第三章⑩
カノンはイエロのメガーヌのリアトランクに紅いスーツケースを仕舞い込んだ。スーツケースはマリのものだが、大事なもの。留守にするのだから、誰もいない場所に置いておけない。カノンの近くになければいけない。そういうことをマリから言われている。マリはこの紅いスーツケースを転がしてこの街に来たのだ。
カノンはメガーヌの助手席に乗り込む。跡見は道中のカセットテープを選んでいた。
「さあ、行きましょうか、クウスケ君の大好きな魔女のところに」
カノンはシートベルトを締めた。
跡見はスマホをケーブルでカーナビに繋げてディスプレイに魔女の位置を映し出していた。跡見はカセットテープをカーステレオに挿入する。ロックンロールはシャウトから始まった。
「あの紅いスーツケースには何が?」後部座席に座る雪緒が聞いてくる。
「マリちゃんの大事なコレクション、」カノンは早口で言って頬を膨らませる。「どっかに行くなら、一緒に持っていてくれたらよかったのに、もぉ」
「マリさんは、その、コレクタなんですか?」
「うん、凄いよ、執念っていうの?」カノンはフロントミラーを見ながら眉をへの字にした。「凄いよ、人生を捧げているって感じ?」
「コレクションって、何を?」
「ガンダム」カノンは言った。
「え、本当ですか?」雪緒は目を大きくした。「モビルスーツ?」
「違う、違う、本気にしないでよ、」カノンは微笑む。「ガンダムじゃないよ、もっと芸術的なものだよ」
そう言いながらカノンも細かいことは知らなかった。
「へぇ、なんだろう?」
「静かに、」カーナビの設定を終えた跡見がイエロー・ベル・キャブズの帽子を被って、言った。そしてロックンロールのボリュームをミュートして、目を瞑って、祈る。「伊達エリコ様のご加護を」
いつもこうだ。
跡見はアクセルを踏む前に伊達エリコに祈るのだ。
そして。
跡見は信じられないくらい安全運転だ。
「さぁ、行こうか」跡見はカーステレオのボリュームを触る。
「たまにはラジオを聞きましょうよ」カノンは提案してみる。
「なぜだ?」
「飽きました」
「それは聞き込みが足りないんだ、本当にいい音楽って言うのは何度聞いたって、足りないものだ」
「雪緒君はどう思う?」
「カノンさんに賛成です、」雪緒は即答。遅れて跡見への言い訳を考えているようだ。「……いえ、僕は、音楽のことはよく分からないんで」
「二対一、だね?」
「駄目だ、ロックンロールは、」跡見はふさわしい言葉を探して、発見する。「縁起物だ」
「意味が分かりません、ロックンロールは達磨ですか?」
跡見とカノンは二秒間睨み合う。
跡見は目を逸らして、アクセルを踏んでガレージから車を出す。
跡見の手が塞がっている間にカノンはラジオに切り替える。
車内に響くノイズ。
カノンは周波数を合わせる。
「せめてFMにしてくれよ」
カノンはAMで探す。賑やかな番組を探す。バラエティの匂い濃い屈託のない笑い声を探す。
臨時ニュースを拾った。
カノンが小学生くらいのときのヒットソングを拾った。
チョコレートのCMを拾った。
そして。




