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俺は軽やかなステップを踏んでアパートへ向かっていた。手には買い物袋を揺らしながら。
今日は肉じゃがにするんだ。誠一郎の部屋を訪れるのは約一ヶ月ぶりだった。
彼女がいようと構いやしない。俺は親戚の妹分ということになっている。構いやしないだろう。
それに誠一郎の彼女にきちんと挨拶をしておきたい。
俺の勝手な恋心なんだから、気にされないほうがいい。
わがままなのはわかっている。だけど、今日は無性に誠一郎に会いたいんだ。
ラッキーなことに、梅雨で雨続きだった空は晴れており、まるで俺の心の中をお見通しのようだった。
アパートについて、まず俺は水を飲んだ。
なんだかんだ言っても緊張しているのだ。
今日は誠一郎にはアパートに来るとは連絡していない。
というか、一ヶ月まるまる連絡を取っていなかった。
急にきてたらビックリするだろうな……彼女も連れて帰って来るかもしれない。そしたらきちんと挨拶するんだ。
俺の心の中は期待で胸一杯だった。
沙織は定時あがりの時間に帰ってきた。
「おっ、何やらいい匂い」
と言いながら玄関からあがってきた。
「今日は彼女さん一緒じゃないんだ?」
「別れた。結局なにもなし」
沙織はネクタイをはずしながら言った。
「え?どうして?」
興味津々な俺。
「好きな人のことが忘れられないんだ」
「好きな……人?」
「誠一郎のことだよ」
俺は生唾を飲み込んだ。
「でも誠一郎今は彼氏がいるんでしょう?」
ドキドキしてきた。
「別れたよ……昨日」
「えっ、そうなの?なんで?」
心臓の音が周りに響いていないか不安になるほど高鳴った。
「私も前の彼氏が忘れられないんだって言って……」
「ホント?」
「うん、ホントのホント」
それを聞いて沙織が抱きついてくる。
「よかった……私、誠一郎がいなかったらどんなに苦しいか思い知ったよ……」
「俺も……。同じ年の彼氏、楽しかったけど、何故かいつも誠一郎と比べちゃってた」
「そうなんだ……」
しばしそのまま抱き締めあう。
あぁ、そうだ、この温もりが欲しかったんだ。
なんで俺は繋いでいた手を離してしまったのだろう?
そして俺たちは初めてのキスをする……
違和感を感じて唇を離す。
やった!
戻った!!
俺は久しぶりの俺の身体をなでさすりまくった。
沙織はなにが起きたかわかっていない。
本来あるべき自分の姿に戻った俺は、もう一度、確かめるようにキスをした。柔らかい小さな唇。
整った鼻筋。
ついさっきまでその身体に入っていたことが信じられない。
俺は俺の身体をまさぐったが、以前と違い、身体が軽かった。筋肉質のよい身体になっている。
一方で沙織は泣いていた。
なぜ泣いているのか、と尋ねたが、頭を横に振るばかりでなにも言えない様子だった。
一年と二ヶ月。もう離れはしない。
俺は沙織に手を差し伸べた。小さく華奢な両手で握手してくる沙織。
そんな沙織をいとおしく思った。
◇
俺は今、よくわからない資料をまとめて作っていた。
沙織から一通りは習った仕事だったが、要領が悪いようだ。
部下たちからどんどん資料が集まっていく。
俺は四苦八苦しながらその資料を作り上げた。
最高の瞬間だ。
沙織は沙織で、俺が帰宅後に今までの勉強を振り返って教えて、覚えていくところだ。
俺たちは、今から幸せになる。
それを固くあなたたちと約束したい。
今まで見守ってくれていてありがとう。
幸せに、なります。