胸に詰まる、言の葉
「今日さ、桜井のパンチラ見たぜ」
「マジか!?」
「いや、本当だって。たまたま朝登校した時…」
汗臭い部室。大きな声で、皆、それぞれ、好き勝手に喋る。
統一感の無い、不協和音。
剣道部は精神集中をするから心安らかだ?真っ赤な嘘。
防具を纏めて、棚に収納する。
直ぐ部室から出て、上履きを履く。この時点で、部室から出てるのは自分だけだ。
「…」
本当は武道場から出て行く時には、ありがとうございました、と叫ばなくてはいけない
俺はもちろん、やらない。
「ありがとうございました!」
後ろから聞こえてくる声が、胸に、詰まった。
俺は、決して、人付き合いが得意ではない。
友達は、少ない。
ただ、ひたすらに、剣の道を歩んできた。
だから、一応は、強い。
と言っても、本当に孤独って、訳じゃない。
話し掛けられたら、答えるし、剣道部の奴らが、嫌いな訳でもない。
そう、アイツらの事は、嫌いじゃない。アイツらの事は。
―今日、桜井のパンチラ見たぜ
ぞっとする。
あれは、いけない。
不協和音だ。汚い。
胸の奥底が、詰まる。
右手で、思わず胸を抑えて、立ち止まる。
「嫌いだ」
教室に鞄を取りに行くと、一人の男が、俺の事を待っていてくれた。
「やぁ」
彼は右手を軽く挙げ、はにかむ。
「…」
自分が、何を言えばいいのか、分からなくて、黙っていると
「大丈夫?」
、と彼に問われた。
ますます、何を言うか、分からなくなって、結局、何も言わずに、鞄を取った。
彼と出会ったのは、高校一年生に成ってからだ。
最初会った時から、彼は、自分とは比べられないぐらいの、人望を持っていた。
中性的な顔立ちは、女子に相当な人気があって、そういった話を避けている俺ですら知っていたぐらいだ。
そんな彼は、何故だか、やたら俺の事を気に入ってくれている。
高校に入って、最初の体育の授業の時、二人一組にならならなければ、駄目だった。
自分は組を作るのが、酷く遅く、一人で残されていた。
呆然と、立ち尽くしていると、右手を引かれた。
「一緒に、やろう」
彼だった。
授業の内容は、体力測定。片方が、足を押さえて、片方が、腹筋をする。
彼の足は細く、白かった。
「ん…っは」
彼は体力が無いようで、直ぐに息切れした。
俺は只、彼の赤くなった頬を、見詰めてるだけで。
授業が終わった時、彼は、はにかんで、うつむいて。
「ごめん、体力なくて、さ」
悲しそうな顔をした。
「いや…別に…」
何を言えばいいのか、考えつかなくて、
「…いい」
少しの沈黙。
自分は武道場の出口を、睨み付けて、早歩きをした。
それに合わせるかのように、慌てて彼が付いて来て。
この頃は、みんなも、新しいルールに慣れてなくて、少し恥ずかしそうに「ありがとうございました」と言っていた。
俺と彼は、その横を通る。
出口を越える瞬間、言葉が詰まる。言えない。
少し、小走りに走る。
汗が止まらなくて、辛くて、苦くて。
ふと、横を見ると、彼も胸を押さえて、苦しそうにしていた。同じだ、と思った。
目と目が合う。
彼は、こちらを見て、目を丸くする。少しの沈黙。
「…あはは、変な奴」
「…お前もな」
二人の間に、共感が生まれ、笑った。
互いに、胸に当てた手を下ろし、絡ませる。まるで、恋人のように、肩を揃え、歩いて。
それが、彼との出会いだった。
「でね、桜井さん、ラブレターくれたんだけど、あの人は駄目だね」
「どうして?」
「断られる事を想定してない書き方というか、傲慢というか…」
夕焼け色の光が差し込む、電車の中。二人並んで座って。
「もう、付き合った後の事を考えてるよね、これ」
彼は汚い物でも摘むかのように、ハートマークが付いた、可愛らしいピンク色の手紙を取り出した。
「『よろしくおねがいします!!』だって」
二人きりの時、彼は常にこんな感じだ。
みんなの前では愛想良く振る舞うけれど、本当は極度の女嫌いで、毒舌。
「こんな物、」
ビリビリ、破く。
「おいおい、やり過ぎだろ」
「あ、秘密にしといてね」
人差し指を立てて、「しー」と言う。
二人だけの秘密、か。
どちらかと言えば、秘密の二人きり、だと思う。
二人で登下校してるのも、こんなに仲がいいのも、みんなには知られてない。
秘密の関係。
