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転々と妖  作者: 汐風鈴
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「ああああああぁぁぁ!」


 バンパーに当たった鈍な音と衝撃を感じて思わず叫びながらブレーキを勢いよく踏み込む。運転席からフロントガラスを眺めるとヘッドライトが田んぼにっひっくり返ったまま突っ込んだ足だけが見えている。


 空中を掻くようにして地面に転げながら運転席から降りるとすぐさま二本の足を引っ張るとその勢いのまま尻餅をつく。一瞬の緊張と恐怖で息を切らし、ゆっくりと立ち上がると足元に転がった少女に違和感を覚えてしまう。


 異様なまでに青白い肌で和服に下駄という時代錯誤な格好、そして極めつけには一本の鋭い角が前髪の隙間から露わになっている。その仰向けの少女は死人のように動く気配を見せない。


 再度の不安に戦慄し恐る恐る彼女に顔を近づけると呪いの人形のようにギョロリと赤い瞳を開く。その刹那、目の前が白で埋まり意識を飛ばしてしまった。




 意識を覚醒させると既に夜が明けていた。腕時計を確認すると十時を回っていた。幸か不幸か田舎道だということで人通りがなくて通報されずに済んだが父親から借りた軽を事故らせてしまったのとあの少女を吹っ飛ばしてしまった事実には怯えざるを得ない。


 しかし、どこにもその子の姿が見当たらない。よく観察してみるとバンパーや他のどこにも血痕も凹みもないのであるのだ。


「夢か。そうだ夢だ夢ということにしよう」


『何が夢じゃ。儂のことを盛大に飛ばしたというのによくもまあ呑気でいられるのぅ』


 肩のあたりから急に気配と冷気が現れ、俺に話しかけて来る。


「お前は俺が吹っ飛ばした——」


『——そうじゃ、儂が毎度の如く異変の調査に赴いたところ貴様が突き飛ばしたんじゃよ。そのせいで儂の力は弱りに弱ってしまったんじゃ』


 俺の体にまとわりつくようにしながら彼女は耳元で囁く。


『だから儂は力が元に戻るまで貴様に取り憑くことにしたのじゃ』


 この鬼はほれ、と俺の胸の辺りを指差す。


「はぁ?」


 自分の胸元辺りを見ると布の下で盛り上がった双丘が実っていた。間抜けな抜けた声のトーンも前より高くなっているように気づく。


『貴様には儂の眷属になってもらうのじゃ』


 彼女——テロウキ様曰く、彼女は土地神の責務として穢れを祓っているらしいが俺が轢いてしまったせいで困難になってしまったらしい。


 俺にも責任がある。その責務に加担する他ないが女になってしまうとは思わなかった。神の眷属となるにはそれこそ多大な代償が必要であり、人としての性を失い元の◼️◼️の情報を抹消することで俺の存在を神に近いものに昇華させたらしい。


「おいテメェそれはやりすぎだろうが! 存在ってなんだよ」


 自分の名前、家族の顔、就学中の大学、ほとんど全てを思い出すことができない。いつの間にか着用していた巫女服と三つ編みに結われた髪は妙にしっくりときていて気持ち悪い。俺という存在がテロウキ様の眷属という存在に塗り替えられているのだろう。


 いくら暴れても幽霊に等しい今のテロウキ様には触れることすら叶わず、側から見れば眷属の行動は道化と対等に滑稽なのだろう。


『何を抜かすか眷属よ。そもそも貴様が法定速度を突破していたのが原因であろうが。儂が力を失ってしまったせいでこの辺りに化け物が出たらただでは済まないのじゃよ』


 眷属が理不尽だと憤慨しても宙に浮く鬼は本来神の祟りとはそのようなものだ、と突っぱねるだけである。


『それに良かったではないか、貴様。交通事故もなくなったのだぞ』


 ついに眷属は土地神の容姿に似合わぬ豪快な笑いを聞いてため息を吐く。しゃがみ込みながら顔を覆うと指先に突起物が軽く当たる。恐る恐る触れるとそれは額から二本だけ天に向かって伸びているのがわかる。


