第一章⑨
鶴たちは我儘に飛翔する。
すぐに何かにぶつかって弾け氷の粒になる。
メグミコの大事なコレクションは無残なことになっている。
天井の照明もすでにいかれてしまって、灯りはエナガの明るい白い光だけ。
鶴は主にスズたちの方向に飛んできた。
「ハイエン!」
スズは風の魔法を編んで、それを盾にして防いでいた。メグミコを守っていた。しかし、すぐに魔法は綻んでエナガの鶴に血だらけにされそうになる。スズは恐怖を覚えながら、エナガが自分の数段上のレベルの魔女であることを認めた。認めたが生け捕りにして丸焼きにして食べちゃいたい気持ちに変わりはない。可愛い魔女のレベルが高ければ高いほどスズはとても興奮してしまう。暴力的になる。
興奮する。
スズは魔女の眼をした。
左手でハイエンの展開を維持。補修。維持。巨大化に、成功。時間を作る。
右手を後ろにいるメグミコに伸ばす。鶴のせいで声が消えるので目で言う。メグミコは耳を塞ぎながら「?」マークを頭上に浮かべたまま首を傾げた後、やっと気付いた。体に巻いていたブランケットをスズに渡す。スズはほんのりとメグミコの体温の残るそれを目の前に広げた。スズはブランケットにすでに編み込まれた誰かの魔法に、声で働きかける。
「リボルブ!」
一瞬の間があって。
編み込まれた魔法は再び回転を始める。
なんの変哲もないヴェルヴェットの汚れたブランケットは。
エナガよりも強い白を光らせる。
氷の鶴を次々と呑み込んでいく。
吐き出さずに。
ヴェルヴェットの白を汚しながら。
鶴を消化していく。
エナガは一瞬で表情を変えた。
とても驚いている。
驚きながら目付きを鋭くして鶴の数を増やしていく。
スズはブランケットを広げながらエナガに近づく。
ブランケットは鶴を呑み込み続ける。
エナガはまだ認めない。負けを一向に認めない。
鶴の数は減り、部屋は静かになっていく。
ブランケットは全ての鶴を呑み込んだ。
ブランケットの発光が止まる。
ブランケットは汚れてしまっていた。
いや、とても前衛的な模様が付いている。
コレはコレで、悪くない。
「捕まえたぁ、」スズはエナガをブランケットに包んで抱き締める。「捕まえたぁ」
「ひ、ひやぁ、」エナガはブランケットに包まれて力のない悲鳴を上げて暴れる。エナガの魔力はもうない。全てブランケットが呑み込んでしまったのだ。回復までには長い時間が掛かるだろう。箒に乗って浮く、くらいは出来るかもしれないが、それまでエナガは普通の女の子だ。髪の色は白から黒く染まっている。氷の魔女に相応しくない熱っぽい顔色でもがく。「ひやぁ、離して、離せ、このっ」
「暴れても無駄、もう編み疲れたでしょうに、ここは大人しくブランケットに包まれていて、今夜は寝かせるつもりはないけどね、うふふ」
「畜生っ!」エナガは可愛い声で悪い言葉を言う。「調子に乗ってんじぇねぇ!」
部屋の氷は少しずつ崩れ始めていた。自身の重さに耐えきれずにつららが落ちる。丸窓を塞いでいた。分厚い氷の崩壊も始まる。
「お嬢様っ、お嬢様っ、」防音効果が弱まりジェリィが外で扉を叩く音が聞こえてきた。「お嬢様っ、お嬢様っ」
「メグ、開けてあげたら?」スズは後ろに振り返って言う。
