第四章⑩
スズは箒に跨って、ビルの屋上で旋回するマリとベニとカノンに合流。
「さぁて、どこから来るのかしらぁ、」真紅に染まるマリはクルクルと回る。転車台の上で回転する電車みたいにクルクルしている。「スズ、ちゃんと用意してる?」
「なんの?」
「ブランケットの用意よ、」マリは早口で言う。興奮しているようだ。鬼ごっこの鬼みたいな表情。つまり、楽しそうだ。「花升エナガ虫を捕まえる準備はいい?」
「え、何それ、冗談? つまんない」
「は?」マリはスズを睨む。「冗談なんて言ってないわよ」
「エナガは鳥だし、」スズは虫取り少年というよりも野鳥の会の心境だった。「虫じゃないし」
「え?」マリは不機嫌そうに声を張り上げる。「何の話をしているのよ?」
そのとき様子を窺っていたビルの屋上のコンクリートが音を立ててひび割れた。ビル全体の崩落が始まったのだろうかと思ったが、違うようだ。そのまま、上に持ち上がってくる。スズたちは高度を上げ、異変から逃げ、観測を続ける。せり上がってきたのはどうやら、エナガの水ではなく、緑だった。巨大な緑。混じるスミレ色。スミレが咲いている。幹のように太く頑丈そうな蔦に咲く紫色のスミレが見える。緑はヘリポートに待機していたヘリを屋上から落とした。地上に落下して、爆発する。ハリウッドキネマみたいに派手に爆発はしなかった。煙は上がっている。蔦には大勢の男たちが拘束されていた。自衛隊の人間だろう。その中の一人はヘリの落下を見て、何かを叫んでいた。
そして緑のてっぺんから、二人の魔女が箒に跨って飛んだ。二人はこちらに向かってくる。菫色を煌めかせる魔女と、もう一人はシルバだ。服装から海上自衛隊の魔女だろうと思う。
スズはマリに視線をやる。「どうする?」
「私たちは何も悪いことしていないんだから、び、ビビる必要なんてない」
「え、ビビってんの?」
「ビビってない!」マリはスズを睨む。
「ちょ、ちょっと、二人ともぉ、」カノンが二人の間に入る。「喧嘩しないの」
「なんなのよ、」シルバの魔女はスズとマリに急接近。「あんたたち、なんなのよ!?」
シルバの魔女の剣幕は鋭く、手には光るナイフ。「答えなさい、早く答えなさい、答えないと、」
そこでシルバの魔女は悲鳴を上げた。電気に痺れている。後ろの菫色の魔女の魔法だ。菫色は雷と緑のイレギュラ。「レイコさん、気を取り乱し過ぎです、いきなりそんな、野蛮な振る舞いは、淑女であるべき自衛官としての自覚が欠落していると言わなければなりません」
シルバの魔女は静かになって、菫色の魔女の背後をクラゲみたいに浮遊している。「すみません、いきなり、本当にいきなり、驚かせてしまいましたね、ああ、失礼しました、私は海上自衛隊舞鶴支局の宇佐スミレ、後ろの彼女は壬生レイコ、誤解しないでくださいね、普段はとても優しい方なんですけれど、少し予期せぬ事態が起こってしまって、こんな大変なことに」
宇佐の落ち着いた口調だけ聞いていると現在の状況を錯覚しそうになるが、スズたちが飛んでいる下のビルはとても、文明の崩壊というタイトルが似合う有様だった。ビルのどこからか厳戒態勢を知らせるベルの音。消防車のサイレンが近づいて来ていた。自衛官たちはビルから避難している。さすが専門家は避難が早い。ロープをうまく使って、すでに地上の駐車場で点呼を取っている。
「花升エナガですね?」マリが宇佐に問う。
「ええ、」宇佐は頷き、フランス人形のように森閑とした顔立ちを僅かに変化させた。「しかし、どうして、……いや、ああ、あなたたちはエナガさんと関係があるんですね? だから、舞鶴の夜空を優雅に飛んでいる」
マリとスズは宇佐にエナガに関することを説明した。二人で説明したせいもあって、整理されていなかったが、宇佐は頭の回転の速度を上げて理解してくれた。そして好意的な微笑みを見せて、頷いた。「なるほど、シー・サーペントですか、それで急に魔法を編んで、こんな大変なことを」
「エナガはどこです?」マリが聞く。
「待って、そんな怖い顔はしてはいけません、魔女は優しくなくては」
「こんなときに、なんてアドバイスですか?」
「彼女は、エナガさんは何も悪くありません、だから、優しくしてあげなきゃいけません」
「はあ?」マリが声を出す。
「どうしてそんなことを?」スズも声を出す。
「エナガさんはおそらく、その魔具、シー・サーペントに人格を奪われてしまっているのです、あるいはコントロールされている状態です、だからエナガさんは悪くありません、悪いのは彼女を取り囲む風、そして髪毛の色、エナガさんは悪くないのです」
「どうしてそんなことが分かるんです!?」マリとスズの声はユニゾンした。
「ファースト・インプレッション」
宇佐は二人の唇に人差し指を当て、発音よく言った。一瞬、何を言っているのか分からないくらい流暢な発音だった。そして宇佐の目は魔女だった。その目と人差し指は、スズとマリを黙らせるのには十分だった。そして宇佐は少女の目をして微笑み、二人の頭を撫でた。「二人ともいい娘、とても優しい娘、将来は自衛官になりませんか?」
スズとマリは一緒にブルブルと首を横に振る。
「後で素晴らしいパンフレットを送ります、ちゃんと読んで感想を私宛に送ってきてくださいね、年賀状と一緒に、」宇佐は言って、二人から少し離れた場所を飛ぶ。「ああ、こんなことを話している場合じゃありませんね、とにかく、エナガさんを、そのブランケットに包み込むんですね、協力しますよ、自衛官として、一人の菫色の魔女、宇佐スミレとして」
スズは頷く。「それであの、エナガは?」
「緑の中に閉じこめました、ええ、私の凄い緑の中にでも、」宇佐はスミレが咲き乱れる方を見る。「しかし、もう限界のようです、超、限界、ですね」
宇佐の言葉通り。
スミレを含んだ緑は内側から水とともに弾けた。
スズたちは天高く冷たい水を浴びた。
雨のように落ちる、エナガの水。
その向こう側に、エナガがいた。
箒に跨らず、体を浮かせていた。
群青色。
あるいは、白に輝く。
彼女の左手の指輪は強く輝いている。
青。
白。
青。
踏切の速度で、点滅。
交互に色が変わる。
雨が雪になる。
雪が雨になる。
異常気象は。
エナガの悲痛な叫び声と呼応して、繰り返される。
そして。
蛇が現れる。
無数の透明な蛇が、エナガから現れ、エナガを包み込み、エナガを絡みつく。
耳を塞ぎたくなるような悲鳴。
見ているしか出来なかった。
マリが何かを叫んでいる。
宇佐が背中を優しく押している。
急いでブランケットで彼女を包めと言っている。
しかし。
でも。
スズはエナガの声がよく聞こえてしまって。
本当によく聞こえて。
気持ちが分かる。
苦しみが分かる。
悲しみが分かる。
同じ気持ちになる。
エナガの悲鳴が終わる。
エナガは群青色になって。
こっちを見て、上品に微笑む。
そして左手の、すでに輝きを失った指輪の宝石を、噛み砕く。
「驚かないで氷だから」
エナガの声は、違う。