 それらの角をハンドルのように掴むと視界が歪む。ぽろぽろと目尻の方から水滴がこぼれ、肺から魂が抜けてゆくような感覚が受け入れ難い現実を認知させる。


 しかし、現状の困難を打破することなど叶うはずがない。テロウキ様のいうとおり、原因は俺にある。その報いを受けただけなのだ。


「俺はこれからどうすればいい?」


『ひとまず、神社に行くのじゃ。眷属にしたと言っても完全ではない。走れ、いつ化け物が現れるかわからん』


 しょうがないと、そう思うしかない。それが唯一の精神安定剤である。


 それにしても変異したこの肉体は邪魔なものが多い。長い髪は視界に入るし夏には暑い。凹凸を際立たせる脂肪は走るたびに揺れて微かな違和感が募る。


 人智を超えた身体能力のおかげで十分もしないうちに目的地に到着することになった。神社はもぬけの殻であり誰もいなかった。手水舎の水は止まっていて、賽銭箱も錆びた五円玉が数枚だけ入っているだけである。


 本殿の襖を開けると一枚の鏡と一本の刀剣が祀られていた。鏡に映る眷属の姿は雌の鬼そのものであり、もはや男の影などない。


『眷属、その刀剣を持て。儂の動きに合わせて舞を踊れ。それで良い』


 その言葉を受けて俺は刀剣を持つと、記憶にない祝詞が脳内を駆け巡る。それに呼応するようにその祝詞が俺の口から発せられ手足がオートマタのように動き出す。中腰で前進したり右手に持った刀剣を左から右にかけてゆっくりと振ったりしているうちに150ぐらいだった身長が一通りの儀式を終える頃には本殿の入り口を越えるぐらいの長身にまで伸びる。


『これでもう、貴様は人ではない。ただの眷属ではなく半分土地神と融合した。儂と同じ化け物じゃよ』


 もう一度鏡を見る。先程は無かった牙がハリのある妖艶な唇から覗き、爪も伸びて瞳も動脈血のように赤く染まっている。身長はあの頃よりも高いはずだ。テロウキ様が何を望んでいるのかはわからないが役に立てることは確かで少しだけ高揚感が湧き上がってくる。


「テロウキ様、見回りでもしましょうか」




『土地神ということもあり、儂は豊作に準じた能力を有しているのじゃ。天候を操る力。全盛期は雷一つで化け物を退治しておったが今はそんなことはできん。貴様も同じだ』


 平安の頃からテロウキ様は信仰されており、この村周辺の愚民の信仰心により力を有していたが、近代からは徐々に愚民の数が減り、ついには忘れられるほどだとか。誰かの記憶の片隅に縋り付くことでなんとか生き残っているらしい。


「その分、素の力がお強いのでしょう」


『それは貴様が眷属だからじゃ。儂は祀られる前は人を食らう鬼だったから神ではない眷属にはその性質が色濃く出るのじゃ』


「テロウキ様から授けられたことには変わりません。精一杯俺の務めを果たすだけです」


 刀剣は置いて行けと言われ、何も持たないまま変わらぬ田園風景の中をテロウキ様と共に巡回する。


 時々、白い装束を着た半透明の人型が神社の方へ向かっていく。彼らは墓場かもしくは人里の方から来ているのだろうか。凡人だった頃ならば断言できただろうが今は土地勘すらないのでそれは困難を極めるものだ。


『眷属よ。あの大木の裏、いるじゃろ?』


 拡張された視力を使って少し離れたところにある大木の影をよく見てみると狐に紫色のブヨブヨとした肉片が各所に張り付いたような何かがこちらを観察している。


『あれは化け物でも病の類に入るものじゃな。早く対処しないと厄介なことになるじゃろう。しかし、今の眷属にはちと厳しい。何度切り離しても増殖するだけじゃ』


 テロウキ様曰く、あれには多種多様ゆえに名前すらなく人から人に伝染していく邪気を纏った病らしい。少し前ならば天罰の一つや二つで消し飛んだらしいがその力が弱まった今力で押し切るのは難しいらしい。