「……ああ、そっか、そうだね、」ぼうっとしていたメグミコははっとなって、吹雪で乱れた髪を直しながら部屋の鍵を開けた。「ジェリィ、大丈夫、大丈夫だから、私たちは無事だから」
「ああ、お嬢様っ!」ジェリィは部屋に飛び込んできてメグミコを抱き締めた。「スズちゃんも、ご無事で何よりですっ」
スズはエナガを組み伏せながらジェリィに微笑んだ。「うん、楽勝っ」
「無事なもんですかっ、私の大事なコレクションが、ほら、もう全部氷になっちゃって、カチンコチン、カチンコチンだよ、」メグミコはコレクションをコンコンしながら本格的に落ち込んでいた。「うわーん、もうやだぁ」
「いい機会じゃないですか?」ジェリィに遅れて部屋に入ってきた辻野が言う。辻野は太くて重たそうな木刀を持っていた。「お嬢も若頭みたいに現実の中で様々な色の花を咲かせてみてはいかがです?」
「え、花? 何、どういう意味?」メグミコは首を傾げる。
「ちょ、辻野!」スズは辻野を睨む。
「すみません、若頭ではなく、スズさん、ですね?」辻野は朗らかに笑う。
「そっちじゃねーよっ」
「若頭、そいつは、」辻野はスズの横に跪いてエナガの顔を覗き込む。「こいつが、その、雪中遊禽連盟というグループの、魔女ですか?」
「うん、自分から名乗ったよ、雪中遊禽連盟花升エナガ、氷の魔女」
「花升、エナガ、」辻野が名前をゆっくりと反芻すると、目をギュウと瞑って反抗的な顔をしていたエナガが目を開いた。「エナガ、とても小さくて可愛い小鳥の名前ですね」
「……はい、」エナガの声はなぜか、なんというか、とろけそうだった。「いえ、可愛いだなんて、そんなぁ、嫌だぁ」
辻野はエナガの反応を見て笑ってスズを一瞥。悪い目をする。「なんだか、簡単そうですね、とても、簡単そうだ、若頭、とりあえず、ここに手錠があります」
「ああ、うん、それをどうするの?」
「手錠を掛けます、君、手を出して、」エナガはふにゃとした表情で簡単に両手を差し出した。辻野はエナガの両手首に手錠を掛けた。「ほら、簡単でしょ?」
「なんで、どうして?」スズは辻野に素直なエナガに驚く。
「さあ、どうしてでしょう?」辻野はエナガの頭を撫でる。エナガはとろんとした目をしている。「きっと魔力がなくなって男に免疫がなくなってるんでしょうね」
「男に免疫がないって、意味が違う気がする、」スズはエナガを包んでいたブランケットをとってメグミコの方に向かって広げて見せた。「そういうのはね、私みたいな魔女のことを言うのよ」
辻野が後ろで堪えきれないという風に笑った。スズはどうして辻野が笑ったのか謎。
「銀河みたい」コチンコチンのエロゲのパッケージを回収していたメグミコは顔を上げてブランケットを見て呟いた。
「え?」
「いや、銀河というより、ギャラクシィ?」
「確かに、うん、そうだね、ギャラクシィ、」メグミコが呟いたようにブランケットの模様はギャラクシィだった。そしてエナガを包む前よりもずっと。「……色が濃くなったなぁ、ああ、どうしたら白くなるんだろう」
ブランケットはいくらドラム式洗濯機で洗っても、いくらクリーニングに出しても、白くなることはなかった。スズを守るために魔力を呑み込んだ跡は一生消えないのだろうか?
