第一章④
ジェリィから話を聞き出したスズとメグミコは一階のキッチンへ向かった。キッチンからはいい匂いがする。この時間、アンナは村崎邸の一階のキッチンで夕食の支度をしている。キッチンは高校の食堂の厨房よりも広い。そのキッチンでアンナは純白のエプロンを纏って鍋に向かって鼻歌を唄っていた。
「アンナ、ちょっと話があるの」メグミコはキッチンに入る。
「お嬢、ちょっと待って、」アンナは振り返ってメグミコを制止する。「手は洗いましたか? 爪ブラシを使いましたか? アルコールで除菌しましたか? 衛生チェックを済ませてからキッチンに入って下さいね、スズちゃんもだよ」
アンナはとても笑顔だった。しかし、言うことに従わないととんでもないことが起こりそうな気がする。スズとメグミコは手を洗って爪ブラシで汚れを落としてアルコールを手に吹きかけた。そして綺麗に洗った手をアンナに見せながら堂々とキッチンに入る。落ち度はないはずだ。
「そんなにゴシゴシ洗わなくてもいいのに、二人とも真面目ねぇ、」アンナは笑顔のまま二人に言ってコンロの火を調節している。「スズちゃん、ご飯食べて行くでしょ? もうすぐ出来るから待っててね、今日はスズちゃんの好きなケバブよ」
「え、ホント、わーい、やったぁ」スズは五指を組んで喜ぶ。
「そうじゃないでしょ、スズ、夕食の話をしに来たんじゃないでしょ、」メグミコはアンナに近づきながら言う。「アンナ、空閑って何?」
「くま?」アンナは向こうを見ながらとぼけている。「お嬢が小さな頃からコレクションしていたテディベアのことですか?」
アンナは九歳から村崎邸のメイドをしている。もう十年目。だからメグミコのことは何でも知っているし、スズのこともほとんど知っている。
「とぼけないでよ、アンナ、もう全部知ってるんだから」
メグミコはアンナを振り向かせる。アンナの笑顔はとてもダーティで魅力的だ。「全部って、なんの全部ですか? お嬢様は一体何の全てを知ったと言うんですか?」
メグミコはアンナの威圧感にやられて素早い動作でスズの後ろに隠れて背中を押す。「え、メグ?」
「……バトンタッチ」
「もぉ、さっきまでの威勢はどうしたのよ」
「面目ない」メグミコはしおれた。
「それで、何かな、スズちゃん」
アンナは笑顔のまま首を傾ける。奥のまな板の上には鋭利な包丁。アンナと包丁はよく似合う。包丁を握って誰かを殺そうとしているイメージが脳裏を過る。ファーファルタウの魔女みたいに素敵だと思う。でも、怖い。喉が渇く。「……ええっと、そのぉ、つまり、」
「ご、ごめんね、アンナちゃん」
振り返ると髪の乱れたジェリィが柱に手をついて立っていた。まだ太ももがひくひくと痙攣している。呼吸が荒い。
「ジェリィ? どうしたの? 大丈夫?」アンナはスズとメグミコの横を通ってジェリィの介抱に向かう。
「うん、大丈夫、平気だよ、あははっ」
「とても平気そうには見えないんだけれど、熱でもあるの、顔がピンク色だよ、」アンナはジェリィの額に触る。ジェリィは嬉しそうだ。「それに、ごめんねって何のこと?」
「あのね、その、アンナちゃん、怒らないでね、ああ、私じゃなくて二人のこと怒らないで上げて、私のせいなの、私が口を滑らせちゃって、空閑のこと、二人に知られちゃって、空閑が狙われて、毎晩私たちと警察が蔵を警備していることとか、」
「うーん、つまり、」アンナは自分の唇を触る。「全部?」
「うん、ごめん、本当に、ごめんなさい」
「何度も謝らないで、ジェリィ、別に二人に知られたからって未来が変わるわけじゃない、じきに知られてしまうだろうとは思っていたし、問題はね、ジェリィ、コレからの二人がどう行動するか、それが問題なのですよ」
アンナは人差し指を立ててスズとメグミコの方を見る。「さて問題です、お嬢に、スズちゃん、あなたたちはコレからどうするの? どうしたいの?」
「取りあえず、火を」スズは魔法を編んでコンロの火を消す。鍋が煮立っていたからだ。
「うん、素晴らしい判断、ケバブの完成ね」
「あ、アンナ、」メグミコがスズの陰から顔を出して言う。「今までどうして黙っていたの?」
「知ってしまったらお嬢はなんとかしようとするでしょ? お嬢を危険にさらすようなことは出来ません、お嬢をお守りするのが村崎組のアンナの役目です、最初に組長と交わした約束です、シンデラにいるお父上とお母上に変わって私はお嬢を大事にしなければいけないのです」
「で、でも、私は魔女よ、アンナは魔女じゃない、私には雷の力がある、スズには風の力がある、明方女学院付属に通う優秀な魔女が二人もいるんだよ、私たちはアンナと一緒に空閑を守りたい、」メグミコはスズの手をギュッと握って訴える。「いえ、一緒に守ってアンナ、犯行予告は私に届いたんだから」
「犯行予告?」アンナの笑顔はやっと中断した。切れ長の目が大きく開く。
「うん、雪中遊禽連盟から」