5.図書館での騒乱
おまけみたいなお話です。
なんとなく、オーウェンとの出会いから入試までかっ飛ばすのはなー…と、ふと思いまして。
ちなみに、テンプレな感じの美少女との出会いとかはありません。―――まだ、ね。
学園の入試まであと1週間ほど。
のんびりと資料を読んでいる彼は、王立図書館…つまりは世界最大の図書館で知識を溜め込んでいる真っ最中だ。
「新しい知識って、いいなぁ…」
感慨深く呟く彼は、実は100歳を超えて尚生きる傑物である。
まぁ見た目は15歳くらいのそれなのだが、いかんせん纏う風格というものは誤魔化せない。チラチラと彼を見る目線は、日に日に増えていくばかりだった。
さて、現在クロノが読んでいるのは世界地図である。それも、資料としての。
普通なら眺めていても面白さの欠片も無いだろうが、彼は500年前の時代を生きていた。そ
の時代の地図というものを知っているから、現在の正確な地図との差を面白く感じるのだ。
ところで、最近の彼の悩みのタネが今日もまた図書館にやってきた。
「なァ、受付さんよ。なんで俺が図書館に入れねェんだ?おい。」
筋肉質の、如何にも頭の悪そうな男が受付を問い詰める。
その手にはすぐそこの出店で買ったと思われる串焼きと飲み物が。
もはや入るのを断られている要因は一目瞭然。
この図書館は貴重な書物も大量にあるので原則飲食禁止なのだ。
「おィ、何とか言えよ。なぁ!?」
しかし受付の女性は何も言い返せない。
その理由は明白。おそらく、この男は受験希望者であり『固有魔法』持ちだからだ。
この国では『固有魔法』持ちは特別扱いを受ける。金にしろ、名誉にしろ、それは庶民にとってみれば貴族と同義と言っていいレベルだ。
だからこそ、この受付の女性は言い返せないのだ。
何しろ、身分が違う。言い返せばクビでは済まないかもしれない。
いやむしろ、恨みを買うことで起きる全ての犯罪が刑罰の対象外になるかもしれないのだ。
クロノは1か月をこの世界で生きて、かなり理解していた。この世界の現状を。
ハッキリ言って、歪。
いや、まだマシなのだろうか。権力の基盤が揺らいで、この程度で済んでいるのだから。
もっと重大な事態…例えば、王制の崩壊などに至っていても不思議では無かった。よほどうまく王が立ち回ったのだろう。
あるいは、その副官や諸侯が。
「…うるさいぞ。図書館は静かにするものだと親から教わらなかったのか?」
「は?なんだお前。あんな能無しの親ごときが俺に指図できるとでも思ってんのか?」
…なるほど、この男がこれだけ傍若無人な訳はそういうことか。
つまりは、調子に乗っているのだ。
おそらく、『能無し』というのは言葉通りの意味ではなく『固有魔法』持ちではないということなのだろう。
そして、こいつは一般人を明らかに見下している。
自分のことを貴族か何かだと勘違いしているのだろう。
全く以て、度し難いことだ。ぽっと出で貴族になったところで武力以外が身に付く訳でも無かろうに。
あいつが創った国でこんなのが権力を宣うなど、なかなかに俺をイラつかせる。
|貴族の義務《ノブリス・オブリ―シュ》でも勉強しなおしてこいと言いたいところだが、生憎俺の今の姿は権力も何もない。
力で、押し通らせてもらう。
「受付さん、ルール違反者は追い出しても構わないだろう?こちらも本を静かに読めないのは困るんだ。」
「は、はい!…本に被害が出ないようにお願いしますね。」
「問題ない。」
――――ザッ
「―――――もう終わった。」
瞬きするほどの一瞬の間に、勝負はついた。
先程まで元気に叫んでいた男は、もう嗚咽のみしか吐き出さない。
意識は既になく、顔は見る見るうちに青ざめていく。
殺してはいない。俗に言う『腹パン』を絶妙な手加減でやっただけだ。
受験用の資料は早々に頭に叩き込み、日のうちの数時間は娯楽用の書物を読んだりもしてみた。
この『腹パン』というものはお手軽に戦意を奪えると、この時代でも人気の攻撃方法なようだ。
ちなみに、時間操作はこっそりと行った。
その内容は『自己加速』。
傍目には単純な身体強化にしか見えないだろう…いや、まず目で追えないか。
魔力の消耗が少ない代わりにデメリットがある方の攻撃をしたのだが―――まぁ、分からないだろうな。
「処理は頼んだ。」
