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私は出勤すると、今まで以上に仕事に勤しんだ。
安野に頼ることもやめた。
今日はパワーポイントの講座の日だ。
急いで職場を後にした。
講座を受けに来ているのは極端に若い連中か、はたまたお年寄りか、どちらかしかいなかった。
それはそうだろう。初級コースからの入会だった。
はっきり言って場違いだった。パソコンの電源を入れるところからの説明。これじゃいつパワーポイントに触れるかわからない。
クラスの変更を申し出た。だが、受付嬢はそれはできません、と言った。新しくクラスに入ることは出来るが、今回申し込んでいた今月分の講座の料金はそのまま払って、新しく入るクラスは追加料金になるという。当然そんなお金はない。誠一郎の小遣いに手を出せば簡単なことだけれど、ほんの一万くらいのことだけど、私には生活がかかっている。係長手当てなんて微々たるものだ。あてには出来ない。
仕方なく追加料金を払うと、明日からは中級者向けの講座に変えてもらった。
なんだか気が抜けてしまった。
それでも、翌日も会社は忙しい。決裁書類がたくさん溜まっていく。
会議資料の前に決裁をすることにした。
「なんですか、この書類は!こんなので案件は通りませんよ!やり直し!」
「平野、ここの数字おかしいぞ、もう一回チェックだ」
忙しくしている中、安野が外勤から帰ってきた。
とたんに畏縮する私。
黙って決裁を行っていた。
昼休みになり、いつものように屋上へ上がると、安野が座っていた。
私は事務室で食べようと、屋上の扉を開けかけた。
そのとき、安野が言った。
「先輩、お昼ご一緒しませんか?」
係長になっても先輩、先輩と慕ってくれる安野が好きだった。賛成はしかねるが、新しい恋路の邪魔をするつもりはない。
私は複雑な気持ちで安野の横に座った。
「先輩、傷ついてないか心配だったんです。もう会社に来ないかと思いました。」
だが、顔はにやついている。
「俺は先輩のこと、慕ってますよ。後輩として」
さらに歪んだ笑みを浮かべ、にじりよってくる。
に、逃げたい……私はそう思うと弁当箱を持って事務室へと戻った。
最悪な気分だった。
でも、誠一郎だけは守らなきゃ。そんな気持ちで一杯だった。恋とか、そんなのはわからない。だが、誠一郎だけには、普通の暮らしをさせてやりたい。そう思った。
帰り道、パワーポイントの講座に寄る。
今度こそは……
講座はバッチリだった。対策集とテキストまでもらえた。この対策集があれば、しばらくの間、誰にも迷惑をかけずに資料を作れそうだ。安心した。
その日も帰宅してから誠一郎に電話をかけた。これはもう、毎日習慣づいていたことで、何となくかけただけだった。
誠一郎は一回目のコールでは出なかった。二回目のコール、六回目でやっと出た。誠一郎の声は沈んでいた。
「なんで一度目で出なかった?」
『――別に』
「私から怒られると思った?」
『――まぁ、そんなとこ』
「安野から嫌味と言うか、からかわれた」
『やっぱり……』
「でも、無視してやった」
『そうなの?』
「私が知らぬ存ぜぬで通せば、他の連中に告げ口されたって、関係ない。そう思って。」
『なんか……ごめん……』
「で、だ。」
『うん?』
「誠一郎だけは守りたいと思う。」
『どうして……?』
「何て言うのかな、誠一郎は私の大事な家族なんだよね。だから傷つけたくない」
誠一郎は笑って言った。
『そんなくさい言葉なんて似合わないよ』
だけど誠一郎は泣いていた。
「好きな人、いるんだろう?相手は男か?女か?」
しばらく泣き止むのを待って誠一郎は答えた。
『男の人です』
その答えに胸がちくちく痛んだけれど、私は決めた。
「じゃあ、その想いを叶えるために頑張ろう」




