5月8日『灰の死神』
「ねえねえリティアちゃん、今日の夜暇だったりしない?」
「い、いえ、暇じゃないです」
「じゃあ明日は!?」
「うっ、暇じゃないです・・・」
「んじゃあ明後日────」
「朝っぱらから何をやってんだこの馬鹿!!」
「いてえっ!?」
ギルドの受付前で大きな音が鳴った。
受付嬢のリティアを口説いていたラグナの頭を、後ろからユーリが殴ったのだ。
「何すんだよ!」
「困ってるでしょうが!それに、他の人達も受付に来るんだから邪魔になってるでしょ」
「くっ、じゃあまた後で来よっと」
「しつこいわ!」
「いだいっ!髪の毛引っ張んなって!」
髪を掴んでユーリがラグナを引き摺っていく。最早その光景も王都では日常となっており、『お馴染みの夫婦漫才』と噂になっている事を二人は知らない。
「ほんと、目を離せば誰これ構わず声を掛け回って・・・!」
「別にいいじゃんよ。流石に過保護過ぎなんじゃねぇの?」
「うっ・・・」
「思うんだけどさ、俺が女の子に声を掛ける度に突っかかってくるけど、当然立派な理由があるんだよな?」
「そ、それは・・・」
初めてラグナにそんな事を言い返され、ユーリが言葉に詰まる。
「あーあ、昔はそんな暴力的じゃなかったのになぁ。何がお前を変えちまったってんだ」
「うぅ・・・」
珍しく何も言い返してこないので、ラグナは少しだけ疑問に思った。
「どうした?いつもならうっさいわね!って言いながらぶん殴ってくんのに」
「そ、そんな事してないし!」
「俺さ、1日10回は地面にめり込んでる気がするんだけど」
「き、気の所為じゃない?」
「お前なぁ・・・」
ユーリがラグナに背を向ける。そんな彼女を見ながら何かあったのだろうかとラグナが思った時、彼はとある魔力を感じ取った。
「・・・これは」
「な、何?何かあったの?」
「なんかヤバそうなのが来てんな。殺気を隠そうともせずによ」
そう言うラグナの視線の先、道の真ん中をフードを深く被り、マントを着た謎の人物が彼らに向かって進んできている。
「魔物・・・じゃなさそうだな」
「え、ちょっと、あの人とあたし達って関係ないよね?」
「いやあ────」
空気の流れが変わる。それと同時にラグナが聖剣を鞘から抜いた。
「関係大ありみたいだぜ?」
「っ、速・・・!」
ユーリの目の前でラグナが受け止めた漆黒の凶刃。ほぼ一瞬でフードの人物が彼らの眼前に移動し、そしてユーリにダガーを振り下ろしたのだ。
「さて、ボロマント。一体俺達に何の用だ?」
「・・・」
「なんか喋れよおい」
聖剣を振るい、ラグナがフードの人物を吹っ飛ばす。そして魔力を聖剣に纏わせた。
「ユーリ、気をつけろ。あのボロマント、やばいレベルの強さだぞ」
「そうみたいね」
離れた場所でダガーを構えたフードの人物を見て、ラグナとユーリが戦闘態勢に入る。そんな彼らの周囲には、いつの間にか野次馬達が続々と集まってきていた。
「何呑気に観戦しに来てんだよこの人達は!」
「まずい、来るわよ・・・!」
恐らく、何の躊躇いもなくフードの人物は周囲の人々を殺すだろう。それが分かり、二人が何とかして人々を逃がそうと考えた瞬間。
「ふむ、どういう状況だ?」
「スクード・・・!」
周囲の人々が一斉に消えた。そして入れ替わるようにスクードが現れる。
「ちょ、みんなは?」
「眠らせて別の場所に転移させた」
「はー、相変わらずとんでもねえな」
「それで、あいつは何者だ?」
「知らん」
「そうか」
状況は全く理解出来ていないが、スクードは持っていた袋を地面に置いて二人の前に立つ。
「何その袋」
「エリィに美味いものを食わせてやろうと思ってな。少し高めの買い物を済ませて家に戻る途中だったんだ」
「あらまあ、良いお兄ちゃんねぇ」
「うるさい。取り敢えずあいつを取り押さえればいいのか?」
膨大な魔力がスクードの身体から解き放たれる。しかし、それを身に受けてもフードの人物は逃げようとしない。
