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不思議の国の莉乃

作者: 小湊 莉乃
掲載日:2012/10/18

賑やかな笑い声に満ちている海水浴場。

真夏の肌を焼く熱い陽射しの中、人々は冷たい波を浴びて、白い砂浜を満喫している。

海辺に咲いた花のように、色とりどりの水着姿を披露して青空と海を彩るこんな光景は、一年の中でもこの時期だけの期間限定だ。

あたしこと小湊莉乃(こみなとりの)も、新しく買った水着に身を包み、はしゃいでいる真っ最中なのだ。


「あはははは、やっぱり海はいいな真也―!」


押し寄せる波を全身で浴びながら、暑そうに歩いてくる男の子に呼び掛ける。

長い髪を銀色に染めて、右目を隠すように前髪を残して後頭部で結んだ彼は、名前を桐生真也っていう。

現在高校二年生、あたしより一つ年下の幼馴染。

高い身長とモデルみたいに整った筋肉質な身体は、女性の自分から見ても綺麗だ。

顔は中性的に見えるけど、鋭い目つきやシャープな顔立ちは、何処に出しても恥ずかしくないくらいカッコいい。

そして、あたしが長らく想いを寄せてる男の子。

うーん、やっぱり真也は素敵だな!

でも素敵すぎるのも問題だ。

今だってすれ違う女の子たちが揃って振り返り、何かテンションを上げている。

むぅ、早くあたしの所に来い真也。

いや、ここはあたしから抱きつきに行って周りに見せつけるのもありだな。

あたしも嬉しいし一石二鳥だ、よし行くぞー!

走り出したあたしは、驚いてあたしを見ている真也に飛びついた。


「どーん!」

「のわっ!?どうした莉乃姉、危ないだろ。」

「うっふっふ~、真也が遅いからだぞ~。」


優しく抱き留めてくれた真也は、周りから守ってくれるみたいに背中へ手を回してくれた。

夏の太陽を浴びるよりも、その手のひらからの温もりの方が熱く感じる。

鍛えられた胸に顔を埋めていると、自然と胸がドキッと跳ねる。

それと一緒に胸に満ちる感情は、あたしを心地いい安心で包んでくれた。

あぁ、二人っきりで海に行こうって誘った時は断られると思ったけど、やっぱり誘ってよかったなぁ。

ひとしきり真也の温もりを満喫したあたしは、顔を放して真也を見上げる。


「真也!今日はたくさん遊ぼうな!」

「ん、なんか今日はやけに甘えてくるな莉乃姉。」

「だって真也と二人っきりだぞ!」

「まぁそういう約束だったしな、俺と遊んで楽しいかはわからないけど。」

「大丈夫だ、あたしは真也となら何だって楽しいんだから!」


そう言ってまた胸に顔を埋めて強く抱きしめる。

今日は真也を一人占めだー!


「行こう真也!」

「あぁ、そうだな。」


微笑む真也にあたしも笑顔を返して、少しだけ離れる。

ドキドキワクワクしながら、あたしは幸せすぎる一日を思い描いて、真也の手を握りながら海へと走り出したのだった。



「じゃあ俺は適当に飯を買ってくるから、莉乃姉はそこで待っててくれ。この混雑具合だとその恰好じゃ危ないからな。」

「うん、ありがとう。じゃあ美味しそうなの頼むな。」


お昼時の混雑の中で真也は頷くと、たくさんの人混みの中に消えていった。

あたしはそんな真也の好意に甘えて、少し離れた場所で大人しく待っている。

真也が貸してくれた男物のパーカーを羽織りながら、不意に嬉しい気持ちが溢れてきて顔を隠した。

午前中は凄くはしゃいだ。

感情が抑えきれなくて、真也が苦笑いするくらいベタベタとくっついていた。

時々恥ずかしそうに顔を赤らめてはにかむ真也は、可愛くてもう思わず人前でキスしかけたくらい。

カッコいいのに可愛いとか反則だ、ずっと離れないように気にかけてくれてたし。

うぅ、考えてたらまた手を繋ぎたくなってきた。

まだかなぁ真也、随分かかるんだなぁ。

…まさか他の女の子に話しかけられて逃げられないとか。

あり得る、真也なら断れずに困ってる可能性も高い。

前に皆で海水浴に行った時もすぐに逆ナンパされてたし。

………助けに行かないと!

この不安を解消するには真也に抱きしめてもらうしかない、そうに決まってる!


「よし、理由もばっちり。いざ真也のもとへ!」


意気揚々と人混みの中に入っていくと、きょろきょろと周りを見渡す。

真也は背も高いし、あの特徴的な髪形を見逃すはずがない。

………いたっ!

見慣れた銀色ポニーテールが、自分から少しずつ離れていくのが見えた。

というより流されてる気がする、真也が大変だ。

慌ててポニーテールを追いかける。

人の波を掻き分けながら、漸く人もまばらな場所に出た。

銀色ポニーテールは、その隙間を流れるように離れていく。

まったく、何処まで行くつもりなんだ?

でもまずいな、どんどん離されていく。


「真也―!あたしはここだぞー!」


大きな声を上げて真也を呼ぶ。

でも声は届かず、距離は離れていくばかり。

何故か置いて行かれるような気がして、あたしは段々と早足になっていた。

だけどたくさんいる人波の中は思うように進めなくて、真也に上手く近づくことができない。

くそぉ、このままじゃダメだ。

進行方向を変えて、なるだけ人の少ない方へ。

海岸から離れた所は比較的すいていて、今までよりも遠くを見渡せた。

真也が歩いていった方向に目を凝らすと、遠くにあの銀髪が揺れているのが見えた。

…あれ?

ここにきて初めて全身を見ることができたけど、何故か真也は水着じゃなかった。

黒い服…スーツっぽいな、何でそんな格好に着替えたんだ?

そもそもこんな真夏の海岸でその恰好は目立つし、何より暑くないのかな。

疑問に思いながらも、あたしはもう一度その後ろ姿に声をかけた。


「真也―、すぐに行くから待っててくれよー!」


やっと声が届いたのか、黒い格好の真也がこちらに振り返った。

一瞬だけあたしを見た真也は、優しく微笑んでから、何故かそのまま岩場の方へと歩いていってしまう。

え、何で置いていくんだ真也。

それに何だろう、この違和感は。

何か、何かが違っているような気がする。

そんなことを考えて立ち止まっているうちに、真也は岩場の向こうへと進んで行ってしまう。

まずい、とにかく追いかけないと。

これだけ人が少ないなら、走ればすぐに追いつけるはずだ。

砂を蹴って走り、遊んでいる人もほとんどいない岩場に入る。

サンダルでは進みづらい。

ごつごつした岩肌は、藻が生えていたりしていて滑りやすくなっている。

慎重に足場を選んで進んでいくと、目の前に大きな洞窟が現れた。


「うわぁ、大きい洞窟だなぁ。真也はこの中か?」


薄暗い洞窟は、海風を受けて大きな音を立てている。

洞窟の向こうを覗き込んでみても、道らしいものはない。

やっぱり、ここしかないか。

でも何でこんな人がいないところに。

人がいない、真也と二人だけ…。

………お、実は結構素敵なシチュエーションか!

まさかこれは、突然の告白か!

人気のないところに誘い込んで、ビシッと決めた格好であたしを待つ。

そして情熱的にあたしを抱き締めて、耳元で愛の告白。

場所のセンスは良くわからないけど、そんなことは二の次だな。

真也から大事な言葉をかけてもらえる、それだけでもあたしは十分に幸せだ。

それにあたしは今水着だ……うふふ。

これは期待してもいいよな、わざわざここまで来たんだし。

真也は奥の方で待ってるのか、なら進まないと。


「真也―、今から行くからなー!」


洞窟の中であたしの声が木霊して、深い奥の方へと響いていく。

ちょっと怖いけど、これも愛のために!

気合いを入れたあたしは、ゆっくりと洞窟の中へと足を踏み入れていった。



「うぅ、やっぱり怖い。」


先の見えない暗闇に、洞窟の寒さが不安を増長させる。

真也のパーカーをぎゅっと右手で握りしめて、左手は壁に。

暗闇の中を壁伝いに歩きながら、小さく愚痴を零してみる。


「まったく真也は、告白は嬉しいけどもう少し集まりやすい場所にしてくれたらいいのに。それこそ真也の部屋だったら他に誰も来ないし、ベッドもすぐ近くなのに。」


自分の声が反響して、洞窟内を震わせる。

そのせいなのか、突然降ってきた水滴が背中に当たった。


「うひゃぁ!?……うぅぅ、これは真也に会ったら絶対に愛の囁きをしてもらわないと割に合わないな。」


冷たい岩肌を触りながら、一生懸命に手さぐりで先へと進む。

もうここまで来たら引き返せないし、声の反響が弱まってきているから出口はもうすぐのはずだ。

そう思っていた矢先、壁に触れていた左手が空を掴んだ。

お、左に曲がれってことか。

壁の向こうを覗き込むと、薄らとだが岩肌の起伏が見える。

…光が入ってきたってことは、出口はやっぱり近いな。

暗闇から解放される安堵感から、自然と早歩きになる。

気持ちが変わるだけで、背中に当たる水滴さえも心地よく感じられた。

もう少し。

もう少しで真也が待ってる場所に辿り着けるはずだ。

段々と明るくなってくる。

光に目を慣らしながら、一際眩しい曲がり角に差し掛かった。

この角を曲がれば出口だ、でも何処に出るんだろうな。

海岸から随分歩いたけど何度も曲がってきてるからな、距離的にはそれほど離れてないはずだけど。

荷物も置いてきちゃってるし、とりあえずなるだけ早く戻らないとな。

まぁ、外に出れば真也が待ってるだろうし、二人で腕を組みながら帰ればいいか!

二人の甘い生活、毎朝真也を起こして、目覚めのキスをして、一緒にご飯を食べて…。

あれ、キス以外は既にしているな。

…気持ちが変わればきっともっと素敵になるだろうな、うん!

いやぁ、でも告白されたら嬉しすぎて泣いちゃうかもしれないな。

そしたら抱き締めてもらおう、背中を撫でてもらったりとか素敵じゃないか。

うふふ~、じゃあそろそろこの暗い洞窟から出るとしよう。

外に出たらまずは抱きついてやらなくちゃ、驚かせてやらないと。

さぁ、真也とご対面だ!


「って、待ってないのか真也―!」


外に出ると、そこには真也どころか誰もいなかった。


「…それよりも、ここは何処だ?」


洞窟の外には、鬱蒼と木々が生い茂る森が広がっていた。

マイナスイオンがたっぷりありそうな深い森。

足元は芝生みたいになっていて、所々に花が咲いている。

あたしはしゃがみこんで、近くに咲いていた花を観察した。


「うーん、こんな花は見たことがないな。珍しい花なのかな。」


白い花びらに、菱形みたいな赤い模様が入っている不思議な花だ。

まぁ、綺麗な花だからいいか。

それよりも真也だ。

まったく、洞窟を出たあとも更に歩かせるつもりか。

仕方なしに森の中を歩きだす。

真也を探しながら、目の前の景色を眺める。

鳥の囀りが聞こえて見上げた空は、雲一つない青空。

何か違和感を感じてしまう。

確かにそれはいつも見上げる青空なのに、不思議な気分になってくる。

目の前の森も、意識してみると何かが変だ。


「真也はこんな場所をどうやって知ったんだ?」


ただでさえ遠出をするようなタイプじゃない真也が、わざわざ洞窟を抜けてくるような森を知っているだろうか?

