第一章⑦
深夜零時五分前を那珂島の時計は回っていた。
「うー、凍ってしまいそうだ、」隣に立つ誉田は白い息を吐き、自分の両腕を擦りながら言う。水の魔法使いの誉田にとってそれはメタファではなく予測である。「ナナさん、寒くないんですか? とても平気な顔をしている」
那珂島と誉田はすっかり雪化粧をした村崎邸別邸の庭の木の下にいる。
「寒くない、」那珂島は言い切る。滅茶苦茶寒いけれど、言い切る。見える場所にアンナがいるからだ。「むしろ熱いくらいだわ」
「僕に強がらなくていいですよ、」誉田はアンナの方を見ながら那珂島に耳打ちする。「ナナさん、僕の前ではありのままのナナさんでいてください」
「はあ、どういう意味?」那珂島は誉田から三十センチ離れながら言う。気持ち悪いと思ったからだ。
「いえ、」誉田はチラッと那珂島の目を見て鼻先を搔いてアンナの方に視線を戻す。「なんでも」
アンナは村崎邸別邸の巨大な白塗りの蔵の入り口の前で村崎組の屈強な男たちと何かを話している。彼らは銃で武装をしている。見た目はシンデラ軍製のマシンガン。けれどそれぞれの銃はケーブルでガレージの中のジェネレイタと繋がっている。魔法工学研究の成果である光線銃である。通称ライトニング・ボルト。その破壊力はファーファルタウの魔女に匹敵する。値段は戦闘機に匹敵する。まだ開発されて一年もたっていない代物である。ライトニング・ボルトで武装した男たちは深夜零時に近づくにつれて増えていった。子猫一匹通さない厳戒態勢だ。那珂島がミゼットに積んできた強力なサーチライトも夜空を照らしている。雪が降る夜。五台のサーチライトは幻想的でロマンチックな夜を演出している。
アンナはメイド服の上に光沢のある濃い紫色のダウンジャケットを着込み、笑顔で彼らの中心にいた。アンナは暴力的で手が早い彼らを統べる、無慈悲な夜の女王。素敵だ。アンナはたまに那珂島の方を見る。そして明らかに那珂島に微笑んでくれる。そのときだけ那珂島は寒さを忘れられる。まるで魔法に絡まれたみたいになる。
さて。
そろそろ。
那珂島の狂いのない正確な腕時計は深夜零時を回ろうとしている。
男たちはライトニング・ボルトの安全装置を外す。
ジェネレイタの回転が騒がしくなる。
サーチライトは静かに夜を照らしている。
誰かが現れそうな。
誰かがこの静かな雪の空を壊そうな。
気配がする。
こっそりと近づいてくる。
私たちを騙そうと近づいてくる。
そんな気配を、凍てつく虚ろな空気から感じる。
私は風の魔女のナナ。
「みんな、」アンナの声は緊張していた。「気をつけて」
狂いのない時計は深夜零時を回った。
そして。
一秒。
二秒。
三秒と秒針が進む。
何も起こらない。
何もやって来ない。
那珂島は雪を踏んで空を見回す。
誉田も同じ動作をしている。
村崎組の男たちもライトニング・ボルトのスコープから目を離して空に飛ぶ魔女を探している。
サーチライトに網。
魔女は引っかからない。
今夜は何も起こらないのだろうか?
肩の力を抜いていいのだろうか?
魔女は気を変えたのだろうか?
那珂島はアンナに近づく。
アンナは那珂島の方を見て微笑む。
その時。
風が動く。
風の魔女の那珂島しか分からない微細な動き。
アンナは那珂島の反応に首を傾げる。
那珂島は空を見回していた。
風の動きは渦を巻いている。
冷たい空気が風になってどこかに収束している。
それはサーチライトの照らさない場所が中心。
別邸じゃない、村崎邸の方向。
「サーチライトを向こうに!」那珂島はがなった。
一秒後、男たちは反応してサーチライトを那珂島の指の方向に集中させる。
僅かに魔女の白い陰を見た。その白は魔法を編んでいた。空気の揺れで分かる。
村崎組の男たちは一斉にライトニング・ボルトをその方向に構えている。
直後、凄まじい音がした。何かとても硬いものが破裂したような音。
魔女は何を壊したのだろう?
「アンナ、あそこはお嬢の部屋じゃ?」辻野が近づき早口で言う。
「ええ、ええ、」アンナの声は裏返っている。「そうだわ、そうよ、でも、どうして?」
「人質、ですか?」誉田が物騒なことを言う。
「みんな、」アンナは怒りに満ちた顔をしてがなる。「お嬢を助けにいくわよっ!」
村崎組の男たちの反応は早かった。雄叫びを上げながら一目散に別邸の門へ向かう。
「ちょ、アンナちゃん!」那珂島は冷静だった。アンナの肩を掴んで振り向かせる。「空閑はこの蔵の中、敵の罠かも、警備を薄くして、空閑を奪う気かも」
「ナナさん!」アンナは那珂島の手を触って目を見てくる。見つめてくる。
「は、はい?」
「お願い、ナナさん、」アンナの顔はとても近い。とても冷静じゃいられない。「お嬢を助けて、お願いです」
「アンナちゃんの願いは、」那珂島はアンナの手を握り返した。「何でも叶えるよ」
「ナナさん」アンナは感動している。
那珂島は衝動的にアンナにキスしようとした。
「ナナさん」誉田の声がキスを邪魔する。
「なにっ?」振り返って誉田を睨む。
「ここの警備はどうするんですか?」
「そんなことよりお嬢様の命よっ、誉田、あんた一人で何とかしといてっ」
「そんな無茶な」
「アンナちゃん、行こう」那珂島は箒に跨った。
「は、はいっ」後ろにアンナを乗せる。アンナの柔らかい感触を感じる。
「飛ぶよ」
那珂島は風を起こして一気に浮上。鋭い角度でお嬢様の部屋へ。
お嬢様の部屋の分厚い強化ガラスの丸窓は破壊されていた。
明らかに魔女が侵入した痕跡。
冷たい氷の魔女が魔法を編んだ後。
お嬢様の部屋は吹雪いている。
那珂島は速度を上げ、丸窓があった丸い穴に滑り込もうとした。
しかし。
「ちょ、嘘っ、ええ!?」
氷が物凄い速度で穴を塞いでいた。
那珂島が滑り込む前に、穴は完全に塞がれた。
那珂町だって張り切って物凄い速度を出していた。
だから。
止まれない。
だったらぶつかって、氷を壊してやる。
「スーパ・ソニック!」
高度で緻密な音速の魔法を一秒よりも小さな時間で編む。編み込んでいく。魔法の風が那珂島を包み込んで強引に音速に飛ばせる。
ああ、強引だった。
確実に編み込みが足りなかった。
小さなほころびが沢山あった。
那珂島は氷の壁にぶつかって、気を失った。
氷には傷一つ、ついていない。