表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

1.





 夢を見ていた。

 とても、素敵な夢。


「そんなにこっちを見て、どうした?」


 闇のように深く暗い瞳。

 だけど、その奥には愛しい者への熱が込められていて。

 この視線が私に向けられていたら、どれだけ素敵だろう。

 そんなことを思いながら、ただ彼を見つめる。

 そして彼は照れくさそうに笑った。

 名前もなにも知らない、夢にだけ現れる彼。

 これが予知夢だったらいいのに。

 そんな私の小さな憧れは、彼の言葉で打ち砕かれる。


「……愛してるよ、桜子(さくらこ)


 ああ、やっぱり。

 やっぱり、この人は私と人生を分かち合う人ではない。

 私がいくら希ったって、この人の物語に登場することはできない。

 だったら、私の夢に現れないでほしい。

 そう思う反面、夢を通してでも会えることを喜んでいる私がいた。


「私も、お慕いしております」


 彼の言葉に返したのは、私の声ではない。

 本当に、なんて素敵で、なんて残酷な夢なんだろう。

 優しく微笑む彼を見つめながら、そんなことを思った。




    ❀





百華(ももか)、いい加減に起きなさい!」


 お母さんの大きな声が、私を夢の世界から現実の世界に引き戻す。

 カーテンの隙間から差し込む朝日。窓の向こうから聞こえてくる、鳥の声。

 一つ一つが、私の生きている世界を教えてくる。

 着物を着ていた彼らの世界に、私は生きていないのだと。

 夢から覚めてしまった瞬間というのは、こんなにも残酷なのか。

 今の夢。

 彼は私ではない誰かに愛を囁いていたけれど、あれほど容姿の整った男性に熱い視線を向けられて、嫌な気なんてしない。

 つまり、もっと夢を見ていたかった。

 ああもう、朝なんて来なければいいのに。


「百華!」


 もう一度眠りにつけば彼に会えるような気がして、布団の中に潜り込もうとしたら、さっきよりも怒った声が聞こえてきた。

 私がまた寝ようとしていたことが気付かれたようなタイミング。

 これは、二度寝なんてできないな。

 私は仕方なく、身体を起こした。

 ベッドから降りて、キッチンで朝食の準備をしているお母さんの隣に立つ。

 ほとんど準備が終わっていて、味噌汁のいい匂いが鼻をくすぐる。

 それにつられて、私のお腹が空腹であることを告げた。

 結構な音で、隣にいるお母さんには聞こえたらしい。お母さんはくすくすと笑い声を零した。


「さあ、朝ごはんの時間よ」


 お母さんに言われ、私は味噌汁をお椀に注いでから、食卓テーブルに並べていく。

 朝食らしい焼き鮭と、サラダ、そして白米。

 またお腹が小さく鳴る。

 昨日の夜、あんまり食べなかったせいかな、なんて思いながら、味噌汁に手をつけた。

 どんなことがあっても変わらない、お母さんの味。

 いつもお母さんのお手伝いをしているけれど、いまだに一人ではこの味を再現することができない。


『嫁いだ先で、相手の好みの味を作ることができたら、それで十分なのよ』


 いつだったか、お母さんにそう言われた。

 私は、お母さんの味が一番なのに。だから、お母さんと同じ味を作りたいのに。

 どうしてわかってくれないの、と思うこともあったけれど、今では納得している。

 お母さんのこの味は、父様が好きな味なのだから。

 そんな二人の姿を見てきたから、私も素敵な男性を見つけたいと思ってはいるけれど……

 夢で出会った彼よりも素敵な人と、出会えるような気がしていない。

 彼のことを思い出して、無性に気になってきた。


「……ねえ、お母さん」


 お母さんが洗い物をするための水を止めたタイミングで、声をかけてみる。


「なあに?」

「お母さんの知り合いに桜子って人、いる?」


 知らない人の夢なんて、そうそう見ないだろうから、身近な人の話から夢でも見たのかと思った。

 私の知り合いには桜子という子はいないし、お母さんの友人の中にいるのかと思ったけれど。

 聞いて、どうするんだろう。

 会いに行く? わざわざ、失恋しに?


