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誠一郎の言う通り、日帰りで行くと言ったら、微妙な顔をしながらも父は許可してくれた。
母は、
「じゃあ、なんか手土産持っていかないとね!」
と、微妙に気合いが入っている。
俺は喜んで父に抱きついた。
父は目を白黒させながらも嬉しかったらしい。
ただ、一つだけ懸念事項があった。
それは、PTSDのことだった。
電車で行くということは、人が多い中に行くということ。そうすれば、誰かを見て発作を起こす可能性があることだ。
「本宮さんが一緒にいるなら大丈夫だとは思うけど……」
母が語尾を濁した。
俺は思いっきり笑顔を作ると、
「大丈夫!心配ないって!」
と母を宥めた。
急いで沙織に電話をする。
まだ仕事中か、ジムにでも行っているのか、電話に出ない。
俺の中では嬉しすぎてすぐにでも報告したいのに。
少しイラッときた。
それから二時間くらいして、沙織から連絡があったが、俺は明らかに不機嫌だった。
『ごめん、会議が長引いちゃって』
そう言う沙織に仕方ないか、と思いつつ返事をする。
日帰りなら行ける、と言ったら、
『そっか、よかったね!』
と言われて少し機嫌が戻った。
「手土産って何がいいのかな?」
母に相談する。
「そうねぇ、ケーキとか、そういうもの……でも混んでたら崩れちゃうし……焼き菓子とか、どうかしらね?」
「焼き菓子?クッキーとか?」
「そうそう、マドレーヌとかね」
「私、自分で作って持っていこうかな?!」
「沙織に焼けるの?」
くすくすと笑う母に
「焼き菓子くらい焼けます!」
と言い切ってしまった。
言ったからには実行しなければ。俺はネットでクッキーの焼き方を調べた。
いくつもレシピがあり、どれにするべきか迷う。
チョコチップ入りのものもあれば、ココアパウダー入りのものもある。
いくつものレシピを見て、結局バタークッキーにした。
材料を揃えるべく台所に向かう。
母が米をといでいた。
「あら。レシピは決まったの?」
と、母。
「うん。一番簡単そうなのにした」
それから砂糖や小麦粉の量を確認して、足りないものをメモしていった。
実家に帰るのは年末の31日にしたので、まだ日数は少しある。
一度作って食べてみてから、30日にもう一度作るか。と俺は思った。
明日、バターを買ってきて早速作ってみることにした。
◇
近所のスーパーにバターとバニラエッセンスを買いに行った。
そこで相原に会った。
「久しぶり」
「うん、久しぶり」
「安野さんとは……うまくいってるの?」
「うん、まぁね……このあと、時間があるならカフェでも寄っていかない?」
「え?いいけど……」
というわけで、今カフェにいる。
「ホットコーヒー、2つ」
メニューも見ずに、しかも俺の希望も聞かずにいきなりそれかよ!
「ホットコーヒーでよかったよね?」
順番逆じゃん!まぁ、コーヒーは好きだからいいけど。
「久しぶりにゆっくり話せるね」
と言う相原。頷く俺。
「前のこと、謝ろうと思ってて、ずっと言いそびれてたの」
「?」
「安野に中身が女の子だっていってからかったこと」
「あぁ……」
あったね、そんなこと。永澤の一件ですっ飛んで忘れてたけど。
相原はずっとそのことが頭に引っ掛かっていて、それで俺から離れていったらしい。
「謝るなら、私じゃなくて彼の方に謝って……」
「会う機会もないもの。沙織から伝えておいてくれない?あのときは、ほんっとうにごめんなさい、って」
「それもそうだね」
「ところで本宮さんと付き合い始めたって?」
「安野さんから聞いたの?」
「うん。彼ね、本宮さんのこと、ホントに尊敬してるの。だから、私も、なんか悪いな、と思っちゃって。ずっと言えなかったんだけど……ホントにごめんなさい」
「わかった、誠一郎には私から伝えるよ」
こんがらがっていた糸が、一つほどけていった。




