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私は一人じゃない。誠一郎がいつもそばにいる。
そう思っただけで勇気が湧いた。
安野はいつも一緒にいてくれる。ジムも一緒になったから、ほとんどの時間を私と過ごしている。
それでも、安野の気持ちがここにないことはわかっている。
安野はいつも口癖のように、
「沙織ちゃんは今なにしてるんでしょうか……」
と口にした。
メールはそこそこにやり取りしているようだったが、ラインはつないでいないらしい。
私はそれを誠一郎から聞いて知っている。
安野はなにも知らずに口癖のように繰り返した。
「沙織ちゃんは今なにしてるんでしょうか……」
「そんなに気になるならメールしてみれば?」
と言うと、安野は
「今はまだ授業中でしょうから、お昼休みにメールしてみます」
と返事をした。
この会話が日常になりつつあった。
最近では私もそこそこに敬語を使えるようになり、周囲からの訝しげな目もずいぶん減った。
目に見えて痩せてきたし、係長からは
「お前、癌だろ」
とか言われる始末だった。
私はやんわりとそれを否定した。
以前の私だったら突っかかって文句の一つでも言うところだが、今はずいぶん大人社会のこともわかってきて、それはしないでおいた。
宮本さんはいつも変わらず私にいろいろ教えてくれる。
腹筋も二十回連続で出来るようになったし、それをワンセットにして三セットこなせるようになっていた。
私のお腹は見る見るうちに痩せていき、今は腹の上に少し肉が乗っている段階まできていた。体重は先月よりまたマイナス五キロ。これで十二キロほど痩せたことになる。
そのほとんどが腹の肉だったとわかったとき、私はジムに通って本当によかったと思った。
髪の毛もずいぶん伸び、今はスポーツ刈りのようなヘアスタイルになっている。坊主だったときは係長から散々言われて最悪だったけど、今はそんなことも気にならない。
痩せてきて、鏡を見るのも嫌ではなくなってきていた。
シャンプーもスカルプヘア専門のシャンプーに変え、毎日二回は確実に髪を洗うようにした。すると、臭いもほとんどしなくなってきた。
すべてが順調だった。安野のことを除いては。
◇
安野は悩んでいる様子だった。きっと誠一郎のことだろう。
「先輩、沙織ちゃんの好きな人って誰なんでしょうね……?」
「そんなの、沙織に直接聞けばいいじゃん」
「これ以上嫌われたくないんですよね……」
私はいらっときて言った。
「所詮その程度の想いってわけね……」
「それ、どういう意味ですか?」
「自分の気持ちも伝えず、あぁ、俺って可哀想って、そうやっていつまでも悩んでるのがぴったりってこと!」
かなり強い口調で言った。
「なんだって?!」
安野は立ち上がり私の胸ぐらを掴みあげた。
だが、ここは事務所だ。
周囲の目が痛い。
そのことに気づいてか、安野は一旦手を離した。
そして自分の仕事に没頭し始めた。
私も重い空気の中、仕事に手をかけた。
昼ご飯は別々にとった。
こりゃ相当怒らせたな……
でも、自分から動かないであれこれ悩む気持ちは私にはわからない。
そんなことなら最初から好きにならなければいいんだ。と思った。
私がこんな、男の身体じゃなければ、とっくのとうに話がまとまっていたはずだった。
しかし、自分は今は男である。それは越えられない壁である。
こんなことなら、安野を好きになんてならないようにすればよかった。
こんなに辛い思いをするのだったら、誰のことも好きにならなければよかった。
そう思いながら今日は残業もジムにも行かず帰宅した。
帰宅すると誠一郎が本を開いて勉強していた。
本から視線をあげると、
「珍しいね!こんなに早いなんて!塾サボっちゃうかな?」
とハイテンションで言ったが、私はそれを一喝した。
「塾に通わせてもらっているんだから、行きなさいよ」
しかし、今日の誠一郎は負けなかった。
「せっかく沙織が早いんだもん、なんか食べに行こう!そうしよう!」
私ははぁ、とため息をつくと、誠一郎と一緒に食べに出掛けたのであった。




