけだ。別に会うためじゃないぞ。ただ会いたいだけだぞ」
俺は大声で独り言を呟きながら待つ。電柱に背中を付けて……
「おじさん」
やっぱり来てくれた。
「おじさん、なんで泣いてるの。何か悲しい事があったの」
「嬉しいんだよ。」
「おじさん。今から家に来て。パパママに話したら家に読んでって」
「いや、いいよ」
どうせ俺を国に売って金のために利用するだけだ。
「なんで来てくれないの」
「嬉しいけど、迷惑だろ」
「でもね、パパママと同じ格好してるから楽しいと思うよ」
「えっ、ど、どういうこと」
「実は知ってたんだ。おじさんが獣になった人間で他人から嫌われていると。でもね、パパとママが会うまでは二人とも寂しかったって言ってたから、だからそばに居たいと思ったの」
この子はなんて優しいんだ。
「なら、連れていってくれないか。君のお父さんお母さんのところに」
「うん」
少女に連れられやって来たのは山の奥の奥。
この道を少女一人で歩くのは危険すぎる。
「ついたよ」
俺は周りに注意しながら来たせいか、とても疲れた。
「ようこそ。獣さん」
「あなたは?」
「この子の父のサンです。そしてこちらが私の嫁、ムーンです」
「どっ、どうも」
まさか本当に獣になっているとは。
自分だけと思っていたのでとてもビックリしている。
「とりあえずあがってくれ」
「すみません」
俺は家にあがる。家のなかは広くて電気も通っていた。
そして獣の夫婦から話を聞いた。
「私達はもともと人でした。ですが、ある日獣になりました。私は周りから蔑まれ、居場所を無くしていました。でも、そんなある日、彼女に出会いました。私は驚きました。私達はすぐに仲良くなり、今に至るということです」
「そう…ですか」
彼らも苦労していた。だがなぜ俺達は獣になったのか。それが分からない。
「なあ、俺達が戻る方法はあるのか?」
「いや……」
言葉が詰まったということは方法が無いのだろう。
「ありがとう。俺はもう行く」
「私達とともに暮らしましょう」
なんて優しい親子なのだろう。だが、俺は一人でいい。一人で…。
「俺は……犯罪者だ。だから当然の結果なんだ。今さら幸せに生きたいなんて思えない。だから……ありがとう」
「………」
こんなに優しい親子だが、犯罪者とは暮らしたくないだろ。だから……この結果に満足しなければならない。
「すまんな。救われた」
「おじさん。どっか行っちゃうの?」
「ごめんね。でも……また会えるから」
「約束ね」
少女は小指を向ける。
「ゆびきりか。懐かしいな」
「「ゆびきりげんまんうそついたらはりせんぼんの~ます。ゆびきった」」
少女は笑った。また会えると思ったのだろう。
でもな、俺ははりせんぼん飲んでも償いきれない程の罪を犯してしまった。だから…ごめんな。
……まだ名前も知らない女の子。