4月15日 『すれ違い』
無言で刀を打ち続けている兄の背中を、少し離れた場所からエリィが見つめる。槌を振り下ろした時に一定のリズムで鳴り響く音は、彼女がとても好きな音であった。
「ふう・・・」
数分後、スクードが置いてあったタオルで汗を拭いて振り返る。そして、笑顔で自分を見ているエリィに気が付く。
「む、エリィ。見てたのか」
「うん」
エリィが水を手渡した。それをスクードは一気に喉の奥へと流し込む。どうやらかなり喉が渇いていたようだ。
「無理しちゃ駄目だよ?ちゃんと休憩を挟んでね」
「ああ、分かってる」
自分の事を心配してくれているエリィの頭を軽く撫で、スクードは玄関へと向かった。そんな彼のもとに何処へ行くのかとエリィが駆け寄って来る。
「試作品を何本も打っていたから、もう玉鋼が無いんだ。だからギルドに行ってくる」
「え、ギルドに預けてるの?」
「いつも担当してくれてる受付嬢の実家が預かり屋なんだ。そのまま実家に取りに行った方が早いと思うが、その時は声を掛けてくれと言われていてな」
「それって・・・」
受付嬢、預かり屋、わざわざ声を掛けさせる・・・。まさかとは思うが、その受付嬢さんは兄に惚れているのではないだろうか。玄関の扉を開けた兄の背中を見ながらエリィはそう思った。
モヤっ
何故か一人で行って欲しくない・・・。エリィは咄嗟にスクードの服を掴む。
「ま、待って」
「どうした?」
「私も行くよ・・・」
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冒険者ギルドに着いたスクードは、慌ただしく冒険者達の対応をしていた一人の受付嬢のもとへと向かった。そんな彼の姿を目にした途端、その受付嬢は華が咲いたような笑顔を浮かべる。
「スクードさん、おはようございますっ!」
「おはよう。すまないが、預けていた玉鋼を貰うことは出来るか?」
「も、勿論です!」
スクードに会えた事が余程嬉しかったのだろう。受付嬢の少女は、満面の笑みで他の受付嬢達に用事ができたと伝える。それに対して他の受付嬢達も頑張ってきなさいと笑顔で答えた。
誰が見ても彼女がスクードに惚れているというのが分かる。桃色の長髪を首の辺りで束ねた受付嬢、名をリティアという。とても愛らしい彼女の人気は、恐らくこのギルドの受付嬢の中でトップ。
「くそっ、スクードめぇぇ・・・」
「落ち着くんだ。嫉妬なんてみっともねえぞ」
「そう言うお前も持ってたパン握り潰してるじゃねーか」
「畜生、俺達のリティアちゃんが・・・」
リティアと会話しているスクードには聞こえていないのだろうが、周りの男性達の反応はこれである。これ程人気のある少女だ。もしかしたら、スクードも彼女に惚れているのかもしれない。
「・・・」
そう思うと、エリィの胸は少しだけ苦しくなった。
「あれ、そちらの方は・・・」
「俺の妹だ」
「え、妹さんがいらっしゃったんですか?」
「そういえば言ってなかったな」
謎のモヤモヤの正体を探ろうとしていた時にそんな会話が聞こえ、エリィは顔を上げる。
「あ、どうも、妹のエリィです・・・」
「リティアです。よろしくお願いしますね」
「どうしたエリィ。元気がないように見えるが」
「何でもないよ」
苦笑しながらそう言うも、スクードは納得しない。周りの男に何かされたのかと、周囲を見渡しながらそう言った。
「何でもないったら・・・」
「いや、しかしだな」
「何でもないから!」
受付嬢と話していたいのなら話していればいい。モヤモヤの正体が分からないまま、ついエリィは怒鳴ってしまった。
「・・・そうか。ごめん、しつこ過ぎたな」
「あ、違・・・」
「すまん、待たせた。玉鋼を貰いに行こう」
「え、でも」
「行こう」
エリィに背を向けてスクードが歩き出す。そんな彼をリティアは急いで追いかけた。しかし、エリィはその場から動けない。