「さくらこ……いたかしら……」


 お母さんは視線を空に迷わせ、考えている。

 ただの夢の話なのに、こうしてちゃんと考えてくれているところを見ていると、付き合わせて申し訳ない気がしてきた。


「その人がどうかしたの?」

「……ううん、なんでもない」


 私は味噌汁を飲むことで、誤魔化した。


   ❀


「百華、おはよ!」


 登校中、欠伸をしている途中で背後から肩を叩かれた。

 おかげで欠伸が引っ込んだ。


「おはよう、莉奈(りな)


 私の欠伸事情なんて知らない莉奈は、満面の笑みを浮かべている。

 私は眠たくて仕方ないというのに、元気な子だ。


「どうしたの、百華。寝不足?」

「そういうわけじゃないけど……」

「そ?」


 私たちは並んで歩き始める。

 右に莉奈、左は私。

 小学生のときからの定位置だ。


「百華、昨日の配信見た?」

「昨日? なんかあったっけ」

「言ったじゃん! 優真くんの配信日だって! もう、忘れてたの?」


 莉奈は呆れたと言わんばかりに、ため息をついた。

 そういえば、そんなことも言ってたな。

 莉奈の推し、優真くんが配信する、めちゃくちゃカッコいいから見て、だったか。

 莉奈ほどミーハーではないから、普通に忘れていた。

 でも、私が優真くんに興味を持てないのは、今に始まったことじゃない。

 だから、莉奈は文句をそこそこに、昨日の配信について嬉々として話し始めた。

 優真くんが相変わらずカッコよかったとか。

 スクショタイムが神がかってたとか。

 自分のコメントを読んでもらえたとか。

 いつも通り、楽しそうでなにより。

 やっぱり、イケメンに認知されるというのは、それだけで嬉しいものなのかな。

 まあ、私の場合は実在するのかもわからないから、希望を抱いたところでどうしようもないけど。


「百華ー? 今日はいつも以上に聞いてなくない?」

「あ、ごめん……」


 私がぼーっとしていたことに気付いた莉奈は、不満そうにするどころか、少し心配そうに私を見ている。


「なんかあった?」

「そんな、大したことじゃないんだけど……」


 バカにされるかもしれない、と思いつつ、私は今日見た夢の内容を話した。

 いつもなら、夢なんて時間が経てば忘れてしまう。

 だけど、今日の夢は全然消えなくて、むしろ、まだはっきりと彼の顔を思い出せる。

 あの、真剣な眼差しが。


「イケメンが夢に出てきて、愛の告白してくるとか、控えめに言って最高じゃん」


 バカにされなくて安心はしたけど……ミーハーなヤツめ。


「でも百華にじゃないんだっけ?」

「そうなんだよね……」


 イケメンに告白された夢、というだけならここまで引っかかっていない。

 今の莉奈みたいに、予知夢かも、なんて浮かれていただろう。

 でも、あの人の視線の先は、私じゃなかった。

 だから、気になってしまうのだ。


「んー……なんでだろうね……あ、そういうドラマか映画を見たとか」


 首を横に振る。

 あの人を見たのは、夢が初めてのはず。

 どこかで見かけていたら、今みたいに忘れていないだろうから。


「もしかして、マンガ? 小説を自分の中で映像化したとか」

「私、本読まないよ」

「そうでした」


 莉奈は腕を組み、唸っている。

 私よりも、真剣に考えてくれているみたいだ。

 ミーハーだなんて言って、ちょっと悪かったな。

 そんなことを思いながら橋の上を歩いていると、ふと、視界の端が眩しく感じた。

 視線を移すと、水面が朝日に照らされ、反射している。

 その眩さに、思わず目を細める。

 朝日って、こんなに眩しかったっけ。


「わ、黒猫」


 莉奈の声に釣られて、川から目を離す。

 少し先から、黒猫がこちらに歩いてきている。


「見て、あの子の目、青色だよ」


 莉奈は言いながら、カバンからスマホを取り出そうと、カバンを漁り始めた。

 私はというと、その子から目が離せなかった。

 その子は、私の視線に気付いたのか、私を一瞥した。

