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第四章③

 殴った拳が痛かった。

 殴られた頬が痛かった。

 那珂島は縁側に座って、村崎邸の庭園を眺めていた。錦鯉と鴨が泳ぐ、丸湖の形をした小さな池を中心に広がる池泉回遊式の豪奢な庭。それに夕日が色を付けている。サーカスのようにも見える。冬に枯れた木の枝に鳥が休む。池の奥に配置された石材の上に村崎メグミコがこちらに背を向けて座っている。その隣に室茉ランが寄り添うように立っている。

 ランが由比ヶ浜ミコに放ったスピーカの余韻は那珂島の耳の奥にまだ残っていた。スピーカは超高音域で脳ミソにあるサブリナ・セクション、魔法を司る中枢を一時的に麻痺させる魔法だ。非常に高度な魔法だ。魔力よりもセンスを要する魔法。ランのポテンシャルの高さを那珂島は確認した。

 ランのスピーカによって、由比ヶ浜は魔女としての機能を失った。髪が黒く染まった。那珂島は笑って、彼女の目の前に立って、本気の風の塊を編み込んで彼女の腹部にぶつけようとしたが、その前に殴られてしまった。由比ヶ浜は険しい目をしながらも、彼女はすぐに魔女しての機能を取り戻し、颯爽と村崎邸を飛び立った。もう村崎邸には用がないようだった。用があるのはスズの持つ、ブランケットのようだった。彼女のブランケットは南蘋型録に、確か空閑の後に掲載されていた。アンナに聞いた話によると、花升エナガはシー・サーペントという魔具を保有していたということだった。もしかしたら雪中遊禽連盟という組織は南びん型録に記載された魔具を収集しているのかもしれない。その目的は憶測の域を出ないが、型録を預けた滋賀大学の中国文学の准教授の元に行くべきかと思う。

「ナナさん、」那珂島の背後の障子が開いて誉田セイベイが顔を覗かせる。「もう、大丈夫です、落ち着きました」

「そう、」那珂島は障子の隙間を覗く。薄暗い和室の中央に敷かれた布団の上にアンナが眠っていた。彼女の手をジェリィが握っている。アンナは由比ヶ浜に氷のナイフで首を切られていた。血の量は凄まじかった。那珂島はまだ手を拭いていない。手は紅く染まっている。誉田のおかげだ。彼がいなかったら、那珂島は一生手を洗えなかったかもしれない。「……よかった、本当に、よかった」

 誉田は障子を閉め、那珂島の隣に座る。「……あの、村崎組の方たちは?」

「屋敷の修繕をしているわ、」那珂島は目を瞑り、耳を澄ます。「ほら、金槌で釘を叩く音が聞こえるでしょ?」

「逞しいというか、」誉田は疲れた顔で笑う。「なんというか、あのピンク・ベルの娘たちも」

「スズちゃんを連れてどこに向かったのかしらね、」那珂島はベニに三回電話を掛けたが、彼女は出てくれなかった。「いえ、正しい判断だった、私の憶測通りね、優秀な魔女だった、ただちょっとまだ、彼女たちは私の中でまだ憶測だわ、もっと二人のことを知らなくちゃ、」那珂島は後ろに手をついて足を組んで微笑む。「……お疲れさま」

「いえ、そんな、」誉田は鼻先を掻いて、息を大きく掻いた。「僕にはこれくらいしか出来ませんから」

「そんなことないわ、立派なことをしてくれた」

 誉田は同調しない。ポケットから拳銃を取り出し、見つめている。「……立派なんかじゃありませんよ、怖かったですよ、手は震えるし、喉も乾くし、自分が立っている感覚すらなくて、かろうじて、」誉田は左手を力なく広げる。「これぐらいの水を集めるのが精一杯だった、もっと僕が上手くやっていれば、破裂する魔女の爆弾を不発で済ますことが出来たのかもしれない」

「そうね、」那珂島は前を見て言う。「誉田が上手いことやってくれれば、未来が変わったかもね」

「そうです、最低です、僕は」

「最低は言い過ぎなんじゃない?」那珂島は人差し指を立てる。「少なくとも誰も死んでない」

「優しいですね、」誉田は那珂島を見て微笑む。「なぜか今日は、」そして誉田は魔法使いの目をする。「……ナナさん、僕は」

「何?」

「あなたのことが好きです」

 一瞬、心臓が止まる。しかし、一瞬だけだ。那珂島は誉田から顔を背ける。「……最低だ」

「……すいません」誉田は両手で顔を覆っていた。

「謝るなら告白なんてするんじゃないよ!」

「すいません」

「全く、」那珂島は熱かった。体が熱い。男に告白されたって嬉しくも何もないんだけれど、とにかく、体が熱くなった。「……全くなんなんだよ、いきなり」

「疲れてて、その、」誉田は顔から手を離す。「ナナさんのことがとても可愛く見えて」

「どういう意味よ! いつもは可愛くないっていうの!?」

「そういう意味じゃありませんよ、そういう意味じゃありません、いつだってナナさんは可愛くて、僕はナナさんの顔を見ると幸せになれます、何だって出来ます、何だって」

「そんな恥ずかしいこと言わないでよ、困る、」どうして困っているのか、那珂島は分からない。「……困るじゃないの」

「すいません、本当に」

「だから謝るなって」

 誉田は黙った。

 訪れる沈黙。

 那珂島は冷めない熱が誉田に見破られないか心配だった。どうして心配なのか、分からない。分析不可能。魔女の心理はとても複雑迷宮回路だ。

「話題を変えましょう」誉田が言う。

「……う、うん、」なぜか声が掠れていた。「そうね」

「アンナさんの治療しながら、ずっと考えていたんですけれど、」誉田はいつもの調子でしゃべっている。「もしかしたら雪中遊禽連盟は、南びん型録に掲載されている魔具を収集しているんじゃないでしょうか?」

