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怖い短編

待ち合いにて

作者: 井川林檎

おばあちゃんは小さい子を見ると、にこにこ目を細めるものです。

 病院は混雑していた。

 夕闇が落ち、寒い夜がそこまで来ている。

 

 町医者の建物は箱のようで、みっしりとしていた。

 年寄りから子供まで、ぎうぎうと詰め込まれて名を呼ばれるのを待っている。

 

 遅々として、進まない。

 (もう、一時間程か)

 二歳の子はよく頑張っている。周囲の子たちがなきわめき、走り回り、病院に備え付けられた玩具や絵本を振り回したり取りあったりしている中で、比較的静かに座っていた。

 ただ、それでもあまりに長い待合いに耐えきれず、もぞもぞ動いたり、ベンチから降りたりよじ登ったりし始める。大きな声で歌いだしてみたり、他の走っている子供に「遊ぼうよ」と叫んでみたりして、ひやひやした。


 どたんばたん。

 大人のスリッパにつまずいたらしい。

 三歳くらいの子供が盛大につまずいて、しばらくの静寂の後で大音量で泣き出した。

 さっきから、五分おきに誰かと喧嘩したり、泣かされたりして落ち着かない子供だ。


 あまりに暴れているので、1歳くらいの赤ん坊を遊ばせていた母親が、嫌な顔をして抱き上げて、その騒ぎから我が子を遠ざけようとしている。

 

 げほんげほん。

 マスクもしない老人が、痰の絡んだ咳をしている。

 

 「まだかなあ」

 「もうちょっとね」


 うんざりしている子供に、わたしはそっとぬいぐるみを持たせる。

 子はたちまち夢中になり、また無心に遊び始めた。



 どれほど待っただろう。

 子の名前が呼ばれた。

 行くよ、呼ばれたよと子を呼ぶと、やだまだ遊ぶと言った。

 たしなめている僅かな間に、急かすように事務の女が、繰り返し名前を呼び、診察室の前まで行って下さいと指示した。

 

 わたしが怖い顔をしはじめたので、子はようやく諦めた。

 大人しく診察室の前のベンチに座る。

 隣には、70代くらいのおばあさんが座っていた。

 子はおばあさんとわたしの間に座り、ぶらぶらと小さなスリッパをはいた足を揺らす。楽しそうだ。


 (予防注射しに来たんだけどなあ)

 仕事を終え、保育園に子を迎えに行き、その足で病院まで連れて来たわたしは疲れていた。

 こんな日に限って、仕事は酷かった。からだのあちこちが痛み、一刻も早くうちに帰って食事や風呂を終えて子を寝かしつけてしまいたかった。

 

 「もうすぐだよ」

 だからいい子にしてね。

 わたしは子に囁いた。

 子はにこにこと、「抱っこ」とせがんだ。

 抱き上げた時、隣のおばあさんが、目を細め、にこにこと笑顔でこちらを見て、話しかけてきたのである。



 「大変でしょう」

 おばあさんはそう言った。

 単純な労わりだろう、わたしは曖昧に笑い、ええまあ、と答えた。

 するとおばあさんは、さらに笑顔を深くして、じいっと見つめた。三日月型の目は笑っているようで、なにか険がある――このひとはおかしい――気が付いた時には遅かった。



 「子供は国の宝だと言うけれど、煩くて嫌でたまらない。ああ嫌だいやだ。死ねばいいのに、殺してやりたいとあなたも思っているでしょう、毎日酷い目にあっているのでしょう。殺しなさいよ。ああ嫌だ、見るのも嫌、ああ嫌」


 そう言っておばあさんは、にこにこと笑っているのだった。

 子は言葉の意味などわからない。ただ、おばあさんの笑顔を見上げて微笑み返しているだけだ。

 おばあさんは子を覗き込み、至近距離にまで顔を近づけてまじまじと見つめた。


 このガキの顔をよおく覚えておくんだ一生忘れない次に会うまで覚えておくのだ――わたしは子に、行こう、と言った。


 抱き上げた時、子の足からスリッパが滑り落ちた。

 一刻も早くこの気持ちの悪い人から離れたかったわたしは、無視してゆこうとした。

 子は腕の中で暴れ、床に降りて、にこにこ笑うおばあさんの足元に行き、落としたスリッパを足にはめたのである。そうして凝視しているおばあさんを見上げ、笑い返して手を差し伸べたのだ。


 「きなさい」

 

 ヒステリックだったと思う。

 わたしは子をおばあさんから引き離すと、廊下の奥、診察室前から遠く離れた行き止まりの暗がりに来て、そこにあった椅子を引き寄せて子を座らせた。

 「あはははは」

 おばあさんの笑い声は、やんちゃな子供を慈しみ眺めるたわいない笑いのようである。

 だから、そこにいる誰も振り向かない。

 ばたばたと走り回り、ぎゃあぎゃあと泣きわめく子供たちはそのままだ。



 「あはははは、あっはははは」


 逃げ込んだ暗がりに子を護りながら、わたしは振り向いた。

 あのおばあさんが、診察室のベンチに腰かけたままこちらを凝視し、三日月型の目で笑顔を見せている。

 

 (早く、早く名前を呼んでお願い)

 ちりんちりん。また患者が病院を訪れた。

 人は増える一方で、診察は一向に進まない。

 

 次第に空気の圧力が増し、息が詰まりそうになる。

 神経を立てているわたしの横で、子が椅子から滑り落ち、あっちに行って玩具とってくる、と行って走り出した。

 待ちなさい、待って――捕まえた手を金切り声で振り払い、子は走る。

 

 もう我慢の限界なのだ、子も。

 これで二時間、待っているのだから。

 (ああ、早く、お願いだから早く)


 「すいません」

 子が足を踏んでしまったおじさんに頭を下げる。新聞を読んでいたおじさんは、無言だ。

 「こら、こっちにきなさい」

 するりするりと抜けるように走る子を追う。

 欲しい玩具がキッズコーナーにあるのだが、今やそこはやんちゃな男の子たちで埋め尽くされている。

 子はそこに乗り込むと、目当ての玩具を掴んだ――が、それを横取りされて金切り声をあげる。


 耳がきいんとなる。

 



 「あっははははは」

 笑い声がする。

 ぞうっとしてわたしは、子を抱きかかえる。

 欲しかった玩具が手に入らなくて不満な子供は、腕の中で暴れて大声をあげた。

 「あっははははは」

 

 さっきのおばあさんが首を曲げてこちらを凝視している。

 見ると、雑誌を読んでいた女の人が、おじいさんが、学生風の男が、みんな子を見て、笑っている。

 目を三日月形に細めて、やんちゃさを愛おしむような表情で。

 「あっはははは」


 ああ嫌だ子供なんか国の宝と言うけれど、とうていそうは思えない、見るのもぞっとする。

 コロセ――コロセコロセ――親の責任――コ、ロ、セ……。

 (ああ)



 出口に続く自動ドア。

 母子手帳と診察券を窓口にあずけている。

 それにこの予防注射は絶対に必要だから。


 早く名前を呼んでほしい。

 早く早く早く。

 

 「アハッ、病院大好き」

 いつの間にか機嫌をなおしていた子が、腕の中で無邪気にそう言った。

予防接種の時期ですねえ。

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