 その途端、時間が止まったかのような感覚がした。


「あった!」


 莉奈の声で意識は現実に引き戻され、黒猫との視線が合わなくなった。

 そして黒猫は、私たちの足元を走り去っていった。


「あーあ、逃げちゃった」


 莉奈の悲しそうな声も耳に残らず、黒猫の後ろ姿を目で追う。


「百華、遅刻しちゃうよ?」

「うん……」


 そう言われて、私は後ろ髪を引かれる思いで足を進めた。




   ❀




 遠くで、猫の鳴き声が聞こえる。

 何度も何度も聞こえるから、目を覚ませと言われているような感覚になってくる。

 ゆっくりと瞼を開けると、大木の下で、背中を木の幹に預けて寝ていたことに気付いた。

 知らない場所、そして、桜柄の着物という知らない服。

 ……これ、夢だ。

 ということは、またあの人に会える?

 そんな淡い期待を抱いていると、膝元に黒猫が擦り寄ってきた。

 さっき聞こえてきた声の子だろうか。

 そっと手を伸ばし、黒猫の頭に触れる。

 すると、その子と目が合った。青く、吸い込まれそうな瞳と。

 青眼の黒猫は、記憶に新しい。

 もしかして、今朝見かけた黒猫と同じ子だろうか。

 あのとき、妙に目が離せなかったから、夢にまで出てきたのかもしれない。


「桜子」


 すると、名を呼ばれた。

 私の名前ではないけど、ずっと引っかかっている名前が聞こえ、私の中で期待が膨らむ。

 きっと、あの人に呼ばれたんだ。

 声がしたほうへ視界が動くと、そこには顰め面をした男の人がいた。


「伯父様……」


 私が誰だろうと思ったのと同時に、口が動いた。

 知り合いなんだ……それにしては、なんだか嫌な感じがする……

 ああ、見つかってしまった。

 私ではない、桜子がそう思った気がした。

 桜子の中に芽生えたこの感情は、なに? 恐怖?


「お前、また勝手に家を出たな」


 男の怒りが込められた声は、私も恐ろしく感じた。

 喉が締め付けられ、声が出ない。そうして私が固まっている間にも、その男はこちらに近づいてくる。

 ついに目の前に立った男は、手を伸ばしてきた。

 迫り来る大きな手に、思わず目を瞑ると、猫が威嚇する声がした。

 さっきの子が、膝に乗って男に向かって威嚇している。


「なんだ、この猫」


 男は容赦なく猫の首根っこを掴み、私から引き剥がした。

 猫はその辺に投げ捨てられ、近くにあった柵のようなものに、強く背中を打ち付けた。

 そして、重力に従って、黒猫は地面に落ちた。

 黒猫が動く気配が、ない。

 男に声をかけられたときとは違う恐ろしさが、込み上げてくる。

 私のせいだ。私を庇ったから、あの子は。


「行くぞ」


 待って、あの子の様子が見たいの。

 そう思っているはずなのに、男に腕を掴まれ、引っ張られているせいで、黒猫に近寄ることができなかった。


 それから場面が変わり、私は薄暗い部屋にいた。

 小さな窓から、大粒の雨が降っているのが見える。

 こんなにも雨が降っていたら、この古い建物が壊れてしまいそう。

 そんなことを思いながら、ただただ、灰色の空を眺めていた。

 あの人に会いたい。桜子の夢を見せるなら、あの人に会わせて。

 星も見えない空に、私はひたすら願った。

 だけど、雨音は強くなる一方。

 お前の願いなど聞くものかと、神様が怒っているみたい。

 横恋慕しようとしたから?

 だったら、私にこんな夢を見せないでよ。

 もう、夢から覚めたい。

 こんな世界に、いたくない。


「桜子、出てきなさい」


 視界が滲むのは、私が泣こうとしているからだと認識するのと同時に、扉の向こうから声がした。

 あの男の声だ。

 嫌だ、行きたくない。

 そう思っているのに、従わなかったらどうなるかを知っているかのように、この身体は動いた。

 扉を開けると、男はニヤリと笑っている。

 なんとも不気味な笑みだ。


「光栄に思え、桜子。お前が神の嫁に選ばれた」


 神の、嫁?

