3月20日 『父の刀』
「うぅ、重い・・・」
大きな木箱を抱えた少女が、よろよろと歩いている。
ここはフレイア王国にある、王都ウラノス。巨大な街の中心部には運河が通っており、様々な資材が運ばれている。
まだ朝早くだというのに、既に多くの人達で賑わうこの街は、周辺諸国の中でも最も活気溢れる街として名が知れていた。
「ちょっとだけ休憩しよう・・・」
木箱を地面に置き、少女・・・エリィ・スミスは近くにあったベンチに腰掛けた。そして首に首にかけていたタオルで汗を拭き取る。
「おはようエリィちゃん」
「あ、おはようございます」
すれ違った人達と挨拶を交わしながら、エリィはぼんやりと兄のことを考える。
もう起きてるかな?
朝ご飯はまだ作ってないけど、自分で作って食べたかな?
彼女の兄であるスクードは、もう二十歳である。しかし、三つ年下の妹であるエリィの方がしっかりしていると近所では言われていた。
今日は自分から素材を取りに行くと言ったエリィだが、少々兄のことが心配なようで、エリィは木箱を抱えて立ち上がる。
「早く帰ろ・・・」
そして再びよろよろと歩き始めた。
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「あれ、この匂い・・・」
鍛冶屋兼自宅である小さな家に着いたエリィは、奥から漂ってくる美味しそうな匂いを嗅ぎ、首を傾げた。
「む、おはようエリィ。わざわざすまないな」
「おはよう兄さん。朝ご飯を作ってたんだね」
彼女が台所に向かうと、兄のスクードか黙々と朝食を作っていた。
「もうすぐ出来るから、少しだけ待っててくれ」
「私の分も作ってくれてるの?」
「いつもエリィが朝早くから作ってくれてるからな。たまには俺が作るよ」
そう言われ、エリィが嬉しそうな笑みを浮かべる。
「よし、こんなもんか」
スクードが出来立ての朝食を皿に乗せ、机の上に運んでいく。
「わぁ、美味しそう」
「エッグトーストに、ラキの実入りのヨーグルトだ」
誰でも簡単に作れるような朝食だが、それを見てエリィは目を輝かせる。
「わざわざありがとう、兄さん」
「どういたしまして」
まず、エリィはエッグトーストを口に運んだ。そして、とても幸せそうに顔を綻ばせる。彼女の一番の好物は、スクードが作るエッグトーストなのだ。
「・・・」
眠そうに欠伸をしながら反対側に腰を下ろした兄を見る。あまり感情を表に出さず、無愛想にも見えるが、いつも自分の事を考えてくれている兄に、エリィは心の底から感謝した。
「・・・どうした?」
「ううん、何でもないよ」
「とりあえず朝食を食うか。今日も1日よろしく頼むぞ、エリィ」
「うん、任せて」
エリィの元気な返事を聞き、スクードも少しだけ口角を上げた。
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「あ、あのー、スミス鍛治工房ってここであってますか?」
「いらっしゃいませ。はい、ようこそスミス鍛治工房へ」
日が丁度真上辺りから地上を照らす時間帯、とある男が兄妹の元を訪れた。その男は何かを包んだ袋を大事そうに抱え、不安そうにエリィを見つめる。
「その、普通では考えられないような方法で武器を作る鍛冶職人が居るって聞いたんですが・・・」
「はい、私の兄がその鍛冶職人ですよ」
「っ、本当ですか!なら・・・」
探し物が見つかった時のような笑顔を浮かべ、男はエリィの前に何かを置いた。
「これを、元通りにして欲しいんです」
それは、粉々に砕けた刀だった。エリィはしばらくそれを手に取ったりして眺めた後、
「分かりました、少々お待ちください」
そう言ってスクードの元へと向かった。
「兄さん、お客さんだよ。砕けた刀を元に戻して欲しいって言ってるんだけど・・・」
「ふむ、なるほど。素材は持ってきているのか?」
「ごめん、それはまだ聞いてないの」
エリィに連れられ、スクードが男の前に姿を見せた。年寄りでも出てくると思ったのか、男はスクードを見て目を見開く。
「話は聞いた。それが砕けた刀・・・だな?」
「は、はい、そうです」
「この刀と同じものを作りたいのなら、同じ素材が必要なのだが」
スクードの言葉を聞き、男が俯く。
「・・・素材は、持っていません」
「は?」
「ですが、お金ならいくらでも────」
「帰れ」
「え・・・」
「素材が無いのならどうしようもないからな」
「そ、そんな、待ってください!!」
まさか帰れなどと言われるとは思っていなかったのか、男が慌ててスクードの肩を掴む。しかし、ギロりと睨まれて男は手を引いた。
「その刀は・・・父が俺に打ってくれた、最後の作品なんです」
「あ?」
「でも、突然尋常じゃない魔力を持つ男に襲われて、命までは奪われなかったのですが、魔法を受けて刀が砕け散ってしまって・・・」
「・・・」
「この刀の素材は、ガイアドラゴンの牙です。でも、俺なんかが勝てるわけない・・・」
「おい」
俯いた男の胸ぐらをスクードが掴む。
「戦いもせずに〝勝てるわけがない〟・・・だと?」
「だ、だって、ドラゴンなんかに」
「お前は逃げてるだけだろうが。本当にその刀が大事なんだったら、命を懸けてでも素材を取りに行きますって言う筈だ」
「逃げてるって、そんなことはない!!」
