第一章第五件 ~護衛任務2~
客室に戻ったアリスと、そのアリスに引っ張られてきた一夜。一夜は、部屋の扉が閉じられるのを確認し、口を開く。
「おいアリス。さっきの態度は」
「分かってる、繊細さを欠いていた事は」
一夜の指摘に対し、アリスは食い気味に答える。
「理解しているならいい」
いつものアリスなら、ただ冷たい態度を取られただけであそこまで不機嫌にはならない。あの数回の会話に、何かアリスをそこまで不機嫌にさせる事があったのか?
と一夜は考えた。だが、当事者でない一夜には、その答えが何なのかまでは分からない。
「何があった?いや、何を感じた?」
何があったか、シャルロットが何を言ったかは、その場に一緒にいた一夜も理解している。だが、言葉と言うものは、それを聞いた者の受け取り方次第で、大きく意味を変える。
「取られる。そう感じた」
「取られる?一体何を」
何かしらを、取る取られるの話をしていたわけでもないのに、アリスの口から出た『取られる』と言う言葉に、一夜は疑問を抱く。
「それは、その・・・」
一夜の問いに、アリスは目が泳ぎ、頬を赤らめて言葉を濁す。無論、その様な返答では一夜はおろか、誰もアリスの真意を理解できない。
「なん何だよ、言わなきゃ分かんねぇぞ。俺は心が読める訳じゃないからな」
「だからそれは、言い辛いって言うか、何と言うかその・・・・・あぁもう!!」
言葉を濁し続けていたアリスは、何かが吹っ切れたかの様に叫び、先程までとは打って変わり、一夜の目を見据える。
「い、一夜君が、取られるんじゃないかって」
「俺が?俺は物じゃないんだが」
「う、うん。それはそうなんだけど」
ここまでの情報があれば、一夜にもある程度の推測は出来る。
アリスは、これまで殆ど人の温かさ、愛情に触れてこなかった。だが、一夜と出会った事で、それらに触れる事が出来た。
そして、そういった人が今まで一夜の他に居なかった為に、その人が居なくなる事に対しての耐性が全くない事が、今回の大元の原因。
しかし一夜は、もう一つの可能性も考えていた。
「何はともあれ、原因は分かった。取りあえずここでゆっくり休んで落ち着け」
「うん、分かった」
一夜は、もう一つの可能性の真偽を確かめる為、アリスには部屋にいるように言い、自分は部屋を後にする。
廊下を進み、二枚一対の扉の前に立つ。その扉を三度、ノックする。
「どうぞ」
部屋の中から入る事を許可する、返事が返ってくる。そして、その返事の後に扉がゆっくりと押開かれる。
扉を開けるは神崎一夜、部屋にいるはシャルロット・ホームズ。
シャルロットは、服こそ着てベッドに腰を下ろしていた。だが、その長い髪は未だに水気を含んでおり、髪飾りも着けてはいなかった。
「やはり、来ましたね。私の予想通りです」
「予想と言うよりも、俺がここに来る様に仕向けたろ」
一夜の中にあった、もう一つの可能性。それは、シャルロットがアリスを『わざと焚きつけた』という物。
「この段階で分かるとは、神崎さんゲームだけではありませんでしたか」
「隠す気ゼロかよ」
「えぇ、隠す意味も有りませんし」
『面倒くさい』一夜はそう感じていた。理由は、何を考えているか分からないから。正確には、理解することはできるが、面倒事を出来れば避けたい一夜としては、こういった人物を相手にする事を極力避けたい。
「なら本題だ、お前にとって俺はなん何だ?」
「六年前に会っているにも関わらず、私の事を忘れている最低な人です」
シャルロットは、自分の髪をドライヤーで乾かしながら毒を吐く。
一夜は、妹を亡くした一年前までの記憶が所々欠如している。妹が絡んでいる記憶は特に酷い。
「俺がお前と会った時、妹は居たか?」
「葵さんですか?居ましたよ」
「そうか。恐らく、それが原因だ」
シャルロットは、一夜の言葉を聞き、ドライヤーを止め自身の足に置く。
「解離性健忘、ですか」
解離性健忘。記憶喪失の一つで、大きなショックやかかるストレスから精神を守る為に行われる無意識的防御規制。本来は数時間から数日の記憶が消える物だが、一夜の場合トリガーとなった妹の死と、その妹を殺した相手への復讐心が相まった結果、妹に関する記憶が消えるという特殊な解離性健忘を引き起こした。