不安が段々と大きくなってくる。

大きな異常があって不安なのではなく、小さな違和感が積み重なって生まれる不安だ。

見たことのない花が咲く森に、不思議な感覚に襲われる青空。

不安は少しずつ恐れに変わり、気がつけば走り出していた。

ただ闇雲に、木の隙間を駆け抜けていく。

自分にとって大切な人に会うために、無我夢中で森を駆けた。

ここに来た原因とか、いつの間にか頭から吹き飛んでいた。

今はただ真也に会いたい。

会って抱きついて、安心させてほしい。

どれくらい走っただろう。

不意に森の木々が開けて、小さな広場に出た。

森の梢の隙間から降り注ぐ陽光が、その広場を幻想的に縁取っている。

そんな広場の中心に、目的の人物は立っていた。

こちらに背を向けて、全身を黒いスーツで覆った男性。

長い銀髪ポニーテール、すらっと高い身長。

後姿でもわかる、やっと見つけた。

胸に生まれた安心感から、あたしは真っ直ぐにその後ろ姿に歩み寄りながら声をかける。


「やっと見つけたぞ真也、こんなところで何してるんだ?」

「はい?」


あたしの呼びかけに返ってきたのは、何故か疑問に満ちた声色。

真也が振り返る。

だけど彼は、真也じゃなかった。

見た目は完璧に同じ。

声も、背格好も、髪形も色も同じだ。

だけど一つだけ違う個所があった。

瞳の色が、青いのだ。

淡く、夏の晴れの日の空のように、澄んだ青色。

今まで見たどんな青空よりも、その瞳は美しかった。

あたしは思わずその色に魅入って、声をかけたことも忘れてしまった。

彼、真也に似ているその男の子は、あたしを不思議そうに見ながら話しかけてくる。


「あの、私に何か用でしょうか?」

「…はっ!?き、君は誰だ!」

「え!?いや、突然そんなこと言われましても…。」

「真也は何処だ?もしかしてまだあの海岸にいるのか?」

「落ち着いてください、まずは深呼吸を。」


安心していた気分を根こそぎひっくり返されて、あたしは自分ではどうしようもないくらい動揺していた。

彼はそんなあたしに近づこうとはせず、この距離感を保ったまま優しい声色で話しかけてくる。


「大丈夫ですか?落ち着きました?」

「……あぁ、ありがとう。」

「ところで、貴女は誰ですか?」

「あたしは…小湊莉乃っていう名前だ。」

「莉乃さんですか、もしかしてあの世界からついてきてしまったのですか?」

「あの世界?」


何のことを言ってるんだ、この真也のそっくりさんは。

あたしがよく解らずに困っていると、真也に似たこの男性は指を顎の先に当ててあたしを見た。


「あの、まずは状況を整理してみませんか?」

「そ、そうだな。あたしも何が何だか解らない。」

「ではまず、私から質問しますね。莉乃さん、あなたは誰と私を間違えたのですか?」

「あたしの大切な人と間違えた、だって見た目が…君と全く同じなんだ、瞳の色以外全部が。」

「それはまた、そうだとすれば着いてきてしまうのも無理がありませんね。」


彼は苦笑すると、あたしの水着姿を見て納得したように頷いた。


「ではあの海岸でその私に似た人と遊んでいた時に、私とその人を見間違えてここまで追いかけてきてしまったと。」

「あ、あぁ。そうだな。」

「なるほど、ではまずこれを着てください。」


そう言った彼はおもむろに燕尾服の上着を脱ぐと、あたしの肩にそれをかけてくれた。

あたしが戸惑っていると、彼は微笑みながら口を開く。


「その格好では流石に風邪を引いてしまうでしょうから。」

「あ、ありがとう。」


うぅ、やっぱり真也にしか見えないぞ。

なんか凄い優しいし、真也だし……はっ、ダメだぞ莉乃!

彼にときめいたら浮気になってしまう、あたしは真也一筋だったろう!

心の中で葛藤を済ませて、あたしは彼に向き直る。


「それじゃあ、逆に質問するぞ。君は何て名前なんだ?」


あたしにそう聞かれた彼は少し困ったように笑うと、悪戯っぽい笑みに変えて言った。


「莉乃さんの好きに呼んでください、私には人に名乗れる名前がありません。というより、この世界ではそもそも名前なんて自分で決めるものですから。」

「自分で決めるのか?」

「はい。ここは不思議の国、トランプの柄と階級で立場が決まってしまう世界。名前とは即ち俗称、ここでは互いに柄や階級で呼び合います、だから名前を持とうと思う者はほとんどいません。」


柄と階級?

そもそもトランプってあのトランプだよな、ってことは柄と階級っていうのはマークとその数字ってことか。

あたしが頷いていると、彼は微笑みながら先を続けた。


「ということですので、私には名前がありません。なので莉乃さん、私のことは好きなように呼んでください。」

「うーん、そう言われてもな。」


名前なんて考えたことないし、真也の偽物って呼ぶのはおかしいよな。

よし、もう単純でいいや、呼びやすい方がいいし。


「じゃあ君は今からクロでどうだ?」

「クロですか…いいですね、そうしましょう。」


彼…クロはとても楽しそうに自分の名前を何度か口にすると、身体の向きを変えた。


「では自己紹介のようなものも済んだことですし、あとの説明は歩きながらすることにしましょうか。」

「歩きながらって、何処に行くつもりなんだ?」


そこでクロはあたしに振り返ると、笑いながらこう言った。


「莉乃さんが元の世界に帰るためのゲートがある場所、この国のお城です。」



真也だと思って追いかけた先で出会ったクロから、あたしはこの世界について教えてもらっていた。

不思議の国と呼ばれるこの世界は、マークと階級が絶対の理となっている世界だ。

即ちハート、スペード、ダイヤ、クラブの四つのマークと、1から10までの階級。

階級がその者の力のレベルを示し、マークは国の色みたいなものらしい。

数字が大きい方が強く、生活も豊かになるんだとか。

キングの階級を持つ王様も世界に四人いて、どのマークがより優れているのか時々戦って競い合っているらしい。

あたしたちが向かっているのはハートの国、そのお城の中にあるゲート。

ゲートとは世界と世界の間にできた接触面で、時々わずかな間だけ各地に生まれるんだそうだ。

あたしがクロを追いかけて通ってきた洞窟の中にそれがあったらしく、知らず知らずの内にあたしはゲートを抜けてきたみたいだ。

でもそのゲートを使えば、あたしが元々いた世界と行き来することができるらしい。

残念ながらあの洞窟のゲートはもう消えてしまったから、常に発生しているお城のゲートを使おうと、まぁそういう話らしい。

あんまりにも現実味がなくて信じられなかったけど、クロは嘘を吐くようなタイプには見えないし、大掛かりなドッキリというわけでもなさそうだ。

ひとしきり説明を終えると、クロは歩きながらあたしに振り返った。


「如何でしょうか、一応簡単に説明してみたのですが。」

「うん、なんとなくあたしの置かれた状況は呑み込めた。」

「それは良かった、何も解らないままでは不安ですからね。」


クロ自身も安心したように微笑むと、再び前を向いて歩いていく。

そんなクロの背中に、あたしは思い浮かんだ疑問を投げかけていた。


「じゃあさ、クロのマークと階級は何なんだ?偉いのか?」

「…私は偉くなんてありませんよ、ただ少し特殊なだけです。」


あ、なんか間違えたかなあたし。

クロの柔らかかった雰囲気が、少しだけ固くなった。

もしかして、訊いちゃいけないことだったのかもしれない。

あたしは話題を逸らすように、別の質問を投げかけた。


「そういえば随分と歩いてるけど、まだ城までは遠いのか?」

「安心してください、もうすぐ森を抜けますよ…ほら。」


先を歩くクロが、振り返って微笑んだ。


「見えましたよ莉乃さん、あれがハートの王様がおられるお城です。」

「おぉ、やっと着いたのか!」


クロの傍に駆け寄って揃って森を抜けると、そこにはとても綺麗な景色が広がっていた。

何処までも続く広大な草原。

吹き抜ける風は草の匂いがして、歩いて薄ら汗ばんだ肌に心地いい。

¬¬¬¬¬もこもこした雲が浮かぶ空も、そんな爽やかな景色に色を添えている。

その景色の中に堂々と建っている、たった一つの建造物。

物語に出てくるお城そのものの姿は、この景色に面白いくらいぴったりだった。


「凄いな、ホントにお城があるぞ!」

「ふふ、中も豪華な造りになっていますよ。では行きましょう、あと少しです。」


微笑みながら歩きだすクロに続いて、あたしもふかふかの草原を歩きだす。

あたしは歩きながら、少し前を歩くクロを観察する。

それにしても真也によく似てる、見た目で違うのは瞳の色だけだし。

口調や雰囲気は全然違うけど、優しいのは真也も同じだし。

そんなことを考えながら歩いていると、クロが振り返って足元を指差した。


「莉乃さん、足元に気をつけてください。」

「え……うわっ!?」


言われた言葉に反応できずに、あたしは足元にできていた小さな窪みに足を取られてバランスを崩した。

慌ててクロが肩を支えてくれて、申し訳なさそうな声で訊ねてくる。


「大丈夫ですか莉乃さん!?」

「あ、あぁ。ちょっと足を捻っただけだ、これならすぐに痛みも引くよ。」

「すみません、注意が遅れてしまいました。」

「いや、クロが謝ることじゃないぞ。そもそもあたしの足元不注意だし。」

「ですが……あ、なら痛みが引くまで私が莉乃さんを抱えましょう。」

「…えぇ!?だ、大丈夫だって!そんなことされたらまずい!」

「大丈夫です、私はこれでも鍛えていますから。」


言うが早いがクロはあたしの身体をひょいと抱き上げると、ゆっくりと歩きだした。

それは俗に言うお姫様抱っこという抱き方で、あたしはクロの意外に広い胸の中に収まってしまっている。


「しっかり掴まってください、なるだけ揺れないように歩きますから。」

「あ、うぅ。」


顔が近い、すぐ目の前にクロの顔がある。

それは何度見ても真也にそっくりで、優しく微笑んでいて、あぁ顔が近い!

違う人だって解ってるのに、顔が同じってだけで凄いドキドキする。

だって似すぎだ、こんなの反則だ。

もし真也がカラコンして口調を変えただけのおふざけだって言われても、何の疑いもなく信じるぞ。

でも確かに真也じゃない、クロはクロだ。

真也はお姫様抱っこなんて絶対にしない。

こんな顔が近づくことをしていて顔色一つ変えないなんて、演技でも真也にできるはずがないもんな。

あぁでも、真也にお姫様抱っこしてもらいたいなぁ。

恥ずかしくて顔を真っ赤にして、照れ隠しにちょっと冷たい口調になるんだ。

いつもはクールな真也が照れると凄く可愛くなる、それがまたもう、あたしの方が間違いを犯しそう。

あぁダメだな、妄想だけじゃ我慢できない!

うぅ~、戻ったら絶対お姫様抱っこしてもらうぞ~、へっへっへ…。


「あの…莉乃さん?」

「え?あ、何だ!?」

「急に笑い出したのでどうしたのかと思いまして。」

「いや…何でもないぞ!」


不思議そうにあたしの顔を見るクロから慌てて視線を逸らす。

ダメだぞあたし、もっと気をつけないと。

いくら真也に似てるからって、クロにときめいたら浮気だ浮気、さっきも言った!

あたしの大切な人は後にも先にも真也だけだ、もう大丈夫!

