一話 流されるワカメ
――あぁ、またやってしまったのね。
大きなダブルベッド、そこに敷かれた純白のシーツの上で朝を迎えた私は、目が覚めたと同時にそう心の中で呟いた。
目の前には引き締まった体の美しい胸板があり、ほのかに香る優しげな甘い匂いと、くーくーと音を立てる小さな寝息を感じる。上半身は裸で、片腕を優しく私の体へと乗せている。透き通るような薄緑の髪を持ち、イケメンの寝顔は愛おしさすら感じる。
普通の女の子なら最高のシチュエーションなんだろうけど、でも私はこれがいけないことなんだと知っている。
なぜなら隣で寝ている彼は――。
私の兄なのだから。
洗面台で顔を洗ってタオルで水分を拭き取ると、私は鏡に映る自分を見つめた。
私はワカメ子、十六歳。身長は150センチだけどもうちょっと欲しいところ。それに童顔だしスタイルも良くないから、大人の女性に憧れる。髪は腰くらいあるロングヘアーのワカメ。ただいま思春期真っ只中のせいか、その場の空気によく流されちゃいます。
私は一つ深呼吸をすると、頬を両手でパチンと挟んだ。
「よし! 今日こそは流されない!」
気合十分。黄色のTシャツと水色のハーフパンツに着替えてからリビングへと移動すると、もう起きてたのか苗木ちゃんがソファーに座りながらテレビを見ていた。
「おはよう! 苗木ちゃん」
「おはよ~ワカメ子」
この子は苗木ちゃん。
黒い鉢植えのポッドに土が入ってて、そこから一本の細い木が生えている。その木からは数本の枝が分かれていて、まるで手のように器用に動かすことが出来るみたい。小さな緑色の葉っぱが数枚付いてるのがチャームポイント。ポッドの下からは二本の根っこを出して歩くことも出来るみたい。
私よりも長生きしてる人生の先輩で、色々相談に乗ってくれる頼れるお姉さん的存在。
「苗木ちゃん、またやっちゃった……」
「またぁ~!?」
呆れたように返す苗木ちゃん。
私は返す言葉もなくて人差し指をツンツンすることしか出来なかった。
「あんたホント流されやすいわね~。で、どこまで行ったの?」
「……全部」
モジモジしながら返すと、少しの沈黙の後に苗木ちゃんは大きな溜息を尽いた。
「はぁ……。あんたね、そこまで行ってんなら別に悩まなくたっていいじゃない」
「でも……」
「イヤじゃないんでしょ?」
「お兄様のことは好きだけど……その、いけないことだし……」
「はぁ、毎度意志の弱いブラコンですわ~」
苗木ちゃんと話をしていると、どうやらお兄様も起き出してきたみたい。
リビングに顔を出したお兄様は、まだ眠そうな目を擦ってから私に優しい笑顔を向けてきた。
「おはよう、ワカメ子」
キラキラと輝く優しい笑顔。開け放ったカーテンから差し込む朝日のせいじゃなくて、お兄様の素敵な眼差しが眩しい。美形男子、それも他ならぬお兄様に朝からそんなご褒美を頂けるなんて、ワカメ子……幸せです。
ぽーっと見つめていると、お兄様が笑顔を向けたまま首を傾げたので、私はハッと正気に戻った。
「い、今朝ごはんの準備しますね!」
「うん、よろしく」
任せてくださいお兄様。その天使のような微笑みという至高の朝ごはんを頂いた私には、もはや敵などいませんから。
静かにテーブルに置いたお皿。私の分と、お兄様の分の二枚。苗木ちゃんには天然水のボトルを差し込む。
「上達してきたね、ワカメ子」
またしても無邪気に微笑むお兄様。
うぅぅ……その視線が私の心に強く突き刺さる。
お皿の上には少し焦げた形の悪い目玉焼きとパン。
意気込んで朝ごはんを作ったけど、ごめんなさい……まだまだお兄様くらい上手くはいかないようです。だけどパンは上手く焼けました。パンは。
朝ごはんを食べ終わって、仕事に行くお兄様を玄関で見送る。
二十歳のお兄様は、自分で開いた海の家でお仕事をしているのです。立派です。
ちなみに大人になると人間のような見た目になるようで、お兄様は女性のお客さんからキャーキャーと黄色い声を上げられるのも珍しくありません。私のお兄様に近寄る女の人達には吐き気がしますが、同時にお兄様の素晴らしさを実感出来るのもウソではないのでなんとも言えないところです。
私も早く大人になりたい。あと四年もある私は、まだまだワカメなのです。
その後はお洗濯をしたり、お掃除をしたり、苗木ちゃんとおしゃべりしながらテレビを見たりしていた。
あっという間に夕方になって、そろそろお兄様が帰ってくる時間。
すると、苗木ちゃんがおもむろに声をかけてきた。
「ワカメ子、今日こそは頑張りなさい」
「うん! 今日こそは流されない!」
我が家はそんなに広くない、それは私の部屋が無いのが物語っている。部屋はお兄様と共同、小さい頃から一緒に寝ているのでそのまま今になっても一緒に寝ているのです。
今日こそは流されない!
白のパジャマに着替えた私は、すでにベッドへと入っているお兄様の隣へ行き、仰向けになってはおやすみなさいと一言交わして目を閉じた。
すると、おもむろにお兄様が声をかけてきた。
「ワカメ子、今朝の朝食おいしかったよ。あれならすぐに僕より上手くなれるさ」
「ホントですか!?」
心が飛び跳ねそうになった。横を向いてお兄様に確認を求めると、微笑んで小さく頷いている。
あぁ幸せ……。こんな小さな幸せでも、褒められる相手によっては大きく変わるもの。お兄様に褒められるのは、何よりも至福なのです。
そして、お兄様はふと私の首元に触れてきた。
「成長しているワカメ子を近くで見れるのは、僕だけの特権だね」
あぁ……ダメです……。こんな近くで、優しい笑顔で、そんなこと言われると……揺らいでしまいます――。
気が付くと、私のワカメの髪はお兄様の裸の上半身へと絡みつくように纏わせていた。
近づくお兄様の顔。
耳に降り注ぐ優しく零れる息が、私の頬を艶やかに染めさせる。
優しく囁くその息を感じるだけで、私は高揚して身震いをしてしまう。
そして小さく囁くお兄様。
「こんなにヌメらせて、悪い子だ」
あぁ……私は今日も、ワカメのように波に流されるのです。