「花升エナガを連れて行け」
『はい』
辻野はメグミコとジェリィと共にエロゲのパッケージを回収している組員の茶色のサングラスの倉持と山高帽子の松本に指示した。エロゲのパッケージをジェリィに預け、エナガの両脇に立って腕を掴んで立たせる。
「ふえ? 私をどこに?」エナガは辻野に聞く。
「少し話を聞きたい、ここはお嬢の部屋だから、別の部屋へ、自覚しているかい? 君はとても悪いことをしたっていうことを」
「はい、私は失敗しました、ああ、もぉ、帰れない」
「いや、そういうことじゃなくて、」辻野は普段よりも苛ついている。「君は警察よりもスペシャルな力を持つ村崎組のお嬢様の部屋に侵入して滅茶苦茶にしたんだ、分かっているのかな?」
エナガは黙る。分かっていない、というか、反省していない顔をしている。
「……あの、お名前は?」エナガはきっと未来のことを恐れていない。むしろ未来を信じているような気配がある。「お名前を教えて下さい」
「辻野、」辻野はシガレロをポケットから取り出して、仕舞う。「ああ、ここはお嬢の部屋だ」
「辻野さん、」エナガは辻野に潤んだ視線を向ける。スズはドキッとしてしまうほど可憐な瞳。ゴクリとスズは唾を飲み込んだ。「辻野さん、下のお名前は?」
辻野はそれに答えない。
「ねぇ、スズも手伝ってよぉ」メグミコはスズのスカートの裾を引っ張る。
「え、ああ、うん、」スズはエナガから視線を離して氷漬けになったメグミコのコレクションを見て息を吐く。「ねぇ、メグ、回収して、どうするの? 氷が解けたって、ビショビショでしょ? まあ、ディスクは無事でしょうけど」
メグミコはスズに涙目を見せる。ああ、面倒くさいと思いながらメグミコの頭を撫でてあげるスズ。本当に、犬みたいに可愛いやつだ。
「いいから連れて行け」
倉持と松本は辻野の指示に従って、エナガを連行する。多分、別邸の地下にある、大事なお客様のための部屋に。
「あ、待って下さい、」エナガは高音で辻野に聞く。「辻野さん、また、会えますよね」
「ああ、」辻野は手を振って答える。「早く行け」
「ぜ、絶対、絶対ですよっ」
エナガは部屋から消えた。扉が閉じられる。
「はあ、」スズは息を吐く。「すごく、疲れた」
「若頭、本当にご苦労様でした、」辻野はスズに素晴らしいお辞儀をする。「若頭がいなかったらお嬢様がどうなっていたか」
「うん、スズ、ご苦労、」守ってもらって当然という風にメグミコは言う。「でも、ブランケットがなかったらヤバかった」
「うん、」それは一番スズが理解していた。「楽しかったけど、少しだけ悔しいかも、少しだけ羨ましいかな」
「一連の騒動もコレで解決ですかね、」辻野が言う。「今は分からないことだらけでしょうが、後は彼女をゆっくりと尋問して、あらゆることに決着がつきます、まぁ、簡単ですね、非常にシンプル、爪の隙間に火であぶった五寸釘を刺して全部しゃべらせます」
「いやぁ、」メグミコは小さく悲鳴を上げる。「いたそぉ」
「それにしても一体、辻野さん、あの子にどんな魔法を掛けたんですか? 滅茶苦茶気に入られたみたいじゃないですか、」エロゲのパッケージを回収しながらジェリィが聞く。「よ、よかったら、後でご教授を」
「僕はただ脅しただけですよ、」辻野は口元だけで笑う。「さて、そんなことより、大事な仕事が残ってますよ、お嬢の氷漬けのエロゲをなんとかせねば」
「そう、なんとかせねば! 何とかせねばだよ!」メグミコは大きく頷く。「うーん、とりあえず、氷が解ける前に全部冷凍室に運び込むよ」
『了解です』ジェリィと辻野は声を合わせた。
「スズも手伝って!」
「は~い」スズはふざけた返事をする。そして考える。彼女は、花升エナガはどうしてメグミコの部屋に来たのだろう。ふと、部屋の隅を見るとコバルトブルーの本がある。エナガの物だ。魔導書だろうか? スズは拾い上げてページを捲る。魔導書じゃない。魔具のカタログだ。エナガのメールにあった南蘋型録というのは、コレのことだろうか? ページを捲り続ける。八十一番の項目。空閑があった。モノクロの写真が添えられている。空閑は刀剣だった。形状は日本刀に近い。飾りのないとてもシンプルな刀だ。ページをビッシリと埋め尽くす文字は全て漢字。中国語だ。読めない。残念。スズは次のページを捲る。驚いた。スズのブランケットがある。
「ああ、こんなときにアンナってば何してるんだろ、」メグミコが必死な声で言う。「って、スズも協力してよぉ、もぉ」
「ごめん、メグ」
「え?」
スズはメグミコの部屋を出て、廊下を走って階段を駆け下りて外へ出る。雪を踏んで別邸に向かう。エナガに聞きたいことがある。エナガに確かめたいことがある。
スズは別邸の門を潜った。
直後。
紅い光が視界に飛び込んできた。
何かが爆発する音がした。
門を潜って右方向に走る、突き当りを左に正面を向く。
蔵が燃えていた。
紅色の炎に包まれている。
雪の上に組員三人が倒れている。
多くの足跡。
戦場の跡だ。
一体、何が?