「でもさー、嫌いな人からラブレター送られてきたら、桜井さんもこんな感じでしょ」
「嫌い、なのか?」
「桜井さんが、じゃなくて、女、がね」
何が原因なんて、聞いた事もないし、聞いてみたいとも思わない。だって、二人はとりあえず、その感覚を共有してる。それで、充分だ。
―…に着きましたー
車掌さんの声。
「あ、じゃあね、また」
「またな」
駅に降りて直ぐ、彼はビリビリのラブレターをゴミ箱に捨てた。
彼は振り向き、閉まった扉ごしに、ピースをした。
動き出した電車に揺られながら、桜井の事を考える。
決して同情の念は湧かない。
嫌いだからだ。桜井が、ではなく、女が。
女は嫌いだ。
理由は言いたくない。
けれど、女は嫌いだ。
自分には母親が居ない。親父が一人で働いて、育ててくれた。
それどころか、高校まで行かせてくれた。
女が嫌いになったのは小学生六年生ぐらい。中学生になると、男と女は別れて、グループをつくる。
だから高校に行くまで、周りに女は居なかった。
女に話し掛けられても、何を返せばいいか、分からない。
せめて、彼の様になりたい。
嫌いなままでも、上手くあしらえるようになりたい。
「せんぱい、来週の日曜日、空いてますか?」
部活終わり、更衣室に入ろうとした所を、呼び止められた。
「…」
後輩の、なんて名前だったか、茶髪の…、ともかく女だ。
「今度、剣道部で、カラオケパーティーやる事になって、ほら、せんぱいは女の子に人気あるから、呼びに行けって…」
最近、妙な事を言われる。
人気がある?それが本当なら、とても嫌だ。
「…あ、あの。せんぱい?」
「行かない」
それだけ言って、更衣室に逃げ込む。
どうだろう、俺は嫌な人間になれただろうか。
その日の放課後。電車の中。二人。
「お前、何部だったっけ?」
「ああ、僕は、科学部の幽霊部員だよ」
「…じゃあ、悪かったな」
「何が?」
「毎回、長い間、待たせてる」
彼は微笑み
「大丈夫だよ。全然楽勝」
こういう普通の笑顔はいい。ただ、あの、はにかむような笑顔、あれは、何だか嫌だ。
せめて、二人だけの時は、自然な笑顔が欲しい。
「…ありがとう」
「どういたしまして」
二人の時間は、柔らかく流れた。
教室に入ると、騒がしい。
何か、あったのか?
扉を開けると、甘い香りが漂う。
ああ、今日は、バレンタインだった。
「せんぱい、これ」
「ん?」
「剣道部全員に、渡している義理チョコです」
「全員に渡しているなら、」
いいかな、と。手を伸ばす、
「あ、この前は、スイマセンでした」
この前の、か。アレはなんだったのだろうか。
後からよく考えると、自分は普段から、カラオケなど、そういった、集まり事を全て断っている。今では、もう誘われなくなっていたのに。なんで今更。
「機嫌悪いときに、話し掛けてしまったようで。わたし、空気読めなくて」
彼女に非は無いと思う。
そもそも、俺は顔に出にくい質なのだ。そもそも機嫌、悪くなかったし。
と、なれば、少し、悪いことをしたかも知れない。
「…これで、いい」
「え?」
「ホワイトデイに返さない代わりに、前の事は、無しで」
我ながら上手く纏めた物だと思う。これで、返すという、面倒な行為をせずに済む。彼女は前の事を気に病まず、普通に暮らせる。
「せんぱいって変な人ですね」
彼女はニヤニヤと笑った。
何か間違えたのだろうか。
何がいけなかったのか、思いを巡らせていると、
「今度、機嫌の悪くない時にでも、カラオケ、誘いに来ますから」 溜め息を一つ吐いて、
「…行かない」
失敗した、と思った。
「アハハハハ!お前っ?それなんだよ?サンタクロースか?」
「放って置いてくれ…」
普段、こんなに、笑う事は無いのだが、彼の姿は我慢出来ないぐらい、滑稽だった。
「漫画でも居ないぜ、袋でチョコレート持って帰る奴なんて」
「居るかも知れないだろ?君は古今東西全ての漫画を読んだのか?」
「論点、そこじゃねーよ」
部活から帰って、教室に戻ると、膨らんだビニール袋を持ちつつ、それと同じぐらい不機嫌そうに頬を膨らませた彼が居た。
「…全く、どうすればいいんだ」 ここまで怒っている彼もなかなかに珍しい。
「百歩譲って、本命として僕にくれる奴は許す。でも、本命じゃないのに僕に渡す奴ら、絶対許さない」
ん?本命じゃない?