「ええ、私も同じことを考えていたわ、」自分で、同じこと、なんて言って、那珂島は顔が熱くなる。体を冷却するために小さく深い呼吸をした。「……空閑、スズちゃんのブランケット、それからエナガが所持していたというシー・サーペント、その可能性は大いにある」

「型録を預けた准教授のところに行ってみましょうか?」誉田が提案する。「何か分かることがあるかもしれない」

「ええ、」那珂島は立ち上がる。「私も同じことを考えていた、行こう」

「はい、」頷いて誉田も立ち上がる。立ち上がって不思議そうな顔をする。「……あれ、ナナさん、あの二人、何をしてるんでしょう?」

「え?」那珂島は誉田の指の指す方を見る。

 池の奥の二人を見る。

 メグミコの後ろ姿は薄く、鮮やかに、紫色に輝いていた。

 何をしているんだろう。

 誉田を一瞥して、彼が首を竦めるのを確認して。

 再び視線を戻すと、メグミコの光は消えていた。

 気になった那珂島は池の円周を歩き、彼女たちの方に近づく。

 誉田も後ろからついてくる。

 池の半分くらいに差し掛かったところで。

 再びメグミコは、光を放ち始めた。

 今度の紫色は濃かった。先ほどとは種類が違う。膨大な魔力を消費しているはずだ。

 さらに接近して分かる。

 ランはメグミコとキスして、魔力を分け与えていた。風の魔女の色は無色。属性を越えて魔力を分け与えることは、可能だ。可能だが、那珂島は初めて見た。慌てて誉田に怒鳴った。「戻れ、向こうに戻れ!」

 誉田は言われ、素直に戻った。誉田もきっと幼い二人のキスを目撃したからだ。

 那珂島は息を吐き、そして振り返り、少し離れた場所から二人を見る。

 そして驚く。

 地面に敷き詰められた白い小石で表現された複雑な魔法陣を見た。

 魔法陣は唸りを上げるように強い発光を始めた。

 色彩は濃厚。

 景色に溶けて、色を変える。

 二人の唇が離れた。

 メグミコは笑顔だった。

 ランは少し恥ずかしそうだった。

 メグミコの右手にはシルバのチェーンが絡んでいた。繋がれたゴールドのデルタは、中空を浮き、泳ぐように漂っている。

 メグミコは天を仰ぐ。

 ランも空を見る。

 那珂島も同じようにする。

 収束していた。

 雲が。

 夕日に赤く染まる、収束する雲。

 それは、そして、景色が歪むほどの雷鳴に先立ち。

 吹き飛んだ。

 綺麗な夕日に染まる赤い空を見せる。

 翼の隙間に。

 巨大な翼は一度羽ばたくのに、二秒も必要だ。

 サンダ・バードの召還。

「初めてみた、」那珂島は感想を言う。ゴールドの上品な嘴、ゴールドの鬣、全身を包むのはバイオレッドの羽毛、巨大な翼には青と黒のラインが骨格の上に走っていて、そのデザインはSF的だった。「初めて見たよ、サンダ・バードなんて」

 サンダ・バードは静かに空を旋回している。

 しかし、地上は騒がしくなった。

 どこからともなくサイレンの音。

 はっとして、メグミコとランを見ると、二人は箒に跨っていた。そして浮く。

「待ちなさい!」那珂島はメグミコの箒に飛び乗った。「あなたたち、どこに行くの? サンダ・バードなんて召還して、何をするつもり!?」

「婦警さんも一緒に行きたい?」メグミコは愉快そうに言う。

「だからどこに!?」

 メグミコはサンダ・バードの上まで浮上する。那珂島はサンダ・バードをまじまじと観察してしまう。最初に分かるのは、サンダ・バードからは不思議な匂いがした。化学薬品のような、しかし、刺激はなく、甘くない香水のような匂いがした。その匂いのせいか、メグミコとともにサンダ・バードの背中に降り立っても恐怖は全く感じなかった。バイオレットの羽毛は柔らかく、子犬を触るような具合で那珂島はサンダ・バードの背中を触った。

「私、」遅れてランが背中に降りる。そしてメグミコと那珂島の間に入る。「真ん中がいいですぅ」

 そして那珂島のスマホのバイブレータが震える。誉田からだ。それに出ながら、下を見る。随分高いところを飛んでいた。誉田がこっちに向かって手を大きく動かしながら電話しているのが、かろうじて確認できる距離だ。

「どこに行くんですか!?」誉田は怒鳴っている。

「どこに行くの!?」

 那珂島はメグミコに聞く。すでにサンダ・バードは羽ばたいていた。高度はさらに上昇。

「このデルタが指す方に、」メグミコは答える。彼女は薄く光っている。彼女の右手首に絡んだ銀のチェーン。その先のゴールドのデルタは進行方向に、その鋭利な部分を突き出している。左手首には臙脂色の魔導書。「北だね」

「北だって」

「北、ですか?」誉田の当惑する声。

 そして誉田の悲鳴。

「どこにいくの!?」電話の声が変わった。アンナの声だった。音声は割れている。「すぐに戻ってきなさい!?」

「あ、アンナちゃん、大丈夫なの!?」

「ナナさん、お嬢に変わって下さい!」

 言われるがまま、メグミコにスマホを渡した。「アンナちゃんよ」

 メグミコはスマホを受け取り。

「怪我人はおねんねしてな!」スマホに向かって叫んで。

 そして那珂島を見て微笑んで、着信を切る。

 メグミコの微笑みは魅力的でとても、生意気だ。



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