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第四章⑯

 カノンはコンクリートに刺さった空閑を抜き、慎重に持ってベニの方を見ながら、スーツケースの上に座るマリの近くに移動した。

 ベニは由比ヶ浜に向かって刀を構えていた。海上自衛隊の壬生と同じ目の色をしていた。普通、魔女の目の色は、そのパーソナリティを表現していると言われている。血液型性格診断のように確証のないものだが、とにかく魔女の眼の色はカラフルで、それぞれ微細に違っていて、さらにその時の感情、回転数、眠気、あらゆる条件に左右される。魔力の属性も、眼に現れることもある。ベニは特異体質だった。イレギュラは普通、混じり合って色を髪に表現するが、ベニの場合、髪と眼に、火と鋼の属性がそれぞれ別に、現れていた。火が出ているときはベニの眼は輝かない。鋼が出ているときはベニの髪は輝かない。

「恥ずかしいから」とベニは瞳に色が出始めた時から、眼の縁に、呪術に使用されるクラーケンの墨を塗って、つまり自分に呪いをかけて、発光を抑えていた。その墨は顔を洗ったくらいじゃ落ちない。ベンジンでも消えない墨。ベニはカノンに教えてくれた。この墨の色は特別なことをしないと落ちない。それはマリのスーツケースの中にあった、シルク・イッジワウス・イレイザ。あらゆる黒を拭き取る、一回だけの使い捨ての魔具。とても貴重な魔具。大坂の水上大学で一枚一万円の魔具。

