第十二話 葛藤(ある司教視点)
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ようやく探し求めていた書物を見つけ出すことができた私は、書物を手に大司教様の元に行こうと扉に手を掛けたときだった。
扉の外に誰かいる……。
これはもう私の勘というしかない。セレンに言われた感じやすいというやつだろう。
書物探しに集中していて気がつかなかったが、ずっと扉の外で誰かに様子を窺われていたような、そんなゾワッとする気配を感じた。
扉に掛けた手をそっと外し、書庫の奥へと移動すると、セレンに小声で話しかける。
「セレン、お願いだ。この書物を守ってくれ」
そう言うと、初代愛し子様に関しての書物をセレンに託す。セレンは頷き、スッと姿を消した。
私は再び扉に近づき鍵を開け、ゆっくりと扉を開く。扉の前にいたのは、クリス司教だった。
「アダン、話がある。付いてきてくれ」
有無を言わせない圧力を感じ、黙ってクリスの後に続く。連れて行かれた神殿の外には、コーンウォール公爵家の馬車が停まっていた。
やばい。
そう感じるのは私だけではないだろう。逃げられるものなら逃げたいが、そうはいかない。
すぐに馬車の扉が開き、中に入るよう促される。
ゴクリと唾を飲み込み、意を決して中に入ると、待っていたのはコーンウォール公爵その人だった。
「やあアダン司教。まあ掛けたまえ」
「は、はい」
大人しく公爵の向かい側に腰掛ける。
「アダン司教、最近の国民の暮らしについてどう思う?」
最近の国民の暮らし?
「どう、とおっしゃいますと?」
「最近は以前にも増して国中に活気が溢れ、それに比例して犯罪も極端に減ってきている。これ以上ない平和な日々が続いているだろう?ずっとこんな日々が続けばいい……そうは思わないか?」
「……何をおっしゃりたいのでしょう?」
そんな話をしに来たのではないのだけは確かだ。
「なに、君は四大精霊に詳しいと聞いてね。3ヶ月前、ベネディクトと会ったときの話を娘から聞いてね」
しまった。あの時、疑いを持ったことに気がつかれていたのか。クリス司教はコーンウォール公爵家の遠縁にあたる。ずっと監視されていたのか。
私が黙っていると。
「嘘も方便という言葉を知っているかね?真実を暴いても誰も幸せになれないこともある。違うかね?」
そう言って公爵は私に優しく微笑みかけてきた。その笑顔に、思わず鳥肌が立つ。
「君には歳の離れた妹がいるね?エマという名の。歳は22だったかな?」
なぜ公爵がエマのことを?まさか。
私の青ざめた顔を見た公爵はニヤリと笑う。
「最近犯罪が減ったとは言っても、稀に人が消えることがある。たとえば貴族に目をつけられた若い女性とか……ね?」
「エマに何かしたんですか⁈」
思わず身を乗り出して公爵に詰め寄ると、公爵は笑みを深めて言う。
「たとえばの話だよ。だが、どうだろう?君がもしも余計なことをすれば……」
「脅しですか?」
公爵は何も言わないが、その表情が私の発言を肯定していた。
「君が何もしなければ、みんな平和に暮らせるのだ。君も、エマもな」
公爵はガックリと項垂れた私の肩をポンポンと叩くと扉を開けさせた。私は立ち上がり馬車の外へ出る。
「じゃあ、アダン司教。君が賢い人でよかった。……エマによろしくな」
そう言うと、馬車の扉が閉まり、コーンウォール公爵家へと帰っていった。
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自分に与えられた部屋に戻ると、その場に座り込む。するとセレンが私の頭を撫でてくれた。
「セレン……私はどうすればいいんだろう」
真実を話せばエマがどうなるかわからない。エマを保護しようにも、相手はコーンウォール公爵家だ。太刀打ちできるわけがない。
黙っていればみんなが幸せ……か。
「セレンすまない、今すぐ真実を明らかにすることはできなくなった」
セレンは私の頭を撫でながら黙って聞いてくれている。
「だが、必ず真実を明らかにするときはくる。エマを守る力をつけるしかない。少しずつ協力者を増やしていつか必ず……」
そう言うと、セレンはそっと私を抱きしめた。
「私はあなたの味方よ。6歳であなたの魂に魅入られてから、ずっとね」
「セレン、ありがとう」
こうして私はエマを守るための協力者を増やすにどうすればいいか、まずは神殿の中にコーンウォール公爵家の息がかかっていないものを探すところから始めることにした。
ところが、それからわずか3ヶ月後、精霊王様からの御神託によって大きく事態は動くことになったのだ。
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「我が愛し子を直ちに保護せよ」
御神託を受けた私は、そのあまりに凄まじい気に、意識を失ってしまった。
意識が戻った頃には神殿は大騒ぎになっており、大司教様は王城に報告に向かってしまったという。
神殿のみながコーンウォール公爵令嬢を心配する中、私の心配はもちろん別のところにあった。
そう、御神託があったということは、今フェアリアル王国には本物の愛し子様がいるということだ。そして、保護が今すぐ必要な状況に置かれているということになる。
こうなっては黙っておくことはできない。エマのために愛し子様を見捨てるなど許されることではないだろう。
幸いこの騒ぎで、コーンウォール公爵家もエマに構っている暇などないはずだ。娘を本物の愛し子であると言いはるために、総力をあげて娘を守るという体裁を取らないといけないからだ。
今しかない。
そう考えた私は、大司教様が王城から戻ってすぐに大司教様の元に向かった。祈りの場の前で大司教様を呼び止める。
「あの……大司教様」
「どうした?何かあったのか?」
「いえ……あの、愛し子様のご様子はいかがでしたか?」
この事態を受けて偽物だと自白していれば本物の愛し子様の安全も、そしてエマの安全も担保されるのだが。
「安心しなさい、愛し子様はご無事だった」
自白していないか。偽物の四大精霊についてはどうなのだろうか?
