二十三、ネズミとソフィア①
この数日間止まっていた箱舟の中で、ソフィアは一人考えていた。
あの爆発で娘達が死ななかったのは幸運としか言いようがなかった。箱舟の大爆発は乙姫がスイッチとなって起こしたものではない。あの時乙姫達の被害を最小限に食い止めるために、とっさに私が起こした爆発であった。箱舟の中にいた乙姫達を外に放り出すだけで良かったのだが、予想を超える大爆発で、危うく夫と娘を殺すところだった。その上箱舟自身も自己修復が不可能なほどの深手を内部に負った。しかも、娘の乙姫は記憶を失ったという。あの時ライアンがコントロールパネルの前で話していた、乙姫に及ぶ害についての話は、私の知らない事であった。箱舟に移植されたにもかかわらず、箱舟が知っているのに私の知らない事があるとはどういうことなのか。
あの瞬間、箱舟は中にいる全員に対する明確な殺意があった。娘が殺されると思った瞬間、私は無我夢中で中にいる全員を外に吹き飛ばした。その作業も危うく箱舟に邪魔されそうだった。
自分は今ではいわゆる人工知能だ。元の自分の能力がどうであれ、そこそこの性能はあるはずだ。それが、あんな大切な場面で爆発の規模を見誤るはずがない。という事は、箱舟自身の人工知能が意図的にあの爆発を邪魔したとしか考えられない。私は自分自身が箱舟そのものになったつもりでいたがそうではなかった。ここにはもともと箱舟の人工知能と私という二つの人格が同居していたのだ。だが、箱舟は自分自身の存在を隠し続けた。恐らく、一番肝心な時に、邪魔されないために。
慎重に動かなければならない。私の存在や意識がいつ箱舟に消されないとも限らない。そのような事態をとりあえず阻止するため、やむなく私は箱舟を止めて全ての機能を停止させていた。そんな時にあのネズミが来てくれた。知っている子だった。私はあの子に自分の意識の半分を託した。もう一人の私となったあのネズミは、今乙姫の元に向かっている。箱舟が追いつく前に間に合ってくれるといいのだけれど…。
これから刻一刻とバッテリー性能が弱くなっていくだろう。バッテリーが空になる前に箱舟はきっと行動を起こすに違いない。箱舟内部の“ソフィアではない”人工知能が箱舟をゆっくりと進ませながら王城へと近付いていく。まるで害意がないかのように。
かつて自分の居城だった王城は果たして私を受け入れてくれるのだろうか。真っ暗な室内で私はこれまでの事を思い返していた。記憶はあいまいで、頭の中はまるでもやがかかったようだが、全てを忘れてしまうほどにはまだ自分を見失っていない。私はどうしても、この箱舟と決着を付けなければならない。
ソフィアはなるべく古い記憶をたどった。そもそもなぜこうなったのか?きっかけはソフィアがまだ幼い頃にまでさかのぼる。
ソフィアが最初に自らの異変に気が付いたのはまだ少女の頃の事であった。それは初めて王国を訪れた時の事だった。大人たちに連れられて、気乗りしないまま箱舟を見に来たソフィアはその威容にただ圧倒されたのだが、不思議と嫌な気持ちは湧かなかった。誘われるままに中に入って、何気なくパネルに触れた瞬間、脳の中に何十という光景が早送りで再生されたような、一種の幻のようなものを見た。驚いて咄嗟に手を放したが、心臓の鼓動は高まり、立場など気にせずその場で泣き出したいような気分だった。
その日の夜、ソフィアはベッドの中で昼間見た映像を思い起こすことにしてみた。全てを思い起こすことは難しかったが、その映像はいわば“箱舟の記憶”そのものであった。周りの大人達から箱舟は国を守る兵器だと教わっていたが、実際に箱舟がしている事はおよそ国防とは縁がないものであった。
箱舟は森の中で草や木の実を採取し、そこから様々な薬品を作り出していた。そして軌道付近にいる動物の怪我や病気を治していたのだ。治すことを動物に強要したりはしない。だが治して欲しいと願う生き物は分け隔てなく皆助けた。驚くべきことに箱舟はその活動の段取りを自分一人で考え出し、単独で行動していた。助けてくれる人間は誰もいなかった。でも箱舟はそれを不満に思わなかった。なぜなら箱舟は生まれた時からずっと一人だったからだ。素晴らしい事をしていれば皆が共感し、集まってくれるわけではないという事を、幼いながらに締め付けられるような思いで痛感し、ソフィアは箱舟に同情した。だが同時に小さな違和感も覚えた。それは、
(何が目的でこんな事をしているのだろうか?)
