二十三、ネズミとソフィア②
ノアがそこまで考えたところで、唐突に父の声が耳に入った。
「ノア!いるかい?」
ノアは跳ねるように立ち上がるとステップから目いっぱい身を乗り出して父を探した。箱舟の後方10メートルほどの所に馬が見える。馬上には父のライアンと、そしてかつて乙姫と自分をさらったライリーがいた。
馬は箱舟のすぐ横を疾走して急速に箱舟のステップに接近する。ノアはまずは後ろに乗っているライリーが箱舟に乗り込むのを助け、次いでライリーと協力してライアンを引っ張り込んだ。ライアンは何か荷物の入った大きな道具箱を肩からたすき掛けに下げていて、乗り込む時にそれが盛大な音を立てた。乗り手のいなくなった馬は徐々にスピードを落とし、やがてどこかに消えてしまった。
ライリーは城で取り調べを受けていたはずだった。ノアはライリーを睨む。
「なぜ君がここにいるんだ?」
ライリーが何か話そうとしたところで、ライアンが割って入る。
「私の判断で連れてきた。彼女は敵ではない。グランデレは?」
「先にお城に向かいました」
「そうか、ここからは3人で協力して動くよ」
そう言って二人を見る。
ライリーが唇をかみしめて頷く。ノアは釈然としない様子だがやるしかない。
「ところで、箱舟の様子はどうだ?」
ノアはなおもライリーをちらちらと睨みつける。ライアンが重ねて問いかける。
「ノア、箱舟の様子はどうかと聞いているんだよ。大切な事なんだ。答えてくれ」
ノアはライアンに向き直り、質問に答える。
「見ての通り、一つ目のドアは開きっぱなしですが、この奥に行けません。私達が中に入って大丈夫なのかもわかりません。箱舟は動いていますが、音声は沈黙しています。ただ、さっき少しだけソフィア様とお話が出来ました」
「ソフィア様が?で、なんとおっしゃっていた?」
「私の半分はもうここにはいないから話は出来ないと…」
「ここにはいない?」
「はい。それから、乙姫様に会いたいと仰っていました。会わなければならないと仰っていたのです」
それを聞いてライアンはノアではなくライリーの方を向く。
「どう思うかね?」
「残念ですが、先程話していた予想通りですね。どうしましょうか?」
「箱舟の中ではこれ以上話せないな。聞かれてしまう」
ノアが怪訝な顔をする。
「聞かれる?誰にですか?」
ライリーがかすれるような小声で話す。
「箱舟にです。ノア王子、これは推測ですがソフィア王妃の脳の移植は恐らく失敗でした。原因は技術的なものではなく、恐らく彼女の思考が人類の側だったからです。箱舟がそれを拒んだのでしょう。箱舟の目的は恐らく、人類の排斥です…」
ノアはあっけに取られて黙って聞いている。
「そして今の箱舟の目的は…」
ライリーは少し躊躇した後に消え入るように言った。
「動物の味方である乙姫様の脳を人工知能の一部として吸収する事です…」
予想外の話にノアは愕然とした。
「じゃあ今すぐ箱舟を止めないと!」
「声が大きい…」ライアンがたしなめる。
「ノア、私が箱舟を強制停止しようとした時のことを覚えているか?」
「はい」
「今回の強制停止は以前の方法では無理だ。恐らく箱舟は二度と止められないよう自分で改造してしまっただろう。そこで、別の手を使う。これは私でなければ出来ない。乙姫様を助けたいのだ。手伝ってくれるか?」
「もちろんです」
ライアンが押し殺した声で言う。
「声がでかいぞ…」
その頃、ソフィアの心を持ったネズミのロッテは王城に着くと真っすぐに乙姫の部屋を目指した。ソフィアは乙姫が自分の話をどのくらい真剣に受け止めてくれるか不安だった。しかし、考えても仕方がない、まずは乙姫に会わなければならない。かつて自分が暮らしていた城だ。どこに誰がいるのかは心得ている。最初にかつて乙姫の寝室に使われていた部屋に向かったが、そこはもぬけの殻だった。
(どこにいるのかしら?)