「なんだ?義理チョコとかか?」「違う違う。義理チョコは別にいいんだ。本命のフリして、渡す奴」
「フリ?」
「そう!本命のチョコを渡す奴がバレないように、僕みたいな、みんなからチョコを貰えて、かつ、必ず付き合わない、奴に渡して、友達を欺くのさ!馬鹿馬鹿しい。恥ずかしいのなら、最初から告白なんて、するな!」
成る程ね。女ってのは、大変な訳だ。
「で、どうやって、それを処理する?」
彼が持つ袋を指差す。
「当たり前だろ、決まってるさ」 彼は俺を指差した。
「…また人に言えない秘密が増えた」
チョコの包みを剥がし、口に放る。
食べているというか、チョコレートを口に入れる作業をしていると言った方が相応しい。
「言えない秘密?大したことないでしょ」
「いや、まぁ、一応はお前に食べて貰おうと作った、または、買った物だしなぁ」
「君は真面目だなぁ」
「お前は不真面目だな」
というか、それより、
「甘くて死にそうだ」
「同感だー。小さいのは飲み込めるけど大きいのはキツいよ」
その通り、いや、それだけじゃなく、大きい物には何か入っている可能性がある。ピーナッツとか、フルーツとか。
アレが予想以上に辛いのだ。
「ねぇ、ねぇ、大きいのは二つに割って、二人で食べよう」
「二つに割って、までは分かるが、なんで、二人で?」
「いーじゃん、恋人同士みたいで」
恋人。
恋人って?
慌てる。頭にガツンと一つ強烈なのをくらった気分。
彼の白い首が、手が、足が。
手を伸ばして、触れてみたいと思う。
「なーんてね」
カタンゴトン。
当たり前のように電車は動いている。
溜め息。
「お前が言うと、色々、冗談にならないぞ」
「秘密の関係で、二人こんなに寄り添って、恋人同士にしか見えないでしょ」
自分達の姿を確認して見る。
「いや、これは、…イケメンのサンタクロースとトナカイ?」
沈黙。
しばらくして大爆笑が起きる。
「どんだけ、サンタクロース引き摺ってんだよ、オイ」
「今のは、結構的を射てたな」
二人で一頻り笑い終わると、彼が袋を漁り始めた。
「何探してるんだ?」
「二人で分けないと食べられない大きいチョコレート」
「本当にやるのかよ…」
彼の腕が、袋の中で止まる。
「これだー!」
突き上げた右手が掴んでいたのは、
「キャンディー?」
「…チョコレートに見えるけど、この棒は何だろ?」
棒付きキャンディーならぬ、棒付きチョコレートだった。しかもデカい。
「…なんの意図で作られたんだろう」
「キャンディーみたいに舐めろって事か?」
しかも、割れない。
意外と丈夫に出来ている。
どんなに力を入れても、割れなかったので、歯で直接噛みつく事にした。
「うー」
力を入れる彼。
ガッ!