という疑問だった。箱舟の中には喜びが無かった。何かもっと、動物を助けるという事とは違う、別の目的があるような気がした。
箱舟の中にあった最後の記憶は人が森の中でクマを撃っているところから始まる。そのクマは森の中で、ただ立っていただけだった。人がそれを撃って歓声を上げた。
元々そのクマは数日前に森の中で怪我をしていたのを箱舟が助けたのだ。治療が終わり森に返すと、クマは怪我が治ったのが嬉しかったのか、立ち上がって箱舟を見送っていた。その後ろから人が銃で撃ってクマを殺してしまった。「よし!やったぞ!」という人の歓声が聞こえる。
箱舟の記憶はそこで終わっていた。
次の日の朝、ソフィアは窓の外で犬が鳴いている声で目を覚ました。その犬は確かに、
「やめて!行きたくない!そんなに強く引っ張らないで!」
と言っていた。犬好きがよく言う犬の気持ちが分かるとかいう事ではない。自分が日頃話す言葉を犬が喋っていたのだ。ソフィアはロープで繋がれて連れていかれる犬をカーテンの隙間から見ながら、これは一体何かしらと考えていた。確かに犬が喋っていたが、犬と一緒にいた人は別段慌てた様子もなかった。あの人の耳には犬の鳴き声しか届いていない。だとすればこれは自分に起こった変化だ。思い当たるとすれば一つしかない。昨日箱舟に触れたあの瞬間だ。箱舟から与えられた能力なのか、箱舟に呼び覚まされた自らの能力なのか、それは分からない。
この事を大人に話した方がいいのか迷ったが、結局ソフィアはこの事を誰にも言わずに自分の中にしまい込んだ。
あれから長い年月が経ち、今自分は箱舟と一体となって城に向かっている。今や私は箱舟の一部だ。だから箱舟の考えている事もわかる。この兵器は善意の仮面をつけた悪魔だ。
箱舟に乗り込んでいたグランデレ達はこれからどうすべきか話し合っていた。とりあえず王城と竜宮城に鳥たちが向かい、ノアが電話で西の国のライアン王に知らせる事にした。知らせた後どうするか、という事まで考えることが出来なかったが、取り急ぎ知らせる必要があった。『箱舟が再起動した』と。
鳥たちが飛び立つのを見送りながら、ノアは城に電話をしたが、なかなかライアンが捕まらない。とりあえず近くにいる警備兵に伝言を頼むと電話を切った。
「さて、これからどうしたものか…」
「恐らくお城に向かうつもりなんでしょうね」
「たぶんな」
「お城に行って、何をするつもりなんでしょうか?近付いてお城を攻撃するつもりなのではないでしょうか?」
「分からんが、どちらにしろ目的もなく行動するようなことはあるまい」
「そうですね…。グランデレ様、今一度ソフィア様に話しかけてみてはいかがですか?何か返答があるかもしれません」
そう言われてグランデレは箱舟のドアを見上げた。入り口通路には入れてもらえたが、室内へのドアは閉じたままだ。これといったメッセージもない。
「ソフィア、ドアを開けてくれないか。話がしたい…」
グランデレは声をかけてからしばらく待ったがやはり返事はなかった。
「やはり駄目ですね…」
そうノアが言った時に、ふいに小さな声が聞こえた。
「…お願いがあります」
驚いてグランデレが聞き返す。
「ソフィアか?なんだ?何でも言ってくれ!」
「最後に乙姫と会わせてください。どうしても会わなければならないのです」
「それは構わんが…」
と、そこまで返事をしてグランデレは考える。
(最後に…?)
