3.新生活の始め方②
「…もしかして、アンタ『固有魔法』を使ったの?」
少女は、そう言った。
どうにも俺には運が回ってきたようだ、と少しばかり嬉しくなる。
正直、この場を切り抜けるには手札…つまりは情報が足りていなかった。
今分かっているのは、おそらくここは515年の世界であるということ、ここが王都、と呼ばれる場所であること。それだけ。
誤魔化すためにはこの世界の情報、特に民衆の事情というものを知る必要があった。そして、この世界でも『固有魔法』は出現したのか、という疑問。
特に『固有魔法』は、出現しているなら社会は混乱するはずなので注意が必要だった。
しかし、少女がうっかり『固有魔法』の存在を示してくれたので話が早くなった。
おそらく、俺の場合と同じで510年に出現している。と考えていた。
ならば、話は楽に進むだろう。
「―――はい、そうですが。」
実際には『固有魔法』なんて使っていない。
けれど、この歳であれだけの体術を使えるのは充分に不可思議だろう。
ならば、それを『固有魔法』だと言い張るのが楽だ。『時間操作』を使えるなど、無駄に面倒くさくなるようなことは明かさない方がいい。
「…なるほど、ところでそれは一体どんな能力だ?」
少女の視線は相変わらずこちらを見つめたまま。どうやら、よほど俺が疑わしいらしい。
確かに俺は変だろう。ぶかぶかの服に、異様な体術。15歳の姿をしているが、歳だけでは疑わしさを解消することは出来ないだろう。
俺は予め用意しておいた言葉を紡ぐ。
「俺の能力は『身体強化』です。魔力を使って自分の肉体を強化する、それだけの能力です。」
『身体強化』。それは、『固有魔法』無しでも魔導に親しんだ者なら使える能力だ。
それは俺にとっても例外ではない。むしろ、長年戦い続けたおかげで『固有魔法』と言い張れるレベルまで扱いは極めている。
そして、『時間操作』能力の中でもよく使う能力、『加速』は身体強化と言い張れないことも無い。
これまでにもよくお世話になった誤魔化し方だ。証明をするにしたって慣れているので問題はない。
「…そう。――――ところで。」
少女は相変わらずこちらを見つめたまま動かない。
いや、むしろ警戒の度合いは増している。これまでは手を楽にしていたが、今は剣に手をかけているのだ。
明らかに、臨戦態勢だ。
一定の距離を保ったままこちらに問いかける。
「この街には『身体強化』なんて固有魔法を持った市民はいない。報告にも上がっていない。なら――――アンタは、何者?」
―――どうにも、失敗したようだ。
まさか、住民票の管理が徹底しているとは思っていなかった。この様子なら、おそらく『固有魔法』が発現した者には何かしらのアクションを呼び掛けているのだろう。
例えばその家庭に給付金を与えたり…いや、むしろ囲ったり義務化しているのかもしれない。
しかし、そんなことをすれば格差を広げるだけだろうに。王族は何を考えているのやら。
「―――いや、俺は…」
「問答無用ッ!!!」
弁明の暇も無く、クラネウスに切りかかる。
なかなかの鋭さ。この時代の人間は脆いという考えを根本から疑わざるを得ないかもしれない、とふと思う。
おそらく、身体強化を使っている。魔導に親しんだ者なのだろう。しかも、かなり扱いに慣れているようだ。
スウェーバックを駆使し、ギリギリで偶然避けたように見せかける。演技には慣れているのだ。
さて、困った。
どうにもこの状況では強行突破ぐらいしか思いつかないが…あ、そうだ。
少々小細工をして、それから逃げようか。
「操付の瞬時の巻き戻し、死刻前へと壱分の帰還」
俺はひっそりと呟く。
さて、準備は整った。後は、この策に嵌ることを祈るのみ。
これまでにも何度かお世話になった策だ。自信はある。
「ちょこまか、とォ!!!」
少女の剣戟は更に激しさを増す。
どうやら、俺をなかなか捉えられないのが頭に来ているようだ。
この状況は待ち望んでいたもの。焦りや苛立ちは戦闘に紛れを招き、冷静さを欠いて策に嵌りやすくなるのだ。
声に出して煽りはしないが、それでもこの状況は彼女にとって煽りと同等なのだろう。
「あた、れェ!!!」
少女は明らかに攻撃に本気が混じり始めている。
狙いは腕や足のままだが、もはや当たれば傷だけでは済まない。間違いなく、切断まで行くだろう。
そして、少女は遂に切り札を切る。
皮一枚で躱したクラネウスの足元に、魔力が渦巻いた。
勿論、クラネウスは気づいている。そして、その攻撃の種類の見当もついた。
だからこそ、それを利用する。
「いっけぇぇぇぇぇ!!!『水面の魔手』!!!」
遂に切った切り札。
それは、少女の持つ『固有魔法』によるもの。
地面より突如湧き出た水が、まるで生きているかのように動き出す。
そして、放たれるのはまさに『腕』。
クラネウスの四肢の自由を奪わんと、四本の腕がそれぞれ四肢の付け根を貫かんとする。
完全なる奇襲。そう、思っているだろう。
そうだろうな。何しろ、『固有魔法』が出現してからそれ程経っていない時代だ。
―――だが、俺は知っているのだ。この時代の、誰よりも。
「―――――ぐはっ!」
俺は吐血し、地に落ちた。
足を滑らせたように見せかけて、四本あるうちの一本に心臓を貫かせたのだ。
正に、致命傷。もはや一分も持たないだろうということは安易に分かる。
この少女はほぼ間違いなく水系の『固有魔法』の能力者だ。
水系の能力者は、そのほとんどが対人の医療術を得意とする。それは、人体が水分を全身に含んでいるからだ。
しかし、そんな能力を以てしても『即死』に対しては無力だ。
だからこそ、これはまさに『即死』の手段足り得た。
「よし、当たっ―――――――――た…?」
少女はようやく命中したという喜びから、一気に殺人の恐怖へと表情を変える。
気付いたのだろう。自分の攻撃が、望んでいなくとも命を奪ったのだということに。
少女はまだ15歳程度。力の責任、というものにはまだ気づいていなかった。
「…嘘………でしょ……?」
頭を押さえ、蹲る。
既に『固有魔法』により生み出した水は消えている。ぽっかりと開いた穴を見つめ、最後の望みとばかりに俺の脈を測る。
―――しかし、送り出されない血流を感じることなどできない。
少女は立ち上がり、ふらりふらりと路地裏を出て行った。
顔は青ざめ、先程までの快活とした様子はどこにもない。
何事かをブツブツと呟き、俯いたまま遠ざかっていく。
「―――彼女には悪いことをしたなぁ…。」
誰も居なくなった路地裏で、クラネウスは呟いた。
胸にぽっかりと開いていたはずの穴はどこにもない。
服についた血さえも消え去っている。
その仕掛けの正体は『時の巻き戻し』。
死ぬ前の時間に戻るよう、予めセットしておいたのだった。
だからこそ、彼は少女が触れた時確かに死んでいたし、今は確かに生きている。
いわば、『死んだふり』というやつだった。
クラネウスは路地裏をようやく抜けた。
彼の性格はかなりあっけらかんとしたものだ。忘れっぽいとも言う。
だからこそ、この出来事を彼はあまり覚えておかなかった。何しろ、彼には100年以上の人生の記憶があるのだから。
その後、立ち去った彼女がまた波乱を巻き起こすことを彼はまだ知らない。
伏線、というよりもフラグという方が正しい奴。