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ヴェルヴェット・ギャラクシィ・ブランケット/甘い口どけ髪は紅  作者: 枕木悠
第二章 雪中遊禽連盟、花升エナガ
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第二章④

 那珂島がピンク色のミゼットを村崎邸別邸のガレージに滑り込ませたのは、雲もピンク色に染まる時刻だった。那珂島の時計は午後六時を回っていた。

 助手席の誉田が言う。「もうすっかり暗いですね」

「ええ、急ぎましょ、」那珂島は車外へ出る。「おお、寒い、寒い」

 誉田が那珂島にブランケットを渡しながら言う。「雪でも降りそうですね、昼間は雲が少なかったのに」

「うん」那珂島はブランケットに包まった。

 その時刻まで二人が一体何をしていたのかというと、仕事をしていたに決まっているのだが、要は事件が発生して現場に行かなければいけなくなったのだ。殺人の色のない魔女に関連する事件は全て特殊生活安全課に回される。八人しかいない特殊生活安全課に回されるのだ。スケジュールが乱れることには慣れていたが、アンナの顔が浮かんで、脈拍が乱れる気がして、ステーキの味が分からなくなる。ちょうど誉田と署の近くのファミレスで食事をしていたところだったのだ。電話が掛かってきたのは。主任の拂田ナユタからだった。『すぐに来い』

「事件ですか?」誉田は食べながら那珂島を見ている。那珂島は目で合図する。早く食べてしまえ、というサインだったが、誉田は食べるのを止めた。

『魔女狩りだ』

「了解、」呼吸をして気持ちを切り替える。那珂島は場所を手帳にメモして電話を切り、すぐに立ち上がって伝票を手にしてレジに向かう。「誉田、行くよ、事件だ」

「え、ステーキ、」誉田は悲しそうに目の前の肉を見てから、一口口に入れて、すぐに立ち上がって那珂島についてくる。口の中の肉を呑み込んで言う。「勿体ないなぁ」

「だから早く食べろって言ったのに」那珂島は会計を済ませる。

「え、言いました?」

「うん、言った」那珂島は自分の右目を指差し言った。

「はあ?」誉田は魔女を見るような目で那珂島を見る。誉田と正式にバディを組むのはどうやらまだ早そうだ。「ああ、それで、事件って、なんの?」

「魔女狩りだ」

 ファミレスを出てミゼットに乗り、向かったのは明方市駅。タクシー乗り場に一台のミニパト。その後ろに駐車して、パトランプをミゼットの頭に乗せる。地下街へ通じる階段を降り、拂田から聞いた場所へ走る。地下にある趣味の悪い噴水の横を過ぎると、一気に通路は広くなる。ここは国鉄の中央改札まで伸びる地下街のメインストリート。天井も数メートル高くなる。左右には様々なジャンルの店が並んでいる。人通りは歩く速度を意識しなければならないほど多い。ここを歩くとき那珂島はいつも舌打ちをしないように必死だ。事件があったのはメインストリートのほぼ中間地点。高級品を取り扱うスーパマーケットと様々な国のジャンクフードを取り扱う菓子屋の間だ。そこにスーツの上からモッズコートを羽織った拂田がいた。那珂島は急いで近づきたいが、目の前のサラリーマンが邪魔だ。思いっきり舌打ちして風を起こして頭に乗っているカツラを吹き飛ばしてしまいたかったが、公務員なので我慢する。結局カツラのサラリーマンのペースで拂田の元に到着。拂田の髪の色は深緑。植物の魔女だ。

「おはようございます、主任、」那珂島は軽く頭を下げる。「被害者は?」

「那珂島、遅いぞ、」拂田は大きな声を出す。その口調でアニメのキャラクタみたいな声だから全く怖くない。彼女の罵声には迫力はある。しかしダックスフントの全力の威嚇と比べて、圧倒的に真剣さが足りないと思う。「もっと走ってこいよ、こらぁ」

「この人混みじゃ走れませんよ」那珂島は舌打ちをしていつも通り無理を言う拂田を睨む。

「被害者は新治ロミ、水の魔女」拂田はスーパ側の通路の端に移動しながら言う。

「あ、ちょっと、待って下さい、」那珂島は慌ててメモを取り出す。「ええっと、新治ロミ、水っと」

「ああ、よかった、」誉田の声が後ろからした。「置いていかれたかと思いました」

「え、あ、ごめん、気付かなかった、」那珂島は振り返って言う。事実の那珂島は魔女狩りのことを考えていて誉田を気遣う余裕なんてなかった。「いや、ちゃんと付いて来いって、付いて来いよ」