 一歩、あの狐が顔を出す。初めてみる異形は気味が悪いを越えることはなく過剰な恐怖こそ無かったが自分の死がありえると思うと手に汗握るものがある。


 両者がジリジリと近づき、俺が一度足を止めた瞬間にその狐はこちらに飛び込んでくる。足を止めたせいで少々重心を後ろに傾けてしまい、腕を交差させることでなんとか噛みつきを防ぎ肘で突いて一メートル半ほど後退させた。


 弱々しい悲鳴と共に後退した狐の半身は眷属の抵抗によって凹み、血を吹き出している。眷属の巫女服には狐の血がどっぷりと付着し、滴っている。


『早くその血を引き離せ! 貴様の肉体も侵食されるぞ』


 巫女服の右腕を覆う袖を引きちぎってその場に殴り捨てるも肘についた血液から沸騰するように肉塊が増殖するのだ。くそ、と一口だけ罵って後退するともう狐の方は再生しており、肘から伝わる鼓動が息を荒くさせる。熱い痛みが鼓動に合わせて広がる。


「あーくそ、わからん! ひとまず距離取るか」


 眷属は狐に背を向けるようにして走り出す。五メートルほど離れるたびに道端の小石をぶつけてまた五メートルほど離れる。


『何をしておるのじゃ! 時間稼ぎは逆効果じゃぞ』


「対策を考えださなければ死ぬだけです。もう一度能力について話してもらえますか」


 ジュウと蒸発するような音を立てながら流動的に肉を動かすあの狐が近づいてくる。炎天下と妙に高い体温のせいで額から頬、顎にかけて雫が辿り頭から蒸気が上がっているのを感じる。


『ワシの能力は天候に関するものじゃ。弱っているせいで雷は静電気より少し強いぐらいで雨も広範囲ならば小雨程度じゃ』


「手とか口とかから直接は出せますか?」


『た……多分』


「日光は?」


『出せるぞ! 試したことはないが……』


「私はこの力で負傷しますか?」


『それは保証するのじゃ!』


 眷属はテロウキ様の覇気のない返答に違和感さえ覚えず、人差し指を立てた右腕をあげて力を込める。すると、鉛筆ほどの太さの光線を発射する。


「聞くかはわかりませんが準備はできました。ものは試しです」


『信頼できんのじゃが!』


 両手の親指と人差し指をそれぞれ合わせて、標準を合わせるようにして作った円に狐の姿を収める。


「すまない」


 既に肉塊と化した狐に先ほどよりも太い光線を当てる。それは何も変わらずに直進し、こちらに向かってくる。


『全く効いてないじゃないか』


 中に浮く小鬼は涙目で自身の眷属を罵るが、一方の眷属はその罵倒を一切気に留めず一気に狐との距離を詰める。手刀で肉塊を両断すると断面から肉が膨れ上がるもすぐにそれは停止し、腫瘍だけが徐々に消えていく。気づけば肘のそれも元通りになっており眷属の目の前には息絶えた狐の半身が横たわり、そこから紫色の玉が現れた。


「終わりましたね」


『……再生しないじゃと! どんなカラクリなんじゃ』


「日光というものは本来、とても危険なものなのです。そこには多量に浴びれば肉体を破壊させる光もあり、私はそれを利用して細胞の増殖を止めさせました」


 狐の周りに邪気のようなものが漂っているのがわかる。


『その玉を飲めば儂と貴様の力を回復できるのじゃ』


 一歩二歩、赤黒い液体に浸かった玉を手に取る。


「ちょっと待ちぃな」


 玉を大きく開けた口の前まで持って行ったところで落ち着いた色の声が眷属を静止させる。眷属は玉を握ったまま声の主の方へ首を回す。そこには九本の尾と左右の耳を持った和装の女性が立っていた。髪も尾も小麦色で夕焼けに解けてしまいそうである。