スズは見回す。あらゆるものを見回す。
音を聞く。風の動きを感じる。動きがある。
三つ。
炎の中。
三つ。
「ハイエン!」
回転する空気の運動が炎を吹き飛ばす。
見えた。
屋根の上。
一瞬だけ、三つの赤毛の魔女の影を確認した。
濃い炎はすぐに影を覆い尽くした。
煙が立ち上る。
蔵が崩れる。
危ない。
崩れた。
火の粉が太陽みたいに踊る。
音を聞きつけたのか、倉持と松本、他の組員も続々とやってきた。
消化作業が始まる。
しばらくしてサイレンの音。
消防車と救急車が到着した。
「ああ、なんてこと、」スズの隣にいつの間にかアンナが立っていた。「まさか、そんな」
「アンナさん、一体誰が?」スズはアンナの肩を揺すって言う。「雪中遊禽連盟の花升エナガは捕まえたんだ! この私が捕まえたもんっ!」
「囮だったんだわ、お嬢様の部屋を襲撃して、警備が薄くなったのを狙ってたんだ、ああ、もう、まんまと敵の術中に、畜生っ!」アンナの横に立つ、紫色のメイド服を着ているが見慣れない童顔の女性が積もった雪を蹴った。彼女はお凸に巨大な湿布を張っていた。表情はとても真剣だ。誰だろうと思っていると察してか、彼女は警察手帳をスズの顔に近づけた。「どうも、初めまして、室茉スズさんね、私は滋賀県警特殊生活安全課の那珂島ナナ」
「はい、えっと、初めまして、」スズは那珂島と短い握手をした。「警察の人? 魔女?」
「ええ、あなたと同じ風の魔女よ、」那珂島は黒い長い髪を払った。「本当に、私が付いていながら、」那珂島は額を押さえる。スズはそのお凸の湿布の理由がとても気になる。「……っていうか、誉田だよ、誉田のやつ、何してたんだよっ!」
「誉田?」スズは誉田を知らない。
「そう言えば誉田さんは?」アンナは周囲を見回す。「あ、あそこ、誉田さんじゃないですか?」
アンナの視線の先を那珂島は確認した。救急車に運び込まれている人。その人は良く見ると村崎組の組員じゃない。那珂島は舌打ちして歩き出す。「……ったっく、いっちょ前に怪我なんてしやがって」
スズとアンナも那珂島の後を追って救急車に近づく。
「すいません、こいつ、私の部下なんです、」那珂島は救急隊員に言って、担架に横たわる誉田の顔を覗き込んだ。「誉田、おい、生きてんの?」
「あ、ナナさん、すんません、」誉田の顔は血だらけだった。「やっぱりパニックになって、魔法が編めませんでした、そんで、御覧の様です、無様です」
「全く何してんのよっ!」那珂島は怒鳴った。しかし表情はとても心配している。「あんたは水の魔法使いなんだから、あんたが火の魔女たちをなんとかしてくれなきゃ! もぉ!」
「……すいません」
「しゃべるな」
「すいません」
「いいから、おねんねしてな、」那珂島は誉田の腕を触って優しい目をする。救急隊員に言う。「ごめん、邪魔したね、連れて行って」
誉田は救急車の中に運び込まれる。
スズは慌てて声を上げた。「あ、あの、誉田さん、敵は火の魔女、三人でしたか?」
誉田は首だけ動かして頷いた。そしてスリーピースをスズに見せる。救急車は発進した。
「いつもの三人ね、蔵を襲撃したのはいつもの三人、」那珂島は顎に手を当てて言う。「お嬢様の部屋に飛び込んだのは、」
「雪中遊禽連盟、花升エナガ、」スズは率直な疑問を口にする。「あの、ナナさん、火と氷って、結びつきますか?」
「結びつかないわ、全然結びつかない、結びつくには甘いキャンディか何かが必要」
「ナナさん、そんな難しい顔をして考える必要はありません、」アンナは魔女の眼をしていた。「せっかくスズちゃんが捕まえてくれたんです、じっくり訊問すればいいんです、何かを考える必要なんて全くないんですから」