「ッ!痛ッ」
「大丈夫か?」
「痛ー、なんか歯茎かなんかに刺さったよー」
一体なにで出来ているのだろうか、このチョコレートは。
「はい、どうぞー」
「押し付けるなよ。そんな固い物」
「何それ?なんかエロい」
とりあえずは受け取っておく。
「てか、なんだろう、この味…」
なんか怪しげな事言ってるし。
それでも、そのチョコレートを俺は受け取った。
彼が喰い千切った部分は、唾液で黒くテカテカと光って。
…本当に何で出来てるんだろうか、これ。
ドン、ドン、ドン。
太鼓を叩く音が聞こえる。
俺は暗く、赤い水槽の中、ふらふらと沈む。
ふと、暗闇の中に、白く輝く物が見える。目をこらして見ると、それは、裸の彼だった。
彼は、目蓋を閉じ、その細い足を、腕を、広げていた。
優しく抱きしめ、キスをする。
赤、
赤い水。
吐息。呻き声。湿った水を叩いたような音。喘ぎ。汗で。
気付くと、家の中、
「お母さん?」
何処だろう?早く見つけないと。
「お母さん?」
軽く隙間の空いた襖、手を掛ける。
覗いてしまった。
ああ、なんと、おぞましい。お前は呪われた子だ。お母さんの
言う事を聞きなさい。お母さんは悪いことをしたんだ。絡み合う手足。汗。目が合って、何度も。だからお母さんは捕まったんだ。何度も覗いた。お前は悪くない。悪いのは俺だ。お母さん?どこ?目も合って、気付いてたんだ。お母さんは言いました。男はそういう物。襖の隙間。お母さんの事、聞かせてくれるかな。お父さんが居ないのが悪いの。目が。お母さん、ああ。いけない子ね。
全ての自分がそう言って襖を開いたけれど、俺には理解出来なかった。
全ての自分は、母さんを、
苦しめ、俺。
母さんは、
俺を
犯した。
朝、起きる。
体中が汗でびしょびしょに成っていた。
「っは、っは…ふー」
呼吸を落ち着けて、立ち上がる。
下半身に違和感が。
夢精、していたようだ。
男だから、当たり前で、寧ろ、今まで何も起きていなかったのが、不思議な事で、悩む事など無いと思う。
そう思ってはいるのだが。
胸に、詰まる。
「ありがとうございました!」
「…」
剣道では、打ち合いが終わる時にも、礼を言わなければならない。
だから勿論、俺のような態度は、悪印象だ。先生には何回も怒られているが、一度も正した事は無い。
先生はとてもいい人で、怒られている時ですら、何も言わない俺の気持ちを察してくれた。それ以降、怒らなくなった。
どうした訳か、俺は、礼の言葉が言えないらしい。
いや、言える事は言えるが、本当に思ってる時には、言えない。つまり、意識せず発した時や、小さい声でなら言えるが、礼を言いたい、と思うと、途端に言えなくなる。
頭の中から、叩かれているような痛みが、俺を許さないから。
「先輩」
知らない後輩に呼ばれた。
「先輩、桜井さんって方が来てますよ?」
桜井。思い出す。そう、あの、ラブレターの。
何の用だ?
桜井は武道場の出口付近に立って、こちらを睨みつけている。
「…何の用ですか?」
「何の用って…。っ!私を前にしてよくそんな事言えるわね!」
何も、心当たりはない。
そもそも会話した事がない。
桜井が土足のまま、武道場に踏み込んでくる。
「惚けても無駄よ。私、知ってるから」
「だから何を…」
「白々しい!彼に渡したラブレターが…私の思いがっ、捨てられたのよ!駅のゴミ箱に」
どうやって知った?いや、そうだとしても、どうして俺に。
「私、見てたのよ。ずーっと、隣の車両から、あなたが、私の彼をたぶらかしてるのを」
「は?」
「あんたが、彼に変なこと吹き込んで私のラブレターを捨てさせたんでしょ!」
彼が言った言葉の意味が、初めて分かった。
桜井、こいつは駄目だ。
「返してよ…!私の…彼を」
私の彼?