クロノはスタスタと元座っていた場所へと戻る。
カッコつけていたが、うっかり栞を挟むのを忘れていたことに気づいて表情が不快に歪んだ。
一旦戦闘用に切り替わっていたスイッチを読書用に戻し、どこまで覚えていたかを必死に思い出そうとする。しかし、煩さに気を取られながら読んでいた項の記憶などどこにもなかった。
「…今の、見えたか?」
「いや、まったく。」
「何者だ?…いや、あの積み立てている本の種類から察するに新入生か。…まぁ、いくらか小説が混ざっていることは気にかかるが。」
「あんなに強い新入生って、どこかで噂になってたか?」
「いや、聞いたことが無い。」
「一体、どこから来たんだ?」
「あの子、2週間ぐらい前からここで見かけた気がする。」
「だったら、この王都にそんなに近くない街…?」
「でも、私の領地にそんな情報は…。」
様々な憶測が図書館内を乱れ飛ぶ。
その当人であるクロノはもはや知らないとばかりに無視を決め込んでいる。
ちなみに本人は必死に近寄ってくるなオーラを出しているが、考察に夢中になっている新入生たちはそれにすら気づかない。
何しろ、倍率が倍率である。ライバルの情報は金に糸目を付けず集めさせている貴族の子息が多かった。
この図書館の会員になるためにも金は要ったので、自然と貴族が多く集うようになったのである。
「…結局集中できないじゃねぇか。」
クロノはふと呟いた。
あの煩い男をわざわざ倒したのはギルの国での狼藉が気に入らなかったというのもあるが、何より読書の邪魔をされるのが気に入らなかったからだ。
しかし、この現状はどうだ。行動を起こす前よりもむしろ煩さは増し、読書にも集中できない。
戦場で鍛えた耳は、自分の事となると意識していなくても情報を拾ってしまう。
―――ガタン。
クロノは席を立ち、机の上に山積みになった本の山を解体する作業へと取り掛かった。
窓から差し込む夕日は、少し早いが食事時の近づきを知らせる。
この図書館の閉館時刻は夜8時。かなり遅くまで開いているが、今日はもはややる気が失せた。
幸いにも、本の山はその席から近いところの書架から取った物だった。
手早く返却を終わらせ、ふと気配を感じて後ろを向く。
「ねぇねぇ、名前なんて言うの!?」
「この後食事でも一緒にどう!?」
「どこから来たの!?」
「今晩うちで泊ってかない!?」
他にも、色々。
声が声を掻き消しあって、後ろの方の声は何を言っているのかさえ分からない。
「―――ひっ!?」
思わずそんな声が出た。
何も、その戦闘能力に気圧されたとかそんな訳じゃない。ただ、『獲物を見る目』でこちらを狙う圧に気圧されたのだ。
クロノは体裁も何もかも捨て去って走り出す。
一方、追いすがる者も必死である。クロノの力は明らかに有用であり、入学してからの派閥形勢で必ず重要になることが分かっているからだ。
貴族というものは派閥を大切にする。それは、この国での貴族というものの本質をついているとも言えよう。
―――まぁ、端的に言ってしまえばクロノは捕まるまいと逃げることに変わりはない。
「…撒いたか。」
大通りを通ることを避けて裏路地を選んで正解だった、とふと思う。
相手は貴族。ここ最近の楽しみである街の探険で裏路地を知り尽くしたクロノに追いつけるはずが無かったのだ。
まぁ、いざとなれば『加速』してでも逃げるつもりだったのだが。
「幸いオーウェンのところが近いな。夕食はそこにしよう。」
現在位置の把握も慣れたものである。
気付けば日は既に落ちている。図らずとも、普段図書館を出る時刻と同じぐらいになってしまいそうだ。
しかし、動くとよく腹が減る。
今日はいつも以上にたくさん食っておこうと、ふと考えた。
―――明日もあの騒動になるとしたら食い溜めておかないといけないだろうし。
「そうだ。耳栓でも買っておこうか。」
名案に思えた。
しかし、相手は狩人である。その程度の小細工は通用しないのだが…。
まぁ、お気楽思考を極めんとするクロノにそんな考慮は無かった
その次の日。
意気揚々と耳栓をポケットに仕舞って図書館に向かったクロノだったが、問答無用で耳栓を剥ぎ取られて這う這うの体で地下拠点に戻ることになった。
結局、クロノはそれから図書館に行けなくなってしまったのだった。