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さて、武士道の中に我々日本人の哲学を見ることが出来る!

という実感が湧いてきましたか?


そう感じていただけたら幸いです。


そうやって考えると、例えば幕末の侍達、鎌倉の侍達の振る舞いが見えてきませんか?


元寇の役や、幕末の薩英戦争や、なぜ日本の武士が強かったのか?


何となく理解できる感じがしますね。


そうすると敵に塩を送るという話しも、日本人ならば理解できるのですね。


武士にとって最も重要な徳目は『名誉』です。

その名誉には武士の身分とそれに伴う義務があり特権があると考えます。


それを守る為に、卑怯な行動や不正を憎む。

正義の為に振るうべき勇気。

弱者や敗者に対する思いやり。

他人対する思いやり、敬意。

約束を守る心構え。

目上への服従と忠実。

叡智を持つこと。

無闇に心にある思いや感情を露わにしない。


これが武士道であり、武士道でありながら日本人全体に共通する哲学ともなっています。


最初の項で話した、蓮舫議員。

日本人ならば理解できるはずですね?

この哲学が、理解できるはずですね?


生まれた時から日本人ならば、この哲学の素養を持ち合わせているはずです。


泰平の武士道


さて、山本常朝が語った葉隠(はがくれ)に触れてみたいと思います。


この葉隠は、いわば平時の処世術とも言えるものです。

中身は『あくび』の嚙み殺し方から、日々の勤めや、いわゆる奉公におけるhow-to的なものです。


この葉隠の編纂が完成したのは1716年。

八代将軍徳川吉宗の時代です。あの、暴れん坊将軍の時代です。


戦国時代もすっかり昔。

世は天下泰平です。

今や武士の仕事は戦場にあらず。

武士の仕事が城中での執務となり、よりいっそう主君への奉公と忠義を求められる世になって、侍とはどう生きるべきか?

より、名誉を重んじ世になって武士の役割を山本常朝なりに考えたものではないかと思います。


そのhow-to的な中に武士道を滲ませたのではないでしょうか?


武士といふは死ぬことと見つけたり


そして、この言葉に集約したのでしょう。


この言葉は戦時中には歪曲して使われたりもしました。

侍は最後には死ね!と。

しかし、この言葉の本質は生きよと言っているのでしょう。

武士とは他者の為に生きる道だと新渡戸稲造も結論付けています。

ですから、生から死、死から生を見出せと言っているのではないでしょうか。


自分の為に生きるのではなく、他者を生かすのであって自らの生は他者の為に使え。他者を生かす為に死することもある。


つまり葉隠の本質は生きる哲学を示しているのではないかなと、私は考えます。

武士ならば主君の為に、他者を生かす為にこそ自らの命を尽くすことこそが武士の本懐。

その為のhow-to本ではないでしょうか。


楠諸士教


楠諸士教(くすのきしょしきょう)と呼ばれるものがあります。


武士はかくあるべきを示したものです。


例えば、人を騙したり、礼を失すれば余計な軋轢を生みお互い殺し合いに発展したり、名誉を守る為に腹を切らねばならなかったり。

とにかく、そうそう物騒なことばかりになってはいけない。

ですから、普段から心がけて人として守るべきものを説いているのです。


嘘を言わない


利己主義にならない


礼儀作法を正す


上の者に諂わず、下の者を侮らない


人の悪口を言わない


約束を破らない


人の窮地を見捨てない


してはならないことをしてはならない


死すべき場では一歩も引かない


義理を重んじる


と、言うものです。

読めば「当たり前じゃないか」と思うことばかりですよね。

それが当たり前と感じることが重要なんです。

なぜ当たり前と感じるのか?


それは日本人だからと言うことです。


我々日本人には、遥か昔から我々は古事記を読み、そして武士の世にあってどう生きるべきかを考えて考えて体系化してきました。

その日本人の考えは世代を超えて受け継がれ、我々日本人の血となり肉となり知らぬ間に細胞に浸透しているのです。


ですから、武士道というマニュアルがあった訳でもなく、自然に日々の生活の中で編み出され広く浸透し、そして知らず知らずに身につけているのです。

その生き方は「これは素晴らしい」と、他人との関わりから余計な軋轢も生まず皆が幸せにに暮らすにはどうすべきかを考えて行ううちに磨かれて出来あがったのではないかと思います。


それは自然発生的なもので、誰かが上から「こうしろ」とか言ったものではない。


神道にしても、武士道にしても日本人の観念とはそれは日々の生活の中で編み出され、誰言うことなく自然発生したものばかり。


そうやって生きているうちに、信用を得ることが出来て人が幸せに生きる道を歩いて行く事が出来るのですね。


幕末、最後の将軍徳川慶喜の家臣であった高橋泥舟。

この人物、慶喜が側に置いて離さなかった程の人物で槍の名手です。

無血開城にも貢献し、江戸を戦火から防いだ人物でもあり、勝海舟、山岡鉄舟と共に幕末三舟と呼ばれます。

その振る舞い、所作、生き様は正に武士道そのもの。

慶喜自身常に側に置いておきたい程に信用し、宮中に上がる際にも連れて行きたいが為に『伊勢の守』の位を与えてしまいました。

口の悪い勝海舟は「槍仕事で伊勢の守になりやがった」と揶揄する程。


この高橋泥舟が義理の弟である山岡鉄舟の死後、山岡鉄舟が残した借金の肩代わりをすることになってしまいました。

その時のやり取りで金貸は高橋泥舟に「それで高橋様、担保はごさいますか?」と聞かれます。

高橋泥舟はこう返します「この顔が担保でござる」

金貸は「あい、わかりました」と金を貸しました。


これが武士と言うものです。

高橋泥舟程の武士が他人を欺くことなどあり得ない。

これが、もう既に明治の世になってからのことなをですから凄い話しです。

その義理の弟である山岡鉄舟も明治天皇が一番に信頼を寄せ側に置いて離さなかったのですから凄いです。

徳川家の家臣であり剣の達人であった山岡鉄舟。

いわば、武士の身分を奪われた立場の人間がそれを奪った天皇の侍従を勤めたのです。


このエピソードを知るだけで、我が国とは一体どういう国なのか?

それを知ることが出来るのではないでしょうか?


武士道から見えるのは、他者への思いやり。


そして日本人の根っこは他者を生かし、他者の為にこそ命を使うこと。


そうすれば先の大戦での先達の思いや振る舞いを理解できるのです。

そして何故、我が国が戦禍に身を投じたのか?


武士の世がなくなって随分と時間は流れました。

現代日本において忘れ去られたとさえ思う武士道は今やもう既に瀕死の状態です。


しかし、新渡戸稲造はその著の最後にこう締めくくります。


たとえ武士道が死んだとしても、その美徳は滅び去ることはないだろう

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