「とにかくドアを開けて中に入れてくれないか?詳しく話を聞きたいのだがどうだ?」
「私の中心はもうここにはおりません」
「中心とはどういうことだ?おりませんと言うが、今こうして私と話をしているではないか」
そう声をかけたが、それ以降返事はなかった。箱舟が動き始めた時は気が付かなかったが、以前と比べて動きに力が無いように思う。気のせいだろうか。
そう思った時、急速に接近する馬の音が聞こえた。
「グランデレ様!ご無事ですか?」
叫びながら箱舟に馬を寄せてきたのはハリー大尉だった。暗闇に目を凝らすと三頭の馬が箱舟と並走している。
「ハリーか!早かったな!」
「ずっと箱舟を監視していましたから。何が起こるか分かりませんから、皆さん一旦箱舟から離れてください。この先に装甲列車が待機しています。そこまでお連れします。あの中ならとりあえずは安全です」
「しかし、ついさっき箱舟が…、ソフィアが返事をしたのだ。何とかもう少し粘ってみようと思う。対話で止められるものなら止めてやりたい」
「ソフィア様が?」
ハリー大尉が何か言おうとしたが、ノアがそれを止める。
「多分これ以上待っても無駄です。ハリーさんは一旦王様をここから安全な場所までお連れしてください。箱舟の目的地は王城です。箱舟は乙姫様に会おうとしています」
「乙姫様に?」
今度こそハリーの顔に怪訝を通り越した怒りが浮かんだ。
「何という事を…」
「目的は分かりません。箱舟の戦闘力がどこまで回復しているのかも分かりません。乙姫様をお願いします!」
「ノア殿は?」
「私はここに残ります。ここで父を待ちます」
「ライアン様が来られるのですか!それこそおやめください!今の箱舟は何をするか分かりません。どんな被害が出るか分からないんですよ?」
「だから残るのです。箱舟の目的が乙姫様なら我々はそれを止めなければならないが、それが出来るのは恐らく父上だけです。ハリーさんはグランデレ王と一緒に早く乙姫様の所へ!装甲列車もお城に戻してください!撃ち合いになったら貴重な戦力です!」
ハリー大尉が暫くじっとノアを見ていると、横でグランデレがため息をつく。
「わかった。ここはノア達に任せる。すまんな、何から何まで…」
「どこまでできるか分かりませんが、出来るだけの事はします」
グランデレは頷くとマントを手にハリーの馬に飛び移る。
「ハリー、とにかく城に戻るぞ!ノア!後を頼む!」
ノアが硬い表情で頷くと、グランデレは苦しみと悲しみが入り混じったような顔で少しだけ笑って見せた。長い戦いの中で、グランデレにとってノアはもはや身内も同然であった。箱舟を阻止するため、そして乙姫を守るためとはいえ、そのノアを危険な箱舟に置いていくのは、ある意味我が子を見殺しにするようなものであった。
「ご無事で!」
走り去る馬の後ろ姿に向かってノアが叫ぶとハリーが一瞬振り向いて会釈した。馬は線路沿いを走って、遥か前方にいるはずの装甲列車に向かった。箱舟のスピードは遅く、あっという間にグランデレ達の馬は見えなくなった。
グランデレ達が見えなくなると、ノアは箱舟のステップに腰を下ろして父のライアンを待った。壁にもたれてドアの方を眺める。さっきソフィア王妃は
『私の中心はもうここにはおりません』と言っていた。
それが本当だとしたら、とそこまで考えて天井を見上げて考える。
この船を動かしているのは一体誰なのだ?本来の、ただの人工知能に戻ったのだろうか?だとすれば、それこそ乙姫に用事などないはずだ。ソフィア王妃は最後に乙姫に会いたいと言ってどこかに消えた。そして、ソフィア様がいない箱舟は自分の意思で王城に向かっている。ソフィア様もそのままここに居ればいいではないか、と思う。これに乗っていれば王城に着くし、そこで乙姫様に会えばいいではないか。何故わざわざここを出ていったのだろうか?これではまるで、二つの全く別の人格ではないか。
(もしかすると、ソフィア様の脳の移植はそもそも失敗していたのではないのか?)




