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第四章⑱

「もぅ、何で止まってくれないのよぉ!!」

 村崎メグミコは道路の真ん中に出て、通り過ぎるプリウスに向かってがなった。メグミコは紫色の鮮やかな髪を振り乱しながら、隙間が沢山ある屋根が備え付けられたバス停のベンチに戻ってくる。那珂島ナナの隣に座り、太股の上に肘を乗せ、両手で頬を包んで唸る。

「うう、こんなはずじゃなかったのになぁ、」メグミコはそう言って、落ち込んだ顔を見せて、しかし、もう一度前を向く。「でも、諦めなきゃなんとかなりますよね」

「また同じこと言ってる、」那珂島は自分の膝の上に頭を乗せて眠る、室茉ランの髪を撫でる。「でも、これだけ世界が暗いと、明るくなるまで待った方がいい気がするよ」

 数時間前のことだ。メグミコはキュウのアンテナを探知して、一度、舞鶴の港、キュウの居場所に辿り着いた。そこにはスズやマリ、ベニの姿があった。サンダ・バードはキュウの魔力を吸収し、すぐにその場を離脱したため、そのときの状況はよく分からない。そしてよく分からないまま、サンダ・バードに振り落とされ、とてつもない緑が茂った山の冒険をしなければいけなくなった。箒はどこかにいってしまってしまったし、スマホも有効的な機能をしなかった。三人がこの道路沿いのバス停まで出てこられたのはランのおかげだった。微細な空気の流れを読み、遠い場所の音を聞いて、導いてくれたのだ。同じ風の魔女の那珂島でも、そんな繊細なことは出来なかった。やっとたどり着いたバス停の文字はずっと昔に風化してしまっていた。屋根からぶら下がる丸い電球が風に揺れていた。メグミコはその電球を光らせた。どういう原理なのか、一度光った電球はLEDライトよりも白く光り、バス停の中を明るくし続けていた。

 バス停以外は暗く、世界がそこまでで終わっているような気がする。

 だからたまに道路を通り過ぎる車のヘッドライトは、この暗闇の中で、唯一の、手がかり。

 でも、あと六時間もすれば、世界は明るくなるのだから待っていればいいと思った。

「そうですね、」メグミコはじっと那珂島を見てから頷いた。そして暗い前に視線をやって聞く。「……あの、婦警さん、質問してもいいですか?」

「婦警さんって呼んでくれるの、」那珂島は微笑んだ。「あなただけかも」

「あの人は、誉田さん、でしたっけ?」

「誉田がどうしたの?」

「彼氏ですか?」

「違うわ、」那珂島は少し動揺していた。誉田の唐突な告白が思い出されて、顔が熱くなる。「つまらない質問ね、どれくらいつまらないかっていると、逮捕状が出るくらい」

 この冗談も逮捕状が出るくらいつまらないとすぐに思った。

「ふうん、」メグミコはじっと那珂島の瞳をのぞき込んで来る。「本当ですか?」

「本当よ、……本当よ」

 那珂島はメグミコから目を逸らした。やましいことなんて何もないのに。嘘なんてついていないのに。なぜか心臓の音が次第に大きくなってくる。

「……うるさいですぅ」

 ランは寝言を言って、那珂島の胸を触った。

「きゃ」悲鳴が出る。

「……この心臓がうるさいですぅ」

「ええ?」那珂島はランの手を胸から離しながら声を上げる。

「じー、」メグミコは何かを疑う目で那珂島を見てくる。「あやしいのぉ、あやしいのぉ、」そして魔女の目をする。口調はおっさんだった。「本当は好きなんじゃねぇの?」

「もう、何なの? 私が誉田のこと好きだなんて、あり得ないわ、ありえないことだもの、ああ、熱い、」那珂島は風を起こして顔を冷やす。とても寒い夜なのに。「ああ、冷たいコーヒーが飲みたい」

 その折り。

 右の方から、車のエンジン音がした。

 明かりが道路を照らしている。

 メグミコは道路に出て親指を立てることなく、那珂島に誉田との細かい関係を聞いてくる。

 那珂島はうるさい心臓のまま、無視。

 ランは目を覚ました。「……もう、うるさいですぅ」

 きっと那珂島の心臓のせいだ。

 そして。

 真っ赤なポルシェが右から左へ、目の前を通過する。

 少し行った先で急ブレーキ。

 ポルシェはバックしてくる。

 バス停の前に止まった。

 助手席が開く。

「お嬢!」村崎組のアンナだった。「お嬢!」アンナはヒステリックだった。ここにいるどの魔女よりもヒステリックだった。「お嬢!」

 その素晴らしい剣幕に、メグミコは那珂島の後ろに隠れた。那珂島も思わず息を飲む。「……えっと、アンナちゃん、落ち着いて」

「すいません、ナナさん、」アンナは髪を振り乱している。「取り乱してしまって、ご迷惑をおかけしました、本当に、すみません、とにかく、お嬢をこちらに、私の近くに、もしお嬢を可哀想に思って庇うのなら、私は知ってます、ナナさんの優しさ、でも、それは、その優しさは間違っています」