「苦労もせずに何でも思い通りにいくと思ってんじゃねえ!!」
そう言ってスクードが男を壁に叩きつけた。それを見たエリィは兄を止めようとしたが、今の彼には近寄れない。
「・・・エリィ」
「え、な、何?」
「そこに置いてる刀を取ってくれ」
「分かった」
エリィは以前兄が打った一本の刀を手に取り、それをスクードに手渡した。
「悪いが少し留守にする」
「うん、気を付けてね」
今から兄が何をしようとしているのかを瞬時に理解したエリィが頷く。それを確認したスクードは、何らかの魔法を唱えた。
「ひっ、な、何を─────」
「ガイアドラゴン・・・確かヘルメスの洞窟だったな。行くぞ」
そして、スクードと男はエリィの前から姿を消した。
「────────っ!?」
男が驚いて目を見開く。
あの一瞬で、彼等は洞窟の中へと移動していた。
「何を驚いてる」
「て、転移魔法ですか!?」
「そうだが」
「高位魔法じゃないですか!!あ、貴方は一体・・・」
「うるさい。例のドラゴンは目の前だぞ」
「え」
そう言われ、男が振り向く。
「なぁっ!?」
そして驚きのあまり腰を抜かし、その場に座り込んだ。
洞窟の天井までの高さは10m程だが、その怪物はその半分程の大きさを誇っていた。ゴツゴツした岩が全身を覆い、長い牙が口からはみ出している。
翼は無いが、魔物の中でも突出した戦闘力を誇る『ドラゴン』がそこに居た。
「うわあああっ!!なんでこんな場所に・・・!?」
「ほら、これを使うといい」
「か、刀!?」
あまりの恐怖に震え上がっている男に、スクードはエリィから受け取った刀を手渡した。
「か、勝てるわけがない!!」
「少しは援護してやる。本当に素材が欲しいのなら、死ぬ気でこの大蜥蜴を討ち取ることだ」
「グアアアアアアッ!!!」
「ひいっ!?」
ガイアドラゴンが吠えた。鼓膜が破れそうになる程の大気の振動。耳を押さえてうずくまる男に比べ、スクードは表情一つ変えずにその場で立っている。
「もう駄目だぁ!!」
「トドメの一撃は任せるぞ」
「え────」
巨大な爪が振り下ろされる。それが直撃すれば、彼らの身体は簡単に引き裂かれてしまうだろう。
直撃すればの話だが。
衝撃が地面を揺らす。
ガイアドラゴンの爪がスクード達を引き裂くことはなく。それは、スクードの目の前に展開された何かによって防がれていた。
「な、何を・・・?」
「魔導障壁を張っただけだ」
自慢の一撃を防がれたことに怒ったのか、再びガイアドラゴンが爪を振り下ろす。しかし、何度攻撃してもスクードが展開した障壁を破ることは出来ない。
「グアオオオオオオオッ!!!」
「ブレス・・・!?」
余裕を崩さないスクードに対し、ガイアドラゴンの怒りが爆発する。一気に空気を吸い込み、あらゆるものを破壊する光線の如きブレスを、スクード目掛けて放った。
「フレアウェイブ」
だが、それでもスクードには届かない。彼が軽く放った炎魔法とブレスが激突したが、拮抗すらしなかった。一瞬でブレスはかき消され、炎の波がガイアドラゴンの身体を焼く。
「グオオオオオッ!!!」
「ほら、何をやってる」
「・・・」
座り込んだままぽかーんとスクードを見つめる男。彼の反応は当然のものであった。一匹で街を壊滅させることが出来ると言われているドラゴンが目の前に居て、さらにそのドラゴンを圧倒する青年までもが目の前に居る。
「君は一体・・・」
「ただの鍛冶屋だ」
「・・・」
男の脳内に、とある男の話が浮かんだ。
三年前に世界を襲った魔王を討ち取った、伝説の四人。その中で最強と言われた『魔人』の話を。
「君はまさか・・・」
「グアアアアアア!!!」
咆哮が嵐となって二人を襲う。瀕死寸前にまで追い詰められたガイアドラゴンは、最後の力を振り絞って二人に迫った。
「あんた、腕はいいのに臆病過ぎだ。このまま俺がトドメを刺しちまっていいのか?」
「くっ、あああああ!!!」
もう男は逃げなかった。恐怖を誤魔化す為に叫び、迫り来る巨体に刀を振り下ろす。
「ギイ──────」
スクードの魔法で身を焼かれたガイアドラゴンの皮膚は、男の一撃であっさりと切り裂かれる。それが致命傷となり、大量の血を撒き散らしながら、ガイアドラゴンは呆気なく地に伏した。
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「うし、完成だ・・・」
出来上がった渾身の一振りを見て、スクードが満足そうな表情を浮かべる。いつもよりも時間をかけて完成させた刀は、とても美しく輝いていた。
「すごい・・・前と全く同じ状態だ」
「名前は自分で考えろ。これからはあんたの刀だ」
「・・・」
出来上がった刀を受け取った男の瞳に涙が浮かぶ。
「本当に、本当にありがとうございます!!」
「最後に勇気を見せたあんたに負けてはいられないからな。これまで打ってきた中でも最高クラスの出来栄えだ」
そう言ってスクードが少しだけ口角を上げる。それとほぼ同じタイミングで、入口の扉が開いた。
「・・・次の客が来たようだ」
「そうですね。あの、最後に一つだけ教えてもらえないですか?」
「ん?」
「今、俺の目の前に立っている男は、伝説の魔人・・・なんでしょうか」
それを聞いたスクードは、
「ふっ、どうだろうな」
そう言って、不敵な笑みを浮かべた。