 お金がもったいないからと言って、ベニはあまり拭きたがらないけれど。

 今は。

 その魔具でベニは目元を拭いた。

 銀を解放。

 ベニは呼吸を整えて。

 奇声を上げた。

 ベニは、一回生にして明方女学院大学の剣道部の大将だ。

 ベニは由比ヶ浜に向かって突く。

 凄まじい音がして。

 ベニの刀は。

 由比ヶ浜を守る。

 氷の障壁を貫き。

 砕いた。

 ベニの刀の先端は。

 由比ヶ浜の首の僅か数ミリ横にあって。

 彼女の白くて冷たく綺麗な髪をごっそりと斬り落としていた。

「過度の誤差、」ベニは突いた姿勢のまま言った。「踏み込みが甘い」

「……よくも、」由比ヶ浜は髪がない場所に手を持っていき、髪がないことを確認して、悪魔の顔をする。「よくも、よくも、よくも、私の髪を!」

 瞬間。

 ベニは垂直に立っていた刃を横に倒し、由比ヶ浜の首を薙払おうとする。

 由比ヶ浜はそれに反応し、首を守る氷を作成。

 刃に払われて氷は砕けなかったが。

 氷を挟んでベニの刀は由比ヶ浜の首に強い衝撃を与える。

 カノンは、見てはいけない首の動きを見てしまった気がした。

 由比ヶ浜は横に薙払われた。そのまま屋上を囲むフェンスにぶち当たった。声にならない声が由比ヶ浜から漏れる。

 そして。

 そのまま。

 いびつな姿勢で。

 由比ヶ浜は意識を失った。

 ベニは表情を変えず、こっち向いてピースサインを作る。

「死んでないでしょうねぇ!」マリは立ち上がり、とても愉快そうにベニに向かって掛け寄りながら言う。

「死んでないよ、」ベニは刀を仕舞う。目の銀色を消す。「多分」

「ざまぁみろ!」マリは動かない由比ヶ浜に向かって舌を出す。「べぇだ!」

「……ス、スズちゃん!」カノンは横たわっているスズの元に向かった。「スズちゃん、しっかり、しっかりしてぇ!」

 スズは目を閉じていた。

 その顔は白く。

 唇は紫色をしていた。

 僅かに呼吸があったが。

 それは弱く。

 儚かった。

「スズちゃん!」カノンはスズの体を揺らす。「スズちゃんってばぁ!」

 何度も名前を呼ぶ。

 睫が僅かに動く。

 反応がある。

 スズは薄く、目を開いた。

 唇を微かに動かした。

 しかし。

 でも。

 スズの目は閉じていた。

 耳を彼女の口に近づけ、その呼吸を聞こうとする。

 耳を彼女の胸に近づけ、その鼓動を聞こうとする。

 聞こえなかった。

 何も聞こえない。

 何も聞こえない夜空から雪が降ってくる。

 カノンの頭は様々なことを目まぐるしく思う。

 思う。

 思っていたら。

 何も思えなくなって。

 そしてなぜか。

 涙が出た。

 溢れてきた。

 止められない。

 誰も知らない未来の速度についていけなくて。

 独りだけ過去に取り残されたまま。

 落ちる。

 涙が落ちる。

 一滴。

 一滴。

 一滴が、何度も。

 スズを包むブランケットに落ちた。

 じんわりと染み込んでいく。

 カノンは声を上げて泣いた。

 ブランケットを掴んで泣いた。

 涙を擦りつけるようにして泣いた。

 泣いた。

 泣いていたら。

 泣いていたら。

 光が見えた。

 光。

 白い光。

 カノンはその光の強さに、ブランケットから、顔を離す。

 ブランケットが光。

 その模様が。

 銀河が。

 回転していた。

 ゆっくりと。

 反時計周りに渦を巻いている。

 星は模様。

 模様は星。

 星はブランケットの中心に集まる。

 スズの心臓に近い部分に集まって。

 そして。

 強い光。

 視界を白く包む、圧倒的な光を出して。

 弾けた。

 風が吹く。

 熱い風が。

 激しい風が。

 上下に。

 回転した。

 カノンの髪を滅茶苦茶にして、それは終わった。

 光はなく。

 風もなく。

 カノンの前には。

 白い、本当に白い、純白のヴェルベット・ギャラクシィ・ブランケットに包まれたスズがいて。

 そして。

 スズは急に目を開けて。

 口を開けて。

 二秒後。

「はあああ!」息を吐いて、息を吸った。

 呼吸を繰り返している。

 せき込みながら。

 カノンを見て、その後ろのマリとベニを睨むように見ながら、前髪を直しながら、周囲の状況を窺いながら。

 上半身を自分の力で持ち上げて。

 そして大きな溜息をついて最後に。

 カノンに向かって笑った。「……キス、しました?」

「……すればよかった、」カノンはスズを抱きしめた。「よかった」

 本当によかった。

 スズのいない未来なんて。

 カノンはいらなかった。

「おっと、待ちなさいよ!」

 マリの声に振り返ると、キュウが由比ヶ浜をお姫様抱っこして、おそらく逃げようと企んでいた。キュウは動きを止めて、由比ヶ浜を降ろし、こっちを見る。

 そして魔法を編んだ。「ライトニング・ボルト」

 キュウは紫色に発光。

 稲妻が来る。

 カノンは目を瞑ったがしかし。

 来なかった。

 来たのは風。

 断続的に吹く風だった。

 カノンの髪は風に乱れ続けている。

「こらぁ!」

 上空で大きな声がする。

 見上げると、驚く。

 静かに落ちる雪の落下地点を変えながら、サンダ・バードが上空を旋回していた。

 旋回しながらサンダ・バードはキュウの紫色を吸い込んでいた。

 完全にキュウの色がなくなるのに時間はほとんどかからなかった。

「この、浮気ものぉ!」また上空で声がした。「うううああああ、もう、違う、そっちじゃない、こっちだってば、もぉ、言うこと聞いてよぉ! うあああぁん!」

 余韻を残し、サンダ・バードは高度を上げ、雪を降らせる雲に向かって高度を上げた。

「全く、」スズは愉快そうに微笑む。「メグってば」

 カノンはその微笑みに、なぜかとてつもなく、なんていうか、狂おしいものを感じたが、言葉に出来ない感情だが、言葉にせず、飲み込んだ。

「何も言わず、逃げる気?」

 マリの髪の毛はいつの間にか紅くなっていた。

 ベニの髪の毛もだ。

 カノンの髪も紅くなっていた。僅かだが、魔力が回復したようだ。しかしこれくらいの回復じゃシガレロに火をつけることくらいがせいぜい。でも、今は有効だった。

 色を失ったキュウは表情を変えないまま、後ずさった。そして背中がフェンスに当たる。「……あ」と声を漏らした。紅い髪のマリとベニは不良みたいにキュウを追いつめる。

 そしてキュウはランドセルを降ろして中から、膨らんだ皮財布を取り出し、マリとベニに向かって献上する。

 マリとベニは顔を見合わせて微笑んだ。

 そして二人とも、その財布に手を伸ばす。

「ちょ、何してんの!?」思わず声が出る。

 そしてその声をかき消す、ヘリの音。

 地上から舞い上がったヘリが屋上の高度よりも上に浮上。サーチライトで、ベニとマリを照らす。

「こらこらこらこら、」拡声器を通した宇佐の声が聞こえた。逆光でよく分からないが、ヘリから半分体を出した宇佐のシルエットが見える。「お嬢さんたち、なぁにしてるんですかぁ?」



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