第1話 翡翠色の瞳
外から波の音が聞こえる。船内はその波の音に合わせて揺れる。船はとうとう港を離れ沖に出たようだ。もう、逃げられない。どこかに運ばれるか、途中で死ぬか。私は今、絶望の中にいる。
どれくらいの時間揺られているだろうか。目は閉じるが、深い眠りにつくことはない。揺れが激しいのもあるが、何より恐怖で眠る事が出来ない。
───ガタンッ
ドアが開き、魚人が1人部屋に入って来る。しばらく中の人達を物色した後に、私に近づいて来た。
心臓が飛び上がる、体が震える。こっちに来ないで。来るな、来るな、⋯⋯来るな。
願いも虚しく、私はその魚人に無理やりに立たされて連れて行かれる。私はもう何も考えたくない気持ちが勝ち、頭の中が真っ白になっていた。
「 ■■■■■■ 」
「 ■■■■■■ 」
魚人同士が私には分からない言語で話している。花見坂と離れてから、日本語を聞いていない。あんな女だったが、日本語を話せるだけでも心の支えになったのかもしれない。⋯⋯いや、そもそも捕まったのは花見坂のせいだから無理か。
話を終えた魚人が私に手を伸ばそうとした時、船内が大きく傾いた。上の方から喧騒が聞こえてくる。金属がぶつかり合う音と、分からない言葉の怒鳴り声。気がつくと床には海水が入って来ている。このままでは、船が沈没してしまう。
魚人達が私を置いて、甲板の方へ走って行く。置いて行かれても手枷足枷を嵌められたままだ。船が沈没すれば、溺れてしまう。
「 他の人達は!? 」
私は何とか廊下を歩き、元いた部屋に戻った。しかし、そこにはもう誰も居なかった。外された手枷足枷が床に転がっている。
「 もしかして、襲撃者の誰かが助けに来て、私以外救出されたとか⋯⋯ 」
私は、自分の顔から血の気が引くのを感じた。救出者が全員助けたと思って、この船を完全に沈めて去って行ったら、私は終わる。襲撃者が他の海賊だった場合、結果は変わらないが、もし警察のような組織であった場合は助けて貰いたい。
私はだんだんと静かになってきた甲板へ向かって歩き出す。足枷があるし、腫れているので速くは歩けない。気持ちばかりが焦ってしまう。
階段を上がり、甲板の上に出た。そこには、魚人の死体が何体も転がっており、他に人は居なかった。海は荒れている。空が暗い。嵐が来そうだ。
「 誰かー!! ここにも人がいます!! 助けてくださーい!! 」
力を振り絞り、必死になって叫ぶ。他の船も見えない。一体、他の捕まっていた人達はどこに行ってしまったのだろう。私だけ残されて、これからどうすればいいのだろう。
船体が大きく傾き、私は海に投げ飛ばされた。体が宙に浮き、上下が分からなくなる。そんな事を考えている内に体は海面に強く叩きつけられた。口や鼻から海水が入ってくる。自分が目を開けているのか閉じているのかも分からない。暗い、苦しい、冷たい、助けて。体が沈んでいく。物理的にも、精神的にも深く沈んでいく。
⋯⋯誰か、お母さん、お父さん、この際誰でもいいから、助けてください。お願いします。私を助けてください。
暗闇の中、何かが私の手に触れたような気がした。
────────────⋯⋯⋯⋯
眩しい、眩しすぎる。誰だ、人が気持ち良く眠っている時に電気を点けたのは。
「 ⋯⋯んん、んんん、うーん。⋯⋯はっ!! 」
目を覚まし辺りを見ると、晴れ渡る青空、綺麗なエメラルドグリーンの海、そして白い砂浜と一本のヤシの木。
直径10メートルくらいの円形の島だ。そんな絵に描いたような無人島に私はいた。
「 えっ、どこ。⋯⋯もしかして⋯⋯天国? 私は確かに溺れたはず。⋯⋯流されて来たって事? 」
手足を見ると、枷が外されている。足の腫れていた部分には、謎の海藻が巻き付けられていて、鞭の跡などには、緑の何かが塗ってある。匂いを嗅ぐと、スッとする薬のような匂いがした。
私は、まだ生きていて、誰かに助けられたようだ。だが、助けてくれた相手は見当たらない。起き上がろうとして、自分の下に葉っぱがクッションのように敷き詰められている事に気がついた。どう考えても助けてくれた人がやってくれたに違いない。
だとすると、その人は今どこにいるのだろう。船で助けた後、私をここに置いて行ったとは考えたくない。こんなところで1人で生活など私に出来るわけがない。
「 誰かいませんかー!! 」
───バシャーンッ
「 ⋯⋯うわっ!! 」
突然の水音に、私は驚きながら後ずさった。音のした方を見ると、海から顔を出して、綺麗な翡翠色の瞳がこちらを見つめついる。そして、その人物はゆっくりと陸に上がってくる。
水色の髪の毛先の方が薄桃色になっている。前髪は左右に流していて、後ろ髪はそれより短く切られ左右にはねている。宝石のように煌めいて艶がある髪だ。とても整った顔をしており、瞳は普通の人間より大きく、こちらも宝石のように煌めいている。上半身は、白い薄衣のようなものを纏っており、体はかなり引き締まっている。
そして下半身。鱗だ、魚だ。つまり人魚だ。よく見ると耳も、えら耳だ。物語やゲームに出てくる空想上の生き物。目の前に人魚がいる。胸に貝殻をつけていないから男だ。いや、見れば男だと分かるが。私は、今混乱中だ。
だが、ドラゴンのような生き物や、豚顔人間や魚人を見てきている。人魚なんて大した事はない。顔は、人間に近い。ただ、物凄く美しすぎるだけで、大した事はない。
少しの間、5メートルくらい空けて見つめ合っていた私達。そんな事をしていると、不意に彼の下半身が白い光りに包まれる。光が止むと彼の下半身は人間のものになっていた。
私は急いで両手で顔を隠し、後ろを向いた。分かるだろう。彼が、履いてないからだ。
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