「・・・ただの雑魚ではなさそうだな」
「そうだな・・・って、来てるぞ!」
「チッ」
スクードが手の平に魔力を集め、猛スピードで迫って来るフードの人物に向けて放とうとした。
しかし、その直前にフードの人物の身体は黒い霧となり、スクードの背後に流れていった後に再び人の形へと変わっていく。
「っ、これは・・・」
それを見たスクードはとある人物の姿を思い浮かべた。同じダガーを使い、今のような術を駆使して戦っていたとある人物の姿を。
「あぶねえ!」
金属音が鳴り響く。スクードの背中目掛けて振り下ろされたダガーを、咄嗟にラグナが聖剣で受け止めたのだ。
「大丈夫か?」
「・・・別に、今のは俺だけでも防げたぞ」
フードの人物がスクード達から距離をとる。
「ほんと、何なんだろうなぁ」
「まだ気付いてないのか?」
「何が?」
「おい、〝灰の死神〟。いつまで正体を隠すつもりだ?」
「「っ!?」」
その言葉に一番驚いたのはラグナとユーリ。〝灰の死神〟と呼ばれた人物はしばらくスクードを黙り込み、そしてゆっくりとフードをとった。
「・・・よく気づきましたね」
「どういう事だ、シルヴィ」
「別に、貴方に教える事など何も有りませんよ」
そう言ってダガーを構えたのはエリィ達に引けを取らないレベルの美少女。髪型はショートボブ、そして右目は灰色の髪で隠れて見えないが、彼女が何者なのかはスクード達が最も理解出来ている。
『灰の死神』
かつてそう呼ばれていた最恐の暗殺者。
そんな存在が、殺意を剥き出しにしながらスクードを睨み付けていた。
「ち、ちょっと待って!なんでシルヴィが・・・!?」
「うおおっ、前よりもっと可愛くなってるじゃんか!」
「言ってる場合かッ!」
いつものように馬鹿な事を言ってユーリに殴られたラグナを見て、シルヴィが表情を歪める。
「・・・不快ですね」
「あん?」
「顔を見るだけで吐き気がします。今すぐ私の前から消えて崖上から飛び降りてミンチにでもなって死んで下さい」
「うっひょお!前より言う事がえげつなくなってるね!」
何を言われてもラグナは傷つかない。それどころか興奮気味に笑いだす始末である。そんな彼を見ながらユーリはため息をついた。
「くだらない会話はもう終わりだ。シルヴィ、こうして会うのは三年ぶりか」
「さあ?そんな事は覚えていません」
「何が理由で今俺達の前に立っている」
「言ったでしょう?教える事など何もないと」
睨まれながらそう言われ、スクードが若干落ち込む。
「ユーリ、シルヴィが俺の話を聞いてくれない」
「あーはいはい、落ち込まないの。でも変ね。あのシルヴィがスクードに対してそんな事を言うなんて」
「心当たりは無いが、嫌われたんだろうか」
「いや、多分違うと思うけど」
灰の死神シルヴィ。かつてスクード達と共に旅をして、そして魔王を打ち破った英雄の一人。しかし、何故彼女は仲間であるスクード達に殺意を向けているのだろうか。
「取り敢えず事情を聞く為には、申し訳ないけど取り押さえるしかないかもね」
「そうだな」
スクードが魔力を纏う。同時にユーリとラグナも戦闘態勢に入った。
「・・・いいでしょう。こうして私が此処に立っている理由、それは説明しておきましょうか」
「ん?」
「貴方達を抹殺する為です・・・!」
シルヴィの姿が消えた。
しかし、実際には消えた訳では無い。恐るべき速度で移動する彼女を全員が追いきれていないのだ。
「チッ、速いな」
咄嗟にスクードがドーム状に障壁を展開する。
「遅いですね」
「うおっと!?」
だが、シルヴィは障壁が展開されるよりも速く三人に接近していた。背を向けているスクードを狙って彼女は勢いよくダガーを振り下ろしたのだが、先程と同じようにラグナが聖剣で受け止める。
「この・・・!」
「ふふ、その程度のスピードでどうやって私を取り押さえるつもりなのですか?」