「だってナナさん小さいから、見失っちゃって」

「なにぃ、」那珂島は誉田を睨んだ。「もう一度言ってみろ!」

「いえ、なんでも、」誉田は主任に向かって軽い敬礼をする。「主任、おはようございます」

「アレ?」拂田の声は急に高くなった。「なんだ、誉田君も、え、聞いてない、」拂田は嬉しそうに那珂島を見る。拂田は誉田のことをなんていうか、気に入っているのだ。拂田は誉田に接近して顔を覗き込む。「入院しているはずだよね?」

「はい、僕、水の魔法使いなので、」誉田は拂田に顔を覗き込まれて照れている。アンナのときと同じような反応をする。女だったらなんでもいいのか、こいつ。「一応、治癒魔法で、まだ傷口は完全に塞がってないですけれど」

「そんな誉田君ってば、無理しなくてもいいのに、誉田君が頑張っているの、私分かっているから、私だけは分かっているから無理しなくてもいいのにぃ、」拂田の猫撫で声に那珂島の中の何かが反応して嫌悪感が顔に出た。慌てて顔を背ける。高級な蜂蜜がスーパの店先に陳列されていた。「せっかく今夜お見舞いに行こうと企んでたんだだけどなぁ、どんな花を咲かせて、花束を作ってやろうか、真剣に悩んでいたのに、誉田君のために真剣に悩んでいたのになぁ」

「いや、その、はい、ありがとうございます、主任」

「誉田君が一番好きな花は何?」

「えっと、そうですねぇ、」誉田は真剣に考え始める。真剣に考えるほど花に詳しいのか、こいつ。「いやぁ、一番って言われると、難しいなぁ」

「おっほんっ、」これ以上ピンク色の空気に触れていると何かが拗れてしまいそうだったので那珂島は盛大な咳払いで空気を吹き飛ばす。僅かな風も発生した。「それで、主任、被害者は新治ロミ、水の魔女、他に、情報は?」

「十六歳、明商中退、」拂田は露骨につまらなそうな顔を那珂島に向けて口調を通常モードに変更して言う。「彼女、劇団員だそうよ、明方百犬っていう劇団、そのメンバ、女優、私は知らないけど、知ってる?」

「いえ、」那珂島は首を横に振った。「知りません、ひゃっけんって、どう描くんです?」

「百匹の犬、で、百犬」

「犬ですかぁ、」誉田は考えるそぶりをする。「犬、うーん、自虐が込められているんですかねぇ」

「彼女は今?」那珂島は聞く。

「病院、本人は意識がまだ戻ってないわ、狩られたときに隣を歩いていた友達が救急車を呼んで警察に電話してきたわ、彼女も同じ劇団のメンバで昼食を食べて稽古に戻る途中に事件が起こった、急に新治ロミが倒れたって」

「やっぱり同じ症状に?」

「うん、彼女の髪は黒く染まった、水の色素が抜けて艶やかな黒になっていた、きっともう駄目だと思う、くそっ」

 魔女狩りにあった魔女は魔女でなくなる。魔力を失い、魔法を編むことを忘れ、空を飛べなくなる。絶対に許せないことだと那珂島は思う。魔女狩りは昼夜問わず発生していた。犯人の検討は全くついていなかった。場所は市内に限定されているが、場所に共通項が見いだせない。星座がマップの上で描かれるような親切さもない。手がかりがない。魔女狩りはとても簡単に行われるように思える。いったいどんな魔法を編んでいるのか。目撃者はいない。目撃しようと思っても魔女が色を奪われ、意識を失った時にはすでにそこに犯人はいない。周囲の人間は誰も魔女狩りが起こったことに気付かない。ただの貧血だと思うのだ。心配性の人は脳みそのことを考える。だから私たちのストレスは溜まる一方。

「あれ、ナナちゃんに誉田君、」合流したのは大壺ヒカリ。彼女は二つ年下の一つ上の先輩だ。中学時代、S県のおよそ半分の面積に及ぶ丸湖という巨大な湖で開催される魔女のレース、マルコレースで大人の魔女たちに圧倒的な速さを見せつけて優勝。拂田のスカウトに進学する気のなかった大壺は即決。公務員の道を選んだのだ。「こんなところで何してるの?」

「私が呼んだの、」拂田が答える。「それで大壺、何か有意義な情報を手に入れることが出来た?」

「あそこのお店のチョコレートなんだけど、」高校生のようなベージュのコートを着た大壺はまるで高校生の帰り道のように甘い匂いのする紙袋を持っていた。片方の頬が膨らんでいる。「ちょー、おいしいのっ」