探し回りながら、城の塔が一つ崩れ落ちている事にソフィアは激しく動揺した。恐らく箱舟がやったのだろう。箱舟の主砲は思ったより破壊力がある。箱舟のバッテリーが消えかかっているとはいえ、こんなものを至近距離で撃たれたらさすがに王国の兵士も無事では済まないだろう。
走りながらソフィアは本来の体の主であるロッテに語りかける。
(走らせてしまってごめんなさいね)
「大丈夫です。それより急いで見つけないと」
城内は箱舟接近で大騒ぎになっていた。ロッテが誰かに聞くわけにもいかないが、箱舟到着まで時間がない。城内で安全な場所と言えばどこだろうか。ソフィアは暫く考えて一つの部屋に思い至った。かつてソフィアが一時的に治療を受けていた部屋が王の執務室のすぐ上にある。あの部屋は城の中心部分で太い柱に守られている。城そのものが崩壊しない限り身の安全は確かだ。
(ロッテちゃん、一つ思い当たる場所があるの。突き当りの階段から上に上がってくれる?ずっと上にかつて私が使っていたお部屋があるの。そこかも知れないわ)
「行ってみましょう!」
そう言うとロッテは人影をよけながら階段を駆け上がった。
目指す部屋はすぐに見つけたロッテだったが、目の前の部屋のドアは閉じられている。ロッテは周りに人がいない事を確認してからドアをカリカリとひっかいた。暫くそんな事を続けていると中からドアが開いた。開けてくれたのは乙姫で、室内には乙姫の他には誰もいなかった。
「あら、ネズミさん、どうしたの?」
「お休みのところすみません。大切な用事があってまいりました。中に入れていただいてもいいでしょうか?」
大切な用と言われて安易に信じるほど警戒心が薄い乙姫ではないが、もしも今起こっている状況に関係があるのなら話を聞くべきなのだろう。どのみち色々なことが手詰まりなのだ。
「いいわよ。さあ、どうぞ入って」
そう言うと乙姫が中にロッテを招き入れてドアを閉めた。乙姫はベッドの近くの椅子に座ると、改めて目の前にいるロッテに問いかけた。
「で、大切な用事というのは何?」
「乙姫様のお母様をお連れしました。乙姫様に用事があるのはお母様のソフィア様です」
乙姫は大きく目を見開いた。
「お母様?でも、ここにはあなた一人よ?」
すると、ロッテは突然ソフィアの声で話し始めた。
「私がこの子の体を借りてここまで来たの」
「お母様?」
今は亡き母親が前回は箱舟内で人工知能として姿を現し、今度はネズミの姿をして目の前に現れたことに乙姫は動揺し、その後の言葉が続かない。
「ごめんなさいね。私はあなたに謝らなければならないわね…」
乙姫は黙って聞いている。
「箱舟に移植されてしばらくは良かったの。でも、暫くしてどうもおかしいと思うようになったわ。私は分かっていなかったの。箱舟の恐ろしさを。感情が無い機械が善悪を判断するとどうなるかという事を…」
「何があったの?」
「箱舟は元々西の国が作った医療機械なの。それはあなたも知ってるわね。それをこの王国の王の依頼で兵器に変えられた。ただ、中にいる人工知能には大きな変化はくわえられなかったの。機械ってね、人間が作るものだから人間の言う事に忠実に従うように作られているの」
「それはそうでしょうね」
「あの人工知能が最初に人間から教わった大前提があるの」
「大前提?」
「ええ、考えの判断基準になるような、人間で言えば道徳のような物かしら」
「それってどんな基準なの?」
「【生き物を大切にするように】、という前提よ」
「なんだかとても普通の事のように聞こえるけど…」
「でも、そこから箱舟はおかしくなるの」
乙姫は黙って聞いている。
「箱舟は動物の病気を治しながら、この国を守っていたわ。攻撃されれば防衛のために最低限の反撃をする。敵がこの国に攻め込んでこなければそれで終わり。でも、外国が攻めてくるなんてめったにないわ。箱舟は暇なの。なのにあの箱舟にはただ領地を見回るだけにしては、不相応なほど高性能な人工知能が据えられていたの。そこで私はあなたの病気の治療法を研究してもらったの」
「研究?私の病気?私は病気なの?」
「私と同じ病気だと思うわ。たぶん長くは生きられない。それを治すために私は箱舟に移植してもらったの」
「そんな…」
「でも、箱舟なら治せると思ったの」
「あの箱舟ってそんなことが出来るの?」
「出来るわよ、確実ではないかもしれないけれど、それが最後の頼みの綱だったのよ。箱舟は頑張ったわ。機会が頑張るというのも変ね。私の頼みを忠実に実行したわ。
偉い人に作り変えられて兵器の姿になっているけれど、病気があるなら治したいって思う事は箱舟にとっては普通の発想よ」
乙姫はあっけに取られてソフィアの話を聞いていた。
「やり方は箱舟に任せたの。下手に細かい指示を出すより人工知能の方がよほど効率的に事を進めると思ったのね。それで、『乙姫を幸せにしてくれ』って、それだけ一緒に指示したの」
「随分乱暴ね」
「そうね。でも箱舟は、人間を治療したことが無い。だから手始めに王国の中を巡りながら動物を使って様々な研究をして、人間に応用できる道を探っていったの。おかげで今では動物の病気はほとんど箱舟が治せるわ」
喜ばしい事だと思う。そう感じて乙姫は素直に嬉しかった。
「でもね、ある時箱舟は気が付くのよ」
「気が付くって?」
「なんでこんなに病気や怪我の動物が後を絶たないのだろうかって。そして色々観察しているうちに、怪我は人間の罠や狩猟が原因で、病気は人間による環境汚染が原因だという事を突き止めたの。箱舟の使命は生命の保護。ならば、その原因を取り除くこともその使命のうちだわ…」
「じゃあ箱舟は…」
「他の生き物を守るために、箱舟は人類をせん滅することにしたの…」
「人間だって生き物じゃない」
「人間は好きで戦ってるんだと判断したんじゃないのかしら?」
「私の幸せはどこに行ったのよ?」
「動物を守ることがあなたの幸せじゃない。あなたいつもそう言ってたじゃない。いわゆる根本的な価値基準が最初にあったのに、人間が矛盾したことをする。迷ったら基本に返る。そこで箱舟は人間を敵とみなしたの」
「私も敵なの?」
「敵じゃないわ。あなたは動物の味方。でも、あなたが人間から大切にされてるところを箱舟は見ていた。そのあなたを箱舟に取り込んだら、誰も箱舟を壊そうなんて思わなくなるわ」
「まるで人質じゃないの。止めてよ」
「それはそうなのだけれど…」
そこまで話したところで、ロッテはぱったりと倒れて動かなくなった。