「さようでございますか。では、四大精霊様に何か変わったご様子はありませんでしたか?」
「特にお変わりなかった」
「本当ですか?御神託については?」
ボロを出して真実が明らかになってくれている可能性は?
「ご存知ないらしい。精霊王様の御心は四大精霊様にもわからないと」
「そんな……!!」
本物の愛し子様が窮地に陥っているとわかっているはずなのに、なぜ誰も自白していないんだ!そんなに自分達の栄光が大事なのか!
「愛し子様が心配なのはわかる。だからこそ今我々にできることをするのだ。今私にできるのは精霊王様に祈りを捧げ、愛し子様の無事を祈り続けることだ」
「いえお待ちください!大司教様、お話ししたいことが!」
その時、頭を何かで強く殴られたような衝撃を受けた私は、また意識を失ってしまった。
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目を覚ますと、私は自分のベッドの上に横になっていて、心配そうにセレンが顔を覗き込んでいた。
「気がついたか」
鋭い声がした方に首を向けると、ドアの前で腕を組んだクリスが立っていた。
「悪いが、俺の精霊に頼んで気を失ってもらった」
痛む後頭部を触ると、微かに土がついている。確かクリスの契約精霊は土の精霊だったな。土の塊で殴られたのか。
「どういうつもりだクリス。君もわかっているはずだ!このまま真実が明らかにならなければ本物の愛し子様が……!」
「真実なんてどうでもいいんだよ!!」
私の言葉を遮り、クリスが睨みつけてくる。
「公爵様がベネディクト様を愛し子だと言えば、ベネディクト様が本物になるんだ」
「そんなわけないだろう!本物の愛し子様に何かあれば、精霊王様の怒りを買うことになるんだぞ?そしたらこの国は……」
「安心しろ、本物は公爵様が探し出して保護するらしい」
公爵様が保護を?
「御神託があったことで本物の愛し子様がいることはわかった。だから本物の愛し子様を見つけ出して公爵家で保護するんだ」
クリスが続けて言うには、保護はするが愛し子であることは一生涯伏せてもらう。その代わり、愛し子だと名乗らない以外は王宮で生活するかのような贅沢な日々を送らせるという。
「愛し子様は代々王族とのご結婚が約束されている。それは?」
「そこは諦めてもらう。なに、愛し子に選ばれるのは超がつくお人好しばかりだったみたいだからな。愛し合うベネディクト様とオリバー王太子殿下を引き裂くことを今世の愛し子様もしないだろうということだ」
……クリスは聞こえがいいことを言っているようにも思えるが、本当にそれでいいのだろうか?何か釈然としないような。
「とりあえず、公爵家が総力をあげて本物の愛し子様を見つけ出すから安心しろ。お前はとりあえず今までのように黙っていればいいんだ。……エマのためにもな」
そう言うとクリスは部屋を出て行った。
「アダン大丈夫なの?」
「セレンありがとう。少し痛むけど大丈夫だよ」
泣きそうなセレンをなだめる。
とりあえず、本物の愛し子様のことは公爵様が探し出すという言葉を信じて待つしかない。本物に何かあれば困るのは公爵も同じだ。
どうか一刻も早く愛し子様が見つかりますように。
その願いが叶わなかったとわかったのは、それから1週間後。
セレンがいなくなった日だった。
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