「あんたナニモン? ヒトの縄張り丁寧に荒らしてもうて……。ま、わっち人じゃなくて神様なんやけどなぁ! ガハハ……ちっぽけな悪霊風情がわっちの残り滓を食ろうたぐらいで調子乗んなや」


 豪快に笑いながら開いた扇子を仰ぐ狐女はその隙間からこちらを睨む。その視線を突き立てられたテロウキ様が動揺するのがよくわかる。


「なんや、呆けた顔して……もしかしてあんた、」


『ちょっと、眷属! あのオバサンなんかに騙されないでよ』


 テロウキ様は語尾すらも忘れてしまうほどの戸惑いっぷりから神を自称する彼女の発言は信用に足るのだろう。


 よく考えれば、おかしな話だ。


 使われなくなった手水舎や本殿。自分の能力についても深く知っているようではなく、俺が質問をした時には曖昧な返答をしていた。

 

 信者のいない神などいないも同然だ。


「俺はあのヒトを信じる。騙されていようがいまいが来たところまできたんだ。俺は最善だと思った方向を目指すだけだ」


『やめろ! 三百年も眠って、儂はやっとここまで来たのだ。こんなところで終わってたまるか!』


 怨霊は◼️◼️の首を抱くようにして地に止まろうとするがいくつもの狐火が彼女を包み込んで体を上昇させていく。


『嫌だ! 儂はまだやることがあるんだ! 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!』


「五月蝿い」


 一定のところで狐の女が手を一度叩くとその瞬間に狐火は獄炎のように燃え上がり、怨霊は一瞬にして灰となって霧散した。その影響だろうが、◼️◼️の額から飛び出た角が引っ込んでいく。


「なんや、全部は戻らんか。仮とはいえわっちの力を使っただけあるなぁ」


 右の袖がちぎれた巫女服、盛り上がった双丘、青白い肌はいまだに健在である。完全な鬼ではないがそれに近しい何かではあるのだろう。


「……あんた、見た感じ行く宛がないみたいやな。どうや? わっちと一緒に来ないか? まあ、今のままじゃあんたの存在は消えてなくなるからついて来るしかないけどなぁ」


 女狐は愉快そうに高らかに笑い、巫女服の女は地に向かって苦笑するのだった。




 後処理のために女狐に連れられて既に廃れた境内に再度足を踏み入れることになった。本殿の戸を開くと相変わらず鏡と刀剣が鎮座していた。神様はそれらをよく観察すると頷いて刀剣を◼️◼️に渡して、鏡を抱えるようにして持つ。


「あんたの名前聞いとらんかったなぁ。わっちはイナダマ。わっち自身はそんなに大層な神やあらへんし派遣社員みたいなもんやからそんなに畏まらんでもええんよ。あんたの名前も聞いてもええか?」


「ええっと、それが思い出せないのです。多分、俺に憑いてきた奴のせいだと思うのですが自らのことを思い出そうとすると霧がかかって仕方ないのです」


 そう返すと彼女はじっとこちらを見つめてくる。


「すまんな、完全に抹消されとるわ。どうしようもあらへん。詫びとしてはどうかともうけど、わっちの眷属にならんか? ガッハッハ! 何、あいつのように悪くはせん。何より、あんたが存在し続けるために呼び名が必要なんよぉ」


 どうやら名付けの際に従属関係が生まれるらしい。


 結局、俺に選択肢などない。自分を信じるなどと大見栄を張っておいて大事なところで命が大事なのだから締まらないわけだ。


「よろしくお願いします」


「じゃあ、名付けましょか」


 イナダマ様は円盤状の鏡を脇に挟むようにして(それでいいのか?)何度か扇子でこめかみを叩いてから唸り、何度か本殿内を右往左往してからその手の扇子を◼️◼️の眉間を突く。


「コダマっちゅうのはどうや」


「ぜひ、名乗らせていただきます」


 俺——コダマは両膝をついて両手をハの字にして地につけて頭を下げる。すると温かなものに包まれる感覚と共にとてつもない睡魔がいとも容易く意識を刈り取っていった。

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