頭から、すーっと血が抜けて行き、冷たくなる。
泣き出す桜井を眺める。何も感じない。
俺は、顔を上げ、周りを見渡す。いつの間にか、みんなこちらを見ていた。
殺してやりたいなぁ。
みんな、粉々にしてしまいたい。すっきりしたい。刻みたい。簡単に出来る。素敵に。
「返してよ!!」
桜井が俺の胸を掴む。
ひひひ、殺して、殺して、殺す。
「…せんぱいに、八つ当たりしないでください」
桜井の手を掴んだ女が居た。
後輩の、女の子。
「あんた、誰よ?事情も知らないのに勝手に入ってきて、空気読めないの?」
「事情は知らなくても、せんぱいが悪くないって事だけは、分かります」
「何を根拠に?」
「だって、あなた『私の彼』とか言ってますけど…。一回でも、その『彼』があなたの事を愛してた事が有ったんですか?わたしが聞いた限りでは、あなたが『彼』に振られて、その八つ当たりをせんぱいにしてる様に見えます」
「…なたも、いや、あなたが…」
「はい?」
「分かったわ!あなたが本当の黒幕だったんでしょ!」
「あーもう!本当に、どこまでも…!せんぱい、こんな人に付き合う必要無いです。行きましょう。…せんぱい?」
今、俺は何をしようとしていた?
―殺す
心臓が鳴る。
落ち着け。落ち着け。
「っう」
―お母さん
「あああああ!」
「せんぱい!?どうしたんですか?」
手が震える。鼓動が早くなる。
桜井も、後輩の女の子も、剣道部も、武道場も、学校も、そして、俺すらも、遠くなる。
地面が崩れ、落ちていく。
赤い、赤い水の中。
落ちていく。
扇風機の音。白い壁。保健室。
目を開けると、俺はベッドの上で、隣には彼が座ってた。
「今、何時だ?」
「起きたの?7時だよ」
体を起こす。
「最終下校時刻は、6時45分だ」
「うん、本当は駄目なんだ」
そう言って、彼は得意気な顔をした。
「あの後、どうなった?」
「ずっと、待ってても、迎えに来ないもんだから、僕、武道場行ったんだ。そしたら、君が倒れてたから、事情を聞いて、ここまで、持って来たんだ。先生は親を呼ぼうとしてたけど、君が嫌がるだろうと思って、断った」
確かに、父を心配させたくない。
「そしたら、先生、ここの窓の鍵開けとくから、元気になるまで居ていいってさ」
あの人らしい。
「桜井には、きちんと、僕から言い聞かせた」
だから
「帰ろう」
うん、と言いたかった。だが俺は息を大きく吸い込み、言い放った。
「今日で最後にしよう」
「え?」
「また、これと同じ事が起きるかも知れない」
「だ、大丈夫だよ。僕は」
「俺が嫌なんだ」
彼の顔が変わる。
「嘘つき!」
「…」
「君は僕に迷惑をかけるのが嫌なんだ!」
「…」
「君は、君はっ!…ばかやろう!」
彼はバックを背負うと窓から抜けて、走って行った。
俺は、一人、残されて、
「…」
また、一つ、胸に詰めた。
「面ッ!」
剣を振る。
これで良かったのだ。
俺は、彼と同じ場所に立ってはいけない人間だったのだ。
こんな感情も、抱くべきでは無かった。
彼は友達として、気の合う友達として、俺を見ていてくれた。それなのに、こんな感情を抱いてしまった俺は、彼と一緒にいる権利など無いから。
これで、良い。
「ありがとうございました!」
「…」
礼を一方的に貰い、部活を終える。
更衣室で着替えていると、周りの空気がおかしい事に気付く。
俺から離れた場所で、集まっている。昨日の話を、しているのだ。
嫌な、空気だ。
早々と着替えて、外に出る。
すると、入り口の脇で、後輩の女の子が待っていた。
「せんぱい、あの、ちょっといいですか」
「…いいよ」
彼女に連れられ、武道場を出る。
「この前の返事、聞かせてください」
この前…、何だろう?
カラオケか?
