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伝票入力。
それが目下私の仕事だ。
目は疲れるけど、ただ入力していけばいいだけの簡単なお仕事です。はい。
安野が今日もにこやかに挨拶をしてくる。
私もにこやかにそれに返す。
朝礼で、今日何をするか報告する際にも、
「伝票入力です!」
と堂々と言えた。
驚きを隠せない周囲。私、なんか余計なこと言ったかなぁ……?
朝礼後コーヒーを飲もうと給湯室に向かった私の耳に、こんな話が流れてきた。
「本宮さん、今日ははっきり仕事しますって言ったよね!」
「昨日はコーヒーに砂糖とミルクをくれだなんて言って」
「朝の挨拶も元気よくて」
「なんか〜」
「「別人みたい」」
二人の女性社員が私の噂をしていた。
ノックする私。
おしゃべりがピタッと止まって、なに食わぬ顔でドアを開ける二人。
「コーヒー……あるかな?」
恐る恐る聞くと、片方が慌ててカップを出し、言った。
「本宮さん……どうぞどうぞ」
「お砂糖とミルク……ある?」
「ありますよー。棚のここにいつも入れておきますから、では!」
そそくさと消える二人。
「別人みたい……か」
焦りはしなかった。だって別人なんだから。
ただ、今まで誠一郎がどんな生活をしてきたのか、薄々感づいてきたのだ。
誠一郎は、挨拶も出来ず、仕事もそこそこにしかできず、係長から嫌われて、社内ではひとりぼっちだったということに。
「でも、私は負けない!」
給湯室で少し気合いを入れると、自分のデスクに戻った。
戻ると、書類が山積みされていた。
係長が、
「本宮、暇だろうからそれも入力しちゃってくれ。期限は今日一日だ」
一日でこんな量をどうしろというんだ。
カチンときた私は、
「今日一日でこの量は無理です」
と反論した。
係長の顔がみるみる驚きのいろになっていく。
そして、顔を真っ赤にして怒鳴った。
「残業してでも終わらせろ!」
安野が横から、
「後で俺も付き合いますから」
と言ってくれて、その場を濁した。
入力フォームがわからなかったため、安野に聞く。
彼は優しく教えてくれた。
そこからは時間との勝負だった。昼御飯も食べず、集中して仕事を続ける私に、安野が焼きそばパンと缶コーヒーを差し入れてくれた。
安野さん、優しいな……
安野がいたから、なんとか乗り切れる気がしてきた。
終業間近には、書類はほとんど残っていなかった。もちろん、安野の協力によるものだった。
係長が、ニヤニヤしながら、
「どこまで終わった?」
と聞いてきたときには、最終の伝票に取りかかっていた。
「これで終わりです」
係長の顔色が青ざめた。
「ば、ばかな。お前があの量を入力できるはずない」
「それはどういう意味ですか?」
イラッときた私は口答えする。
「いや、ま、終わったんなら……終わったんならいいんだよ、実に……いい……」
安野が小さくガッツポーズを決めた。
帰り道、自転車を押していると、安野が駆け寄ってきた。
「本宮さん、今日のはナイスプレイでしたね!」
「安野くんがいてくれたおかげだよ」
事実、入力の大半は安野がしてくれた。私は頭があがらないな、と思った。
「どうですか?一杯引っかけて帰りませんか?」
よくドラマで見たシーンだ。
普通なら
「一杯いっとくか!」
となるところなのだが、生憎今日はジムに行くと決めていた。
それを話すと、安野は少しがっかりしていたようだったが、いってらっしゃい、と快く私の背中を押してくれた。
私は安野にお礼を言うと、重たいペダルを漕ぎ始めたのだった。