そんな覚悟を決めたあたしはクロに抱かれたまま、近づいてくる城を眺めるのだった。



「さぁ莉乃さん、到着しましたよ。」

「おぉ、流石に大きいな!」


大草原の中に聳える巨大な建造物。

高い石造りの城壁に囲まれたその城は、強固な鉄の城門によってその出入りを管理されている。

見上げるほど大きく無骨なその門の下、歩いてきたあたしたちに気づいた鎧姿の兵士が槍を携えて近寄ってきた。

三つのハートが胸に刻まれた彼は、クロの前で停止すると敬礼する。


「お疲れ様です!無事のご帰還、皆が心待ちにしておりました!」

「そこまで畏まらなくとも構わないですよ、君もお勤めご苦労様。」


兵士は姿勢を正しながら、最敬礼をする。


「勿体ないお言葉であります!………失礼ですがそちらの方は?」


兵士は敬礼をしながらも、何処かそわそわした様子であたしのことを観察してくる。

何かあまり良い雰囲気じゃないな、そんなにじろじろ見られるほどあたしは変なのか?

………あ、忘れてた。


「クロ、もう痛みはないから降ろしてくれ。」

「そうですか?でも無理はしない方がいいですよ、私はまだまだ大丈夫ですから。」

「本当に平気だ。それに彼もあたしがこんな状況では戸惑うだろう。」

「それもそうですね、ではゆっくり降ろしますよ。」


捻った足になるだけ負荷がかからないように、クロは反対の足からゆっくりとあたしを降ろしてくれた。

あたしがクロの上着の皺を伸ばしている間に、クロは兵士にあたしの素性を説明していた。

別の世界から迷い込んだこと、城のゲートで元の世界に帰そうとしていること。

納得したように頷いた兵士は、恭しく頭をあたしに下げると、微笑を浮かべた。


「度重なるご無礼をお許しください、まさかお客様だとは知らず。」

「いやいや、こちらこそお世話になります。」

「王様にはこれから直接謁見しに行くので、君はこのまま城の平和を守っていてください。」

「了解いたしました!」


再び敬礼して後ろへと下がった兵士は、すぐに何かの操作をして門を開けてくれた。

重々しく低い音が辺りに響き渡り、城を守る城壁の門が上の方へと引っ張り上げられていく。

その初めて見る光景に感嘆の声を上げると、クロが微笑みながら手を出した。


「では行きましょうか。まずは王様への謁見と、ゲートの使用許可を頂かなければなりません。」

「そうなのか、ならきちんと挨拶しないとな。」

「ふふ、すぐに許可は下りると思いますよ。もともと迷い込んだ人を帰すための装置ですし。」


そう言ったクロと一緒に門をくぐると、そこはまさにお伽の国らしい景色があった。

大理石に道の左右には、シンメトリーに作られた豪華な庭園がある。

色とりどりの花が咲き誇り、その芳香がとても気持ちいい。

庭園の中央に据えられた噴水には美しい装飾が施されていて、透明な水をキラキラと吹き上げている。

元の世界では到底見ることの叶わないその光景に、あたしは思わず声を出していた。


「凄いな!こんなに素敵な庭を見たのは初めてだぞ!」

「喜んでいただけたようで何よりです。庭師の人たちが一生懸命に手入れをしている庭園ですからね、莉乃さんのその笑顔を彼らにも見せてあげたいものです。」


クロ自らも嬉しそうに笑うと、何かを思い出したように手を叩いた。


「忘れていました、まずは私の部屋に来ませんか?」

「クロの部屋?」

「はい。流石にそのままの格好では王様に対し失礼になりますから、私の部屋で別の服に着替えていただこうかと思いまして。」


確かにあたしはクロの上着を着ているが、その下は未だに水着にサンダルだ。

こんな恰好じゃクロの言うとおり失礼にあたる……けど。

あたしは疑問に満ちた瞳で、クロを見上げた。


「それはいいんだが…どうしてクロの部屋にあたしが着れる服があるんだ?」

「………。」


あたしの問いかけに対し、クロはきょとんとした顔をして、すぐに悪戯っぽい笑みに変わる。


「すみません、言い方が悪かったですね。正確には私の部屋ではなく、私たちの部屋です。だから女性物の服があるのは不思議ではないのですよ。」

「うん?なんだ、よく解らないぞ。」

「とりあえず行きましょう、見れば解りますよ。ただその……あまり部屋に関しては気にしないで頂けると助かります。」


何故か苦笑を浮かべたクロに首を傾げながら、あたしはひとまずクロの後ろについていった。



真っ赤でふかふかした高級そうな絨毯の上を、ペタペタと安っぽいサンダルの音が通過していく。

廊下の左右にはこれまた高級そうな燭台が並び、雰囲気たっぷりに辺りを照らしている。

ここに来るまでに何人もの兵士や、執事風の男たちに挨拶された。

皆の格好は当然この城の雰囲気に合っていて、自分の姿を見下ろすと改めて場違いさに苦笑する。

そろそろ恥ずかしくなってきた頃、先を行くクロがとある扉の前で足を止めた。


「お待たせしました、こちらですよ。」

「お、やっと着いたのか。」

「はい、どうぞ中へ。」


クロが押して開いた扉から部屋に入ると、そこは何故か混沌としていた。

質素な中に華美、整頓の中に雑多、そんな感じ。

沢山の物が散らかっているのに、掃除が行き届いている。

しかも散らかっているのは女性の物と思われるものばかりで、明らかにクロの物ではない。


「すみません散らかっていて、一応出る前に掃除はしたのですが。」

「それはいいんだけど、これはどういうことなんだ?誰かと一緒の部屋なのか?」

「はい、実は姉も同じ部屋を使っているんですよ。でもどうも姉は片付けが苦手なようでして、もっぱら散らかすのが専門になっていますね。」

「なるほど、納得したよ。」


確かにここならあたしが着れる服もあるだろう、クロにおかしな趣味があるわけでもなさそうだ、なんか安心した。

クロは落ちている物を踏まないように器用に歩いていくと、壁に備えられた小さな扉を開けて手招きしている。

あたしも踏まないように気をつけながら壁まで辿り着くと、先に入ったクロに続く。

そこは洋服店のようになっていた。

様々な洋服が並んでいて、そのほとんどはパーティー用のドレスだ。

流石はお城に住む女性の持ち物だ、これを着てもいいのか?


