第三章⑪
「……起きてください、起きてくださいぃ」
ランが、スズを触って呼び起こす。「お昼ですよぉ」
「……ん、……あ、」スズは眠い目を擦り、起き上がる。しばらくここがどこなのか分からなくて、見回して、村崎邸にいることを思い出す。村崎邸の広い畳の部屋の布団の上だ。そして眠る前にあった様々な出来事が思い出されて意識が鮮明になる。「……ランが私を触って優しく起こしてくれるなんて、コレは夢なの? 幻? それともキネマを見ているの?」
「残念ながら、」ランは舌っ足らずに発声する。「コレは現実ですよ、お姉ちゃん」
「むふぅ、」自分でも気持ち悪いくらいの笑顔でスズは息を吐く。「……今、何時?」
「お昼ですよぉ」ランはスズに顔を近づけて言う。ランの顔はスズの三年前の顔にそっくりで、それはスマホの壁紙にしたいほど可愛らしい。
「そうだね、寒いねぇ、」あぐらを掻いたスズは目を瞑って、ランを抱きしめる。いい匂いがする。「暖かいねぇ、もうちょっと寝ていようよ」
「駄目です、」ランはぬいぐるみみたいにスズの腕の中にいる。抵抗はしない。だから好きなようにしたい。「まだお昼ですよ」
「私と一緒に暮らそうよ、」スズはランの額に自分の額をくっつけて言う。「一緒に寝て、起きて、食べて、お風呂に入って、寝るの」
「考えておきます」ランは澄ました声で言う。
「クリスマスはメグと一緒にピクチャレスクに行く予定だったんだけど、ランも連れていこう、行くよね?」
「あ、ごめんなさい」
「え、駄目?」スズの気持ちは沈む。「研究とかで、忙しいの?」
ランは頬をピンク色にして答える。「クリスマスはネイコと一緒に教会にいくんです」
「……何しに?」内心ネイコでよかったと思った。知らない女子だったら、発狂していたと思う。
「クリスマスはお祈りに行くに決まっているじゃないですか」
「……本当?」スズは上目でランを伺う。
「本当です、」ランの顔は赤い。「一体何を疑っているんですか?」
「教会で写真を撮って、私に見せてね」
「どうしてですか?」
「ああ、そういえば、メグは?」
「メグちゃんならとっくに起きてポトフを食べてます」
「あ、ポトフ食べたい」
腕にブランケットを絡めて、スズは立ち上がって襖を開き廊下へ出る。空気がひんやりとしている。ランと並んで右手に進む。「ねぇ、ラン」
「なんですか?」
「このブランケットは何なんだろう?」
「……お姉ちゃんは、本当に何も知らないんですか?」
「何か知っているの?」
「いえ、知りません、」ランは首を横に小さく振る。「大学のデータベースにもありません、国会図書館にもありません、水上にも、大連にも、ファーファルタウのライブラリには何かあるかもしれませんが、私にはアクセス権限がありません」
「ずっと調べてたの?」
「ずっとではありません、お姉ちゃんのことを思い出したときに、少しずつ、近づこうと思ったんです」
「私のことを思い出してくれていたの?」スズはランの髪を触る。「てっきりランは私のことが嫌いになったのかと思った」
「私はお姉ちゃんが、私のこと嫌いになったのかと思ってました、私が酷いこと言ったから、」ランの視線は廊下の先の絵画に向かっている。「その、ごめんなさい、お姉ちゃん」
「私の方こそ、」スズはランに笑いかける。お姉ちゃんの微笑みってやつで。「……それにしても、このブランケットの情報は、大学にもないんだね、本当に、謎だね」
「お姉ちゃんは怖くないんですか?」
「え、何が?」
「そのブランケットは、発動すると、誰かの魔力を奪う、とても強力な武器です、そして同時に危険なものです、そのブランケットは特別中の特別です、他に類がありません、魔力を奪うだけではないかもしれません、魔力を奪うだけではなくて、何か、他のものを奪うかもしれません、知らないうちに、ママが死んだときの記憶、それがお姉ちゃんにないのは、もしかしたら、そのブランケットのせいかもしれません、もしかしたら、ママのものじゃないかもしれません」
「そうね、」スズは頷いて、笑った。「そうかもね、でも、このブランケットはママのもの」
「どうしてそう思うんですか?」
「ランはそう思わないの?」
「思います、」ランも微笑んだ。「思います、ママを感じます、でも理由は分かりません、でもそう思います、訳が分かりません」
「私たちがそう思うなら、そうだよ」
「そうですね、でも、知りたくはないんですか?」
「知りたいよ、すっごく知りたい、」スズはブランケットを抱きしめる。そこに残る匂いを確かめる。「どうしたら汚れが落ちるんだろうって、すっごく知りたい」
「お姉ちゃん、ブランケットを大学の研究室に持っていきませんか? 何かが分かるかも」
「それはなんていうか、」スズはキッチンの暖簾を触りながら変な顔をする。「嫌だなぁ、成果がなさそう」
「成果がないのも成果です」
「それが通じるのは大学だけよ」
「だから大学の話をしているんじゃないですか」ランはとても愉快そうに人差し指を立てた。




