第四章⑤
「なるほど、だから汎野はいきなり僕のところに来たわけか、」とスズの前に座る、跡見というタクシー運転手は顎に手を当て頷いた。「今日、一つ謎が解けた、でも、このケースは知らなくてよかったケースだ、僕はいろいろ想像を膨らましていたんだ、先生は実の孫を僕と結婚させようとしているんじゃないかってね」
「気持ち悪い、」マリは毒づく。「その帽子を一瞬で酸化させたい気分だわ」
マリはスーツケースにブランケットを仕舞わなくてはいけないこと、その理由、そして村崎邸であった出来事を説明した。跡見は、そしてお客だという雪緒も全くそれらのことを知らなかったらしい。カノンも初めて聞くことが多かったらしく、マリの説明にいちいち声を上げたりしていた。マリの目的のほとんどを把握していたのは、ピンク・ベル明方支店で、ベニだけだったようだ。
「おっと待て、冗談だ、そしてこの帽子は、僕そのものだ、」跡見は帽子を押さえながら笑う。その笑い方はいつもひきつっている。彼はタクシー運転手であると同時に、画家でもあるらしい。彼の薄ら笑いは、そのせいかもしれない。「ああ、君、室茉スズさん、と言ったかな、今度うちに来ないかい? 君を描いてあげよう」
スズはニッコリと微笑んで首を横に振る。「いいえ、結構です」
「実は僕はタクシーに一度君を乗せたことがあって、そのときから僕は君を描きたいと思っていたんだ」
「本当ですか?」
「そして偶然にも、ここで会えた、それは君を描けという、見えざる神の意志だと思うんだ」
「いいえ、結構です」
「そうか、残念、」跡見は薄ら笑う。「いや、でも、君の美しさは絵画として、」
「気持ち悪い、」スズは声に出してはっとした。「あ、すいません、つい、思ったことが口から」
「いいですよ、いいですよ、」跡見は薄ら笑いを止めない。「慣れていますから、ははっ、でも、汎野、いや、マリ、どうして今までそんな大事なことを隠していたんだい?」
「隠していたわけじゃない、機会がなかっただけよ、」マリはコーラに手を伸ばす。「隠していたわけじゃない」
「話してくれたら、何か協力出来たかもしれないじゃないか、君は先生の孫だ、いくら気持ち悪いと言われようが、先生へのご恩はそれを凌駕するってもんだ」
「気持ち悪い」
「ベニには話したじゃないか、そして一緒に、髪を黒く染めて、何をしているかと思ったら危ないことをしていた、先生はマリがなぜ僕のところにいるのか知っているのかい? いや、その前に僕のところにいるのか知っているのかい?」
マリは溜息をつく。「正直なことを言うと、知らないわ」
「パリに帰りなさい、」跡見の顔から薄ら笑いは消えていた。とても真剣な表情で、怖さが見える。「先生に手紙を書こう」
「駄目よ!」マリはテーブルに手をついて立ち上がって怒鳴る。「駄目、それは絶対に駄目!」
「大丈夫、落ち着いて、落ち着け、」跡見はシガレロに火をつけた。「君の目的は僕が解決しよう」
「ここ禁煙」ベニが言って跡見のシガレロを奪って、氷の中に浸した。
「ああ、ごめん」
「無理よ、」マリが言う。「無理だわ、あんたに、Nコレクションを集めることなんて出来ない、出来るわけがないわ、変態の伊達エリコ命のタクシー運転手の売れない画家が」
「酷い言われようだなぁ、」跡見は薄ら笑う。「でも、僕は魔法使いだ」
「あんたの魔法なんて見たことない」
「機会がないからなぁ、でも、魔法使いの友達は多いぞ、絵を描かせて貰った魔女の連絡先も控えてあるし、彼らに協力して貰うことは可能だ、魔法工学専門の将来有望な准教授も、偶然にもここに居合わせているし、」跡見は隣に座る雪緒の肩を触る。薄ら笑いで。「それで、マリ、気になるのは、どうして君が、」
「スーツケースは?」マリは跡見の話を遮って言う。かなり鋭く睨んでいた。「私のスーツケースは?」
「メガーヌのリアトランクだよ、」跡見は首を竦めて言う。「分かったよ、もうこの話は無し、無しにしよう、だが協力はさせてもらうよ、理由は君が先生の孫だからだ、これでいいかい?」
「キーは?」マリは跡見を睨みながら右手を広げている。
「ああ、それで、話は全く変わるんだが」
「早くキーを渡して」
「待て、待って、お願いします、話を聞いてくれ」
「二秒」マリが言う。
「僕らが舞鶴まできた理由をまだ話してなかったと思うんだ、それはな、」
「早くキーを!」マリが怒鳴る。「どうせくだらないことなんでしょ?」
「結論から先に言う、」跡見は視線をスズに向ける。「君のそのブランケットを貸して欲しいんだ」
そして跡見はなぜ舞鶴までやってきたのか理由を説明した。誰も求めていない中年の恋心も聞かされた。とにかく彼の話を聞くに、彼が恋した魔女、というのは。
「……雪中遊禽連盟、花升エナガ」
「彼女を知っているのかい?」
「ええ、とても」
スズは跡見にエナガが村崎邸を襲撃したこと、そして脱走したことを伝えた。
「なるほど、」跡見は愉快そうに頷く。「間違いないな、彼女だ、花升エナガか、とても変な名前だ、なんてたってあだ名がつけ憎いじゃないか」
「シー・サーペントが発動したんだわ、おそらく、」マリが言う。「彼女の居場所が分かるの?」
「だから来たんだ、」跡見はスマホの画面を見せる。チャートの上に赤いデルタが点灯している。舞鶴の埠頭。「公会堂の屋上で吹き飛ばされる寸前に発信機をつけた」
「やるじゃない、」マリは跡見に笑顔を向け、スズに言う。「そういうわけだから、スズ、スーツケースに仕舞う前に、お願い」
「うん、」スズは頷く。「もう一度、エナガを包んで」
おしまい?
それは考えられなかった。
仕舞うなんて考えられない。
ブランケットをスーツケースに仕舞う。
それは違う。
いや。
この判断もブランケットのせいなの?
分からない。
何もかも。
今は。