「どれでも好きな物を着てください、私はその間に部屋を片付けてしまいますので。」

「ありがとう、じゃあ一着借りるよ。」


クロが頷いて扉を閉めると、あたしは目の前に並ぶドレスを見ながら思った。

………これは一人で着れるものなのだろうか。



ドレスに何とか着替えて衣裳部屋を出ると、掃除をしていたクロがあたしに気づいて驚いた顔をした。

あたしは慣れない格好に戸惑いながら、ゆっくりとクロに近づく。


「えっと…お待たせ。」

「………あ、いえ、全然待っていませんよ。」

「そうか、なら良かった。初めて着るものだったからな、なかなか手こずってしまった。」


照れくさくて苦笑すると、クロは表情を微笑に戻して言う。


「驚きました、とてもお似合いですよ。」

「そ、そうか。」

「えぇ、素敵ですよ。姉さんがそのドレスを着ているのも見ましたが、莉乃さんにも似合います。」


あたしは数あるドレスの中から、赤いパーティードレスを選んでいた。

サテン生地で作られたドレスは、ふわりとしたものではなく、全身を細く見せるようなものだ。

ちょっと露出が多すぎる気がするけど、白いストールがあったからそれを肩にかけてみた。

さらさらとした肌触りが着ていて心地よく、動き辛いということもない。

ヒールの高い靴は履き慣れないが、暫くすれば慣れるだろう。

ただ、下着だけはどうしようもなかった。

何しろ水着でこっちに来たんだ、荷物と一緒に置いてきてしまっている。

仕方なくドレスの下にはまだ水着を着たままにした、幸いにも乾いてはいたし。

もしかしたら専用の下着もあったのかもしれないが、知識が少ないあたしでは判らなかった。


「では莉乃さんの着替えも終わりましたし、そろそろ王様のもとに行きましょうか。」

「いよいよか、緊張するな。」


相手は王様だ、とてつもなく偉い人だろう。

きっと厳しい表情に立派な髭を生やして、豪華な衣装に身を包んでいるんだろうな。

お、ちょっとワクワクしてきたかも。


「莉乃さんは私の後ろについてきて下さい、そんなに気負わなくても大丈夫ですから。」

「わかった、クロの後ろにいればいいんだな。」

「えぇ、王様との話は私に任せてください。流石に初めての方には大変でしょうから。」


二人で部屋を出ると、長い階段や廊下を足早に歩いていく。

段々と廊下の装飾が豪華になっていくのを見ると、比例して緊張の度合いも大きくなってきた。

うわぁ、あたし大丈夫かな。

知らずに失礼なことをしてゲートっていうのを使わせてもらえなかったらどうしよう。

元の世界に帰れなかったら、もう真也には会えない。

そんなの絶対に嫌だ、辛くて泣いてしまう。

真也に会えない世界で生きるくらいなら、もういっそ…。


「莉乃さん、どうしました?」

「へ?な、何がだ?」

「何だか凄く辛そうな顔をしてましたから、大丈夫ですか?」

「う、うん。平気だ、ちょっと不安にかられてな。」


あたしが誤魔化すように笑うと、クロは立ち止まり、真剣な瞳で視線を合わせてきた。


「莉乃さん。」


決して逸らすことができない、そう思わせる雰囲気。

その吸い込まれそうな青い瞳に一瞬ドキッとしつつ、あたしはクロの言葉を待つ。


「貴女は必ず私が元の世界に帰します、だから安心してください。そして私を信じてください、それが何よりも私の力になりますから。」

「…うん、ありがとうクロ、なんか安心した。」


あたしが微笑みを浮かべると、クロも同じように微笑んだ。


「やはり莉乃さんは笑っている方が素敵ですよ。」

「そうか?」

「えぇ、間違いなく。だからこそ私はその笑顔を曇らせたくはありません。貴女が心から笑顔になれる人の元へ早く帰れるよう、私も力を尽くします。」

「あぁ、あたしも早く真也に会いたい。」


頷き合って、二人で再び歩き出す。

城の一番下まで降りてくると、広いエントランスに出た。

巨大なシャンデリアが高い天井から吊り下がり、眩しいくらいの光を降らせている。

そんなエントランスには、綺麗に整列した兵士たちが、今も一つの扉を守るように立っている。

一際豪華なその扉の前に立つと、クロは静かに口を開いた。


「我らが王へ謁見しに参上した、願わくばその機会を頂きたい。」


凛と透き通るような声が、広いエントランスに響き渡る。

これから王様に会う、そんな畏まった雰囲気が少し息苦しいくらいだ。

クロが言葉を終えると、派手な鎧の兵士が前へと出てきて、クロの前で跪いた。

それと同時に彼の後ろで控えている兵士たちも同じく跪くと、先頭の彼が声を発した。


「お待ちしておりました、王様が奥にて貴殿の帰還を心待ちにしておられます。」

「そうですか、では急ぎ向かいます、扉を開けてください。」

「はっ、仰せのままに。」


彼が合図を送ると、向こうの扉がゆっくりと左右に開いていく。

重々しい音が響いて、荘厳な謁見の間が姿を現した。

あたしたちは、開かれた赤い絨毯の道をゆっくりと歩きだす。

空気が、変わった。

来た者を委縮させるような重圧感と、見る者を圧倒する存在感。

そのどちらをも纏った男が、煌びやかな玉座に座り、近づいてくるあたしたちを高みから見下ろしている。

クロが立ち止ると、あたしもその後ろで様子を窺う。

王様との謁見なんて初めてなんだ、どうしていいかなんてわからない。

大人しくクロの動きに合わせるべきだろう、余計なことはしないで黙っていよう。

うん、ちょっと卑怯っぽいけど仕方ないな。

緊張しながら待っていると、王様と視線が合った。

その射抜くような視線に、あたしは金縛りにあったかのように動けなくなった。

恐ろしいほどに美しい黄金の瞳。

鋭い目つきと整った顔立ちのせいで、クロとは違った理由で視線を逸らせない。

見た目もクロと同じくらい若く、意志の強そうな雰囲気を纏っている。

息が詰まる。

気圧されそうになっていると、すっとクロがあたしの前に立ってその視線を遮ってくれた。

途端に息苦しさが消えて、あたしは深呼吸して気持ちを落ち着かせた。

クロは一瞬だけあたしに振り向くと、前を向く。


「ご挨拶に参上しました、お変わりないようで安心しました。」

「はっ、貴様はこの俺に社交辞令を言いに来たのか?だとすれば随分と下らぬ用で俺を呼び出したものだな。」

「いえ、そのようなことは決して。」

「ふんっ、まぁよい。後で旅の話でも聞かせてもらうとしよう。」

「仰せのままに。」


クロの後ろにいても感じるピリピリとした空気。

あの王様の威圧感も凄いけど、それに物怖じせず話しかけるクロも凄い。

すると、クロの背中で姿は見えないが、王様の意識があたしに向くのを感じた。


「して、そこの者は誰だ?俺が知らぬのだ、この世界の女ではあるまい。いつまでもこそこそ隠れおって、この俺に対し不敬であるぞ!」

「ご紹介が遅れました、彼女は…。」

「…クロ、あたしが自分で言う。」


確かに全てをクロに任せるのは礼儀がない。

あたしがゲートを使わせてもらうんだ、怖がっている場合じゃないよな。

あたしはクロの後ろから出て、上座から見下ろす王様に正対する。

黄金の瞳があたしを見た途端、また息苦しさが肺を締めつけてきた。

くっ、気圧されちゃダメだ。

きちんと頼んで、早く真也に会うんだから。

あたしはお腹に力を入れると、黄金の双眸にしっかりと視線を合わせた。


「あたしの名前は小湊莉乃と言います、御無礼をお許しください王様。」


あたしは言葉を述べると、跪いて、静かに頭を下げた。

そんなあたしを見下ろしながら、王様は鼻で笑いながらも頷く。


「ふむ、多少は礼儀を弁えているらしいな。よい、無礼を許すぞ女。」

「ありがとうございます。…あの、実は王様にお願いがあって参りました。」


あたしがそう言うと、王様はあたしを見て小さな笑みを浮かべると、面白いものを見つけたような視線を向けてきた。


「この俺に頼みごとか、何の供物も持たずよくもそのようなことを申し出たものだな。」

「あ…。」

「くく、冗談だ。構わぬ、申してみよ。」


そう言われた途端、身体に圧し掛かっていた重圧感が少し和らいだ。

よく解らないけど、とにかく話せってことなのか?

あたしは小さく息を吸うと、ここに来た原因から話し始めた。

王様は終始無言で話を聞いていたが、口元に笑みは浮かべたままだ。

あたしが話を終えると、王様はあたしから視線を外してクロに視線を投げた。


「貴様の放浪癖がこの女を巻き込んだとは、とんだ失態だな。」

「返す言葉もございません。故に王様、私からもお願いいたします。」

「ゲートの使用許可か…。」


王様はあたしとクロを交互に見て、何かを考える素振りを見せた。

暫くしてあたしと目を合わせると、小さく笑う。


「いいだろう、使用許可を出してやる。」

「恐れ入ります。」

「ただしそこの女。」

「はいっ、何でしょうか!?」

「今宵晩餐を開く、貴様がそれに参加してからということでどうだ?」

「…晩餐ですか?」


晩餐って、食事会ってことだよな?

しかも今宵ってことは、明日にならないと帰れないってことか。

そんなことしてる場合じゃない、こうしている今も真也はいなくなったあたしを探してるかもしれないんだ。

でもどうしよう、出席しないとゲートは使わせてもらえないし。

あたしがすぐに答えを出せないでいると、王様が笑いながら言った。


「ふはははは、どうやら貴様は晩餐に参加する暇さえないと見える。それほどに帰りたい理由でもあるのか。」

「あ、その…。」

「安心するがよい、ゲートは調整すれば時間を遡ることも可能だ。貴様が望むのであれば、この世界に来た時間に戻してやることもできるのだ。それならば晩餐に参加したとて、貴様の向こうでの状況に影響はあるまい?」

「本当ですか!?」

「俺は虚言など吐かぬ。しかし面白い女よ、俺の誘いより大事なことがあるとはな。」

「う…。」

「よいぞ、特別にその無礼を許す。だが晩餐への参加は取り消さぬ、必ず参加せよ。」

「は、はい。」

「くくく、しかし面白いやつだ。」


王様は何が楽しいのかひとしきり笑うと、クロに向けて言う。


「貴様が連れてきた女は中々俺を楽しませてくれるな、故に今回の失態は大目に見てやろう、ありがたく思うがよい。」

「はっ、寛大な御心に感謝いたします。」

「おい女、晩餐まではまだ時間がある、それまではそれに面倒を見てもらうがいいぞ。」

「は、はい。」

「そうと決まれば準備に取り掛からせるとしよう。二人とも、もう下がれ、俺も忙しいからな。」

「はい、ありがとうございました。」


二人で頭を下げると、静かにその場を後にした。

背後で扉が閉まり、兵士たちにも礼を言って元来た通路を進む。

随分と歩いたところで、漸く身体から力が抜けた。


「はぁー、すっごく緊張したー!」


あたしが緊張から解放されたのを見て、前にいるクロが微笑みながら振り返った。


「ふふ、でも莉乃さん、とても堂々としていましたよ。」

「あんなの見せかけだ、ホントは足が震えだしそうなのを必死に耐えてたんだぞ。」

「だとしても、あの威圧感の前でしっかりと名乗れたのは莉乃さんが初めてです。大抵の人は畏縮して何も言えませんから。」


確かにあの威圧感は半端な気持ちでは動けなくなるだろうな、何よりあの瞳が強すぎる。

あれが王様という立場の人間が持つ雰囲気か、流石は国の頂点に立つ人だ。

…日本の総理大臣とかもそうなのかな、直接会ったことないけど。

でもお願いは聞いてもらえた。

多少の寄り道にはなるけど、急がば回れとも言うし。

うん、前向きに考えよう、お腹も空いてきたし丁度いい。


「では莉乃さん、まずは私の部屋に行きましょう。ここでいつまでも立ち止まるわけにもいきませんし。」

「そうだな、またお邪魔するよ。」


再び歩き出してクロの部屋に着くと、クロが上着を洋服掛けに掛けながら訊いてきた。


「さて、まだ晩餐までは数刻あります。莉乃さんはどうされますか?」

「うーん、そう言われても何ができるか判らないからな。」


流石に城の中をうろつくのは躊躇われるし、かといってクロの部屋には娯楽が皆無っぽいし。


「もし特になければお休みになるのも良いかもしれませんね、慣れないことばかりで疲れていませんか?」

「あぁ、そう言われればそうかも。」


別の世界に来たり、森や草原を歩いたり、一国の主と対談したり、そもそも海で遊んでたわけだし。

意識した途端、急に全身が重たくなった。

動けないほどじゃないけど、一息入れたい。


「そうだな、その方が良いかも。」

「えぇ、私のベッドでよければ使ってください。私は莉乃さんが起きるまで仕事をしていますので、どうぞお気兼ねなく。」

「あぁ、ありがとう。お言葉に甘えてそうさせてもらうよ。」

「はい、おやすみなさい。」


あたしはクロの言葉に甘えると、指し示された大きなベッドにドレスのまま寝ころんだ。

ふかふかの布団は驚くほど気持ちよくて、すぐに微睡が襲ってきた。

知らない天井が遠い。

優しい眠気に誘われて、あたしの意識はゆっくりと閉じていった。



夕暮れ。

西からの光に照らされた森の入り口に立っている。

ぼんやりとした意識で思う。

あぁ、これは夢か。

ここは……あの丘に続く道だな。

そうだ、あたしは一人で真也を待っているんだ。

どうして、こんな夢を。

あの時も気持ちが、じわりと胸に沁みてくる。

痛い、苦しい。

寂しさと悔しさが、あたしを辛くする。

そうだ、あの時あたしは…。

その時、目の前に真也が出てきた。

あたしに背を向けて、振り返る。

その表情は悲しそうで、小さく唇が動く。


「…さようなら、莉乃姉。」


声は出ない。

手を伸ばしても届かない。

涙が滲む。

真也が背を向けて歩きだした。


行かないで!