「…行かない」
「はい?…それは駄目って意味ですか?」
うん、まぁ、そういう意味だろう。
「あぁ」
彼女は、少し、顔を下げ、落ち込む。
「いや、いいんです。返事くれなかったって事はそういう事だろう、って大体予想してましたから」
何か、食い違っている気がする。
「あっ、いや、でも、もしかしたら、続けていく内に、面白くなってくるかも、ですよ」
「変わらない、と思うが…」
「わたし、諦めませんから」
その意思の強そうな瞳を見詰めていると、彼の事を思い出した。 彼も、こんな瞳だった。
「…うん。そこまで、言うなら」
「え?本当に?」
彼女は一変して、喜んだ。
「じゃあ、わたしと付き合ってください!」
「はい?」
どうも、俺は決定的な勘違いをしていたようだ。
彼女が俺に訊ねていたのは、カラオケへの出席ではなく、告白の返事だった。
それでも、疑問は残る。いつの間に、告白した?
彼女曰わく、「ダミーの義理チョコに仕込んだ」らしい。
つまり、義理チョコと見せかけて、本命だった訳だ。
しかし、俺は彼に押し付けられたチョコが大量に残っていた。その中に、彼女の告白文は混ざっていたようだ。
そして、ついでに
「あのチョコレートキャンディーを作ったのはお前だったのか!?」
「…そ、そうですけど、なんかありました?」
俺はあの日、二個目のチョコレートキャンディーを見つけて、死ぬ思いをして喰ったと言うのに。
「い、いや、何もない。何もないが、チョコレートはいらない」
「…ちょっと落ち込みます」
俺は転落死したけどな。
「あ、そう言えば名前は?」
「覚えてなかったんですか!?…こりゃ、先が長そうだ。…笹木ですよ」
笹木か。
笹木、覚えておこう。
なんたって、俺は笹木としばらく、付き合う事になるのだから。
「言葉にしない、または、嘘を吐く、」
笹木と二人、電車の中。
「だから、女の子のいじめは悪質かつ繊細なんです」
確かにそうなのだろう。
「逆に男の場合は直接的で、そもそも目的とか無い、無意味な場合が多いな」
「女の子の駄目な所は、核に個人的な感情があるから、自然消滅しないし、むしろヒートアップしていく事です」
しかも、打算的だから、大事にように調節し、長く続く。
「特に可愛いかったり、頭が良かったり、先生に媚び売ったりしてる奴は、嫉妬の感情からいじめられます」
だから
「桜井先輩の事も許してあげてください」
「は?」
「あ、いや、だから昔から相当にいじめられて、性格が歪んだのかなぁ、と」
「どっちだ?」
「え?」
「可愛いかったのか、頭が良かったのか」
「頭は、良くなさそうですから、外見でしょう」
そうか、あれは、普通の人から見れば可愛いのか…。
「あー。せんぱいって、もしかすると、そういうの分かんないタイプですか?」
「大正解」
普通か、ブスか、は分かる。
それ以上がないのだ。
「じゃあ、言っときます。わたしは結構可愛いです」
「え?…了解した」
自己申告かよ。
「あ、そろそろ着くんで。さよなら」
「……」
「どうかしましたか?」
「さよならじゃなくて…いや、何でもない」
またな、と心の中で呟いておいた。
笹木と付き合って1ヶ月、分かってきた事がある。
俺は女が嫌いなんじゃない。怖いのだ。
言葉が、行動が、相手を傷つけるかもしれない。
何かの拍子に、変わってしまうかもしれない。
怖いのだ。
何もかも。
それと、もう一つ。
俺は笹木に恋愛感情を抱く事は出来ない。
絶対に、ない。
笹木が悪い訳じゃない。
俺の方に根本的問題が有った。
俺が見ていたのは笹木じゃない。俺が見てたのは、笹木の後ろに有る影だ。
俺はいつだって、卑怯者で、なにもかも、胸に詰めて。
「笹木とお前って、付き合ってる?」
部活後、部長に唐突に呼び止められた。
「分かんないです、笹木に聞いてください」
「いや、付き合ってんだろ」
質問の答えを自分で決めるぐらいなら、最初から聞かなければいい。
「さあ?」
「いや、別に悪い事じゃねーのよ。たださ、付き合ってるならちゃんと公言しないとさ」
部長は少し周りを見回すと、声を潜めて言った。
「笹木の風当たりがな…。あんまし自覚ないと思うけど、お前、女子に人気あるからな。妬みとか、色々。ここだけの話、かなり今もヤバいらしい」
もし、それが事実だとして、卑怯者に何が出来るというのか。そもそも、笹木なら大丈夫だろう。
「意味ないですよ」
そんな、言葉じゃないだろう。
もっと、言い方が、違う、そうじゃない。
「あー、悪い。お前の事勘違いしてたわ」
部長は一言残した後、ゆっくり溜め息を吐いた。
俺は、忘れない。その時、一瞬だけ見えた、部長の軽蔑しきった目を。
その目が、目が。
自分の感情が干からびていくのを感じた。
「せんぱい、せんぱいの友達の、えっと、なんかかっこいい人が来てます」
「ん、今行く」
彼女が示す先に居たのは、白い肌の彼だった。
「久しぶり、元気?」
「……あ、ああ。元気だ」
「うん。なんか、一つ聞きたいんだけどさ」
――笹木と付き合ってるの?