「あぁ、特に妹に関しての記憶が殆ど無い」
「確かに、あのような最後は」
シャルロットの言葉を最後まで聞く事無く、一夜はシャルロットの部屋の扉を閉め、アリスの待つ部屋に戻って行く。
「やっぱり、葵さんの話は拙かったですかね」
一夜が部屋に戻ると、アリスは眠っていた。その頬には涙を流した痕が残っていた。
「泣き疲れて寝るとか、まるで子供だな」
ベッドの上で丸まって眠るアリスに、一夜は毛布を掛けてそう呟く。
「まぁ、年相応と言う感じで可愛らしいではないですか」
「アルフレッドか、何の用だ?」
一夜は、背後の入り口付近からかけられた声に、振り返る事なく答える。
「夕食の準備が整いましたのでお呼びに来ました」
一夜は部屋に掛けられた時計に目を向けると、時計は19時を指していた。
「俺はアリスが起きてからこの部屋で食うから」
「では、アリス様が起床なされたらご連絡ください」
そう言い残し、アルフレッドは部屋の扉を閉め、シャルロットの部屋の方向へ歩みを進める。
一夜の中には、アルフレッドに対して言いたい事があったのだが、今はその時ではないと己に言い聞かせて見逃すことにした。
「私を気遣ってくれたの?」
「やっぱ起きてたか、まぁ寝息にしては呼吸がわざとらしいと思ってたがな」
一夜は、アリスが寝たふりをしている事に気が付いていた。だが、同時にアルフレッドの足音も聞こえてきていた為、アリスが寝ているものだと思い込ませる為に、さもアリスが寝ていると思っているという役を演じていたのだ。
「それで?何か分かったの?一夜君の事だから彼女の元に向かったんでしょ」
「確かにそうなんだが、何も情報はない」
一夜が、シャルロットに会いに行った理由は、シャルロットの目的が何かを知る為、だったが
「それどころか、妹の話し出されたんで、戻ってきた」
「葵さんの話?」
神崎葵。一夜の一歳年下の妹で、一夜がMI6に加入する一年前に何者かの手によって殺されている。
葵を殺した者の個人の特定までは至っていないが、素性の一部は分かっている。その分かっている情報を元に、一夜は復讐の機会をうかがっている。
「あぁ、どうもあいつの話をされると怒りからか、誰でもいいから斬りたくなるんだよ」
「そうだったね。昔、私の事も斬ろうとしたし」
過去、一夜がMI6に加入した理由をアリスとオリヴィアに話した際、葵の話に発展し、一夜はブレードでアリスの首を斬ろうとしたが、寸での所で押しとどまった事があった。
「あの時は悪かった」
「別に気にしてないよ。それだけ葵さんの事を大切に思ってたんだろうし」
愛情をまともに受けてこなかったアリスと、妹に対する家族愛が行き場を失った一夜。この二人の境遇が、今現在の二人の関係を築くきっかけとなった。
一夜は兄として、アリスは妹として。互いに互いを支える心の支柱になっている。
「あいつの事、殆ど憶えてないのにな。そういう気持ちだけはあるんだから笑っちまうよ」
一夜の瞳は、虚ろな物に変わって行く。
「まぁ、短期間に大切な人を立て続けに二度も亡くしたんだもの、仕方ないよ」
「あいつを殺った奴については何か分かったか?」
一夜は、MI6に加入する条件として、アリスに葵を殺した者の素性を調べてもらっている。
「ごめんね、特段有力な情報は無いわ」
「そう簡単に情報が集まらないのは分かってるさ」
だが、中々情報は集まらない。相手の素性を或程度は把握している一夜に焦りはない。
「それで、アリス。お前はこれからどうするつもりなんだ?」
「どうするって、そりゃ一週間はここに居るけど」
「いやまぁそうだろうが、そうじゃなくて。シャルロットとの事だよ」
シャルロットとアリスは、仲違いの様な状態になってしまった。それも、元々仲が良い訳ではない為により面倒な事になっている。
「彼女との事は、私から謝ってどうにかするよ」
「それならいいんだが、絶対に拗れさせるなよ?」
アリスに釘を刺す一夜。それは、面倒事を増やしてほしくないからではなく、アリスとシャルロット両名を心配しての事だった。
「分かってるよ。それじゃぁアルフレッドさんに晩御飯持って来てもらお?」
「あぁ、今日は仲直りしないんだな」
そう言いながらも、一夜は内線電話でアルフレッドを呼び出す。
「てか、内線電話まであるのか、まるでホテルだな」