「な、なんで・・・」
怒鳴ってしまった理由が分からずに困惑する。兄は自分を心配してくれただけだというのに。
「最低だ、私・・・」
俯いて発した小さな声は、ギルドの騒がしさに紛れて誰にも届くことは無かった。
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「えーと、これですね」
奥の棚から取り出した玉鋼をスクードに見せた後、リティアはそれを袋の中に入れる。
「自分の家に大量に置いておくと邪魔になるからな。こうして預けておける場所があるのは助かるよ」
「そ、そうですか・・・!」
それはとても嬉しい言葉であった。
「でも、よかったんですか?妹さんを置いてきてしまって・・・」
「怒らせてしまった。何気ない一言が、エリィを傷つけてしまったのかもしれない」
「スクードさん・・・」
ズーンと落ち込んでしまったスクードを見て、リティアはなんと声を掛けたらいいのか分からずにオロオロする。
「ま、まあ、きっとすぐに仲直りできますよ!」
リティアもどうしてエリィが大きな声を出したのか分かっていない。とりあえず、彼女は落ち込むスクードに玉鋼が入った袋を手渡した。
「また、ギルドに来てくださいね」
「・・・ああ、ありがとう」
自分を気遣ってくれている。それに気づいたスクードは、リティアから袋を受け取って彼女の頭を軽く撫でた。
「っ!?」
「じゃあ、またな」
そう言ってスクードはリティアの家を出た。一方残されたリティアは、真っ赤になっている自分の顔を両手で押さえる。
頭を撫でられたのはこれで二度目。
あの時の事をリティアは思い出した。
『怪我はないか?もう大丈夫だからな』
彼と出会ったあの時を。
「・・・ぁ」
あれから、家に帰ろうと思っても身体は別の場所へ。そして数時間後、月が地上を照らす時間帯に、エリィはようやく家へと戻ってきた。
カーン、カーンと音が聞こえてくる。
もうスクードは家の中に居るのだろう。それが分かり、エリィは扉の前で立ち止まった。
兄は何も思っていないのだろうか。普通に話し掛けても返事を返してくれるのだろうか。
「・・・」
何年ぶりだったのだろう。エリィがスクードに対して大きな声を出したのは。きっと嫌なヤツだと思われたに違いない・・・そう思う度にエリィは扉を開けるのを躊躇ってしまう。
「ちゃんと謝らなきゃ・・・」
やがて、覚悟を決めたエリィは玄関の扉を開けた。
「ただいま・・・」
「エリィか、おかえり」
スクードが返事を返してくれたことに、エリィはほっと胸を撫で下ろす。しかし、まだ言わなければならない事は残っている。
「あ、あのね、さっきはごめんなさい」
「・・・俺は別に気にしてないぞ」
向こうからそんな返事が返ってくる。許してもらえたのかと、エリィの表情が少しだけ和らいだ。
「そ、それじゃあご飯作るね」
「いや、俺の分はいいよ」
「え・・・?」
「今から本格的に大会用の一本を打つ。完成するまでは他のことをしている余裕がないんだ」
「で、でも、ご飯食べなきゃ」
「それなら置いておいてくれ。作業が一段落したら食べるよ」
スクードはもう怒っていない。それは、彼の声を聞けば分かる。しかし、エリィの目からは涙が零れ落ちた。
ここ数年、別々に晩御飯を食べた事など一度も無かったのに。どれだけ忙しくても、必ず作業を中断していたのに。
「・・・うん、分かった」
世界大会の為の最高の刀。それを打ち上げる為にはいちいち作業を中断している暇など無い。だからスクードはエリィに対して置いておいてくれと言ったのだが、兄に怒鳴ってしまったエリィは、怒ってはいなくても嫌われてしまったのだと思い込んでしまった。
「・・・」
いつものように料理を作り、それを机の上に並べて口に運ぶ。ポロポロと零れた涙がスープの中に落ちる。
「しょっぱい・・・」
その後、彼女が寝るまでスクードは料理に手をつけなかった。