神の代 人の代
古事記でございます。
しかし、今回はいつもの古事記から少し離れて話したいと思います。
古事記シリーズではありますが、中身はいつもと違います。
では、本題にまいりましょう。
地続きの系譜
さて、本年は天皇陛下の御譲位が国会で審議されますね。
マスコミは腐り切っていて、御譲位をいつまでたっても『生前退位』だの吐かしております。
これは
御譲位である!
まともな日本語すら使えんのか!ボケ!
と、言うもんです。
神話を学ばなかった民族は例外なく滅びる。
我々は大切な大切な神話を学ばなくなって72年経ちました。
今しっかり学んでおかねば日本民族は滅びの道を辿ってしまいます。
あのアインシュタインをして世界の盟主となりえる国と言わしめ日本と言う国を残してくれた神に感謝するとまで言わせた。
あのチャーリー・チャプリンですら大の親日家だったとか。
そんな国に暮らす日本民族が絶えてしまうのは、世界が滅亡を迎えるのと同じです。
その国は世界で唯一の皇帝を戴いています。
日本の首相が動くとも、たいした扱いはされないけれど天皇陛下が動けば世界中のマスコミは一斉に報道します。
その天皇という御存在は今上陛下で125代。
今上陛下の先代は昭和天皇です。
その先代は大正天皇です。
その先代、その先代、その先代…と繋がっていて
初代天皇神武天皇へと繋がります。
これが天皇の系譜です。
では初代神武天皇へと繋がる系譜とは?
ちょと脱線
ここで少し話しを脱線いたします。
古事記は1300年前に編纂されましたね。
現代の日本人は古事記を読めません!
いや、もちろん専門家や研究者なら読めるでしょうが、そうでなければ読める人はいないでしょう。
そして読んだ事があるか?
そう聞かれたら『読んだ事がある』という人はほとんどいないでしょう。
戦前は学校で古事記を習いました。
しかし、敗戦後はこの古事記教育をやめてしまいました。
これは勿論占領政策の一つです。
先のトインビーの話しからすれば、白人は日本人を根絶やしにしようという意図が解ります。
神話教育を徹底的に排除しました。
だから現代日本人は古事記を読まない、読めない、知りもしない。
ところが、この古事記を広め様とする私も古事記は読めません。
古事記を原文で読む素養がないからです。
では、何故古事記を知っているのか?
それは現代語に訳された物を読んでいるのです。
さて、元々この古事記を誰が最初に現代語へと訳したのか?
それはあの本居宣長です。
現代我々が簡単に古事記を知ることが出来ることの一端は本居宣長の努力があるわけです。
初代神武天皇へと繋がる系譜
古事記編纂には太安万侶と言う学問のある天才と稗田阿礼と言うこれまた暗記の天才がいたのです。
まず、稗田阿礼が各地にバラバラに伝承されてきた神話を暗記してきます。
この稗田阿礼が暗記した話しを聞いて、太安万侶が文章にするのです。
そして神武天皇以前は神話ですと書いてある。
つまり、神武天皇以前は神の代であるわけです。
神武天皇以降は人の代というわけです。
ちょっと漫画っぽい絵ですが、解りやすいので上の絵をご覧下さい。
まず、日本の神々は独神と言って、男女がありません。
男でも女でもない神々です。
そしてある時、伊邪那岐・伊邪那美と言う男女神が現れます。
そこから神々の系譜が続きます。
そして神武天皇へと繋がる。
先に申した通りに太安万侶は古事記に『神武天皇以前は神話』だと記しています。
つまり神武天皇以降は人の代ですから、古事記は以降天皇の系譜になります。
これだけなら『あ〜そうか…』でしょう。
しかし、真実はこう言う事です。
伊邪那岐・伊邪那美から続く系譜は途切れる事なく、125代今上陛下にまで繋がっている
どうですか?
ハッとした方もいらっしゃるでしょう?
我々の皇帝は実はよく考えると神話と地続きなのです。
それも一度も途切れる事なく。
これが万世一系です。
この神話と地続きに人の代が現代まで繋がっている。
これこそが万世一系の真実です。
例えば『トロイア戦争』
これはギリシャ神話に出てくる神話の中の出来事だと思われて来ました。
しかし、考古学者シュリーマンの遺跡発掘で史実ではないか?或いは史実だったと判明したのです。
このトロイア戦争の英雄アガメムノン。
これは遡れば先祖はゼウスまで繋がっています。
もし、このアガメムノンの子孫が現在のギリシャで王の地位にいたならば、これは日本の皇族と同じく万世一系となるわけです。
なんだか物凄い話しです。
それが我が国は繋がっている。
こんな国は日本だけです。
そして、この神話と地続きの系譜を持つ我々の天皇陛下。
いや、我々日本民族。
我々日本民族は誰でも、個人個人の系譜を遡れば皆、皇族へ繋がるのです。
これは我々日本民族そのものが神々と地続きであると言う事なんです!
それが古事記に記されているのです。
古事記を知ることの大切そは、ここにあります。
神話を知らねば民族が滅びる。
この言葉の重みは、他の民族より我々日本民族にとっていかに重要であるか!
皆さん古事記を学びませんか?
だからよく考えないと
この古事記、編纂は先に述べた様に記憶の天才『稗田阿礼』が話し、それを文学の天才『太安万侶』が文章に練って記しています。
稗田阿礼は古い日本語を話します。
すると当時は漢字を使っていました。
つまりは漢文です。
日本語には漢文で表せないものもあります。
するとこれらを『音』で表す事になります。
これが『万葉仮名』となるのです。
そして後にこれが万葉集へと繋がるのです。
つまり日本の文学の始まりは古事記であった!と言う事です。
そして、本当にこれを皆さんによく考えて頂きたいのです。
それは、我々日本人は神々と地続きの系譜を持つ民族です。
しかも、一度も途切れる事なく。
例えば、他国の人間が日本に帰化する事。
これは
外国生まれ外国育ち、そして我々と繋がらない人間を、我々が持つ神々の系譜に加えると言う事です。
万世一系の系譜を持つ日本に、そのルーツの違う者を加えることです。
そんな人間が、簡単に、しかも『便利』であるとか『都合が良い』とかいう理由で簡単に帰化します。
我が国は他者を排除する文化は元来ありません。
寛容に振る舞う民族です。
だからこそ、他国の文化や宗教を取り入れて自らのオリジナルを作り出せたのです。
例えば『傍若無人』なる言葉。
これ、そのまま『ぼうじゃくぶじん』と漢字で読むけれど、しかし日本人はその意味を日本語でも読み解くのです。
傍若無人とかいて傍らに人が無きが若しくと。
人が傍らに無きがごとし…
人が傍らに寄り付かぬ程の無茶苦茶な人間。
決して漢文にはない、情緒と心の動きをそこに読み解くのです。
世界の言葉は、ただ必要な事を伝えるのみ。
しかし、我が国の言葉は人の機微、感情、情緒をも伝えるのです。
それは何より、神々と地続きの系譜を持つ民族だからです。
その神々と地続きの系譜に、簡単にルーツの違う者を加える訳にはいかない。
我が国を心から愛し、我が国のこの歴史をしっかりと学ぶ者しか、この系譜に加えてはならない。
そして何より、我々日本人こそが、この系譜の意味と重みを理解しなければ、なりません。




