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お母さんから「あがってよ」と言われて断りきれずに久しぶりの実家にあがった。
懐かしい壁、天井。
壁には私が描いた絵がまだ飾られていた。
それを見てると切ない気持ちになった。
お父さんはご機嫌だった。
お母さんにビールを持ってこさせると、乾杯をした。
お父さんからはいろいろと聞かれた。
仕事の内容とか、収入とか、まるでお婿さんを迎えるかのようにいろいろと聞かれた。
私は素直に受け答えした。隠しても仕方ないからね。
誠一郎の彼氏としての資質を試されているのであろう、この試験をクリアしなければ先へ進めない。
とうとうお父さんは、
「うちの会社に来て働いてみないか」
と言い出した。
後継者でも欲しいのであろう。
そして私は誠一郎の彼氏として認められることになったのだと気づいた。
職を変える……か。考えたこともなかったな。この九ヶ月間、目の前のことをただ必死に追いかけるばかりの日々だったから、そんなことは思ったりもしなかった。
でも、ここでお父さんの会社に移動するってことは、イコール婿候補ということで……私は構わないが、誠一郎はどうだろう?
誠一郎の顔を伺ったが、話を聞いていなかったようだ。
「倉田さん、そのお話、信じてもいいんですよね?」
「あぁ、もちろん。酒の席だろうと言ったことには責任を持つ、俺は本気だよ」
「だったら少しだけ考えさせていただけませんか?本気で」
「あぁ、いいさ。悩んで決めてから連絡をするといい」
お父さんは立ち上がると名刺を持ってきて俺に渡した。
「いつでも電話しなさい」
◇
「――ってお父さんが言ってたんだけど、誠一郎はどう思う?」
「どうって?」
「私、認められたのかな?仕事のことも本気だったみたいだし……」
「いんじゃない?うちにきて働いても」
「でも、イコール婿入りってことになったら……」
「俺はそれすごく賛成。婿入りいいじゃん」
「そんな簡単なことなのか?」
「うん、だって俺は沙織が好きだし――」
「好きがいつまで続くかわからないのに?」
「それは――」
誠一郎が言葉に詰まった。
「だろ?」
「でも、うちの仕事するってだけでもメリットはあると思うよ」
実際、お父さんが言ってきた額はいままでの一点五倍増しだった。今の会社よりはるかにメリットがある。
「転職か……」
確かに今を逃すと年齢的にも厳しくなっていく。
「転職、するかな」
私はそう結論を出した。
「今年度までは今の会社にいるよ。それでお父さんが良ければ、そっちに行くかな」
誠一郎はうんうん、と目を輝かせて言っていた。
◇
誠一郎に手作り料理を披露するときがやって来た。
去年からの約束。お正月が明ける前に済ませてしまおうと思った。
午前中から買い物に行ったりして忙しかった。
メニューはミネストローネ、鶏のローストバジルソースかけ、サラダだけにした。実際そこまで料理に自信はなかったから。
まずはミネストローネを仕込むところからだ。
セロリがポイントになるこの料理は具材を同じ大きさに揃えることが必要とされる……が、バラバラだった。
まあ、いいか、と鍋蓋を閉めて煮込み始めた。
鶏肉のローストはそのままローストして、作っておいたバジルソースをかけるだけだ。
鶏肉のローストの下準備ができた頃に誠一郎がやって来た。
「なにこれ、すごい旨そうな匂い!!」
「まだもう少しかかるからゲームでもしてて」
「えー。俺もなんか手伝いたい……」
そう誠一郎が言うので仕方なくミネストローネを混ぜる役目を与えた。
「うぉ、これ、なに?すごくいい匂い」
「ミネストローネだよ」
「ミネストローネか……これ、お母さんにも食べさせたいよね」
「まあ、確かにうちでミネストローネが出たことはなかったけど……」
じゃあ、とタッパーにこわけして入れた。
チキンが焼き上がり、バジルソースを回りにかける。
ちょっと本格的な料理に見えただろう。
私は大満足だった。