 理解し難い単語に、反応ができない。


「最近は雨が多いだろう? これはきっと、神が花嫁を探しているからだろうということになってな。そこでお前が選ばれたんだ」


 本当に意味がわからない。

 だけど、冗談を言っているようにも見えない。

 理解が追いつかなくて、私はまだ、なにも言えなかった。


「数日後、儀式を行うことになった。それまで、大人しくしているように」


 男はそう言うと、扉を閉めた。

 独りの部屋に、雨音が響く。

 まるで、絶望の世界へ招かれているよう。


「私が、花嫁だなんて……黎夜(れいや)様になんて説明すればいいの……」


 勝手に動いた口から出てきた名、黎夜。

 もしかしてこれが、あの人の名前?

 名前までカッコイイなんて、ズルい人。

 だけど、私のときめいている心よりも、桜子が抱いている不安のほうが大きくて、私の感情は見事に飲み込まれた。


 変わらず強い雨。

 そんな中で私は、傘もささずに橋の上に立っていた。

 下を見れば、とんでもない濁流。

 水に迫られているようで、恐怖を感じる。

 危ないし、離れないと。

 そう思っているのに、手首も足首もなにかで縛られているせいで、動けない。


「水神様、どうかお鎮まりください!」

「この娘を生贄といたします!」

「どうか!」


 背後から、大人たちの声が聞こえた。大人たちが天に希う声に、耳を塞ぎたくなる。

 ああ、そうか。ようやく理解した。

 桜子に押し付けられたのは、花嫁だなんて可愛いものではなかった。

 私は今から、死ぬんだ。

 夢だとしても、それは嫌だな……


「桜子!」


 その名に反応して振り向くと、あの人が、黎夜さんが大人たちに押さえつけられている。

 あのときみたいに優しい表情ではなくて、泣き叫ぶような顔。

 桜子は本当に黎夜さんに愛されていたんだ。

 そう感じるほどの表情と声だった。


「ごめんなさい、黎夜様……ごめんなさい……」


 雨が地面を打ち付ける音にかき消されてしまうほどの声量。

 きっと、彼には届いていない。

 黎夜さんは大人たちに抑え込まれながら手を伸ばす。

 けれど、それは私に届くことなく、私は川へ吸い込まれて行った。




   ❀




「目は覚めたか? 卯月(うづき)


 夢で聞いたのとは違う、優しさと怒りが混ざった男の声。

 一瞬、ここがどこなのかわからなかったけど、すぐに理解した。

 私が生きている世界、教室だ。

 日本史の授業中に寝てしまったようで、私の席の真横に、先生が立っている。

 笑顔だけど、目が笑っていない。


「……すみません」


 私がそう言いながら身体を起こすと、先生は黒板の前に戻っていった。

 みんなの視線が私に集中していることもあって、恥ずかしさで消えてしまいたい。

 莉奈なんて、声を押し殺して笑っているし。

 これは絶対、あとでからかわれるやつだな。

 今朝とは違う悪夢を見たし、本当に最悪。

 夢なら、あの人との楽しいデートとか見せてくれればいいのに。

 って、あれ……

 あの人の名前、なんだったっけ。

 せっかく知ったのに、忘れるなんて。

 まあ、夢なんてこんなものか。

 まだ眠気が残っているのか、私は小さく欠伸をする。

 そのとき、窓枠に雀が一羽止まっていることに気付いた。

 独りでこんなところにいるなんて、可愛らしい。

 そう思ったけど、なんだか、じっと私のほうを見つめているような……


「卯月!」


 先生の大きな声に、肩がビクッとなった。

 振り向くと、笑顔すら消えてしまった先生が、黒板の前にいる。

 普段怒らない人だから、余計に怖い。


「寝たり、よそ見したり……それだけ余裕なら、一つ質問をしようか」


 先生はニヤリと笑い、ちょっと……いや、かなり難しめの問いを投げかけてきた。

 まったく話を聞いていなかった私は、当然のごとく、答えられなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