手打ちうどんパニック
町は阿鼻叫喚の地獄と化していた。
うどんが意志をもち、人間たちを殺しはじめたのだ。
ケンジとあたしは商店街を避け、走っていた。
民家のないところまで逃げればうどんも襲ってはこないはずだ。
「ミカぁ〜! こっちだぁ〜!」
ケンジが先導しようとするのを必死に引き戻す。
ケンジのことは愛してるけど、頼んないのは事実だ。コイツに任せたらうどん横丁とかへ連れて行かれかねない。
「だめ! あたしに任せて!」
「だってミカ……、方向音痴じゃないかぁ〜!」
スーパーマーケットの自動ドアを突き破って、袋入りのゆでうどんの大群が外へ飛び出してくるのが見えた。
次々と逃げ惑う人々の首に巻きつき、絞め殺そうとしている。
しかしあいつらやわやわだ。みんな簡単に手で引きちぎっている。あたしの首にも巻きついてきたので、力を入れて首を膨らませ、破裂させてやった。箸どころか指を使う必要もない。
袋入りゆでうどんに続いて、冷凍うどんが現れた。やつらはカチンコチンだから厄介かと思われたが、カチンコチンすぎて巻きつくことができないのでぶつかってくるだけだ。痛いけど我慢すればどうってことはなかった。
問題なのは手打ちうどんのお店から出てくるコシのあるうどんだ。
あのコシは厄介だ。何も対策なしに巻きつかれたら窒息死してしまうだろう。
しかしあたしたちには武器がある。
箸だ。しかもヤワな割り箸とかではなく、とても丈夫でしなりもある、竹箸だ。あたしが家から持ち出してきた、つまりはあたしが選んで買った竹箸だから、いいものでないはずがない。
コンビニから、一般家庭から──そこかしこの建物の中から次々とうどんが姿を現す。人間を捕食する宇宙生物の触手のように、ユラユラと蠢きながら獲物を狙っている。
極太の讃岐うどんらしきのが5本ほど、まとめてあたしのほうへ伸びてきた。
凄いスピードなのでかわせなかった。首に巻きつかれた。しかし慌てなければ大丈夫。
「ミカぁ〜!」
泣き叫んでこっちを見ているだけのケンジを軽蔑する目で見ながら、あたしは箸を使った。
正しい持ち方なので、箸先に無駄なく、それどころか増幅された力が入る。
ちょん
一本切ってやった。次のをまた箸先でつまむと、力を込める。
ちょん
面倒くさいので残り三本はまとめて切断してやった。
「よ……、よかった、ミカ! 殺されたかと思ったよぉ〜!」
号泣するケンジを白い目で見てあげた。なんであたし、こんな情けないやつと付き合ってるんだろう。わかってる。恋は理屈じゃないからだ。
「とにかく早く逃げるわよ。こっち!」
あたしはケンジの手を引っ張って走りはじめた。今の時間、太陽があっちの方向にあるということは、こっちへ逃げれば森がある。森の中にうどんはさすがにいないはずだ。
それにしてもなぜ、うどんが人間を襲いはじめたのだろう……。
いきなりだった。ある日突然、鍋焼きうどんを食べていた小池さんという名前のおじさんが煮えたぎるうどんに前から巻きつかれ、絞め殺されたというニュースが全国に流れた。そして、それから──
はっと気がつくと、あたしたちは最も危険な界隈に足を踏み入れていた。
手打ちうどん『とびた』のある通りだ。町で一番の強いコシをもつということで有名なお店だ。
しまった。考え事をしていたので道を間違えてしまった。……あたしとしたことが!
『とびた』の暖簾を突き破って、噂の強コシ手打ちうどんが触手のように現れた。
「な……、長い……っ!」
そのうどんのあまりの長さに迂闊にも見とれてしまった。30メートルはあるだろう。
それがケンジの首にあっという間に巻きついた。
「うわぁ〜っ! ミカぁ〜! やられた!」
ケンジにも竹箸を持たせておいた。
それで懸命に切ろうとするが、ケンジは箸の持ち方が汚い。必死に挟んではいるが、あの持ち方では力が逃げてしまってうまく切れない。
「……まったく。そんなこともできないの?」
あたしはため息を吐きながら、仕方なく彼の首に巻きついたうどんを──
音のような速さで再び『とびた』の暖簾が揺れた。それと同時に手打ちうどんがあたしの首にも5本、巻きついてきた。
でも慌てない、慌てない。あたしはケンジとは違う。綺麗な箸の持ち方をしてるから、こんなもの──
切れない!
なんてコシなの、とびたのうどん!
「ほ……、ほらぁ〜」
ケンジがあたしのほうを見ながら、笑った。
「切れないだろぉ〜? すごいコシだろぉ〜? お、俺が情けないからじゃないってわかった?」
「ほ……、ほんとだぁ〜」
あたしも笑った。
「す……、すごいコシなんだね、このうどん。……これじゃ、切れないの、当たり前ぇ〜」
ケンジのことを見直した。っていうかあたし……あなたのこと、見下してばかりだったね。ごめん。
これからはケンジのことを頼りにしてみよう、少しだけ。あたし方向音痴だし……。
そんなことを考えながら、ケンジのどんどん紫色に変わっていくその愛しい笑顔が、あたしの目の中で、ぼやけていった。