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俺は沙織を残して、どんどん道を進んでいった。離そうにも、腕をがっちり掴まれて離せない。
最後の手段だと思い、大声で助けを呼ぼうとした。そのとき、首筋になにか冷たいものをあてられた。
ナイフだ。
「大声だしたらこの場で首を掻き切るぞ」
永澤の抑揚のない一言で俺は黙ってしまった。
こいつ、本気だ。
背筋を冷たい汗が流れていく。
片手で俺のバッグをまさぐると、携帯を取り出した。
携帯は鳴っていた。その着信音は沙織からのものだった。
永澤は一方的に電話にでると、そのあと電源を切ってしまった。
俺は、逃げられない……そう思った。
いや、もしかしたら逃げることはできたのかもしれない。だが、そのときはパニックしていて、とてもそんなことを考えている余裕はなかった。
永澤は街をでて、歩いていく。途中でタクシーを捕まえた。
「楠の楠クリニック前まで」
と永澤は言い、片手にナイフを握りしめていた。
俺は変な汗ばかりかいていて、身体中がとても寒かった。外が寒いからじゃなく、心が冷えて固まっていくような感じがした。
とにもかくにも、余裕がなく、道がどこを通ったかすらわからなかった。タクシーは三十分後ほどで目的地に到着した。
それからまたさらに歩いて……
とあるマンションの前で永澤は立ち止まった。
寒さと恐怖で歯をガチガチならしている俺を見つめると、
「行こう」
と永澤は言った。
周りでは車の音などが聞こえていたが、今、聞こえるのは自分の鼓動だけだった。
トクン、トクン。
しっかり鼓動が聞こえる。
永澤に最後の抵抗を試みた。そのとき、ナイフが顔を掠めた。俺は叫ぼうとしたが、口を塞がれ、そのまま一室に連れていかれた。
その部屋の中をみてぎょっとした。
なにこれ……俺の写真……?
俺の写真とおぼしきものが部屋中に張り付けられていた。こんな写真、いつ撮ったかな?と思うものからプリクラまで。
俺の顔から血の気が引くのを感じた。
「驚いた?よく集めたでしょ?」
永澤はにこやかに笑いながら俺の両手にロープをかけた。幸いなことに足は自由だった。
「足はトイレにいきたくなったら困るでしょ?」
極めて紳士的対応であると言いたいらしい。
「この部屋は防音だからね、何をしても聞こえないよ」
永澤はそう言うと台所に立った。
「沙織さん……いや、沙織はコーヒー好きだよね?」
「なんでこんなことするの?!」
「沙織のコーヒーは砂糖が二杯……だよね?」
「なんでそんなことまで……」
「なぁに、ちょっと好きな人を調べただけのことだよ。さ、コーヒー飲みなよ」
俺は断固としてコーヒーを飲まなかった。
「変な薬とか入ってないから、ほら」
と、永澤がコーヒーを一口飲んで見せた。
俺は長丁場になることを予測して、コーヒーを飲むことを決めた。
コーヒーを飲んでいると、永澤の自慢話が続いた。
それは俺に関することばかり、なぜそんなことを知ってるの?ということばかりだった。
永澤のコレクションも見せられた。
俺の髪の毛とおぼしきものから、使用済みナプキンまで、こと細やかに見せてくれた。
ここまでのストーカーだとは思いもしなかった。だって、出会ってまだ数日しか経っていないのに、変だ。
そのとき、永澤が語り始めた。
◇
俺が沙織を見つけたの十月三日だったよ。
偶然同じ電車に乗ってきて、これは運命だ、とすぐにわかったんだ。
その日から俺はいつも沙織のそばにいた。
あのくそ男と一緒の時もだ。
沙織をあいつの魔の手から救ってやれるのは俺しかいない、と思った。
十二月に入り、クリスマスモードに入ってきたときに、あの合コンを計画したのは俺なんだ。
うまいことやって、由美子ちゃんと仲良くなって……これには相当な時間を要したよ。
そしてあの合コン……沙織にはきつい思いをさせちゃってごめんな。ああいうこと、苦手だよな?
それからもずっと俺は沙織だけを見てきた。わかるだろう?運命だ!運命的な出会いだったんだ!
沙織もそう思うよな?
あんなやつと一緒にいて、幸せだなんて思わないだろう。顔も年齢も、圧倒的に俺のほうがいい。思い知ったか!!本宮誠一郎!!俺勝利だ!
◇
俺はそれを聞きながら、吐き気を催した。すぐにゴミ箱が手渡され、周りは汚さずにすんだが、そんなに前から狙われていたなんて……
思うだけで頭痛がした。