ユーリがシルヴィに手を伸ばすが、腕を掴んだと思った時には既にシルヴィは近くの家の屋根の上に立っていた。
これこそが彼女の一番の武器。
暗器を駆使して繰り出される暗殺術も驚異だが、何よりも恐ろしいのは彼女の移動速度である。
彼女に狙われたターゲットは、自分が何をされたのかも分からずに絶命する。確実に相手の命を絶つ暗殺技術と四英雄の中で最速のスピード。それが合わさる事で、彼女は三人の英雄を圧倒してみせた。
「・・・仕方ない。仲間相手に魔法は使いたくなかったが」
だが、まだスクード達も何かをした訳ではない。
最初に動いたのはスクード。彼が空に拳を掲げた直後、雷がシルヴィ目掛けて落ちてきた。
「当たりませんよ、そんなもの」
「ふむ、そうか。なら当たるまで放ち続けよう」
勿論手加減はしているが、一撃でも当たれば全身が麻痺して身動きが取れなくなるだろう。シルヴィもそれが分かっているので、自分目掛けて落ちてくる雷全てを目にも止まらぬ速度で回避する。
「そこだっ!」
「無駄です」
その隙を突いてユーリがシルヴィを取り押さえようとするが、それよりも早くシルヴィがユーリの腕をダガーで切り裂く。
「いったぁ・・・!」
「ユーリ、大丈夫か!?」
「うん、深い傷じゃないみたい・・・」
ラグナがユーリに駆け寄り、腕から流れ出る血を自分の服で拭き取る。そして怒りながらシルヴィに顔を向けた。
「いくらシルヴィちゃんでも許さんぞこら!」
「不快です、死んで下さい」
「メンタル折れそう」
「貴方程度、殺そうと思えばいつでも殺せるんですよ?実力の差というものをいい加減理解して頂けると嬉しいのですが」
「はっはっは!俺馬鹿だからそんなの理解出来ねーし、殺さないのはシルヴィちゃんが優しいからじゃねえの?」
「吐き気がしますね」
瞬間移動と言っても嘘には聞こえない程の速度でシルヴィがラグナとの距離を一気に詰め、そして全く反応出来ていない彼の喉元目掛けてダガーの先を突き出す。
「・・・成程、魔力を解析し続けてようやく分かったが、何者かに操られているようだな」
「っ!?」
しかし、ラグナの前に展開された障壁にシルヴィの突きは弾き返された。
「え、操られてるって?」
「ああ、かなり高位の洗脳魔法をかけられている」
そう言ってスクードがシルヴィの背後を睨む。
「居るんだろう?隠れて見学してないでそろそろ姿を現したらどうだ」
「・・・いやぁ、やはり気付かれたか」
何も無い場所から突然白衣を纏った男が現れ、スクード達を見ながら楽しげに笑った。
「お前、ベルゼーと一緒に居た男か」
「久し振りだねぇ魔人スクード。後ろの二人は初めましてかな?」
「おいスクード、誰だこのおっさん」
「おっさんではない!私はドクター・ロード、偉大なる天才科学者だ!」
「チッ、生き延びていたのか」
「残念だったなぁスクード。君の魔法じゃ私を殺せなかったみたいだ」
「・・・今殺そう」
「それは無理だ」
スクードが魔法を放とうとした時、シルヴィがロードの前に立った。これではスクードも攻撃する事が出来ない。
「うーん、良い子だよこの死神は。私の命令を全て聞いてくれるからねぇ」
「お前程度の実力者がどうやってシルヴィに洗脳魔法をかけた。普通なら発動前に殺されるだろう?」
「残念だけどそれは言わない。ま、君達を殺せと彼女に命令したのはこの私だという事は分かっておいてくれてもいいよ」
「いい加減にしろよお前。魔王亡き今、一人で何をしようとしているんだ?」
「ははっ、何も知らない凡人共には何も教えてやらないさ」
ロードが魔法を発動する。その魔法が転移魔法である事はすぐに分かったが、ロードの前にはシルヴィが立っているのでスクードは魔法を放てない。
「今日は大人しく帰るとしよう。まあ、時間はたっぷりあるから嫌という程死神を使って君達を殺してみせるさ」
「待て!!」
「ハハハハハハハハッ!!!」
光がロードとシルヴィを呑み込む。やがて二人はスクード達の前から姿を消した。