景色は段々と薄れていく。

真也も、消える。



「………あ。」


知らない天井が、まだそこにあった。

思いっきり手を伸ばす。

手は確かにそこにあって、これは確かに現実だ。

……どうして、こっちも夢になってくれないのかな。

伸ばした手を引いて、目尻を拭う。

本当に、なんて夢だ。

…寝るんじゃなかったなぁ。

ゆっくりと身体を起こして、部屋を見渡す。

いつの間にか明かりは消えていて、そんな広い部屋の隅で、簡素な机に向かってペンを走らせる一人の男性。

小さな明かりの中で、銀髪のポニーテールが、視線を変えるたびに小さく揺れる。

見慣れない部屋の、見慣れた後姿。

でも彼は、真也じゃない。

また涙が出てきて、頬を伝っていく。

物音に気付いたクロが、優しげな瞳をこちらに向けた。


「起きたのですね……嫌な夢を見たのですか?」


あたしの涙を見たクロが、立ち上がってこちらに歩いてくる。

あたしが涙を指で拭おうとすると、クロの手がそれを止め、取り出したハンカチで優しく吹いてくれた。

それでも涙は止まらなくて、あたしは何も言葉にできず嗚咽を漏らした。

そんなあたしにクロは嫌な顔一つせず、あたしが泣き止むまでじっと待っている。

漸くあたしが落ち着くと、クロはベッドの縁に背を向けて腰かけると、穏やかな声で話しかけてくる。


「悪い夢を見たのですか?」

「…うん、凄く悲しくなった。」

「……真也さんの夢ですね?」

「あぁ、真也があたしの前からいなくなる夢だった。手を伸ばしても届かなくて、声も出なくて。それで真也が最後に言ったんだ、さようならって。」


あの悲しみは、真也といられなかったあの一ヶ月間、その始まりと似ていた。

無力感と喪失感、その二つがいっぺんに心を支配する、そんな感じだ。

もう、こんな気持ちにならないと思ってた。

でもあたしから離れてしまった、だからあんな夢を。


「…すみません、何もできなくて。」

「え、何でクロが謝るんだ?」

「私は真也さんではありませんから、莉乃さんを抱き締めることも、慰めることもできません。」

「いいんだよクロ、さっき涙を拭いてくれただけで十分だ。」

「そう言われると助かります。莉乃さん、私は貴女を必ずや元の世界に帰します。だからどうか、泣かないでください。」


背中を向けていて顔は見えないけど、クロの真剣な表情が手に取るようにわかった。

きっとクロはずっと申し訳なく思っているんだろう。

あたしが勝手に勘違いしてついてきただけなのに、それを自分のせいだと思っている。

そんなことは決してない、でもそう言っても彼は気持ちを変えないだろう。

起こしてしまったことの責任は、何としても果たそうと、真也もするだろうから。


「…うん、ありがとうクロ。」


胸を満たしていた悲しみが、少し軽くなった。

本当にいい奴だなクロは。

早く元の世界に戻りたいけど、君ともう会えなくなるのは寂しいよ。

でも向こうには、あたしの大切な人がいるんだ。

絶対に帰るからな、真也。



豪華な格好をした管弦楽団が、壮大なメロディをホールいっぱいに響かせている。

並べられたテーブルには真っ白いテーブルクロスがかけられ、その上には見たことのない料理が所狭しと並んでいて、見た目も鮮やかだ。

あたしはそんな会場の隅っこで、パーティーの様子を観察していた。

見たことのない女がいるのが気になるのか、あたしの前を歩いていく全員がちらちらと視線を向けてくる。

王宮の立食パーティーなんて初めて参加したけど、仰々しくて居心地悪いな。

王様は相変わらずの態度と雰囲気で、上座から下にいるあたしたちを見下ろしている。

¬その隣で静かに控えているクロは、無表情に王様の世話をしていた。

あいつも大変だな、王様の側近だなんて。

旅に出ていない間は、ああして身の回りの世話とかしてるのか。

あたしはクロから視線を外し、パーティー会場を見回した。

あたしが想像していたような挨拶回りや、他人の悪口の言い合いなんてどこにもない。

そこにはただ王様の顔色を窺うような、余所余所しさに満ちている。

何か、これじゃ誰も楽しめてないじゃないか。

はぁ、何のために王様はこんなパーティーを開いたんだよ。


ぐぅぅ。


う、でもお腹は正直だな。

とりあえず、何か食べよ。


「すみません、あたしにも何かいただけませんか?」

「あ、はい、お好きな物をどうぞ。」


傍を通った給仕の男性が、いくつかの料理を皿に盛ってくれた。

ふむ、何だか見たことのない料理ばかりだな。

給仕に材料を訊いてみても、知らない名前ばかりだった。

恐る恐る食べてみると、不思議な味がした。

美味しいような、美味しくないような……でもなんか癖になる味だなぁ。

黙々とあたしが食べている間も、パーティーの雰囲気は変わることなく、どことなく寂しさを漂わせている。

まぁ、お腹も膨れたことだし、このままパーティーが終わるのをのんびりと待たせてもらおう。

そんな風に壁の花を決め込もうとしてると、いつの間にか近づいてきていたクロが声をかけてきた。


「どうですか莉乃さん、パーティーは楽しいですか?」

「うーんと……いつもこんな感じなのか?」


あたしが周りを見回しながら訊くと、クロは苦笑しながら頷いた。


「お恥ずかしながら、いつもこの雰囲気ですよ。正直どうして王様が急にパーティーを開くと言い出したのか解りません。」

「あたしへの嫌がらせとか、ほら、早く帰りたそうにしてしまったし。」

「流石にそれはないと思いますけど…。それはそうと、気持ちは落ち着きましたか?」

「あぁ……うん、もう大丈夫だ。さっきは取り乱してすまなかった、もう泣かないから安心してくれ。」

「はい。私も莉乃さんが涙を流すのは見ていて辛いですから、王様にもなるだけ早い使用許可を頂けるように進言しておきました。」

「ホントか!ありがとうクロ!」


あたしは嬉しくなって思わずクロの両手を握った。

クロも安心したような笑みを浮かべて、手を握り返してくれる。

帰れるなら今晩にも帰りたいけど、クロが助けてくれてるんだ、焦らずに待とう。

あたしが余計なことして、帰ることさえできなくなったら大変だもんな。


「ところで莉乃さん、実は王様が上座に来ないかと仰っているのです。何やら話がしたいとのことで。」

「王様があたしと?」


言われて視線を王様に向けると、あの黄金の瞳が真っ直ぐにこちらに向いていた。

何故だろう、胸騒ぎがする。

あの瞳に見られると、平常心が揺らぐ。

でも断るわけにもいかないか。


「わかった、じゃあ連れていってくれ。」

「はい、それではこちらへ。」


クロの後ろに続いて、上座への階段を上る。

さっき挨拶に来たときは、この段差は越えなかった。

許可された者だけが上がれるその高さは、大した違いなんてないのに、何処か絶対的な格差を示しているようだ。

背筋を悪寒が通り過ぎる。

それをあたしは頭をふって振り払った。

真也に会うためにも頑張らないと。

段差を上りきると、あたしは立ち止まり、息を呑んだ。

そこには豪華な食器に盛られた料理が、純白のクロスに並べられていた。

だけどそのどれにも食べた形跡はなく、作られたままの姿で熱を失っている。

そんな冷めたテーブルの向こうで、王様は孤高に座っていた。

周りには誰もいない。

下座にはまだ僅かにも賑やかさがあったけど、ここはそれとも切り離された静寂。

それはまるで郊外の森に建てられた聖堂のようだ。

参拝者はなく、そこは酷く寂れている。

本来あるべきものがない、そう思わせる物寂しさ。

足りないものが何なのか考え始めた時、王様が頬杖をつきながら口を開いた。


「この俺を待たせるとは、偉くなったものだな貴様。」

「申し訳ありません。」


深々と頭を下げたクロを見てつまらなそうに鼻で笑うと、王様は次いであたしを見た。


「さて女、名は何といったか?」

「小湊莉乃です。」

「無闇に長く酔狂な名だな、もう少し短くはならんのか?」

「えっと…友人はみんな莉乃と呼びますけど。」

「リノか…ふむ、それならば俺もそう呼ぶことにしよう。光栄に思えリノよ、俺が名前を覚えるなどそうあることではないぞ。」


「は、はい。」


よく解らないけど、あたしは気に入られたのか?


「おい、この女に椅子を用意してやれ。」

「畏まりました。」

「それとコックを呼び、新しい料理を用意させろ。ここにあるものも片付けさせろ、俺はもう十分だ。」

「…はい。」


 クロは無表情に頷き、あたしの傍に豪華な椅子を運んでくると、微笑んで椅子を引いてくれた。


「どうぞ莉乃さん、お座りください。」

「ありがとうクロ。」


あたしが椅子に座ると、クロが耳元に口を寄せてきた。


「私は厨房に行ってきます。暫く一人にしてしまいますが、決して呑まれないでください。」

「あ、うん。」

「ふんっ、俺の前で秘め事か?」

「いえ、お手洗いの場所を教えただけですよ。」

「…まぁ良い、早くいけ。」


クロは失礼しますと告げて、静かにこの場を後にした。

残されたあたしはどうすればいいのか判らず、ただ王様の出方を待つ。

王様は何も言わず、あたしを観察するようにこちらを見ている。

うぅ、気まずい。

人見知りするわけじゃないけど、相手は一国の王様だ。

下手なことを言って機嫌を損なわれたら帰れなくなる。

慎重に、言葉を選ばないと。


「…リノよ。」

「は、はい。」

「貴様は俺が怖くないのか?」

「…怖い、ですか?」


王様は無言であたしの目を見てくる。

どうしてそんな疑問を持つのか、あたしはいまいち解らない。

あたしは怖いと思っているわけじゃなく、畏れている。

感じているのは、帰れなくなることへの不安だけだ。

だって見た目は美形の王様だし、口調が荒いわけでも、敵意を向けられてもいない。

眼力とか威圧感は凄いけど、眼力だけならもっと凄い人を見たことがある。

あたしは真っ直ぐに王様の目を見て笑顔で答えた。


「怖くはありません、綺麗なお顔をされていると思います。」

「………。」


あたしがそう答えると、王様は呆気にとられたように目を見開き、頬杖を解いた。

あたしはその姿を見て、すぐにハッとする。

あ、もしかしなくてもまずいこと言ったか!?

王様が聞きたかったのはそういうことじゃなかったかもしれない。

うあぁ、やっちまったー!

すると王様は片手で両目を隠すと、口元を笑みに形に変えた。

そしてこっちが驚くくらい、大笑いしだしたのだ。


「ふははははははは!リノ、貴様は中々面白いな!くくっ、俺の顔が綺麗だというのか。」

「う、すみません。」

「何を謝る、よもや嘘を吐いたというわけではあるまい。」

「嘘は言いません、あたしは本当にそう思ったんです。」

「くくく、ならば問題はあるまい。今まで多くの下らん美辞麗句を言われてきたが、そんなことを言われたのは初めてだ。」

「そうなのですか?」

「あぁ、大抵はただ王の意向に縋るような言葉を並べただけでな、そいつの本心など欠片も含まれてはいない。だが貴様の言葉には本心を感じた、しかも見た目が良いなどとまさに下らんことを言うとは。」


王様は心の底から楽しそうに、大口を開けて笑っていた。

うぅ、恥ずかしい。

ウケたから良かったものの、物凄く馬鹿だと言われてるみたいだ。

だけど幸いにも重苦しい雰囲気は吹き飛んだ、変な緊張も和らいだし。

そこにクロがコックさんを引き連れて現れ、大笑いする王様を見て驚いた顔をした。

コックさんが新しい料理と取り換えている間に、クロがあたしに訊いてきた。


「どうしたんですか?王様がこんなに笑うなんて初めて見ましたよ?」

「う、それは…。」

「くくく、このリノという女、この俺を怖いかと訊いたらな、顔が綺麗だと言い出したのだ。これが笑わずにいられるか、ふははははは!」


腹を抱えて笑う王様と恥ずかしさで俯くあたしを見比べて、クロは何とも言えない表情になった。

それから暫く、あたしは王様の質問に答えながら、クロも交えて話し込んだ。

王様は最初の大笑いからずっと楽しそうで、どこか嬉しそうな表情も浮かべていた。

初めに会った時との違いに驚いたけど、きっとこんな雰囲気こそがこの人の本来の姿なのかもしれない。

そんな王様を見るクロの表情も穏やかで、こんな姿を見るのは本当に久しぶりなんだろう。

そして賑やかな時間が過ぎて時間も随分と遅くなった頃、クロが立ち上がって王様に言った。


「王様、そろそろパーティーもお開きに致しましょう。」

「む、話に興じすぎて忘れていた。」

「えぇ、私もすっかり楽しませて頂きました。故に宴もたけなわ、この辺りで楽しいままに終わらせましょう。」

「ふん、貴様の言は尤もだ。では早速号令をかけよ、宴は終わりだ。」

「畏まりました。」


クロは頷くと何人かの兵士を呼び寄せて、兵士たちは敬礼して下座の方へと歩いていく。

しかし、あたしも想像以上に楽しんでしまった。

でも楽しんでばかりもいられない、まだ訊くべきことが残ってる。

あたしはクロが戻ってきたのを確認してから、王様に向き直った。


「王様、楽しませていただいてありがとうございます。」

「構わぬ、俺も久しぶりに笑ってしまった。……あぁ、確かに楽しかった。貴様のお蔭だなリノ、褒めて遣わす。」

「とんでもないです、あたしなんかのつまらない話で。」

「…そこでだな、俺は考えたのだ。」


王様は身を乗り出してあたしの手を掴むと、不敵に笑って言った。


「リノよ、俺の妃になれ。」

「妃って……えぇ!?」


あたしは驚きのあまり立ち上がってしまった。

その拍子に座っていた椅子が勢いよく倒れ、派手な音を立てた。

会場にいた多くの人たちが、あたしの声と椅子の音に驚き、何事かとこちらに注視する。

でもあたしはそれどころじゃない。

これって求婚されてるよな、そうだよな!

うわぁー、何でそうなるんだよー!

あたしたちはまだ出会って初日だぞ!

ってそんなことが重要なんじゃない。

あたしは真也としか結婚するつもりはないぞ!

あぁでも告白とかはされたことあるけど、求婚されたのって初めてだ。

しかも相手は王様、断りづらすぎる!

