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父が言うこともごもっともだった。
娘を危険な目に遭わせた超本人だからである。
しかし、父は忘れていた。それを最も早く迅速に救いだしてくれたのも沙織だということを。
永澤があんなやつだとは思いもしなかった。今、思い出しても寒気がする。これって、俺だからまだこのくらいの恐怖感で済んでいるけれど、本物の女の子だったら、トラウマになって、男性恐怖症になってもおかしくないな、と思った。
あの部屋に貼られた写真の数々。捨てたはずのゴミたち。まさに、狂気だった。あれで人のことを愛してるだなんて、ちゃんちゃらおかしい。そんな歪んだ愛情を誰も止められなかったのか。
俺はアパートに帰ってきてようやく気持ちの整理がついてきた。
「沙織。帰るぞ」
父はぶっきらぼうにそう言うと車に向かった。
「わたし、今日、泊まっていく」
父にそう言うと、父はかんかんに怒り出した。さすがに沙織もそれは無理だと思ったのだろう、
「今日はいろいろあって疲れているんだから、帰ってよく休みなさい」
「いやだ。帰らない」
俺が言うと、母が俺のそばに来て言った。
「ちゃんとよく休んで、明日会えばいいじゃない?」
「でも、初めてのクリスマスイブ……」
父が怒鳴った。
「沙織にはもう、会わせない!」
すると母がきっちり言い返した。
「でも、沙織を助けたのも本宮さんでしょ?」
そして続けた。
「もし、あのとき、沙織が一人でいたとしたら、誰も沙織を助けられなかったかもしれない。そうでしょう?あなた」
俺は母に感謝した。
やっぱり母は俺のことを一番わかってくれる人かもしれない。
「だけど、今日は家に帰りますからね」
と付け加えたように俺に言った。
「えっ、でも、初めてのクリスマスイブくらい一緒にいたい……」
そういう俺に、沙織が言った。
「クリスマスイブなら、来年だってあるから。明日、美味しいもの食べに行こうよ。ね?」
俺はその一言を聞いて諦め、実家に帰ることにした。
車に乗り込む俺に小さく手を振った沙織。そんな沙織が見えなくなるまで、俺は後ろを向いて手を振り続けた。
◇
翌日、クリスマス。
母が沙織のところへ行ってもいいと許可を出してくれたので、いそいそとファッションショーを繰り広げた。途中から母も加わって、楽しく服を選んだ。
まるで昨日のことがなかったかのように。
それでもときどき思い出して、永澤がいないか、家の周りを見回してしまったりした。
そんな俺に母も気づいているようで、そっと手を握りしめてくれた。
沙織が迎えにきた。
今日は一日中一緒にいられる。
母が玄関先まで見送りにでてきてくれた。
「本宮さん、沙織をよろしくお願いしますね」
「はい!」
沙織は大きな声ではきはきと答えた。
とりあえずタクシーを拾うと、先に俺が乗り、沙織があとから乗った。
ところが、走り出してまもなく、俺は過呼吸の発作を起こした。
一旦タクシーから降りると症状は治まった。
再びタクシーに乗ると、また同じ症状が。
仕方ないので近くのバス停まで行って、そこからはバスで移動した。
「これって、やっぱり……」
俺が言うと、沙織が、
「トラウマ……かな」
と呟いた。
確かに昨日も同じような症状でタクシーには乗れなかった。
そういえば、拉致されたときにタクシーに乗り込んだな……とふと思い出していた。
「明日、心療内科にいってきてごらんよ」
沙織は言う。
「そんな、大したことじゃないって」
と言って歩き出した。
前方に永澤似の男が歩いているのを発見する。
また過呼吸の発作が起きる。
やっぱりトラウマになっているのだ。
俺はなんでもない、大したことじゃないって思っているのに、身体が言うことを聞かない。
それは体験したものにしかわからない、恐怖というやつだった。




