第2話 優しい人魚
「 あのー、下、何か履いてください 」
私は両手で顔を覆い、しゃがみながら男性に話しかけてみる。言葉は通じないだろうが、仕草で察して欲しい。しばらくすると布の擦れる音がしてから、近くで何かが動く気配がする。
「 □□□□□□ 」
声がするが、何を言っているのか分からない。私は恐る恐る後ろを向いた。男性は、上に着ていた布を下半身に巻きつけ腰巻のようにしていた。彼もしゃがんで目線の高さを合わせてくれている。私が恥ずかしがっているのをを察してくれたようだ。
「 ごめんなさい。言葉、分からないんです 」
「 ⋯⋯⋯⋯ 」
私は口元に指でばつ印を作って言った。彼は真剣に、私の言葉や仕草をじっと見つめている。
「 □□□□□□ 」
「 分かりません 」
私は首を横に振った。彼は考えるように頭を傾げると私を指差した。私は、それに合わせて自分を指差す。
「 私の名前ですか? 私は、あ・い・だ・あ・いです 」
「 ⋯⋯あいーだ? 」
私は思わず眉をひそめてしまった。その呼び方をされると憎き花見坂を思い出してしまう。
嫌そうな顔をした私を見て、目の前の彼は悲しそうな顔をする。申し訳ない事をしてしまった。私は、笑顔を作って名前を繰り返した。
「 あい、あい。私はあいです 」
「 ⋯⋯あ、い。⋯⋯アイ? 」
私は首を縦に振り肯定を表した。
彼はほっとした様子で次は自分を指差して喋る。
「 ゆ、り、く、あ。ユリクア 」
「 ユリクア、さんですね 」
ユリクアと名乗った彼は、嬉しそうに頷いた。
───グゥウウ
私の腹の虫が鳴った。恥ずかしいが、人間なので仕方がない。このおかしな場所に来てから何も口に入れていないのだ。⋯⋯海水は大量に入った気がするけれど。
私が俯きながらお腹をさすっていると、ユリクアさんが突然海に飛び込んだ。飛び込む直前に下半身が魚の尾ひれにかわる。私は、ただ呆然とその光景を見ている事しか出来なかった。
「 ユ、ユリクアさーん⋯⋯。大丈夫ですか? 」
10分くらい経って、段々と海に飛び込んだユリクアさんが心配になってくる。いや、彼は、人魚だから大丈夫だろう。だが、私がこの場に一人で残されるのは全く大丈夫ではない。
不安になり膝を抱えて座っていると、頭に何かが降ってきた。
───ペチッペチッ
「 痛っ!! 魚が上から降ってきた⋯⋯ 」
───ベチッベチッベチッベチッ
「 きゃー!! 大量に魚がっ、魚がっ!! 」
私は頭を抱えて、上から降ってくる魚を避ける。魚の雨が止むとユリクアさんが海から上がってくる。口に魚を1匹咥えた姿で歩いて来る。さっきの魚達は彼が海から放っていたようだ。
目の前まで来るとにこりと笑い、咥えていた魚を美味しそうに食べ始めた。そのまま生で、鱗がついた状態でもぐもぐと食べている。そして近くで跳ねている2匹目を掴み、また食べ始める。
「 せめて、火が起こせたらなぁ。そのまま食べて寄生虫とかいたら大変だし⋯⋯ 」
ユリクアさんは、3匹目を呑み込んだところで私を見て首を傾げている。食べたいのは山々だけど、ナイフもないのに捌けないし、鱗取りも出来ない。せっかく取ってきてくれたのに申し訳ない。
───グギュウウ
「 ⋯⋯恥ずかしい 」
また、お腹が鳴った。心配そうに私のお腹をユリクアさんが見つめている。そんなにじっと見られると、顔から火が出そうだ。
「 アイ、⋯⋯ぐうぅ? 」
ユリクアさんが自分のお腹をさすって、首を傾げている。
「 えっと、ぼーぼー。つん、あちっあちっ!! もぐもぐ、お腹ぽんぽん 」
私は、体の動きと擬音で表現しようと頑張った。まず、火を起こすような動きをして、手でそこに火があるように見せる。その後に駄目押しとして手を伸ばし、熱がるふりをした。一通り火の表現をやり遂げた次に、魚を焼く仕草をして、それを食べるふりをした。そしてお腹を軽く叩いて、お腹いっぱいアピールだ。⋯⋯はたして伝わっただろうか?
私は、期待を込めてユリクアさんを見つめる。
───ポッ
ユリクアさんが頬を桃色に染めている。長い睫毛を伏せて、両手を頬に当てて恥ずかしがっている。
何故そこで照れる。違う、お願いだからわかって欲しい。火を通さないと寄生虫が心配で食べられない。冷凍処理が出来れば良いが、この状況では無理だ。助けて貰っておいて、贅沢を言える立場ではないがユリクアさんしか頼れる人がいない。私は、懇願するような瞳でユリクアさんを見る。
「 うーむん、アイ 」
ユリクアさんは、考えるように顔をあげてから手をポンっと打った。
そして、魚を1匹拾いあげると、何か短い呪文のような言葉を発する。この世界には魔法のようなものがあるのかもしれない。
───ボアァアアン
魚が赤い光にに包まれた。火のようではあるが、バチバチと激しく燃える火ではなく、内側からゆっくり温めているような火だ。人魚なのに火属性の魔法が使えるのが意外であったが、今はそんな些細な事はどうでもいい。
少しすると香ばしく美味しそうな匂いがこちらまで漂ってくる。私は、ごくりと唾を呑み込んだ。口の中の涎が止まらない。
ユリクアさんは、美味しそうなそれを葉っぱに乗せてこちらに差し出してくれる。
私は、涙目でそれを受け取った。そして、行儀など気にせずに手で掴み、齧りついた。良い感じに火が通っている。久しぶりの温かい食事だ。美味しい。美味しすぎる。塩も何もかかっていないが、ほど良く脂ののったホクホクの魚の身が、私のお腹を満たしてくれる。美味しすぎて、嬉しすぎて、安心からか涙が溢れて止まらない。
「 おいひい、美味しい。ありがとうございます。ユリクアさん⋯⋯、ひっく 」
「 アイ、ああ、あああ 」
ユリクアさんは、泣く私を見て慌てている。慌てて右往左往した後に、大量の魚に魔法で火を通し始めた。私の前の葉っぱに、次々と焼けた魚を置いていく。
「 もっ、もうそれくらいで大丈夫です!! ユリクアさん、ストップ、ストップ!! 」
「 うわぁーん、⋯⋯ん? 」
よく見ると何故かユリクアさんも泣いている。魚を焼くのは止めてくれた。もしかして私が泣いていたから、一緒に泣いてしまったのかもしれない。だとしたら他人の事を考えて泣いてくれる、とても優しい人だ。助けくれた時点で十分に優しい人だが⋯⋯。
「 ユリクアさん、ありがとうございます 」
私は、最上の感謝の気持ちを込めて、目の前の優しい彼に笑顔を向けた。
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