 大壺の口調は冗談を言っているみたいだから説教をする必要があると感じる。年上として言っておかなければいけないと思う。「アコちゃん、少しは真面目に」

「どれどれ、」拂田が那珂島の説教を遮って大壺の紙袋に手を突っ込んでチョコレートを取り出して口の中に入れた。「げぇ、甘過ぎじゃない?」

「ちょっと主任、」那珂島は拂田を睨む。「少しは真面目になって下さいっ」

 拂田は涅槃の眼をして那珂島の方を見て口元だけで笑って何も言わない。全く訳の分からないサインを送ってくるものだ。ああ、ストレスが溜まる。

「十倍らしいですよ、」大壺が拂田に向かってにこやかに言う。「ほら、ナナちゃんも誉田君も」

「すいません、」誉田は吸い寄せられるように大壺に近づいてデレデレしている。容姿に体系というものがあるなら大壺はその頂点に君臨するであろう美少女である。背が高く、スタイルがいい。光と風のイレギュラの魔女。その長い髪の色はゴールドで風の属性の作用よって煌めいて見える。フリルの沢山付いた服だって、飾りの少ないドレスだって、大壺には何だって似合う。美少女からチョコレートを貰った経験なんて誉田にはないと思うから、きっと今は素晴らしい経験になるのだろうな、と思って那珂島は沈黙する。「ああ、甘いですね、砂糖が十倍のことはありますね」

「ああ、砂糖じゃなくて、愛です、愛が十倍だって店員さんが言っていましたよ」

 誉田はなんて反応すればいいか困って、とりあえずわざとらしく笑っていた。

反射神経が鈍いのだ。赤毛の魔女たちにボコボコにされた理由がよく分かる。もしかしたら誉田は赤毛の魔女たちに優しくされてボコボコにされたのかもしれない。そう思うと、誉田がとてつもなく莫迦に思えてくる。イライラする。那珂島もチョコレートを口にする。「あれ、ちょー、うまい、」那珂島は本当にびっくりしていた。誉田のことなんてどうだってよくなる。もう一つ口にする。「なんで、どうして? どうしてこんなにおいしいチョコレートがあるの?」

「ラッシュかも、」大壺が目を瞑って言う。魔法を編むイメージを見ているようだ。「むむむっ」

 魔法使いや魔女の魔力に作用する魔具のことを、現代ではラッシュと呼んでいた。シガレロやチューンガム、BBCの物語に出てくるアイスキャンディなど形状は多岐にわたる。チョコレートのラッシュもあった。しかし現代では厳しく取り締まられている。

「そんなもんが公然と袋売りで捌かれて堪るもんか」拂田は笑いながら言う。

「そうよ、」那珂島も頷きながら目を瞑った。もちろん、こう、力が沸騰するような感覚はない。いや、念のために、試しただけだ。「誉田、何見てんのよっ」

「いえ、すいません、つい」誉田は素早く目を逸らす。

「ついってなんだよぉ、」那珂島は誉田を睨みながら息を吐く。「とにかく、チョコレートよりも大事なことがありますよね、主任」

「うん、その通りだ」

「早く病院に向かいましょう、新治ロミ、意識を取り戻しているかもしれせん」

 那珂島は踵を返す。誰かが那珂島の肩を掴む。振り返る。拂田の表情はスマイル。嫌な予感がしない訳がない。

「それは私たちの仕事だ、那珂島、すでに病院には莱木が行っているし、コレから私たちも向かう、私と大壺、莱木、新治ロミ、その親友、誉田君に、那珂島、病室に七人は多すぎやしないか、」拂田は誉田の方を見て声色を変える。「誉田君、ごめんね」

「いえ、でも、それじゃあ、僕たちは何をしたら?」

「別件に向かいますっ」那珂島は早口で言って再び踵を返した。

 しかし、拂田の手が那珂島の肩を再び掴む。「今日だけでひったくりを五件、食い逃げ二件」

「痴漢一件」大壺は人差し指を立てて晴れやかな笑顔で言う。

 つまり署に戻って事務処理しとけということだ。

「それじゃあ、お願いね、またね、誉田君」

 拂田は誉田に下手なウインクをして、那珂島の肩をポンポンと叩き、大壺と一緒に歩き出す。

「くそぉ、」那珂島は拂田に聞こえるくらいの声で呻いてやった。「人でなしめぇ」

「え、ナナさん、どういうことですか?」

「誉田も手伝えよっ」

「はい、ええ、もちろん、手伝います、」誉田は威勢よく言った。「それで、何を?」



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