一夜が、内線電話でアルフレッドに連絡を入れてから数分後、部屋の扉がノックされ、開かれる。その扉の向こうにいるのは、無論、一夜とアリスの分の夕飯を運んできたアルフレッドだ。
「お待たせいたしました」
「お手数をおかけします」
先程とは打って変わったアリスの大人な対応。いつもの事ながら、その落差に一夜は内心驚かされる。
「本日のメニューは、鶏肉のソテーとポテトサラダです」
「なんか、普通って言うか。日本でも家庭料理として出るレベルの料理だな」
「日本人である神崎様でも食べやすい物をご用意しましたので」
一夜の事を気遣った旨のアルフレッドの発言。
「それでは、ごゆっくり。食べ終わった食器は、廊下の方に出して置いてもらえれば、後でこちらで回収いたします」
アルフレッドは、その言葉を言った後、部屋を後にする。
二人は、話す事はアルフレッドに連絡する前に話していた為、話す事が無く、静かに食事を始める。
だが、アリスが唐突に口を開く。
「明後日、あそこに行くよ」
「俺があの場所苦手だって知ってるのに行くのか。それに明後日も任務中なんだが?」
「任務の事なら問題ないよ、彼女も付いて来てもらうから」
アリスがさらりと口にした言葉に、一夜は耳を疑った。本来ボディガードは依頼主の行く先に付いて回り、警護するのが役目。その立場、役割がひと時・一部であっても逆転する事はない。
「それ、あいつは了承してるのかよ」
「勿論だよ。それが一夜君を彼女の護衛に付ける条件だったからね」
「なんで依頼者に対して条件出してんだ」
呆れた様にそう呟く一夜に対して、アリスはこう返す
「もともと昨日行くはずだったのに、一夜君が拒否したからでしょ?」
「仕方ないだろ。出すつもりないものまで出させられたんだからな」
その一夜の言葉に、今度はアリスが呆れた表情をし、ため息を零す。
「一夜君。あれ使ったの数分でしょ?それで体を痛めるなんて、鍛え方が足りないんじゃない?」
「あれを使う耐久性が、今の俺には無いのは知ってるだろ」
「だから鍛えるんでしょ、まぁ暫くはトレーニング出来ないけどね」
アリスと一夜の会話は、基本的にいつもこのような話ばかり、過去の仕事の内容。それに伴う内容。殆どがこの二つだ。
そんないつも通りの会話をしながら、二人は食事を楽しむ。そして食事を終えた二人は、それぞれ別々の風呂に向かう。
一夜が脱衣所の扉を開くと、そこにはアルフレッドが居た。
「おや、今から風呂ですかな」
「あぁ、見たところあんたもか」
互いにそう言いながら、一夜とアルフレッドは服を脱ぎ始める。
二人とも全裸になると、風呂場の扉を開き中に入る。
「扉を見た時から思ってたが、ここはホテルか?」
一夜がそんな事を言うのも、別荘と言われていたこの建物の風呂は二つあり、それぞれ男湯、女湯と別れている。
それだけでなく、それぞれの風呂の広さは、男湯が11?女湯が19?とホテル並みの広さがある。
「ほほほ、面白い事を言いますね。この広さは、この別荘を設計されたシャルロット様のお父様、ジョン様の私達使用人に対するご配慮ですよ」
「シャルロットの父親か、どんな人だったんだ?」
「それは、湯船でゆっくりとお話しますよ」
一夜とアルフレッドは、それぞれ体と髪を洗った後、鹿教湯をして、湯船につかり、話を始める。
「ジョン様は、基本は優しい方でしたよ。ですが、それでいて厳しいところもある方でしたよ」
「優しくも厳しい、いい父親の例だな」
「特に立ち振る舞いなどは厳しく、今でも年相応の態度は殆ど見せません」
年相応の振る舞い、アリスの泣き疲れて眠っていたのを見た時の言葉は、そう言う事だったか。と思う一夜。
「確かに、あいつの態度は13歳の少女の物とは思えない程、威厳的なものだが」
「ある意味では、ジョン様がシャルロット様に残した負の遺産でもありますね」
負の遺産は、基本的に借金等の事を差す事が多いが、配偶者に対してマイナスに働く遺産の事だ。シャルロットの性格を考えれば、良い意味でも悪い意味でもまともな対人関係を築けないだろう。それほどまで、彼女の性格は同年代の子と比べて歪んでいる。
「ですが、その代わりにどんな物も霞むようなものも残しました」
アルフレッドのその言葉が引っ掛かった一夜は、それを問う