あたしが大混乱で動けなくなっていると、クロが走ってきて声を荒らげた。


「王様、それでは話が違います!莉乃さんを無事にゲートで送り返す、そういう約束だったはずです!」


その声を聞いた王様は、鼻で笑って答えた。


「元の世界に帰るよりよほど好待遇であろう、それに俺はこのリノが気に入ったのだ。欲しいものは手に入れる、それが王としての特権であろう。」

「莉乃さんはモノではありません!私は必ず莉乃さんを帰すと誓った、だから私は王様がそう仰るのであれば…。」

「はっ、俺とであれ戦うというのか?面白い、なれば早急に貴様を消し去り、リノを俺の物にしてやろう。」


王様はあたしの手を放すと、その手で何もない空を掴んだ。

その瞬間に現れたのは、黄金で拵えられた一振りの長剣。

その輝きを合図に、あたしたちを兵士が取り囲んだ。

クロは何も持たず、徒手空拳で構えをとった。

………真也、何があってもあたしは約束を守るぞ。


「王様。」

「む、どうしたリノよ。俺の妃になる決心がついたのか?まぁ迷うことでもない、答えなぞ初めから決まっているであろうな。」

「はい、あたしの答えは一つです。」


あたしは深呼吸して、しっかりと王様を見た。


「あたしは元の世界にいる大切な人に会いたい!だから必ず帰ります、あなたの妃にはなりません。」

「莉乃さん…。」


呆気にとられた顔のクロにあたしは振り返り、精一杯笑う。


「頼むぞクロ、あたしが帰るのを手伝ってくれ。」

「……我が命に代えましても、御身御守護を務めさせて頂きます。」


クロがそう言って微笑み、そっとあたしの前に出た。

目の前には、つまらないものを見るような瞳で、王様があたしたちを見ている。


「揃いも揃って俺の期待を裏切りおって。結局貴様らも、俺を理解できぬ愚物であったか。」

「そうして他人を切り捨てていては、いつまでも貴方の心は休まりませんよ。」

「この俺を愚弄するか!」

「そのようなこと、誰がいたしましょう。私は貴方の側近であり……一番の友人なのですから。」


あたしはその言葉に、クロの背中を見た。

クロが王様の友達?

つまりクロは、大切な友達に戦いを挑むってことか?

単なる主従関係ではなく、友達を倒す戦い。

しかも、あたしのせいで。

あたしが止めるために声を出そうとすると、それに気づいたクロが首を横に振った。

その瞳は大丈夫だと言っているように見えて、あたしは言いかけた言葉を飲み込んだ。

クロは再び王様に向き、言葉を続ける。


「貴方が王となり、この国を治めることになった頃、他国や執政官から様々な策略を仕掛けられていたのは知っています。そしていつしか、他人を信用できなくなったことも。」

「チッ、余計なことを囀るな。」


王様は悪態をつくも、クロの言葉を否定しない。

そうか、信用できないからこそ、食事にも一切手をつけなかったのか。

唯の一人も信用できないとは、一体どれほどの孤独なのだろう。

王様は苦虫を噛み潰したような顔をして、剣をクロに向けたまま話を聞いている。


「私が気がついた頃にはもう、貴方の雰囲気は人を寄せ付けなくなり、貴方から笑いが消えた。周りの者はその雰囲気にたじろぎ、その態度がまた貴方を疑心暗鬼にさせる。」

「………。」


そのクロの言葉に、周りであたしたちを囲んでいる兵士たちの表情にも陰りが生まれた。

誰もが感じていて、しかし何もできなかった事実。

それをこんな状況になって、誰かに言葉として聞かされて、初めて悔しさという形で自覚したのだろう。


「莉乃さんを好きになるのもわかります。莉乃さんと話した時間はごく僅かでも、貴方にとって、久しぶりに自然と心が許せた人なのでしょうから。」


優しく言葉を連ねるクロと、いつしか床を見つめて黙っている王様。

暫くの静寂があって、王様は顔を上げた。


「………だからこそ、俺はリノを帰したくはないのだ!そこを退けジョーカー!俺は願いのためならば、無敵と呼ばれた貴様とて打ち破ってみせる!」


王様が剣を掲げ、呼応するように周りの兵士も臨戦態勢をとる。

クロは周りを一瞥して、小さな溜息を吐いた。


「…その名前だけは、聞かれたくなかったのですけどね。」


クロが片手を前に突き出すと、いつの間にかその手には巨大な大鎌が握られていた。

それはひたすらに黒く深く、呑み込まれそうな闇の色。

まるでそこだけ景色を切り取ってしまったみたいに、禍々しい存在感を放っている。

あれが、クロの武器。

それにさっき、王様がクロのことをジョーカーって呼んでいた。

この世界がトランプのルールに基づいているのなら、ジョーカーって。

クロは大鎌を軽く振るうと、王様に向けて言い放つ。


「では私も、友人として貴方の我が儘を止めることに致しましょう。本気でいきますが、なにぶん久しぶりの実戦です……手加減はできませんからそのつもりで。」


そのクロの言葉に、王様以外の兵士たちがざわめく。

だけど王様はそれすらも面白いという風に、不敵な笑みを浮かべて見せた。


「手加減とは、俺をただのキングと甘く見るなよジョーカー!貴様のその余裕、必ずや崩してみせようぞ!」

「もちろんです。歴代最強と言われた貴方のその力、全力を以てお相手いたしましょう。」


そう言ったクロは、王様から目を離さずにあたしに言う。


「莉乃さん、私が道を切り開きゲートの部屋まで進みます、はぐれずについてきてくださいね。」

「あぁわかった、ありがとうクロ!」

「いえ、元を正せば私のせいですから。それにこの戦いは、膠着していた一つの問題を解決してくれるかもしれませんから。なので莉乃さんは気に病まず、ただ愛する人の元へ帰ることだけを考えてください。」

「うん……もちろんだ!」


本当にありがとうクロ。

あたしのためにここまでのことをしてくれて感謝してるよ。

だからこそあたしは、必ず真也のところに帰るんだ。

クロがあたしの返事を聞いて、ゆっくりと構えを変える。

それが開始の合図。


「では…行きますよ!」

「ジョーカーを討ち取れ!」

『オオオォォォォ!!』


雄叫びを上げて、大勢の兵士たちが剣や槍を構えて走ってくる。

クロは鎌を後ろに構えて、あたしに叫ぶ。


「莉乃さん、私が踏み出した瞬間に同じく走り出してください。向かうは最下層の地下祭壇です!」

「わかった!」


クロが深く体勢を落として、一歩を踏み出した。

よしっ、今だな!

あたしも置いていかれないように、クロの後ろを走り出す。

だけどすぐに足を止めそうになった。

何しろ前を行くクロは、あまりにも圧倒的だったからだ。

斬撃の渦が敵陣を切り崩し、その力に怯えた兵士たちが後ろへと下がる。

そこにできた道を、あたしたちが駆け抜けていく。

切り裂かれた兵士たちは、ポンと可愛らしい音を立てて消え、そこにはトランプが散らばっていた。

なるほど、負けた者はカードに戻るのか。

でも感心してる場合じゃない。

後ろからはあたしを捕まえようと追いかけてくる兵士たちもいるんだ、もたもたしてたら掴まってしまう。

懸命に走りながら、クロの動きを見ていた。

まるで全方位が見えているみたいに、鎌で相手の武器を刈り取っていく。

時々蹴りで鎌の動きをカバーしたりと、戦い方まで真也とそっくりだ。

色んな部分が似すぎてて、初めて出会った気がしない。

だからなんだろうな。

こんなに危険な状況なのに、安心して走っていられるのは。

絶対大丈夫だなんて信じていられる。

だから真っ直ぐに目指す、真也のいる世界を!



金属のぶつかり合う音が、豪華の王城の廊下に木霊する。

床にはたくさんのトランプが散らばり、まるで誰かが今まで遊んでいたかのようだ。

だけど実際に行われているのは遊びではなく、鈍く光を反射する剣や槍を使った攻防戦。

あたしはクロの後ろで、息を切らしていた。

はぁ…はぁ…、なんて体力をしてるんだクロは。

あたしはただ走っているだけなのに、クロは戦いながら尚あたしよりも速く走る。

王様が無敵と言っていたのも頷ける、あれほどの強さをあたしは知らない。

何しろここまで来て、唯の一つも傷を負っていないのだ。

暗闇そのものみたいなあの大鎌は、兵士の武器をそこに何もないかのように斬り裂いていく。

あれじゃどんな物でも盾にはならない。

武器の能力からして最強っぽいのに、驚くのはクロの体捌きだ。

一度も無理な姿勢になることもなく、流れるような動きで相手を翻弄する。

あんな動き、武器の性能に頼っただけの者では到底できない動きだ。

そんなクロの戦いに見惚れていると、最後の一人をトランプに戻したクロが、振り返ってあたしに微笑む。


「ふぅ…大丈夫ですか莉乃さん?」

「あぁ、あたしは平気だ。それにしても強いなクロは。」

「いえ、私なんてまだまだですよ。」

「そんなことないだろう、本当に無敵だなってあたしは思ったぞ。」

「そんなことありません。私は莉乃さんがいた世界で、二度も敗北していますから。」

「はぁ!?その強さで二度もか!?」

「はい、あの二人は別格の強さでしたよ。あそこまで遊ばれてしまうともう泣きたくなりますね。それで一人は飲み物を提供するお店の主人だなんて、あの世界は不思議でいっぱいです。」


……それは本当に人間だったのか?

クロの動きは達人のそれだし、武器だってあちらの世界では規格外だ。

それを遊ぶように倒すなんて、人間にできることなのか?


「それより、そろそろ終着点ですよ莉乃さん。」

「お、ホントか。」


クロが真剣な表情で、前方を見る。

そこには重厚な鉄の門扉が、全てを拒むように固く閉じられていた。

クロは大鎌を構え直して、振り返らずに言う。


「莉乃さん。この先には間違いなく王様と、騎士団長を含めた精鋭部隊が待ち構えています。ここまでの相手のように容易く突破させてはくれないでしょう。なので、莉乃さんに危険が及ぶかもしれないことを先に謝っておきます。」

「大丈夫だ、あたしは自分をきちんと守るから、クロはあたしを気にせず全力で戦ってくれ。」


あたしがそう言うと、クロは一瞬笑った気がした。

頼もしい、余裕のある笑みだ。

真也に似た彼はそうして区切りをつけると、大きく一歩を踏み込むと、立ち塞がる扉を薙ぎ払った。

思わず耳を覆いたくなるような轟音が響き渡り、廊下の先が開ける。

そこは巨大な祭壇のようになっていた。

揺らめく炎を宿した燭台が奥へと平行に並び、薄ぼんやりと部屋を照らしている。

部屋の左右には石板が並び、見たこともない文字で何かが刻まれていた。

そしてそれらを見渡すように、王様は立っていた。

石の階段を上ったところで、威風堂々と剣を構え、配下の兵士で前面を固める。

王たる者の威厳を見せつける、決着のための布陣。

王様の背後には、あたしのゴールであるゲートが、空間を歪めて見せている。

あれを通れば、元の世界。

クロは全体を見渡してから、一歩前へ出た。


「お待たせしました王様、早速ですがそこを退いてもらうことはできませんか?」


王様は小さく鼻で笑うと、怒気を孕んだ声で言った。


「答えるまでもない。貴様はここで果て、リノは俺の妃となる。これは既に決定したことだ。」

「彼女の幸せはどうなりますか?」

「ふんっ、俺の妃となるのに幸せでないという方がおかしな話であろう。これほどの栄誉に与れるのだ、他に何かを望むなど強欲が過ぎるであろうが。」

「なるほど、それではやるべきことは決まっていますね。」


引き返せない分水嶺を超えた。

互いは無言を以てその応えとし、武器鳴りの音が武者震いの代わりとなる。

誰かが息を呑んだ。


「その願い……改めさせましょう!」

「やれるものならやってみろ!」


踏み出した足に体重が乗る。

残された足が、地面を蹴る。

弾丸のように前へ飛び出し、互いの距離を詰め、必殺の間合いを奪い合う。

クロの流れるような攻撃が、鎧姿の騎士たちに向けられる。


「あれ?」


思わず声が出た。

不意によぎる違和感。

さっきまでの戦いと今の戦い、その違いについ声が出たのだ。

音が、しない?

