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リビングのソファーに座ると、俺は背筋を伸ばした。
「お父さん、会社うまくいってないの?」
「ん?うん……ちょっとな、融資先がね、揉めてね」
「だからこの家を担保に融資してもらうなんて、しかも返せる目処がつかないなんて、あんまりじゃない?」
母の言うことも一理ある。だが、そうしないと父の会社は潰れてしまうかもしれないという。
だったらやってみるしかないじゃない?
そう俺は思った。男だからこんな考え方になるのかもしれないけど、チャンスが一つでもあれば、そこに賭けてみたらいいと思うんだ。
「私、今月からお小遣いなしでもいいよ」
「バカね、そこまで切羽詰まる話じゃないわよ」
「うんうん、沙織の気持ちだけでお父さん勇気をもらえるよ。まだまだ会社は頑張っていくから、お前は何も心配せず、大学に行くんだ」
「お父さん……」
他人の俺が言うのもなんだけど、この家族は優しくて暖かい。この家族を壊すことなんてできない。
俺は強くそう思った。
とりあえず家は担保になるらしい。でも、この家にしがみつかなくても家族は家族。そう思えるようになっていた。
俺の家族は――
俺の家族は、母一人兄一人だ。母は女手一つで俺まで大学にいかせた立派な人だ。高校、大学と奨学金は借りたが、それでも女手一つでここまでやれた母ちゃんを俺はすごいと思っている。ちなみに兄は優秀だったため、東都銀行の社員である。
俺は中学のころから対人恐怖症気味なところがあり、いつも教室で本を読んでいた。
勉強もそれなりにした。
だから、高校もそれなりのところへ行き、大学もそれなりのところへ行き、決して大企業とは言えない日大ハムに勤めた。兄貴とは雲泥の差だった。
その差があってか、いつの間にか兄貴が実家から勤務していたため、俺は独り暮らしを始めた。
別に兄貴に反発してるわけじゃないけど、何となく、帰れなくなっていた。
そんな俺に家族の暖かみを再度教えてくれたのは沙織の家族だった。
俺は一気にいろいろなことを思い出して涙がとまらなくなった。
そんな俺を慰めてくれたのも、沙織の家族だった。
「ごめんね、沙織……」
「家が変わったってお父さんはお父さん、なにも変わらないからね」
母は俺にティッシュをとってくれた。
それで鼻を拭うと、とてもすっかりした気持ちになった。
清々しい気持ちだ。
「じゃあ、私、上に行くね」
と返事をして二階へとゆっくり登った。
そして気づいたのが着信履歴。一時間前から、ほぼ五分おきくらいに沙織から電話が鳴っていた。
いやな予感がした。
「誠一郎、裏切ったな?」
電話をとって最初の一言目がそれだった。
「相原に私とのこと、しゃべったな?」
あっ、しゃべった……
「私は明日からどの面下げて会社に行ったらいいのよ?!」
「ご、ごめんなさい……」
「ごめんで済むなら警察はいらない!」
「でも、じゃあ、どうすれば……」
「今さらフォローなんてできはしないよ!私は明日からバカ面さげて中身は女の子なんですぅ〜って出勤しなきゃいけなくなったのよ?」
「……ごめんなさい」
「それで?入れ替わった話はしたの?」
「してない……」
「ほぅ、自分だけは助かろうって魂胆なんだね」
「そんなこと……そんなこと思ってない」
言ってて自分のした過ちがどんなにひどいことかわかってきた。
俺はなんてことを軽はずみにしたんだろう……そもそも、好きな人がいるんだって、で止めておけば、女の子だってわかりはしなかったのに。
「私言っちゃったの。安野くんに。安野くんのことが好きだって」
「えっ……なんで?」
「思わず言っちゃったの!!」
「そんな……」
「私も軽はずみだった……でも」
「でも?」
「あんただけは死んだって守り抜くから、そのつもりで。ギブアップしないでよ、倉田沙織さん――」
それだけ言って電話は切られてしまった。
俺になすすべはなかった。




