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随分と久しぶりの古事記シリーズです。
今回は古事記そのものから少し離れて、古事記に繋がる日本を考えてみようと思います。
つまりは違うアプローチで古事記や日本に迫ってみようと言う試みです。
しかし、そこにあるのは「世界中どこを探しても二つとない素晴らしい祖国」を発見するはずです。
以前に我が尊敬するアルバート・アインシュタイン先生の言葉を紹介しましたね。
例えばココです。
その言葉をアインシュタイン先生が発言した、その意味を理解するはずです。
我々はそこに暮らしながら、あまり考えもしない。
しかし「言われてみればそうです」
そう思える祖国を感じてしまうかもしれませんね。
文字がない?
古事記と言うのは今から1300年前に編纂されましたね。
これを命じたのが天武天皇です。
それまで「旧辞」や「帝紀」や「本辞」と言った歴史書と呼べるものがありました。
しかし、これらは長い年月のは間に各家々でのみ伝えられていたのです。
そうしているウチに諸家の都合のいい様に書かれるようになってしまいました。
つまり事実とは異なり、虚偽の記述もある。
それを改めなければ日本はいずれなくなってしまう!
歴史は国家の重要な根幹です。
根幹を失えば国は滅びます。
それを危惧した天武天皇が「古事記編纂」を命じたのです。
今現在、日本は正しい歴史を伝えていますか?日本がなくなってしまうかもかもしれませんよ!
と、その話しは後日にしまして。
これは、別の意味も持つことに気付きます。
古事記以前に諸家が諸家ごとに勝手な史書を伝えていたと言う事です。
西暦552年に仏教と共に漢字が伝わった。
それまで日本に文字はなく人々は口伝で歴史を伝えた。
カタカナやひらがなは漢字を変形させて作った。
我々はそう習いました。
また、通説としてそうです。
では「何故、日本語には五十音あるのか?」この視点が抜けています。
更に、いつ?どのように?形成されたか。
起源は何処まで遡るのか?
事実、話し言葉は濁音や半濁音もあります。
破裂音に巻き舌の様な言葉、鼻音など様々です。
もっと遡れば日本語は現在と異なります。
現代我々が話す日本語は昔と違うのです。
例えば「母」はパァパァ。
現代ではハハと発音していますが、その昔はパァパァと言っていました。
そこで考えるのが「金印」です。
「漢倭奴国王」と言うあれです。
漢の皇帝が授けた金印である事は支那の史書に書かれてあります。
これは西暦57年です。
仏教伝来、漢字伝来の500年も前です。
印には序列があります。
これは以前に沖縄講演会旅行の中でも話しましたが、玉印、金印、銀印、銅印とあります。
玉印は象牙で出来ており漢の皇帝だけが使います。
金印を送る意味は支那と対等か或いはそれに近い存在です。
銀印を送る意味は其れより下。
銅印はまぁ、集落の長程度。
例えば琉球は金印でしたね。
当時、日本は朝鮮半島の南半分も保有していました。
つまり倭国と支那は陸続き。
これは現代社会を見ても解る様に国境が陸続きで接していると小競り合いが絶えませんね?
倭国は支那に気を使い、また支那も倭国とモメ事を起こさぬ様に金印を送った訳です。
この記述は魏志倭人伝に書かれていますが、この魏とは三国志の魏呉蜀の魏です。
では双方とも、何故対立を避けたのか?
魏と言えば曹操。
憎らしい程強いとか、どれほどの強さか?
憎らしい程強いのですから、それは大変強い軍事力を持っていたのでしょう。
何故、其れ程に強かったのか?
それは武器です。
武器が違いました。
魏の軍隊は鉄製の武器を装備していたのです。
呉や蜀は青銅の武器でした。
鉄製と青銅製ならば鉄製が強い。
鉄製ならば銅の刀と打ち合えば銅の刀はまっ二つ、銅の盾や鎧も突き通します。
この魏の鉄製武器の鉄は倭国が生産していたのです。
鉄は高温で溶かし取り出します。
この高温を操る技術が倭国にはあったのです。
倭国を襲い朝鮮半島を奪うとか、倭国に圧力をかけるとか、やろうと思えば出来たでしょうがそれはやりません。
何故なら鉄を生産する技術は倭人にしかありませんからね。
倭人が本土に返ったら鉄を生産出来ません。
其れ程の高い技術と文化を持った国に漢字以前まで文字がなかった?