廊下までは響いていた音が、ここではまるで抜け落ちてしまったみたいに聞こえない。


「くっ、やりますね。」


クロが悔しげに言葉を漏らす。

躱されている、クロの攻撃が。

触れるか触れないか、その紙一重のところで刃は当たらない。

ならばと前に進もうとすれば、嫌なタイミングで攻撃を仕掛けてくる。

そのせいで反撃が遅れて、鎌で攻撃を防ぐしかない。

何だ、この統制の取れ方は。

これじゃまるで、クロと戦うために用意された部隊だ。

王様は、側近が裏切ったことさえも考慮に入れていたというのか?

どんなに強力な武器も、当たらなければ無意味だ。

そして大きな武器ほど、動きの型が決まってくる。

クロはその弱点を流れるような動きと速さでカバーしていたけど、あそこまで徹底して弱点を攻められたら誤魔化しきれない。

これじゃ消耗戦だ。

クロは既にたくさん戦ってきてるし、相手は熟練の騎士が複数だ。

王様は未だ数名の騎士を従えたまま戦いには参加していないし、恐らく従えているのは今戦っている騎士よりも上手だろう。

くそっ、あたしは何もできない。

せめて武器さえあれば戦えるのに。

あたしが悔しさに顔を歪めていると、王様が意地の悪い笑みを浮かべた。


「どうしたのだジョーカー、その様では到底リノを守れまい?」

「まったく、随分と鍛え上げたようですね。」

「ふんっ、先ほどまでのお粗末な連中と比べてやるなよ。そいつらはそれぞれが騎士団長を務めるに相応しい力を持っている、油断していると貴様とて負けを許すぞ。」

「それはまた、各国の力関係が歪んでしまいそうですね。」

「まぁそれも、ここで果てる貴様には無用の心配だ。…おい、リノを俺の元へ連れてこい。」

「御意!」


王様の前にいた騎士が、武器を揺らしながらこちらに歩きだす。


「止めなさい!彼女には待っている人がいるのです、騎士の誇りはどうしました!」

「ジョーカー様、我々には他人の運命を背負う力はありません。私も含めて皆、貴方のように強くないのです。」


騎士はそう告げると、静かにあたしの前に立った。

申し訳なさそうな表情で、しかし無慈悲に伸ばされる右手。

クロは必死にあたしの方へ来ようとするも、他の騎士たちがそれを許さない。

心臓が絶望に痛む。

あたしはここで掴まって、あの王様と一生を過ごすのか?


――嫌だ!


あたしは真也との人生を歩みたいんだ!

こんなところで、その夢を奪われたくない。

あたしの肩を、鎧に包まれた手が掴む。

恐怖に目を閉じた。

真也…助けて。


「……そんな不躾な手で女の子に触れたらダメだよ!」

「な、貴女は!グハッ!」


誰かの声がして、肩に触れていた手が離れた。

何が起きたんだ?

それに今の声は聞いたことがあるような…。

恐る恐る目を開く。

そこには真っ赤なドレスに身を包み、紅い大鎌を携えた女性が立っていた。

長い金色の髪を空色のリボンで結い上げ、左手首にはシルバーのブレスレット。

誰もが聴き入ってしまいそうな、高いけれど澄んだ声。

あたしは思わず記憶の中の少女と重ねて、その名前を呼んでいた。


「真耶!?」

「え、わたしのこと?」


振り返った彼女は、クロとそっくりの顔をしていた。

同じだけど、でもちゃんと女の子だとわかる顔。

まさかそんなところまで同じだなんて…。


「あ……すまない、知り合いと似ていたから。貴女はもしかして…。」

「うん、あそこにいる黒きジョーカーの対となる者、紅きジョーカーです。」

「姉さん!?どうしてここに!?」

「やっほー、お姉ちゃんが弟君のピンチに駆けつけたよー!」


赤いドレスの女性は大きく鎌を後ろに引くと、クロに群がる騎士たちに向かってそれを投げつけた。

不意を突かれた騎士たちは、鎌による一撃によってトランプに戻り、その動揺の隙を見逃さなかったクロは、周りに残っていた騎士たちもまとめて倒してしまった。

鮮やかなその動きに、王様が舌打ちする。

女性は優雅に歩いていき大鎌を掴むと、高らかに叫ぶ。


「紅きジョーカー参上!女の子を怖がらせるような人は、わたしが成敗してあげる!」


凶悪な武器を構えて可愛らしく名乗り上げた女性を見て、あたしは唖然とした。

二人目のジョーカー?

確かにトランプは大抵ジョーカーが二枚入っているけど、まさかクロのお姉さんまでそのジョーカーだったなんて。

それに、今度は真耶にそっくりなお姉さんか。

……なんか、嬉しいな。

こちらの世界では、ちゃんと一緒にいられるんだ。

服装とかは違うけど、仲良さそうに並ぶあの後ろ姿は、胸に懐かしさを運んできた。

元気いっぱいの真耶と、困ったような笑みを浮かべる真也。

何年か前の記憶が、目の前に再現されている。

二度と見ることは叶わないと思っていたその光景は、別人だとしてもぴったりと重なった。

本当に、嬉しい。

クロはそんな姉を見て苦笑すると、親しみを込めた笑みで言う。


「ありがとうございます姉さん、お陰で助かりました。」

「大丈~夫!お姉ちゃんはいつだって弟の味方なのです!」

「あはは、それは心強い。流石は姉さんですね。」

「ふふふ~、愛しの弟から褒められちゃったからもっと頑張っちゃうよ!」

「…下らん茶番はそれで終わりかジョーカーども。」


緊張感なく会話する二人にイラついたのか、王様が眉間に皺を寄せながら二人を睨みつけた。

常人ならそれだけで動けなくなりそうな眼力を受けて、それでも平気な顔をしてお姉さんは問いを返す。


「久しぶりだね王様、なんか暫く見ないうちにまた偉そうになったね。」

「はっ、姉弟揃って常に行方不明な貴様らに言われたくはない台詞だな。そもそも側近が並んで俺に敵対しているとはどういうことだ?」

「確かにそうだね。だけど王様、今回のことは王様が悪いと思うよ?莉乃ちゃんの幸せは向こうの世界にあるんだから、素直に帰してあげないと。」

「俺がリノを気に入ったのだ、ならば素直に従うべきはどちらなのか、言にすべきこととも思えんがな。」

「はぁ、どうして君はそんなに頑固さんなのかな。…なら、もうやるべきことは決まってるよね。」

「無論だ、貴様に言われずとも解っている。カードとは元来競い合わせるものだからな。」

「まったく、姉さんも王様も好きですね。」


不敵に笑う王様、楽しげに笑うお姉さん、呆れて笑うクロ。

あたしは思う、これは兄弟喧嘩みたいなものだと。

それにしては他人を巻き込みすぎだし、規模も呆れるくらい大きいけど、やっぱり兄弟喧嘩なんだ。

そう思えば安心する。

だってそういう話なら、最後は仲直りだって知ってるから。


「クロ!」


願いを込めて呼びかける。

クロは振り返ると、優しい笑みを浮かべて頷いた。


「クロって何?」

「莉乃さんが私に付けてくれた名前です。最初にジョーカーだとは名乗らなかったので。」

「へえ~、なんか親しみやすくて素敵だね。わたしもこれからはそう呼ぼうかな。」

「えぇ、私も気に入ってますよ。…さて、では始めましょうか。莉乃さんを元の世界に帰してあげませんと。」

「うん、そうだね!」

「ふんっ、そうはさせんぞ。お前たち、己が武勇の全てを以て戦え!」

『御意!』


それぞれが武器を構え、臨戦態勢に移行する。

息を呑む音が聞こえそうなほどの、僅かな静寂。


「行くよ!」


お姉さんが叫ぶと同時、ジョーカーの位を冠する姉弟が一瞬で彼我の間合いを詰めた。

刹那の交差の内に、数回の剣戟の音が響く。

圧倒的な速度。

ついてこれない者は置いていくと告げるように、捌ききれなかった騎士はトランプに戻っていく。

さっきまでの劣勢が嘘のように、立場が逆転してる。

想定した唯一の敵に対する集団戦法。

それがあって初めて、最強のジョーカーに対抗することができる。

でもこうして二枚のジョーカーが揃ってしまえば、それは何者も抑えることのできない真の最強となるのだ。


「わたしたちが揃えば負けないよ!」

「姉さんと共にいれば無敵ですね。」

「チッ、厄介な姉弟だ。貴様ら、それでも騎士団長を務める者なのか?」

『くっ、御意!』


騎士たちは明らかに恐れを抱いた表情で、自らを奮い立たせるように剣を握りしめた。

あれはもう、戦える顔じゃない。

あたしがクロを見て首を横に振ると、クロもそう感じていたのか頷いて叫んだ。


「王様、私と一対一の決闘をしていただけませんか?」


その言葉に騎士たちは驚き、お姉さんは目を閉じて微笑んだ。

ただ一人、王様だけが苛立ちを顕わにした。

まるでその申し出が最大の侮辱であるように、王様はクロに剣を向ける。


「貴様、それは情けのつもりか?」

「…そうかもしれません。ですが貴方にも解るでしょう?このまま戦えばどのような結末が訪れるのかを。」

「チッ。」


実力差は明らかで、誰ももう戦いたいとは思っていない。

このままなら、この戦いは意味など残らない結末を迎えるはずだ。

だけど、お互いにもう冷静だ。

なら、意味を持たせることもできるはず。

クロは優しい、だからこそ後味を悪くしないためにも、この決闘は必要だ。

無言のまま睨み付ける王様に、お姉さんが語りかける。


「いいじゃない、男の子は存分に気持ちを吐きだすべきだよ。わたしもそこの騎士たちも手は出さない、もちろん莉乃ちゃんにも手は出させないし、わたしが必ず守るわ。」

「だがそれは、俺にリノを諦めろというのか!」

「当然でしょ。莉乃ちゃんにはもう心に決めた人がいる、その大切な想いを無視して力ずくなんて、王様だろうとやっていいことじゃないよ。」

「なら俺は何処のこの思いをぶつければいい!」


王様が剣を振り、一歩前へ出て叫ぶ。


「俺の思いは大切ではないのか?リノは俺を恐れずに語りかけてくれた、久しぶりに俺を心から楽しませてくれた。そんな人間は他にいない、それを手放せと言うのか!」

「だから私たちがいるのでしょう!」


クロも大きな声で叫ぶ。

王様に、自分の気持ちが届くように。


「私も姉さんも、ずっと貴方の友達でしたよ!」

「だが貴様らは揃って城を空けていただろう!俺はただ独り、語り合える相手もいないまま、ひたすらに長い時を過ごさなければならないのか!リノを妃として迎え、傍にいてほしいと願うことはそんなにもおかしなことなのか!」