「それは、なん何だ?」
「その事は、私の口からは申し上げられません」
アルフレッドの答えに、多少の不満も抱きつつも、一夜はその答えを納得するしかなかった。
「分かった。じゃぁ何でシャルロットは日本に来たんだ?」
一夜の問いに、先程はノータイムで答えていたアルフレッドだったが、今回は考え込むように少し時間を空けて答える。
「それ位は言っても問題ないでしょう。シャルロット様がこのタイミングで日本に来た理由は、神崎様、貴方に会う為です」
「日本に来る時は俺、いや俺の親父を頼る様言われたのは聞いたが、日本に来た理由は俺に会う為?」
「えぇ、ですが貴方は憶えていないでしょう。それを責めるつもりは、私は勿論シャルロット様にもありません」
責めるという言葉に、一夜は自分が忘れている事は、本来非難を受けても仕方のない記憶なのだと理解した。だが、やはり思い出す事は出来ない。
「俺が憶えていないと断言できるって事は、相当昔なのか。もしくは葵が関係してる事か」
「それは、分かりかねます。私は、ジョン様から神崎様が、その事を忘れていると聞かされただけですので」
その言葉の後、アルフレッドは立ち上がり、浴室の扉を開き脱衣所へと戻っていく。
そんなアルフレッドを見送った一夜は、過去の事を思い出そうと、額に右手を当て、考え込む。だが、その努力は虚しく、思い出す事は出来ない。暫くし、一夜も浴室を後にする。
一夜が、客間の血ビラを開くと、そこにはシャルロットが待っていた。
「そろそろ戻ってくると思いましたよ」
「何の用だ?シャルロット」
『待っていた』と言うシャルロットの言葉に対して、一夜は怪訝そうな顔をして問う。
「明日の予定に関しての報告です。明日、私は警視庁公安課に向かいます。勿論護衛である貴方にも来てもらいます」
シャルロットの言葉に、一夜は言葉を返さない。それどころかシャルロットの事を殺意の籠った瞳でにらみつける。
「何か不服な事がありますか?」
「お前、俺の事情を知っていて言ってるのか?」
「えぇ、貴方がこれまでに何人殺したかも理解はしてますよ」
問に対するシャルロットの見当違いな返答に、一夜の殺意はさらに強くなる。
「そこじゃない。そんな事は些細な問題だ」
「・・・葵さんの事ですか?確かに彼女は、公安の人間によって殺された。ですが、それがどうしたんですか。いつまで恨んでいても変わりませんよ」
その言葉の直後、一夜はシャルロットの胸倉を左手で掴み、右腕を振り上げ殴りかかる。
「一夜!!」
突如として、背後から聞きなれた声が響く。その声を聴いた一夜の拳は、シャルロットに当たる寸での所で停止する。そして胸倉をつかんでいた左手の力が抜け、シャルロットは自由になる。
声の主は、一夜よりも遅れて風呂から戻ってきたアリス・ホワイトだった。
「シャルロットさん、すいませんが」
「はい、言葉過ぎましたね」
アリスに促されたシャルロットは、客間を後にする為に扉の方へと歩み始める。
そして、一夜とすれ違った時。
「明日は、お前の言う通りにしてやる。だが二回目は無いぞ」
一夜の言葉がシャルロットの耳に入ってくる。その言葉を聞いたシャルロットは、薄く笑みを浮かべ。
「はい、わかりました」
アリスには聞こえない程の、一瞬で小さな会話。その会話を終えたシャルロットは、アリスと一夜に会釈して自室へ続く廊下を歩いて行く。
シャルロットが自室へと戻り、部屋にはアリスと一夜だけが残る。
「一夜君。もしも明日行きたくないなら私が代わりに」
アリスの言葉を途中で遮り、一夜が口を開く。
「いや、問題ない。俺が行く」
その一夜の言葉を聞いたアリスの心には、大きな不安があった。それは、一夜が公安の人間と揉め事を起こすんじゃないかと言うものでも、赤眼の死神が一夜の事だと露呈する事でもなく。一夜が、葵の敵に出会った場合の事だった。
「うん、頑張って」
だが、アリスは不安を一夜に見抜かれない様押し殺し、一夜に『頑張れ』と言葉を掛ける。その言葉に、一夜の答えはない。だが、アリスには一夜が言いたい事が解るような気がしていた。
その後、一夜は黙ったままベッドに入り眠りにつく。アリスも一夜が入ったベッドと間を開け置かれたもう一台のベッドに入り就寝する。