これは論理的に考えてありえない。
朝鮮半島にいた朝鮮人、当時は濊族。
以前にも話しましたが「濊」とは糞尿と言う意味です。
日本の「穢」とは違います。
糞尿垂れ流しの汚い民族だから「濊族」と名付けたのです。
この時代の濊族は汚らしくて人間とさえ認められない存在です。
原始的な人食い族です。
果たして、そんな原始的民族に金印を送るでしょうかね?
ありえませんね。
だから要するに
金印を送るとは文化的、技術的に優れた国。
対等と見做して良い国に送られる訳です。
漢字伝来以前に文字がなかったと考える方が不自然なのです。
では一体どんな文字を使っていたのでしょうか?
漢字と言うのはいわば東洋の共通語表記みたいなもんです。
独自の技術や文化を口伝だけで伝えるなど論理的に考えて無理です。
では我々のご先祖様は一体どんな文字を使っていたかと言うとそれは
神代文字です。
神代文字と言うのは解っているだけで実に34種もあります。
この神代文字はそれぞれ文字の形が異なります。
アラビア文字の様なものからハングルに見えるものから、様々です。
しかしこれら様々な神代文字に共通している事があります。
それは五十音であると言う事です。
全ての神代文字が様々な形をしているにもかかわらず「五十音」という点は一致していたのです。
実は話し言葉を見ても解るのです。
地方にはそれぞれ方言があります。
それは言い換えるなら同じ日本でありながら47か国語ある様なものです。
ならば、文字も地方地方で独自の発展を遂げたとしても不思議ではありません。
また、諸家に伝わっていた「旧辞」や「帝紀」と言った史書は漢字だけで書かれていたのでしょうか?
漢字が伝わって1463年程、古事記編纂が1300年前。
古事記編纂迄に諸家に史書が伝えられていたのです。
古事記編纂迄の160年で其れ程に史書がいい加減になっていたのか?
史書があったと言う事は文字があったと言う事で、漢字伝来から160年の間に急に史書を作ったのでしょうか?
日本は世界一古い国です。
縄文時代から続く国です。
縄文時代は今から約2万年前が始まりで、1万7千年続くのです。
11万年前には石器をつかい、3万年前には石器を加工していました。
1万6千5百年前には世界最古の土器を作った。
1万2千5百年前には漆を栽培し使っていたのです。
その国が濊族と同じような国だったのか?
あり得ませんね?
むしろ文字を持っていたからこそ、独自の文化を持ち更に現在まで他の国の様な植民地支配による収奪を受けずにいたと、そう考える方が自然です。
ですから古事記を見ると漢字を用いてはいますが、その使い方は万葉仮名使いです。
漢字を日本語の表記に直しているのです。
一方の日本書紀は漢文です。
この古事記の時代には以前に白村江の戦いがあり、また戦いがあるかもしれない。
そんな時にバラバラの文字を使っていては意思の疎通が儘ならない。
だから、この際バラバラの文字を共通にしてしまえ!と試みたのが古事記ではなかったのか?
そんな風に見えるのです。
諸家に伝わっていた史書とは様々な神代文字で書かれていた。
それを共通文字で編纂したのが古事記ではなかったかと思います。
共通の文字を用いて意思の疎通を図るのは国力を高める上で絶対です。
これは現代でも同じです。
その上で共通文字をどの神代文字にするか?
様々にある神代文字から一つに選ぶのは至難のワザです。
何故なら選ばれた文字、選ばれなかった文字が出来て無用な争いを生むことになり兼ねません。
ならば、共通文字として既に使っていた外国語である漢字を使ってしまえ!
そこから発展し複雑な日本語を表す為に平仮名やカタカナが生まれたのだと考える方が自然ですし、むしろ神代文字と言う下地があったからこそ表意文字と表音文字を使う世界にない文字文化があると思います。
実は意味不明な模様とされて来た、土器や石板や鏡や鉾にある模様は神代文字かもしれないのです。
そもそも漢字云々の話しは敗戦後の左翼学者の主張なんです。
世界最古の国が、支那の存在がなければ文化的、文明的、技術的に発展しなかったと考える方が無理矛盾があるのです。
今後、これらをしっかり研究し真実を掘り起こすことも日本を真っ当な国にする手段です。
真実の歴史を伝え、誤りや虚偽を正さなければ
「日本はなくなってしまう」と、天武天皇は仰ってます。
朝鮮半島を見れば解るのです