ああ、辛い。全てが。
「おめでとう。女嫌い、治ったんだ。うん、付き合ってるのか」
「いや、俺は…」
「今から変な事言うけど、驚かないでね。実はさ、」
――僕、君の事が好きだったんだ
「likeじゃなくてloveの方」
それだけ、言い残すと、彼は去っていった。
え?
あ、ああああああ!
待って、待ってくれ。
それだけの事が、たったそれだけの事が、言えなかった。
なんで?
なんでだよ。
胸に手を当てて、抑えつける。言葉が、溢れないように。
その時、誰かが肩を支えてくれた。
「せんぱい、なんで、泣きそうな顔なんですか?」
「だって、だってさ」
「良かったじゃないですか。両思いですよ」
「お前、知ってたのか」
「いや、分かりますって。見てれば。でもね、どうやら、愛しの彼には伝わってないみたいですよ」
「……」
「ほら!早く行って、言ってくればいいじゃないですか」
「でも」
「でもじゃない!このヘタレ!さっさと行け!バカやろう!このホモ!」
「……ぐ、笹木、お前」
「言いたい事あるなら、わたしより先に彼に言って下さい。だから、せんぱい!わたしの気が変わらない内に、行け!」
ああ、畜生。
「ありがとう!」
「どう致しまして!」
初めて、笹木を真っ直ぐ見た気がした。
「あああああああああ!」
なんだよ、これ。 言いたいことが、言葉が、止まらない。畜生。これが、終わったら、笹木に文句言って、それから、部長にも、父にも、それから、それから。
俺は、今、何処にいるか、知らないけれど、母さん。一回、ぶん殴って、礼を言って、それから、謝って、泣いて、叫んで。
走る。走る。走って、追いつく。
そんで、追い抜かしてやる。引っ張ってやるから、一緒に走ろう。
ああ、胸が熱い。
目を丸くした彼を前にして、気の利いた言葉が見当たらない。
だって、今は、お前の事が
「好きだ!」
それだけで、頭がいっぱいで。
「好きだ!好きだ!」
「僕も!好きだ!」
「変な奴だな!お前!」
「お前もな!」
二人で、抱きしめあった。
「俺の間違いかも、知れないけどさ。なぁ、お前って男と付き合ってる?」
部長は、困惑をその顔に浮かべながら、俺に訊ねた。
「いや、違ったら悪い。なんか、そういう噂が…」
「真実です。俺達は愛し合ってます」
「……あ、あー、悪い。お前の事勘違いしてたわ」
「失礼します」
「どうも、せんぱい」
「よう、笹木」
「諦めない事で生まれる愛もあると思うこの日この頃」
「なにを言ってるんだお前は」
「まぁ、それとは別として、あなた達二人の恋は応援したいと思ってます」
「ありがとう」
「どう致しまして」
最後に、楽しそうな顔をして笹木は行った。
「頑張れよ、ヘタレ」
教室に鞄を取りに行くと、彼が待っていてくれた。
何を言えばいいのか、ちゃんと分かっていた。
「ありがとう」
「どう致しまして」
二人歩く、帰り道。
この帰り道は永遠に続いている。
そんな気がした。
コレじゃない。コレじゃないんだ。
念願のBL。
だけど、私が書きたいのはコレじゃない。
いつか書き直します。