第二章⑤
放課後。
雪は降っていない桃色の空。
スズはメグミコと共に高校の敷地に隣接する明方女学院大学の図書館に訪れていた。大学の敷地のほぼ中央に位置したコンクリート向き出し、威圧感たっぷりの五階建ての建物がソレである。普段、ここに高校生は勝手に出入りすることは出来ないが、スズとメグミコの前にはダボダボの白衣を纏った小さな大学院生がいた。彼女のおかげでスズたちは誰何されずに図書館を歩ける。彼女はとても小さいが成長が十三歳で止まったわけではない。目の前をとことこ歩く大学院生は十三歳なのだ。スズの妹のランである。室茉ラン。ランは優等生で、スズの知らない間に大学院生になっていて、十二歳のときに発表した論文で賞を取り、スズに勝手に名声を得ていた。外見は三年前のスズと変わらないのに経歴はまるで違う。未来も全く違うだろう。十三歳の頃のスズは女の子といやらしいことをすることしか考えていなかった、気がする。
ランは図書館内のリファレンスルームで受付をして、入管許可証を首に掛けた。ランはメグミコの手を触って引っ張ってカウンタの横を通って奥の書庫の入口へ向かう。途中に三台のコピー機が並んでいて、真面目な大学生の魔女たちは短い列を作っていた。ランは突き当りの薄い鉄の扉を開けた。上と下に階段が続いている。ランは迷わず下に降りて行く。メグミコとスズも続く。本の独特の匂いが、なんていうか、香ばしい。地下に降りて移動式書棚の間の狭い通路を左に右に歩いて、すでに開いていた厚い扉の先には天井の高いフロアがあった。このフロアの移動式書棚は全て天井まで繋がっていた。スズは思わず見上げてしまう。
ランはメグミコの手を触ったままずんずんと先に進む。スズは置き去りにならないように足を早める。ココから一人で出る自信は皆無だった。スタンドライトの設置された横長の机に向かっている大学生が何人かこの空間に存在しているが、各々の魔女の研究に水を差すわけにもいかないだろう。さすが、名門明方女学院。
ピッ、と小さな電子音がした。
とある移動式書棚の前でランは許可証をセキュリティ機器にかざした。すると書棚がゆっくりと移動して、塞がれていた場所にスペースが生まれ、お目当ての本を触ることが出来る。ランは備え付けの箒に跨って高い位置の本を取って戻ってくる。「はい、メグちゃん、メタル・デティクタの魔導書です」
「ありがと、ランちゃん、」メグミコは臙脂色の魔導書を手にしてペラペラと捲る。魔導書のほとんどはラテン語だ。魔女の共通言語はラテン語だ。スズもメグミコもランもラテン語は中国語よりも堪能だ。「うん、まあ、二日、三日くらいで覚えられそうかな」
「はい、」ランは無垢な笑顔で言う。「探知系の魔法は習得するのが難しいですけど、メグちゃんならすぐに覚えられると思いますよ」
「うーん、でも、私不器用だからなぁ」
「そんなことありませんよ、ぜんっぜん、そんなことないです、」ランは大きく首を横に振ってメグミコを励ます。「難しかったら私に相談してください、素晴らしいアドバイスを考えてプレゼントしますから」
「うん、ありがと」メグミコはランを撫でる。スズはよく出来た妹だと思う。
「えへへ、」スズはとても嬉しそうだ。「でも、メグちゃん、急にどうして金属探知の魔法なんて覚えようと思ったんです?」
「うーん、ちょっといろいろレパートリを増やしたいな、なんて思ってね、」メグミコは流暢に嘘を付く。打ち合わせ通りだ。理由はランに教えられない。きっと身を乗り出してくるからだ。ランを危険な目に合わせるわけにはいかない。「ちょっとインテリジェンスな魔法も欲しいなって思って、ほら、私ってライトニング・ボルトだけでしょ?」
「メグちゃんのライトニング・ボルトは素敵です、ああ、もちろん、レパートリを増やしたいっている勤勉な姿勢も素敵です、どこかの魔女も見習うべきだと思います」
スズは苦笑いしか出来なかった。
三人は書庫を出て、ランはリファレンスルームのカウンタで貸し出しの手続きをしてくれた。メグミコは夕食にランを誘ったけれども断られた。研究室に戻ってやることがあるそうだ。スズとメグミコは帰り道にファミレスに寄って夕食にする。
「ちゃんと仲直りしなきゃ駄目だぞ、」メグミコは食後のパフェを食べながら言った。「スズとランはシスタなんだから」
「……分かってるけど、」スズは抹茶アイスを食べている。「でも、どうしたらいいか、分からなくて」
「もうランちゃんだって分かってると思うよ、ママが死んだのはスズのせいじゃないって」
「うん、ランは頭がいいから、とっくの昔に整理していると思う、でも、うん、私の方がちょっと、怖くて」
「抱き締めてしまえ、」メグミコはスプーンを向けて言う。「ランちゃんは絶対にスズに抱き締められたいんだって、だって二人はシスタなんだから」
スズは抹茶アイスを口に含んで考えている。考えている、というよりも、苦悩しているに近い。「……タイミングは、……冬よりも春がいい、……ですよね?」
「……はあ」
メグミコは溜息を吐いて、メタル・デティクタの魔導書を開く。そしてスズを見て微笑む。
スズも微笑み返す。
何か通じ合っている気がする。それはとても嬉しいことだとスズは思ったりなんかする。
「ベロが緑色だよ」
「え?」スズは完全に意表を突かれた顔になる。