「いや、別に、そんなこと、微塵も思ってないんだけど」

「アンナ、私は、」メグミコが那珂島の後ろで早口で言う。「逮捕されちゃったの、婦警さんに、だからこれからパトカーに乗るの、パトカーに乗って、警察署に行って、カツ丼を食べるんだから」

「はあ!?」アンナはメグミコと那珂島をまとめて睨んでくる。ランはいつの間にか、運転席から降りてきたジェリィの横に立っていた。頭のいい娘だ。那珂島と違って、巻き込まれないための術を知っている。「どういうことなんですか、逮捕したって、ナナさん!?」

「ええっとね、アンナちゃん、逮捕っていうのは、そのつまらない冗談で」

「冗談で逮捕しないでください!」

「ああ、だから違うって、もぉ」

「ジェリィ!」アンナは振り返って怒鳴る。「お嬢をポルシェに乗せるよ、手伝って」

 ジェリィは頷き、ゴム手袋をして、アンナと一緒に那珂島にしがみつくメグミコを拘束しようとする。メグミコは抵抗しながら、雷を編もうとしている。那珂島は「ええ?」と冷や汗を掻きながら、ランの方を見る。「ランちゃん、スピーカ」

「え、あ、はい、」ランはスピーカを編んだ。「メグちゃん、ごめんなさいですぅ」

 メグミコの髪の色は瞬間的に黒く染まる。そしてそのまま村崎組の特別なロープで手足を縛られ、ポルシェの後部座席に放り込まれた。

「ナナさん、」アンナは助手席に乗り込み、窓を開け、小さく手を振る。「細かいことはまた今度話しましょう」

「婦警さん、お世話になりました」ランは礼儀正しいお辞儀をして、ポルシェの後部座席に乗り込んだ。

 ポルシェはジェリィの運転で走り出した。

 長く続く伝統と、投じられた膨大な資金を感じる心地のいいエンジン音を暗闇に刻みながら、やがて、ポルシェは遠くに消えた。

 どういう原理か、点灯し続ける丸い電球の下。

 バス停。

 バスの来ないバス停に。

 那珂島は、誉田セイベイと二人だった。

 二人でベンチに座っている。

 二人の間の距離は、微妙に近く、微妙に遠い。

 その距離のバランスは、どちらかというと、悪いと思う。

「いや、ポルシェは四人乗りなんです、」誉田は箒を一本持っている。「僕たちは、警察官ですから、箒で帰りましょう」

「……一本だけ?」那珂島は前を向いて聞く。

「ええっと、その、急いで追いかけたんで、一本しか」

「……企んだな」那珂島は横目で誉田を睨む。

「いや、それは、違いますよ、」誉田は目を逸らす。「……いえ、企まなかったと言ったら、はい、すいません」

「謝るんじゃいよ、」那珂島は額を押さえた。頭痛が痛い。ぼんやりする。熱がある。「謝るなよ」

「具合悪いんですか?」

「……企んだな」那珂島は手で目元を隠しながら小さな声で言う。

「企まなかったと言ったら、」誉田は理知的に微笑む。「すいません、僕は、ナナさんに触りたかった」

「てめぇ」

「すいません」

「……なんでこの場所が?」

「ああ、村崎組のメイド服の、ベルトのバックルが発信機になっているらしくて」

「電波は通じないよ、ここ」

「強い発信機なんですよ、きっと」

「そういう問題?」

「そういう問題です」誉田はなぜか、愉快そうだった。

 那珂島は誉田を睨む。「……何かした?」

「コーヒー飲みます?」誉田は缶コーヒーを那珂島に差し出す。

「……」那珂島は無言で誉田を睨み続ける。

「なんですか?」誉田はオーバに腕を動かして言う。「大丈夫ですよ、睡眠薬とか、そういうものなんていれてませんよ」

「違うわよ、違う、そういうことを思っているんじゃないんだよ、バカ」

「え?」

「ありがとう、」那珂島は缶コーヒーを受け取って、落胆する。「……もう、なんで? なんで、冷たいの? なんでなの?」

「すいません、買ってから、結構時間が経ってしまって」

「違うわよ、違う、そういう意味じゃないんだよ、……バカ」

「え?」

 那珂島は冷たいコーヒーを飲む。

 飲み干して。

 でも。

 まだ。

 熱が引かない。

 追いつめられている気がする。

 ここ数日間、ずっと追いつめられている気がする。

 いいところがない。

 格好いい。

 そういう那珂島ナナが、遠い。

 もうどうなっても構わない。

 そう思ったら。

 なぜか。



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