王様の言葉が、広いホールに木霊する。

思いを乗せたその言葉に、誰もが言葉を失っていた。

クロも、そしてお姉さんも、自分たちが無意識にしてきたことに、もう何も言えない。

その孤独に気づいてやれなかった悔しさと、自分の不甲斐なさに。

これは小さな擦れ違い。

誰もこうなりたかったわけじゃない。

初めはきっと、小さな遠慮からだったんだろう。

旅立つクロたちを止めたくてもできなかった、王様の遠慮。

その遠慮に、知らず甘えてしまった二人。

それはいつしか大きな亀裂となって、不審とぎこちなさに変わってしまった。

そこにあたしが来て、その状況に一石を投じてしまったんだ。

王様に対する、最後の希望のように。

なら、あたしもけじめをつけないといけない。

あたしは静かに歩きだす。

それに気づいたクロたちが、あたしを止めようと名前を呼んだ。


「莉乃さん!」

「莉乃ちゃん!」

「大丈夫、きっと大丈夫だから。」


ゆっくりと王様へと歩いていく。

王様の傍で身構えていた騎士たちも、その身をそっと退けた。

剣を構えた王様の正面に立つ。

その表情は辛そうで、何を言われるのか既に知っていると、そう覚悟したものだ。

あたしは静かな気持ちで、自分の思いを口にした。


「王様、あたしは元の世界に帰りたい。そこにいる大切な人と、いつか一緒になりたいから。」

「俺と一緒にいるより、その男と一緒の方が良いというのか?」

「うん。世界中のどんな人に想いを告げられたとしても、例えどれだけのことをされても、あたしは真也を選ぶよ。」

「……そうか、それほどの想いなのだな。」


王様はそう言うと、静かにうなだれた。

ごめんという言葉が出そうになって、あたしはそれを飲み込んだ。

それは決して言ってはいけない。

想いを受け入れないというのは、互いに傷を受けること。

あたしが謝ってしまったら、それはあたしの傷を和らげる免罪符になってしまう。

この人の気持ちを、そうして汚すことは許されない。

だからあたしは、元の世界に帰らないと。

暫くうなだれていた王様は顔を上げて、そっと剣を納めた。

そしてあたしに向き直ると、小さくだが頭を下げたのだ。


「俺が間違っていたようだ。リノは俺の想いをきちんと聞いてくれた、それにきちんと答えを返してくれた。お前は最後まで、俺の想いを無視しなかった。ありがとう、迷惑をかけたな。」

「…ううん、あたしの方こそありがとう。その真摯で強い思いを向けられる相手が現れることを、あたしも願っているよ。」

「…ふん、先は随分と長そうだがな。」


苦笑して王様は手を出した。

あたしはその手を見て、笑いながら握った。

親愛の証として、世界を分かたれても忘れないために。



そして別れの時が来る。

時空を歪ませて見せるゲートの前、あたしはクロと並んでそれを眺めていた。

これを抜ければ、初めに通った洞窟の入り口に出られる。

そこはあたしがこちらの世界に来た直後の向こうの世界。

真也はまだそこまで心配してないかもしれないし、もしかしたらまだお昼ご飯を買う列に並んでるかも。

でも何処かの時間にいる真也は、あたしを探して走っているかもしれない。

どちらにしても、早く戻らなきゃ。

あたしは隣のクロの方を向き、頭を下げた。


「世話になったなクロ、色々とありがとう。」

「こちらこそ、色々とご迷惑をおかけしました。莉乃さんとの時間は僅かでしたが、かけがえのない時間でした。」


クロが穏やかな笑みを浮かべて、そっと握手を求めてきた。

静かに、あたしはその手を握る。

今更だけど、やっぱり違う。

手の平から伝わる温もりは、クロの方が少しだけ冷たい。

名残惜しくも手を放すと、身体の向きを変えた。

二人で何段かの階段を下りると、目の前にはたくさんの人が並んでいる。

トランプから元に戻った騎士や兵士たち、それとお姉さんと王様が先頭に立っている。

真耶にそっくりなお姉さんは屈託のない笑みを浮かべ、王様は少しだけ拗ねたような表情だ。

クロはそっと隣を離れると、王様の隣に並んだ。

それは姉弟と王様の正しい姿のようで、あたしは安心して笑った。

さぁ、お別れの時間だ。

想像もしてなかったことばかりだけど、それは貴重な体験だった。

驚いたことも、怖かったことも、楽しかったことも、泣いてしまったことも。

クロと出会い、王様と出会い、最後にお姉さんにも会った。

真耶、こちらの世界のお前は、やっぱり弟を困らせているぞ。

でも写真じゃなくて、久しぶりに真耶の顔を見られたのは嬉しいものだな。

僅かな時間だったけど、並んだ二人の姿は素敵だったよ。

あたしは皆を見回して、別れの言葉を口にした。


「皆さん、本当にご迷惑をおかけしました。でもあたしは、この世界に来たことを忘れません。この思い出を、いつまでも胸に秘めておこうと思います。……ありがとうございました!」


たくさんの感謝を込めて、深く頭を下げた。

そして顔を上げると、突然お姉さんに抱きしめられた。


「莉乃ちゃん、向こうに帰っても元気でね。わたしはあんまりお話しできなかったから、よかったらまた会いたいな。」

「うん、あたしもそうしたいと思ってる。それと、勝手にドレスを借りてごめんな。」

「いいよいいよ~、莉乃ちゃんの方がわたしより似合ってるんだから。そのドレスはあげるよ、いつかまた大切な時に着てね。」

「あぁ、ありがとう。」


お姉さんがあたしから離れて、元の位置に戻る。

そして悪戯っぽい笑みを浮かべ、王様の背中を押した。

王様は驚いた顔をして振り返り、お姉さんに向かって怒る。


「貴様、突然何をするか。」

「あのね、寂しいのはわかるけど、それならきちんとお別れくらいしなくちゃダメだよ。」

「む…。」


図星だったのか、王様は困ったような顔であたしに向き直り、小さく咳払いした。


「…リノ、この俺を振ったのだ、必ず幸せになると約束しろ。」


真剣な表情で王様はそう告げた。


あたしは驚いて、でもすぐに力強く頷いて笑う。


「当然だよ、あたしは必ず真也と一緒になってやるからな!」

「その意気だ、そうでなければ俺が惚れた女ではない。」


王様は吹っ切れたようなはにかんだ笑みを浮かべて、その手を差し出した。

その手を握ると、王様はあたしを引き寄せて強く抱きしめた。

あたしが恥ずかしくなってドキドキしていると、王様が他の人には聞こえないくらい小さな声で呟く。


「…ありがとうなリノよ。」

「……ううん、こちらこそ。」


たくさんの意味が込められた言葉が、優しく心に広がっていく。

王様から離れて、あたしはクロに視線を移した。

クロは相変わらずの微笑を浮かべて、穏やかにあたしを見る。

この世界で最も長い時間を過ごした人。

だからこそ、交わすべき言葉はそう多くない。

別れはもう済ませた、だから最後に言う言葉は一つだ。


「クロ。」

「はい、莉乃さん。」

「………またな!」

「えぇ、いつか…また。」


あたしは振り返り、迷わずにゲートへ走る。

背中にたくさんの別れを聞きながら、まっすぐに。

いつの日かまた、彼らに会えることを願いながら。


―――あたしは、ゲートの彼方へと消えた。



「……着いたか?」


長い暗闇をただ真っ直ぐに歩き続け、あたしは漸く光り輝く場所に出た。

潮風が薫る、ゴツゴツした岩場。

真夏の太陽は変わらずに世界を照らし、この蒸し暑さはまごうことなき日本の海だ。

あたしは振り返って、今しがた出てきた洞窟を見る。

きっと、もうあの世界には通じていないだろう。

夢でも幻でもない、泡沫の物語。

でも確かにあの世界はあって、彼らも存在している。

その証拠に、あたしはお姉さんに貰ったドレス姿のままだ。


「って、こんな格好してれば暑いよな。」


いそいそとドレスを脱いで、元の水着に戻る。

薄らと掻いた汗が潮風に冷やされて気持ちいい。

そういえばサンダルは流石に置いてきてしまった、このヒールじゃ岩場は危ないな。

畳んだドレスとヒールを手に持って、ゆっくりと歩きだす。

途中、一度だけ後ろを振り返って、また歩き出す。


「…バイバイ、みんな。」


小さく呟く。

そうしてあたしは砂浜に戻る。

景色は変わらず、たくさんの人々が楽しそうに海水浴を楽しんでいた。

真っ直ぐに、二人の拠点とするレジャーシートの方に足を向ける。

胸の高鳴りが嫌というほど耳に響く。

始めはゆっくりだった歩調が、気がつけば早歩きになり、走り出していた。

早く真也に会いたい。

真也の温もりを感じたい、その声が聞きたい。

抱きついたら驚くかな。

でも、真也にとっては僅かな時間でも、あたしにとっては一日ぶりなんだ。

だから、少しくらい我が儘をしてもいいよね。

人垣を掻き分けながら、やっとのことでシートまで辿り着いた。

でもそこに真也はいない。

もしかしたらまだ買い物をしてるかもしれない、或いはあたしを探してるのかも。

不安が胸をよぎる。

ドキドキと苦しくなって、不意に涙が溢れそうになった。


「うぅ……真也―!」

「…なんだよ大声出して。」


堪えきれずに叫んだ瞬間、後ろから懐かしい声がした。

クロと同じだけど、少しだけ違う声が。

振り返る。

そこには確かに、あたしの一番大切な人が、首を傾げて立っていた。

もうダメだ、我慢できない。

うるうると涙が溢れて、あたしは周りの目も憚らず思いっきり抱きついていた。

びっくりした真也があたしを支えきれず、二人揃って砂浜に倒れる。

そして、あたしの胸に満たされていく温かな気持ち。

嬉しくて幸せで、さっきまでの寂しさが一瞬で吹き飛ぶような、そんな愛しさ。

倒れるとき、真也が背中と頭に回してくれた腕が、しっかりとあたしを抱き締めてくれてる。

あたしが真也の胸に顔埋めていると、真也があたしを抱き締めたまま身体を起こしてくれた。


「大丈夫か莉乃姉?」


最初にかけてくれた言葉が優しくて、ついまた泣きそうになる。

本当に、真也だ。

真っ先に心配してくれるその優しさは、間違いなくあたしの好きな人だ。


「…うん、大丈夫だよ。」

「なら良かった。…それで、急に抱きついてきたのはどうしてだ?」

「………寂しくて苦しかったんだ、だから真也に会えたら嬉しくて。」


「いや、まだ別れてから五分くらいしか経ってないぞ?」

「あたしには丸一日に感じたんだ!」

「はぁ!?…ったく、どんだけだよ。」


そう言いながらも抱きしめた腕は離さないでくれた。

もう言葉では表せない、そんな気持ちで胸がいっぱいだ。

本当に、帰ってこられてよかった。

漸く顔を上げる。

すぐ間近に、真也の困った顔があった。

でもその表情も、すぐに微笑みへと変わる。


「…ったく、何でそんな嬉しそうな顔してんだよ。」

「えへへ、だって嬉しんだもん。」

「やれやれ…落ち着いたか?」

「うん、ありがとう真也。」

「あぁ。さて、とりあえず飯を買いに行くか。」

「え?……あ。」


何も考えずに抱きついたけど、真也はご飯を買いに行ってたんだった。

でもその手に持っていた焼きそばは、砂まみれになって落ちていた。

あたしは苦笑しながら真也を見上げる。


「ごめんなさい。」

「まぁ構わないさ、また買いに行けばいい話だ。これを片付けたら、今度は一緒にな。」

「…うん!」


微笑む真也と一緒に立ち上がり、落とした焼きそばを片付けてから、海の家へと歩きだす。

その手を、しっかりと握って。

こうしてあたしの小さな冒険は終わった。

いつかまた、彼らと出会えることを。


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